大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)10506号 判決 1994年7月11日

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

(「別紙」は本分冊の末尾に添付。以下同じ。)

主文

一  被告チッソ株式会社は、別紙第一原告目録記載の原告らに対し、各原告に対応する同目録「認容額」欄記載の金員及びこれに対する同目録「起算日」欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  別紙第一原告目録記載の原告らの被告チッソ株式会社に対するその余の請求並びに被告国及び被告熊本県に対する請求をいずれも棄却する。

三  別紙第二原告目録記載の原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用の負担は、次のとおりとする。

1  別紙第一原告目録記載の原告らと被告チッソ株式会社との間に生じた分は、これを一〇分し、その三を同被告の負担とし、その余を右原告らの負担とする。

2  別紙第二原告目録記載の原告らと被告チッソ株式会社との間に生じた分は、全部右原告らの負担とする。

3  原告らと被告国及び被告熊本県との間に生じた分は、全部原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一章  原告らの請求

被告らは、各自、別紙第三原告目録記載の原告らに対し、各原告に対応する同目録「請求額」欄記載の金員及びこれに対する同目録「起算日」欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二章  事案の概要

第一  要約

本件は、かつて水俣湾周辺地域に居住し、後に関西地方に移り住んだ原告らが、様々な症状等を訴え、この原因は、水俣湾周辺地域で魚介類を摂取し、メチル水銀が体内に蓄積されたことによる水俣病であるとして(以下、水俣病に罹患しているかどうかの審理対象となっている対象者を、訴え提起前又は提起後に死亡した場合を含めて「本件患者」という。)、被告チッソに対しては、同被告がメチル水銀化合物を含む排水を排出したと主張して民法七〇九条に基づき、被告国及び被告熊本県(以下、単に「被告県」又は「県」という。)に対しては、同被告らが各種規制権限を行使して水俣病の発生拡大を防止すべき義務があったのにこれを怠ったなどと主張して国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償を請求している事件である。

第二  争いのない事実

以下に記載する事実は、原則として原告らと被告三名との間で争いのない事実であるが、原告らと一部の被告との間で争いがない場合は、括弧内に注記する。

一  当事者

原告らは、かつて不知火海周辺に居住したことがあり、後に関西地方に移り住んだ本件患者及びその承継人らである(被告らにおいて明らかに争わない。)。原告らは、昭和四四年一二月一五日公布の健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)又は昭和四九年九月一日以降は公害健康被害補償法に基づき、熊本県知事又は鹿児島県知事に対し水俣病認定申請を行い、検診を受けてこの申請を棄却又は保留され、若しくは、未だ検診を受けていない者である(被告国及び県との間で争いがない。)。

被告チッソは、明治四一年、日本窒素肥料株式会社として設立され、水俣において石灰窒素法による肥料工場として発足し、硫安を製造販売していたが、大正一五年には合成アンモニア工業の工場を建設し、昭和七年にはアセトアルデヒド合成酢酸の製造に成功し、各種化学製品を製造してきた。昭和二五年、同会社の工場等の設備を承継した新日本窒素肥料株式会社が設立され、その後同四〇年一月にチッソ株式会社と改称し、現在に至っている。(本段落の事実は被告チッソとの間で争いがない。)

二  水俣病の意義

水俣病とは、被告チッソの水俣工場におけるアセトアルデヒド製造工程内で副生されたメチル水銀化合物が工場排水に含まれて排水され、水俣湾の魚介類を汚染し、右汚染されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を多量に摂取したことにより、即ち食物連鎖により惹起された中毒性神経系疾患である。

三  水俣病の症状と病理

1 水俣病の主要な神経症状としては、感覚障害、小脳症状(協同運動失調等)、聴力障害、視野狭窄、構音障害、振戦等がある。

2 体内に入ったメチル水銀は、蛋白質に結合しやすいため、排泄されにくく、脳において最も長く蓄積する。脳の病理所見においては、大脳皮質の選択的障害、小脳の皮質障害という極めて特徴的な病変が認められる。大脳皮質は広範囲に大なり小なり障害されるが、好発部位として後頭葉鳥距野(視覚中枢)、中心回領域(運動及び知覚中枢)及び側頭葉横側頭回領域(聴覚中枢)等の障害が強い。また、脳回表層部よりも脳溝深部に病変が強く、慢性経過例では障害が髄質にも及んでいる。小脳では、小脳皮質にある顆粒細胞が脱落、消失してしまう特徴がある。

神経細胞の破壊や脱落は、大脳、小脳の萎縮を引き起こし、神経細胞脱落が顕著な場合には脳表面は海綿又はスポンジ状態に変化する。崩壊した脳神経細胞は、他の身体部位の細胞と異なり再生しないから、(代償機能は別として)障害は回復できない。

さらに、水俣病による障害は、大脳、小脳に限らず、脊髄(特に後索)、錐体路、脊髄後根、脊髄神経節等に変性が認められる場合があり、末梢神経の知覚優位の障害が特徴として存在する。

3 個々の患者についてみれば、時間の経過とともに水俣病の症状には変遷がみられ、重症例から軽症例まで多様な形態をとっている。水俣病と認定された者には、物忘れ、体がだるい、力が入らない、頭痛、頭重、しびれ感、肩こり、四肢疼痛、目の疲れ・かすみ、耳鳴り、聞き取りにくい、言葉が出にくい、味・臭いがわからない、手足のこむら返り、筋肉がピクピクと痙攣する、いらいら、不眠、物を手から落とす、指先がききにくい、転びやすい、細い道でふらふらする、めまい、立ちくらみ、頭がぼんやりとなる、などの多様な自覚症状が見られる。通常、これらの症状は、個々についていえば、他の疾病のときにもみられるもので、必ずしも水俣病に特有のものではない。

4 水俣病であるか否かの判断に当たっては、メチル水銀の被曝を受けたかどうかという疫学的調査が必要である。水俣病患者が、各種の疾患を併せ持っている場合はありうるし、もともと病気を持った人に対する汚染も考えられる。

5 水俣病の原因物質として有機水銀が疑われる端緒を開いたのは、水俣病の病理所見がイギリスのハンター・ラッセルらの論文(一九四〇年)で報告された有機水銀中毒例と一致するとの指摘であった。ハンター・ラッセルらは、有機水銀取扱企業で働いていた工員と研究所の助手ら一六名の中に生じた中毒性疾患について医学的観察をした結果、有機水銀中毒症の患者に共通の症状は、求心性視野狭窄、運動失調、言語障害、難聴(聴力障害)、四肢等のしびれ(知覚障害)であることを認めた。これらは、ハンターラッセル症候群と呼ばれる。

6 個々の水俣病患者については、水俣病の症状が時の経過とともに変遷が見られることがある。水俣病がハンターラッセル症候群の神経症状を揃えるのは、重症例である。水俣病には、このように重症例から軽症例まであり、水俣病の判断においては、疫学条件及び臨床症候を総合的に判断する必要がある。

7 昭和四六年七月、環境庁が発足し、同年八月七日付で水俣病認定基準につき、左記(一)の「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」と題する環境事務次官通知(以下「四六年事務次官通知」という。)が出された。その後、環境庁は、昭和五三年七月三日、「水俣病の認定に係る業務の促進について(通知)」と題する事務次官通知を出し、左記(二)の昭和五二年七月一日付環境庁企画調整局環境保健部長通知「後天性水俣病の判断条件について」(以下「五二年判断条件」という。)で示した条件に従う旨を明らかにした。

(一) 四六年事務次官通知

第一  水俣病の認定の要件

一  水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であって、次のような症状を呈するものであること。

イ 後天性水俣病

四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと。また、神経障害、振戦、痙攣その他の不随意運動、筋強直などをきたすこともあること。

主要症状は求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。

ロ 胎児性または先天性水俣病

知能発育遅延、言語発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状であること。

二  上記一の症状のうちいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであること。

なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部または一部として関与していることをいうものであること。

三  二に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。

四  法第三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事等は、関係公害被害者認定審査会の意見において、認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請人の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料等から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると認め、すみやかに認定を行なうこと。

第二  軽症の認定申請人の認定

都道府県知事等は、認定に際し、認定申請人の当該認定に係る疾病が医療を要するものであればその症状の軽重を考慮する必要はなく、もっぱら当該疾病が当該指定地域に係る大気の汚染または水質の汚濁の影響によるものであるか否かの事実を判断すれば足りること。

第三  すでに認定申請棄却処分を受けた者の取扱い

都道府県知事等は、認定申請に係る疾病が、当該指定地域に係る大気の汚染または水質の汚濁の影響によるものではない旨の処分を受けた認定申請人について、上記の趣旨に照らし、あらためて審査の必要があると認められる場合には、当該原処分を取り消し、関係公害被害者認定審査会の意見をきいて、当該認定申請に係る処分を行なうこと。

第四  民事上の損害賠償との関係

法は、すでに昭和四十五年一月二十六日厚生事務次官通達において示されているように、現段階においては因果関係の立証や故意過失の有無の判定等の点で困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、当面の応急措置として緊急に救済を要する健康被害に対し特別の行政上の救済措置を講ずることを目的として制定されたものであり、法第三条の規定に基づいて都道府県知事等が行った認定に係る行政処分は、ただちに当該認定に係る指定疾病の原因者の民事上の損害賠償責任の有無を確定するものではないこと。

(二) 五二年判断条件

一  水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であって、次のような症候を呈するものであること。

四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害などをきたすこと。また、味覚障害、嗅覚障害、精神症状などをきたす例もあること。

これらの症候と水俣病との関連を検討するに当たって考慮すべき事項は次のとおりであること。

1 水俣病にみられる症候の組合せの中に共通してみられる症候は、四肢末端ほど強い両側性感覚障害であり、時に口のまわりまでも出現するものであること。

2 1の感覚障害にあわせてよくみられる症候は、主として小脳性と考えられる運動失調であること。また小脳、脳幹障害によると考えられる平衡機能障害も多くみられる症候であること。

3 両側性の求心性視野狭窄は、比較的重要な症候と考えられること。

4 歩行障害及び構音障害は、水俣病による場合には小脳障害を示す他の症候を伴うものであること。

5 筋力低下、振戦、眼球の滑動性追従運動異常、中枢性聴力障害、精神症状などの症候は、1の症候及び2又は3の症候がみられる場合にはそれらの症候と合わせて考慮される症候であること。

二  一に掲げた症候は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当たっては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるが、次の1に掲げる曝露歴を有する者であって、次の2に掲げる症候の組合せのあるものについては、通常、その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられるものであること。

1 魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴

なお、認定申請者の有機水銀に対する曝露状況を判断するに当たっては、次のアからエまでの事項に留意すること。

ア 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)

イ 有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期など)

ウ 居住歴、家族歴及び職業歴

エ 発病の時期及び経過

2 次のいずれかに該当する症候の組合せ

ア 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。

イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること。

エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。

三  他疾患との鑑別を行うに当たっては、認定申請者に他疾患の症候のほかに水俣病にみられる症候の組合せが認められる場合は、水俣病と判断することが妥当であること。また、認定申請者の症候が他疾患によるものと医学的に判断される場合には、水俣病の範囲に含まないものであること。なお、認定申請者の症候が他疾患の症候でもあり、また、水俣病にみられる症候の組合せとも一致する場合には、個々の事例について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきであること。

四  認定申請後、審査に必要な検診が未了のうち死亡し、剖検も実施されなかった場合などは、水俣病であるか否かの判断が困難であるが、それらの場合も曝露状況、既往歴、現疾患の経過及びその他の臨床医学的知見についての資料を広く集めることとし、総合的な判断を行うこと。

8 水俣病の病像について、原告らは、被告らが主張する水俣病と診断するための条件(後記第三章第一)を満たす者が水俣病であること自体は認めているから、この限度では争いがない。

四  水俣病に関する事実経過

本項においては、特に注記するもののほかは、原告らと被告国及び県との間で争いがない事実である。

昭和二四年から二八年まで、被告県は、百間港のヘドロの浚渫工事を行った。百間港は、昭和一二年に干潮時最深部約6.5メートル、最浅部約一メートルの泊地及び岸壁七五〇メートルを築造していたが、港内が次第に埋まり、昭和二四年ころにはある個所では堆積物が6.5メートルに達し、船舶の出入りは満潮時以外は不可能になっていた。被告県は四年計画で港湾改修工事を実施することとし、同年から昭和二七年まで浚渫事業を実施した。その概要は、昭和三二年五月四日の水俣奇病対策連絡会の報告によれば、昭和二四年度物揚場前1.5メートル、四万二〇〇〇立方メートル、同二五年度排水口寄2.0メートル、五万二〇〇〇立方メートル、同二六年度航路1.5メートル、六万四〇〇〇立方メートル、同二七年度全体3.0メートル、七万七〇〇〇立方メートル、合計二三万五〇〇〇立方メートルであった。

昭和二七年八月二七日、水俣市漁協長の要望に基づき、熊本県水産課技師三好禮治は、チッソ廃水調査を実施し、工場の排水について、チッソに説明を求めた。三好技師は上司に、「1排水に対して、必要によっては分析し成分を明確にしておくことが望ましい、2漁民側の被害の実情についての資料が不備であるので、その程度範囲が検討できないが、なお漁民側の資料に基づいて検討を加えたい、3排水の直接被害の点と長年月にわたる累積被害を考慮する必要がある。」旨の報告をした。

昭和三一年五月一日、チッソ附属病院の細川一博士から、水俣保健所に対して、「脳症状を主訴とする原因不明の患者発生(入院)」との報告がなされた。このころから水俣湾周辺地域を中心に住民の間に水俣病の発生が相次いだ。当初、水俣病は原因不明の奇病として扱われた。その後、同年五月二八日、水俣保健所を中心に水俣奇病対策委員会が設置され、同年八月、熊本大学医学部に水俣病医学研究班が設置されて、原因究明作業が行われた。また、同年一一月に国立公衆衛生院疫学部長ほか厚生省厚生科学研究班による水俣での調査が行われた。

昭和三一年一一月の第一回研究報告会及び国立公衆衛生院疫学部の調査で、水俣病の原因物質について、ある種の重金属、特にマンガンが疑われ、人体への侵入は魚介類の摂食によるもので、マンガンはチッソの工場廃水を通じて工場から流出したものであることが指摘あるいは確認された。また、第二回研究報告会では、水俣湾内の漁獲禁止の必要性が指摘された(被告らとの間で争いがない。)。

昭和三一年一二月一八日から同三二年三月三一日にかけて、被告県は、台風による土砂の流出による災害の復旧工事として、百間港内を昭和二七年以前の浚渫時の深さにまで浚渫することとし、六万四六四〇立方メートルの浚渫を実施した。ところが、昭和三二年五月、県水俣奇病対策連絡会において、熊本大学研究班の分析によってセレニウムが泥土から検出されたことの原因が浚渫にあるのではないかとの疑問が出され、被告県は浚渫工事の再開を当分見合わせることとした。その後、同年一二月に、被告県は工事再開を決定した。

昭和三二年二月下旬ころから津奈木の平国部落において猫の狂死がみられ、同年七月から八月にかけて、県水産試験場が調査を行った。

昭和三二年七月一二日、国立公衆衛生院において、厚生省、国立公衆衛生院、熊本県、水俣保健所等の職員が出席して、厚生科学研究班の会合が開かれ、「熊本県水俣地方に発生した奇病に関する諸種実験成績(報告書)」と題する報告書が明らかにされ、水俣湾産魚介類の摂取が発症の原因であることが確認された。この報告書では、「猫の発症時期について調べたところ、二八年春には茂道・湯堂で大量の死亡があり、更にさかのぼって二六年にも発症死亡した形跡が濃厚である。百間港の浚渫が二五年に始まったことと対応する。」「恋路島の内湾に面したところではカキが殆ど全滅、カニも約半数死亡したばかりである。まてがたにある浚渫汚泥の蓄積物の付近に始まり、明神岬に至る潟に面したところはカキ全滅、カニもごく少数しか認められず、恋路島よりも更にひどい状況である。明神岬の北側(湾に面していない部分)、表湾には少ないがカキがついている。これらの点は泥の毒性を表明しているように思われる。」「明神岬、まてがたでは軒なみに患者が死亡しており、その頻度は、月の浦、湯堂の比ではない。また、月の浦、湯堂でも罹患したものは、まてがた付近で漁をしたものが多いようである。この点、人間の発症もまてがた付近、明神岬に指向しているように看取される。」と述べている。

昭和三二年七月二四日、第三回県水俣奇病連絡会が開催され、国立公衆衛生院、国立予防衛生研究所の職員による調査結果、同月八ないし一一日の日本衛生学会総会での報告等に基づいて、水俣病は水俣湾内産の魚介類を摂取することによって発生する中毒性脳症であることを前提に、食品衛生法四条の適用が確認され、採捕禁止区域を定めて告示を出し、土木部は、右告示後、水俣湾の浚渫工事を行うこととなった。同年八月一四日、水俣保健所で開催された水俣奇病対策懇談会においては、被告県から水俣市漁協らに対し、右の採捕禁止区域として、明神岬、恋路島、茂道岬を結ぶ範囲内の海域を考えている旨の説明が行われた。同月一六日、県衛生部長から厚生省公衆衛生局長あてに「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患にともなう行政措置について」という文書が発送され、「水俣湾内の魚介類は食品衛生法四条二号の規定に該当するものと解釈されるので該当海域に生息する魚介類は海域を定めて有害又は有害な物質に該当する旨県告示を行い、採捕禁止規定を適用すべきものと思料するが如何」との照会を行った。これに対し、同年九月一一日厚生省公衆衛生局長は県知事に水俣湾特定地域の魚介類すべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し、食品衛生法四条二号を適用することはできないものと考えるとの回答をし、実質的に食品衛生法による採捕及び販売禁止を不可とした。

昭和三三年六月一一日、通商産業省(以下「通産省」という。)は、「新日本窒素肥料(株)水俣工場の廃水について」と題する文書を作成し、その中に「同工場の廃棄物の中にマンガン、セレン、タリウムが含まれており、これが海底の泥土中に存在することは確認されているが、これらがどういう経過で魚介類に入ってゆくかについては詳細が判明していない。被害の原因および経路について適確に判断するには、さらに広範囲の専門的調査に待つべきであると考える。」との趣旨の記載があった。

昭和三三年九月一日、水俣市漁協主催の漁民大会が開かれ、漁民側から被告県に対し、想定危険海域内で操業を法で全面的に禁止し、それに伴う生活保障をするように要請したが、県は漁業法上不可能であるとして、それを拒否した。

昭和三三年九月ころ、通産省軽工業局長は「水俣奇病について厚生省の報告書より見た通産省の判断」を厚生省に対して示し、水俣病の中毒の本体について確定的な証明はなされていないとして、厚生省に対し原因が確定していない現段階において断定的な見解を述べることのないようにとの申入れを行った。

昭和三三年九月、被告チッソは、アセトアルデヒド製造設備廃液の放流経路を、百間港から水俣川河口に変更した(被告らとの間で争いがない。)。

昭和三四年六月、水俣市長らは県に陳情をなし、水俣川河口での魚介類の死亡率、汚染海域が広がっているので、早急に危険海域の指定が必要である、漁業権の買上げ又は食品衛生法で採捕禁止をなすべきであることなどを要請し、また、厚生省、農林省、国会議員等に対し、漁業禁止区域設定について特別立法措置を採るべきこと等を陳情した。しかし、その後、被告国及び県において漁業法及び食品衛生法による漁獲禁止とこれに伴う漁業補償措置はなされなかった。

昭和三四年七月二二日、原因究明に取り組んでいた熊本大学医学部水俣病医学研究班は、水俣病の原因として水銀が極めて注目され、水銀によって水俣湾及びその付近の魚介類が汚染され、これを摂取した付近住民が罹患した神経系統疾患である旨のいわゆる有機水銀説を公式発表した(被告らとの間で争いがない。)。

昭和三四年九月、参議院社会労働委員会において、厚生省当局は被告チッソに対し除害施設を作らせる措置を検討している旨答弁し、さらに、同年一〇月三一日、厚生省公衆衛生局長は通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する書面により、その中で「水俣病がチッソの廃水によるものとまでは断定しがたいが、当該廃水と患者発生状況には相互関連があるとの意見があり、三三年九月新排水口の設置以来その方面に新患者が発生している事実があるので、現段階において工場排水に対する最も適正な処置を至急講ずるよう御配慮をお願いする」と要請した。通産省は、昭和三五年三月完成予定の除害施設を三四年中に完成するように軽工業局長から口頭で被告チッソに指示した。

昭和三四年一二月三〇日、熊本県知事らの斡旋によって、被告チッソと水俣病患者家庭互助会との間で見舞金契約が締結された。

昭和三五年一二月一五日、水俣病患者診査協議会が厚生省により設置されたが、同会の目的は「熊本県水俣周辺に発生している水俣病の真性患者の判定及びこれに関する必要な調査並びに水俣市立病院水俣病棟に対する入退院の適否等」を診察することとされた。同年から昭和四五年までに認定された患者は、三六名であった(本段落の事実は被告チッソとの間で争いがない。)。

昭和四三年五月、被告チッソは水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造を中止した(被告チッソとの間で争いがない。)。

昭和四三年九月、被告国は、水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因で生じたことを政府の見解として発表した。

水俣病の発生以来、多数の患者が続発し、胎児性、小児性水俣病患者も現れた。昭和五六年四月現在、水俣病と認定された患者は、熊本県関係で一四四一名(死亡者三九八名)、鹿児島県関係で申請者一七三二名、認定患者三〇六名(死亡者三九名)である。

いわゆる新潟水俣病においては、住民の一斉検診が行われた。昭和四八年、熊本大学第二次水俣病研究班は、「一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」報告書を発表した。

昭和五一年五月四日、被告チッソの社長と水俣工場長は、業務上過失致死傷罪により起訴された。

県知事に対する公害健康被害認定申請があると、公害健康被害認定審査会の答申を経て、県知事が認定又は棄却の処分をするが、審査会は審査の前提として検診を行うこととなっている。この検診は、原則として水俣市等に設置されている県知事指定の医療機関において実施することとされている。近時、一部の申請者が「棄却のための検診はうけない」運動を行った。また、申請以来一〇年近くも処分を受けていない者がいる。 五 因果関係

1 水俣病は、被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物が、工場排水によって水俣湾に流出し、これが魚介類に蓄積され、その魚介類を多量に摂取した人々の中に発症するものである。チッソ水俣工場では昭和七年からアセトアルデヒドの製造を開始した。

2 アセトアルデヒド製造工程では、生成器に硫酸、硫酸鉄、酸化水銀及び水で作られた触媒液(母液)を入れ、これを摂氏七〇ないし七五度に保ち、これにアセチレンを吹き込むと、水と反応してアセトアルデヒドが生成され、母液中に溶解する。この稀アセトアルデヒド液を真空蒸発器で減圧蒸発(通称真空蒸発)させる。残った母液は、昭和三〇年九月までは、そのまま廃棄され、同月ころ以後は再度生成器に送られ循環再使用されていた。真空蒸発器内で蒸発した粗アルデヒド蒸気は、水蒸気、副生クロトン、水銀、有機水銀化合物等が含まれているため、精溜塔に送られ、これらを分離し二度純化し、アセトアルデヒドが取り出される。アセチレン接触加水反応において、硫酸水銀の触媒機能は劣化するが、その触媒機能劣化反応の中で硫酸メチル水銀が生成され、さらに、反応液中に含まれる塩素イオンにより塩化メチル水銀となる。これらの物質は、生成器に残された母液としてそのまま廃棄されるか、精溜塔の中で水とともに塔底にたまり、精ドレン(廃液)として放出される。(本項の以上の事実は、被告チッソとの間で争いがない。)

硫酸メチル水銀、塩化メチル水銀等のメチル水銀化合物が、製造工程中副生され、これらが水俣病原因物質となっている。

3 メチル水銀化合物は、水に溶けた場合、メチル水銀基が陽イオンとなるが、これが、動物体に取り込まれると生化学反応により、蛋白質と結合する。そのため、魚介類にメチル水銀が蓄積される。水俣病患者は(胎児性の場合は、その母親が)、いずれも水俣湾で捕獲された魚介類を長期にわたり反復多量に摂食したものである。

4 被告チッソは、昭和三三年九月、アセトアルデヒド製造設備廃液の放流経路を、百間港から水俣川河口に変更し、昭和三二年三月ころ津奈木村平国、合串、割刈、福浜で多数の猫が狂死し、その前後同村漁民中に発病者が現れた。(被告チッソとの間で争いがない。)

5 被告チッソの水俣工場附属病院の細川一医師らは、昭和三二年五月以降、水俣湾内で漁獲された魚介類等を猫に投与して実験したところ、水俣病が発症した。また、細川医師らは、チッソ水俣工場内アセトアルデヒド製造設備廃水を猫に経口投与してその経過をみた結果、その猫(いわゆる猫四〇〇号)は、水俣病症状を呈した。

六  被告チッソの責任

被告チッソは、第一回口頭弁論期日において、「原告ら主張の被告チッソに対する過失の事実は基本的には争わない。」と答弁した。

七  本件各患者に関する事実

本件各患者について、疫学的条件等に関する事実で当事者間に争いのないものは、後記(第五章)水俣病罹患の有無の判断において各患者別に摘示する。

第三  争点

本件における争点は、大別すると以下の三点である。

一  水俣病の病像

水俣病の病像とは、いかなる症候があれば、水俣病と判断できるかという診断基準の問題である。この点について、原告らは、被告らが主張する病像は狭きに失するとし、後記(第三章第一)のようなより広い病像を主張しているが、被告ら主張の病像で必要とされる症候を持つ者を水俣病と判断すること自体は争っていない。したがって、水俣病の診断基準として、被告ら主張の診断基準よりも緩やかな原告ら主張の診断基準を以て水俣病かどうかの診断基準とすることが妥当かどうかが争点である。

二  水俣病罹患の有無

次に、本件患者各人について、被告らに対する民法七〇九条又は国家賠償法上の損害賠償請求を認めるための要件の存否が問題となる。具体的には、原告らのうち、除斥期間の経過したものがあるかどうか、その余の原告について、当裁判所が依拠する診断基準によって、本件患者が水俣病に罹患していると認められるかどうかが争点である。

三  被告らの責任

争点二において水俣病に罹患していると判断された本件患者について、被告チッソについては民法七〇九条の不法行為責任、被告国及び県については国家賠償法一条一項等の責任が認められるかどうかが問題になる。

被告チッソは、第一回口頭弁論期日において、「原告ら主張の被告チッソに対する過失の事実は基本的には争わない。」と答弁したから、過失の評価を基礎づける評価根拠事実の主要部分については争いがない。したがって、不法行為の成立要件のうち、右以外の点が争点である。

被告国及び県については、原告らが主張する後記(第三章第四)のような権限を行使して、水俣病の発生拡大を防止すべきであったのにこれを怠ったかどうか、すなわち、違法な不作為があったかどうか、また、原告らが主張する被告国及び県の違法な作為があったかどうかが争点である。

第三章  争点に関する当事者の主張

第一  水俣病の病像

水俣病の病像に関し、原告らの主張を上段に、被告らの主張を下段に、各項目ごとに対照させて摘示する。<編集部注:九〇頁より一一二頁まで、二段組とする。>

(原告らの主張)

(被告らの主張)

一 水俣病の意義

メチル水銀に汚染された魚介類を多食したことに加えて、水俣病でみられる四肢末梢の感覚障害等の一症状でも認められれば、他に特段の事情がない限り水俣病と認められるとの診断基準によって、水俣病か否かを判断すべきである。

水俣病は、工場排水に含まれるメチル水銀が魚介類に蓄積され、それを大量に経口摂取することによって起こる神経系疾患であり、主要症候としては、感覚障害、運動失調、視野狭窄及び難聴がある。

二 疫学的条件

水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素は、メチル水銀に曝露された事実の有無であり、各原告についての水俣病か否かの個別的因果関係の証明に困難がある場合でも、損害の公平な分担を本旨とする損害賠償請求訴訟においては、原告の立証責任は軽減され、有機水銀への曝露(いわゆる疫学的条件)が状況証拠の積み重ねにより、相当程度の確からしさで証明され、かつ、特定の症状の組み合わせがなくても有機水銀によって発症しうる症状が見られれば、水俣病と事実上推定できる。

疫学条件(原告らは、「疫学的条件」というが、有意的な差は認められない。)とは、要するに、原告ら個々人がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したことを窺わせる間接事実をいう。疫学条件は、現時点において、基本的に当事者の曖昧な記憶に頼るほかはなく、その客観性には自ずと限界がある。そもそも、水俣湾及びその周辺海域の魚介類を多食したからといって必ずしも水俣病に罹患するわけではないから、疫学条件を過度に重視し、臨床症状の乏しい者まで水俣病と判断することはできない。疫学条件については、発症閾値を超えるメチル水銀の体内蓄積があったと明確に判断できない限り、水俣病の診断上それほどの価値があるものではない。

疫学条件の存否については、単に魚介類を摂食したということではなく、その時期及び期間、量、漁獲された場所等についての具体的な検討が不可欠というべきであり、一口に水俣湾及びその周辺海域に生息する魚介類といっても、その生息場所、魚種、時期によって含有水銀量に大きな差がある。疫学条件が高度である場合とは、疫学条件を基礎づける事実の内容及び集積によって、メチル水銀曝露蓄積の事実が高度に推認できる場合をいうと考えられるが、新潟水俣病における毛髪水銀量の測定結果のような疫学条件に関する客観的資料は、本件においては存在しない。

単に疫学条件といわれる事実を抽象的に羅列しただけで、水俣病診断上の決定的な要素とする知見は何ら存在せず、原告ら主張のような疫学的条件を重視する考え方は採り得ない。

三 四六年事務次官通知と五二年判断条件

五二年判断条件は、四六年事務次官通知とは趣旨が全く異なり、現実には水俣病の病像を狭める機能を果たしているもので妥当でない。四六年事務次官通知は、不知火海沿岸の現地調査に基づき、有機水銀の影響が広範囲かつ深刻に及んでいることを環境庁が認識し、椿忠雄氏の意見等を参考にして、従来、救済の枠外に置かれていた多数の人をもれなく把握救済することを企図して発せられたものであった。ところが、五二年判断条件は、水俣病認定申請患者の増加、チッソ及び熊本県の財政等経済的な理由から水俣病認定患者を減少させる意図で作成されたものである。

四六年事務次官通知が、ハンター・ラッセル症候群のすべてが揃わない場合でも水俣病の範囲に含まれるとしているのは、その時点における医学的研究の成果を採り入れ、医学的知見に基礎を置いた上で、医学的にみて水俣病又はその疑いありと考え得る限りの者を含め、広く患者を救済しようとしたものである。

しかし、四六年事務次官通知第一の二に「いずれかの症状」とあることから、同第一の一掲記の症状のうち、いずれか一つでもあれば水俣病と認定すべきであるとの誤解を生んだ。また、同第一の三に「否定し得ない場合」とあるのを、わずかの可能性でもあれば、これに該当するかのような誤解を招いた。そのため、前者の誤解については、四六年事務次官通知の出された翌月に、公害保健課長通知を出し、四六年事務次官通知は、「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」の出した研究報告書に集約された水俣病研究の成果を基礎とするものであることを明らかにした。そして、右研究報告書には一症状のみの水俣病が存在するとの報告はない。後者の誤解については、大石元環境庁長官が説明したように、四六年事務次官通知の「否定し得ない場合」は、医学に根拠を有するものでなければならないとの限界があるのである。

五二年判断条件は、四六年事務次官通知が前記のような誤解を招き、水俣病認定業務を円滑かつ公平に行っていく基準としての明確さを欠くことを否定できなかったことから、審査会の委員の希望もあって、基準を明確化すべく作成されたものである。昭和五〇年には、相当程度事例の集積があったため、水俣病に関する専門家一七名が、「有機水銀の影響を否定し得ない場合」とは具体的にどんな場合かを整理・検討し、それまで、各地の審査会で、通常認定すべきである旨の答申が出されていた症候の組合せを網羅した。そして、この検討結果を取りまとめ、五二年判断条件が発出された。したがって、五二年判断条件は、四六年事務次官通知を具体化したもので、水俣病認定申請患者の増加、チッソ及び熊本県の財政等経済的な理由から水俣病認定患者を減少させる意図で作成されたものではない。

四 感覚(知覚)障害のみの水俣病

知覚障害のみの水俣病が存在しないという根拠は何もない。水俣病においては、知覚障害が初発症状であることが多く、また、これが最後まで軽快し難い症状である。そうとすれば、知覚障害のみの段階に止まっている水俣病又は知覚障害のみが残存しても何も不思議はない。現実に住民検診をした結果においても、被汚染地区に知覚障害のみを訴える住民が認められる。また、末梢性知覚障害のみ認められ、それ以外の症状が確定的に捉えられなかったり、知覚障害もその他の症状も確定的に捉えられなかったりしても水俣病と認定された症例がある。四肢末端ほど強くなる感覚障害は、水俣病に限って見られるものではなく、他の多くの疾患によっても生ずるが、そのような他の疾患との鑑別は容易である。症状を形式的に捉え、抽象的に考えるのは誤りで、個々の患者の示す個々の症状は、すぐれて現実的なものであり、その患者の年齢、育った環境、発病の経過等現実の中で具体的に考察することが必要である。

知覚障害のみの水俣病は存在しないとの理論は、患者切捨ての論理であり、現実に則した診断が必要である。検診によって知覚障害のみと診断された患者たちも、頭痛、疲れやすい、動作がぎこちない、日常生活(料理、漁、歩行、ボタンかけ等)がうまく行えないなどの診断が難しい不調を訴え、消化器、循環器にも原因不明の不調を感じているのが現実である。これら諸症状が有機水銀に起因するものとの確定的証明は難しいが、特徴的知覚障害との合併の多いことは、これらの症状についても有機水銀との関連を推定させる。

ハンター・ラッセル症候群といわれる主要症候の全てを呈する典型的な水俣病のほか、そのうちのいくつかの症候しか呈さない、いわゆる不全型と呼ばれる水俣病が存在することは広く認められている。感覚障害(原告らは、「知覚障害」というが、有意的な差異は認められない。)のみの水俣病が存在するかとの問題は、感覚障害があるということだけで水俣病であると高度の蓋然性をもって判断できるかどうかの問題である。

バキル氏は、イラクにおけるメチル水銀中毒事件について、パレステジア(異常感覚)が出現するメチル水銀体内蓄積量の閾値が、他の症候のそれと比較して低いとの説を提唱している。しかし、パレステジアは、いわゆる「自覚症状としてのしびれ感」を意味するのであり、水俣病の診断上問題となる感覚障害、すなわち表在感覚等の低下とは異なる。「イラクの事件では多くの症例でパレステジアは一時的であった。」との報告もある上、ラスタム氏は、同じ事件について症状の出現頻度を検討しているが、知覚障害が他の症候に比べて高いわけではない。したがって、必ずしも感覚障害の閾値が低いとはいえない。

また、右のラスタム氏らは、右事件について「メチル水銀中毒によって起こった末梢神経症という概念を確立することができない。」と結論づけている。

宮川太平氏は、末梢神経が先行的に障害されるとの説を主張しているが、この説はラットを用いた実験によって得られたものであり、メチル水銀の影響については種差が大きいため、右の説は採り得ない。武内忠男氏、黒岩義五郎氏及び徳臣晴比古氏は、末梢神経が先行的に障害されるとの点には否定的である。

さらに、衛藤光明氏は、末梢神経の方が障害されやすいのではなく、染色方法の違いから末梢神経の方が顕微鏡下での所見がわかりやすいのであって、末梢神経のみが障害されている例は病理的に水俣病と診断できず、そのようなことを主張している病理学者はいない旨説明している。

したがって、水俣病において感覚障害のみが出現することを裏付ける知見は得られていない。

さらに、水俣病患者において、他の症候は軽快したが、感覚障害のみが残存しているという例が具体的症例として報告されたことはない。徳臣晴比古氏は、一旦現れた中枢神経症状は、一部の軽快はあるものの容易に消退せず残存するとしている。したがって、感覚障害以外の症状が全く消失してしまうことは医学的可能性としては否定できないにしてもあまり一般的なものではないというべきである。

五 慢性水俣病と長期(慢性)微量汚染

水俣病患者には、公式発見前後における最汚染期に急性激症型として発症した患者のほかに、多様な形態で発症した多数の患者が存し、これらは慢性水俣病患者として包括される。その中には、最汚染期に汚染海域周辺に居住していたが、その時点では発症せず後に発症したもの、自覚症状はあったが発症に至らず、次第に症状が増悪したもの等の類型があり、また、症状の程度も常時臥床し介護を要するものから、日常的なことは何とかやれるが、外出が困難なもの、障害を抱えながら就労しているものまで様々である。

初期の水俣病認定患者の症状を基にして定型化された病像も時の経過とともに症状に変化が見られ、水俣病の臨床症状の推移を見ると、非典型例や軽症例等様々な病型が水俣病として存在する可能性があるとする見解(原田正純氏)がある。この見解は、症状の揃った水俣病であっても、一〇余年の経過の中で症状の遷移が見られ、次第に非典型化していくことから、最初から、このような非典型例や軽症例が存在している可能性があり、水俣病発生地区住民に今なお多数の神経精神症状を持つ患者が多数存在することから、急性・亜急性の典型的症例の底辺には、ごく軽度のものから非典型まで含め多数の患者が存在するはずであり、また、医学的な水俣病の概念は、メチル水銀によって人体が影響を受けた全ての障害の総称であるべきで、認定された水俣病とは異なる概念であるとする。また、慢性水俣病の臨床特徴は、ハンターラッセル型(失調型)、多発神経炎型(末梢神経型)、筋萎縮型、脳血管障害型(卒中発作型)、痴呆型、脊髄障害型、その他(パーキンソニズム型)があると分類している。

メチル水銀の微量摂取がその量あるいは摂取期間にかかわらず中毒を発症させるものではない。もし、急性大量汚染の時期が過ぎた後も微量の汚染が続いており、それによる中毒が発生し、あるいは現在も発生しているとの考え方に立つと、理論的には水俣病患者発生の可能性は地理的、時間的に無限に拡大されることになり、不当である。メチル水銀の蓄積量が発症閾値を下回る限り発症することはない。マグロ漁船員の毛髪水銀量が比較的高いのに、水俣病様症状を示すものは一例も発見されていない。昭和四四年以降は不知火海の魚類中及び臍帯中の総水銀濃度は安定し、沿岸漁業従事者の毛髪中のメチル水銀の濃度も無症状の魚介類多食者と同じか、あるいはそれ以下のレベルまで低下しているのであるから、当該地域において微量汚染が依然中毒を発生させる危険があるとはいえない。

白木博次氏は、病理学的及び実験医学的根拠に基づいて、メチル水銀の影響が神経系のみならず、全身臓器に及ぶもので、水俣病は単なる神経疾患としてではなく、「全身病」として捉えるべきであり、とりわけ、血管系については、メチル水銀が血管に直接作用するとする一次的効果、あるいは高血圧、糖尿病等を来すことによる二次的効果によって動脈効果症が促進され、それに伴う合併症までが水俣病の範囲に含まれるとの見解を述べている。しかし、白木氏は水俣病患者を自ら解剖した経験がない。また、武内忠男氏は、水俣病患者の一般臓器に病変はなく、メチル水銀中毒そのもので動脈硬化症が起こるとは考えられない旨述べており、右白木説に賛成する見るべき研究成果はない。したがって、いわゆる全身病説は採り得ない。

六 遅発性水俣病

新潟水俣病においては、慢性水俣病の一つとして遅発性水俣病が存在するとの見解(白川健一氏)がある。遅発性水俣病とは、新潟水俣病発生の昭和四〇年当時は全く自覚及び他覚症状がなかったもの、あるいは、全身倦怠感、頭痛、眩暈、筋痛、関節痛等の訴えのみで他覚的所見のなかったものに、新たなメチル水銀の侵入がないにもかかわらず、数年の経過で他覚的に捉えられる水俣病症状が明らかになったものをいう。新潟水俣病では、昭和四〇年六月に川魚摂食禁止があったが、その後においてむしろ多数発症している。白川氏は、一〇年経過してもなお早期の体内蓄積水銀量に対応する水銀量が残留していることを確認し、組織内に長期間残留する水銀が遅発性水俣病発症の重要な因子で、これによる緩徐な病変の進行が遅発性水俣病という発症形式をとったと考えている。

メチル水銀中毒においても発症までの潜伏期間が考えられ、イラクの例では一〇日ないし五か月であるが、水俣病の場合には数か月から数年である。慢性水俣病について、武内忠男氏は、メチル水銀中毒症の発症には、急性、亜急性と慢性発症があり、急性と亜急性は毒物摂取曝露期間が短く、約三か月以内が多く、慢性はそれ以上の年をもって数える期間が多いとする。同氏は、水俣病の慢性発症には、摂取量が比較的少量であるため中毒症状発現までに蓄積期間(潜伏期)が必要で、それが長引くほど発症が緩徐で、稀に慢性発症で重症となるが、多くの場合、水俣病そのものは軽く、魚介類を介しての中毒では、むしろ慢性発症が多いと考えている。また、同氏は、慢性水俣病を、1急性及び亜急性発症水俣病が後遺症を残して長期にわたり経過したもので、しかもメチル水銀汚染地域居住により加重しているもの、2遅発性水俣病、3加齢性遅発性水俣病、4狭義の慢性水俣病に分類し、4については、魚介類中に含まれるメチル水銀の摂取量が比較的少なく、そのため長期間にわたって摂取するうちに脳内に一定量以上の水銀蓄積を来し、発症値(一ppm)に達した場合、その時点から症状が現れはじめ、蓄積を増すにつれて症状も増加し、水俣病症候群を示すようになる例であるとする。さらに、同氏の研究によって、人体の脳には、他の臓器に比べてメチル水銀が入りにくいが一旦入ると排出されにくい特徴があることが示されており、慢性発症を基礎づける。

中毒学の常識からして、メチル水銀の取り込みが終了してから相当期間を経た後に感覚障害が出現するとは考え難い。

白川健一氏の主張する遅発性水俣病が存在するとの見解は、現在における医学的知見とは大きく齟齬するものである。

七 感覚障害

水俣病においては、知覚障害が高率に認められるが、知覚障害が認められない症例もある。

知覚障害は、末梢性のものに限らず、中枢性(半身性)や脊髄性(下半身)等の様々な型のものが証明され、中には全身性の知覚障害も見られる。それは、単に感覚が鈍いというだけでなく、ジンジンしたりビリビリしたりするような異常知覚や疼痛等が伴う。

水俣病にみられる感覚障害は、両側対称性の四肢末端ほど強い感覚障害であって、口周囲又は舌尖部にみられることもある。四肢末端に左右対称に現れる感覚障害は多発神経炎型と総称され、その原因は様々であるが、メチル水銀中毒症たる水俣病にもこのような多発神経炎型の感覚障害がみられる。感覚障害は、表在感覚、深部感覚及び複合感覚が低下(鈍化)するもので、その程度は、ほとんど感覚の脱失に近いものから正常人との区別が困難なごく軽度のものまで様々である。

八 運動失調

水俣病に見られる運動失調は、主に小脳の障害に基づくものであるが、他の部位の障害に基づく失調も認められており、より広い意味での失調を捉えるべきである。生前明らかな運動失調が認められながら、死後剖検により小脳に病変が認められないか、又は、病変が軽かった症例がある。

運動失調とは、運動の命令を出す大脳の中枢、それを伝達する神経及び運動の原動力である筋肉のいずれにも異常がなく、振戦等の不随意運動もないにもかかわらず、意図した運動が円滑にできない状態をいう。具体的には、運動の巧緻性が損なわれ、無駄な運動が増え、時間的、空間的、動作力学的に非能率的な運動を行う状態を意味する。運動失調の大部分は、大脳、小脳、脊髄又は迷路の障害によって生じるが、水俣病にみられる運動失調は、主として小脳の障害に起因するもので、小脳性運動失調という。これが認められるためには、運動失調が認められ、かつ、その原因部位が小脳であると判断されなければならない。水俣病における小脳性運動失調は、小脳虫部及び小脳半球がともに侵された、全小脳の障害によるもので、起立、歩行等の姿勢をとる機能及び四肢の随意運動の協調性に関係する機能の両者が侵されるため、平衡機能障害と四肢の協調運動障害との双方が相伴ってみられる。

九 求心性視野狭窄

求心性視野狭窄は、水俣病に特異的な症状であり、他の中毒疾患を除外できるならば、求心性視野狭窄のみで水俣病と認めて差し支えない。水俣病の求心性視野狭窄は、精密に検査すれば、可視部視野の境界がギザギザになるのであり、視野狭窄が軽度の場合には、視野の沈下のみが認められ、また、水俣病の視野としてらせん状視野が現れることがあるとの見解(筒井純氏)もある。年月の経過とともに、視野の変動もあり得る。

水俣病にみられる視野狭窄は、大脳後頭葉の線野、特に鳥距溝前半部の障害によるものであり、両側(両眼)における求心性視野狭窄である。求心性視野狭窄とは、眼球を動かさないで光を確認できる範囲が、全周辺から中心に向かって傷害される場合をいう。中心視力に関する網膜上の黄斑部の視野のみを残す程度まで著しく狭窄している例では、歩行その他の日常動作に困難を生じるが、軽度の狭窄の場合は、本人に格別自覚もなく、医師の診察により初めて視野狭窄を指摘されることも少なくない。

なお、水俣病では、視野狭窄が著しくても中心視力は末期まで保たれるのが特徴で、視力低下をも伴うのは重症例に限られ、視野狭窄と視力低下との並行性は全くみられない。

一〇 難聴

水俣病における難聴は、後迷路性難聴に限られるものではなく、むしろ内耳性難聴の方が多い。

水俣病にみられる難聴は、大脳側頭葉横回の神経細胞脱落によるもので、聴神経から中枢までに原因のある難聴であって、感音性難聴のうち後迷路性難聴と呼ばれるものである。

一一 病理学的診断と病理解剖学的知見

水俣病の剖検例については、水俣病の臨床症状の発現には必ず病理学的根拠すなわち組織的障害が認められるというものではない。それは、病理解剖そのものが完璧ではなく、見落としや限界的事例の判定が困難であったり、組織に障害を残さなくとも、組織の機能低下が考えられ、末梢神経が一旦障害されても、再生・修復することがありうるからである。また、逆に、水俣病の病理学的特徴が認められたからといって、必ず生前それに対応する臨床症状が認められていたというものではない。この原因は、生前の検診が杜撰だったり、先入観に基づいていたりして、正しく症状を拾いあげていないこと、患者自身の努力や人体組織の補完・防衛機構により、症状の発現が抑えられている場合があること等によると考えられる。また、有機水銀を摂取した人体には、必ず大脳、小脳及び末梢神経の三者に障害が認められるものではなく、これらの組織が障害されたときには、必ずこれに対応する臨床症状が認められるともいえない。

病理検査においては、組織に水銀の残留が認められる場合は、汚染を受けたことが明らかであるから、その示す組織の異常を注意深く拾い挙げ、既成の基準に当てはめて軽率に判断するのではなく、生前の臨床検診結果や本人の愁訴とも合わせて、総合的に障害の有無を判定すべきである。

水俣病患者の病理解剖の結果、体内に摂取されたメチル水銀は神経系の「特定部位」を「等しく」障害するという特徴を有することが確認されている。すなわち、メチル水銀は諸臓器を一様に障害するというのではなく、まず、大脳では、後頭葉の線野、特に鳥距溝の前半部(周辺部視野の中枢)、頭頂葉の中心後回領域(感覚の高次中枢)、前頭葉の中心前回領域(随意運動の中枢)、及び側頭葉の横回領域(聴覚の中枢)を選択的に障害するのであり、また、小脳では、表面は障害されていないか、障害されていても軽度であるが、小脳半球の深部は強く損傷されており、中でも顆粒細胞の脱落が顕著であるという特徴があり、さらに、末梢神経も侵されることがある。右の障害される特定部位についてみると、その中の幾つかの部位のみが障害されるということなく、若干の程度の差はあるにしても、常に右各部位のすべてが障害されるのである。

病理解剖学的知見と症候との関係でみれば、大脳後頭葉の線野、特に鳥距溝前半部は周辺部視野の中枢であるから、この部位が障害されやすいことは、求心的視野狭窄がみられることと結びつき、大脳頭頂葉中心後回領域及び末梢神経の障害は感覚障害と、小脳の障害は運動失調と、大脳側頭葉横回領域の障害は難聴と、それぞれ結びつく。これらの神経系の各部位が等しく障害されることは、水俣病の右主要症候が症候群として出現することと合致する。水俣病においてハンター・ラッセル症候群と呼ばれる感覚障害、運動失調、視野狭窄及び難聴等の症状が出現することは、病理学的知見から十分裏付けられている。

第二  水俣病罹患の有無

一  原告らの主張

原告らは、前記第一の一記載の水俣病診断基準に基づいて、本件患者らは水俣病であると主張する。各患者についての主張の詳細は、第五章において摘示する。

二  被告らの主張

1 被告ら三名は、本件患者らはいずれも前記第一の二記載の水俣病診断基準に基づいて、水俣病であるとは認められないと主張する。各患者についての主張の詳細は、第五章において摘示する。

2 被告国及び県は、左記の者について、民法七二四条後段の除斥期間が経過しており、損害賠償請求権が消滅したと主張する。

患者番号

患者氏名

汚染地域からの転居時期

訴訟提起日

一五

木下嘉吉

昭和二五年一二月

昭和五七年一〇月二八日

一六

坂本伸一

昭和三一年八月

右同

一七

坂本美代子

昭和三三年一〇月

右同

二四

田中ヤス子

昭和三四年

右同

三二

蓑田太丸

昭和三四年

右同

三三

芝シズエ

昭和三三年

右同

三四

蓑田信義

昭和三四年

右同

三九

坂口邦男

昭和三八年四月

昭和五九年六月二一日

四〇

鬼塚光男

*昭和一九年八月二一日

右同

四一

井上光男

昭和三三年三月

昭和六〇年五月二九日

四四

湯元スエ子

昭和三五年

右同

四五

天川旬平

昭和三〇年九月

昭和六〇年一二月二〇日

四六

湯元篤

昭和二九年六月

右同

四七

湯元禮子

昭和二九年六月

右同

四八

山口キシ

昭和三三年

昭和六〇年一〇月一四日

四九

一司スエ子

昭和三四年三月

右同

五〇

山下ツタエ

昭和三六年六月

右同

五一

荒木多賀雄

昭和三九年

昭和六三年二月八日

五二

鬼塚岩男

昭和三二年

右同

五三

面木学

昭和三七年

右同

五四

神園茂子

昭和三九年

右同

五六

坂口チサ子

昭和三九年

右同

五八

吉田信市

昭和三九年一一月

右同

五九

若林カズエ

昭和三五年

右同

* 胎児性水俣病罹患を主張しているため、出生日が起算日となる。

第三  被告チッソの責任

被告チッソの責任に関し、原告らの主張を上段に、被告チッソの主張を下段に、各項目ごとに対照させて摘示する。

(原告らの主張)

(被告チッソの答弁、認否及び主張)

一 被告チッソは、水俣工場においてアセトアルデヒドを製造していたのであるが、およそ化学工場では、各種の危険な副反応生成物が生じる恐れが極めて高い。その生成物が河川や海に放流されると、地域住民はこれによる被害を防止する手段を有していないから、化学工場ではその排水を放流するについては、その排水の安全性につき確認する義務を有する。ところが、被告チッソは、危険な排出物に対する防止措置をほとんど講ぜず、水俣病被害発生後に至るまで有害な工場廃液を百間排水口や八幡プールを経て、付近の海域に無処理のまま排出し続けていた。

被告チッソは、水俣病発生が水俣工場から無処理のまま排出される水銀化合物を含む有毒物であることを当然認識していたし、また認識すべき立場にあった。しかし、被告チッソは、右被害が水俣工場廃液によるものであることを意識的に否定するか、これを問題にすることを回避し続け、水俣病被害の原因究明について、企業として全く何の措置もとらず、原因究明作業に一貫して非協力の態度をとり、アセトアルデヒドの生産増大に専心した。

二 被告チッソは、水俣工場附属病院の細川一医師が行ったいわゆる猫実験の結果報告を受けたにもかかわらず、同医師の実験継続の要請を拒否し、実験結果を秘匿し、水俣病の原因究明を遅らせ、アセトアルデヒド廃水の排出を即時停止する義務の履行を怠った。

三 被告チッソは、水俣病被害発生とその発生原因企業として指摘された後も、従来の無処理排出方法を改めず、故意又は過失によって有機水銀廃水の排出を継続した。また、昭和三三年九月から、被告チッソは、アセトアルデヒド廃水を百間廃水路から百間港へ排出する方法に代えて、八幡プールを経て水俣川河口に排出する方法を採用した。そのため、従来と異なる海域に汚染が広がった。

一 原告らの主張事実中、同一の事実は否認する。同二の事実中、水俣工場附属病院の細川一医師が行ったいわゆる猫実験の結果が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。同三の事実中、昭和三三年九月から、被告チッソは、アセトアルデヒド廃水の排出経路を原告ら主張のとおり変更した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

二 被告チッソは、原告らが主張する被告チッソの過失の事実は基本的には争わず、チッソ水俣工場の排水に起因して水俣病に罹患していると認められた患者に対して、被告チッソが損害賠償責任を負うことは認める。

第四  被告国及び県の責任

原告らの主張は、被告国及び県の担当公務員が、被告チッソの原告らに対する加害行為について、食品衛生法(昭和四七年法律第一〇八号による改正前のもの。以下同じ。)、漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの。以下同じ。)、水産資源保護法、熊本県漁業調整規則(昭和二六年熊本県規則第三一号。以下「調整規則」ともいう。)、公共用水域の水質の保全に関する法律(以下「水質保全法」という。)、工場排水等の規制に関する法律(以下「工場排水規制法」という。)、毒物及び劇物取締法(昭和三九年法律第一六五号による改正前のもの。以下同じ)、労働基準法(昭和二二年法律第四九号)等の法令に基づく規制権限若しくは刑事訴訟法上の捜査権、公訴権を適切に行使し、又は、行政指導により、被告チッソの加害行為を防止すべき義務があったのに、担当公務員の故意又は過失によりその義務を怠り、あるいは、公の営造物の管理に瑕疵があり、その結果、原告らが水俣病に罹患するなどの損害を被ったなどと主張して、被告国・県に対し、国家賠償法(以下「国賠法」ということがある。)一条一項又は二条一項等に基づき損害賠償を請求しているものである。そこで、原告らの主張する各責任原因ごとに、原告らの主張と被告国及び県の主張を対照させて、それぞれ摘示する。

(原告らの主張)

(被告国及び県の主張)

一 食品衛生法について

1 食品衛生法の目的

食品衛生法は、憲法二五条を受けて制定された法規であり、同法は、従来の警察取締行政から、積極的な施策をとることとされたものであって、行政庁も右目的のために積極的に介入すべきであった。具体的には、行政庁は食品衛生法一七条に基づく調査義務、同法四条に基づく告示義務、同法二二条に基づく危害除去義務、営業停止等の義務を負っていた。

行政庁の規制は、補完的、後見的、二次的な立場で行われるのであり、食品の安全確保は、第一次的かつ最終的には食品の製造販売業者の責任に委ねられている。営業の自由が公衆の衛生等内在的な制約に服する場合には、その制約は害悪の発生を防止するのに必要にして最小限度、手段において消極的になされなければならない。また、国民に対する関係において食品衛生行政庁に対し一定の行為を積極的に行うべきことを義務付けた規定は何ら存しない。

食品衛生法の制定された経緯、目的及び規定の内容等に鑑みると、同法は、食品衛生行政庁に対して、食品の製造、販売等に関し、積極的な行政責任を負わせた規制法ではなく、本来営業の自由に属する食品の製造、販売等に対し、食品の安全性という見地から必要最小限度の取締りを行うことを目的とする消極的な警察取締法規にすぎないことは明らかである。

食品衛生法は、その規定を通覧すれば明らかなとおり、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び発展に寄与することを目的として(同法一条)、食品関係の営業及び営業者に対する各種の規制及び取締りを規定しているものであって、右にいう営業及び営業者の定義は同法二条七項及び八項で明らかにされているとおり、そこには農業及び水産業における食品の採取業は含まれていない。すなわち、水俣湾内の魚介類を漁民が採取し、自らこれを食するといった行為は、もともと同法における規制、取締りの対象外のことであって、同法は、有毒有害な魚介類が流通経路を経て一般市民に衛生上の危害を及ぼさないようにするため、これら魚介類の販売及びその前段階としての販売の用に供するための採取を禁じている(同法四条)にすぎないのである。したがって、たまたま有毒有害魚介類の販売目的の採取が禁じられ、当該魚介類が商品価値を失い、そのため、漁獲することもなくなり、その結果、漁民がその摂食を免かれることがあっても、そのようなことは本来同法が予定していることではなく、事実上ないしは反射的な利益に過ぎない。担当公務員において、漁民(食品の採取業者)が自ら採取し、摂食することに起因する食中毒等を防止するために、食品衛生法上の規制権限を行使することは全く予定されておらず、したがって右権限の不行使が漁民らに対する関係で違法となることはない。

2 食品衛生法四条

(一) 規制権限

食品衛生法四条は、同条各号に掲げる食品又は添加物は、これを販売し、又は販売の用に供するために、採取してはならないと規定している。水俣湾及びその周辺海域の魚介類は、同条二号の「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」又は同条四号の「不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を害う虞があるもの」に該当し、熊本県知事は右海域の魚介類全部について、採取及び販売を禁止する告示をなす義務を負っていたのに、これを怠った。

食品衛生法四条の規定は、その文理解釈から明らかなとおり、有毒有害食品を販売又は販売目的で採取等をしようとする者に対し、不作為(禁止)義務を課した規定であって、厚生大臣又は都道府県知事に対して右行為を禁止すべき作為義務を課したものでないことはもちろん、禁止すべき権限を与えた規定でもないことは明白である。また、都道府県知事が魚介類の採取及び販売を禁止する告示をすべき義務、あるいは、告示する権限を定めた規定はない。同法四条に該当することは、同法二二条、三〇条などの規定が発動されるための要件であって、同条自体が行政庁の何らかの規制権限や義務を規定しているわけではない。

同法四条四号は、同条一号ないし三号以外の事由による人の健康を害うおそれのあるものについての規定であって、四号にいう「その他の事由により」というのは、一号ないし三号及び四号の例示の場合以外の場合を指しているのである。本来、同法一ないし三号の規定の解釈によって処理されるべき食品について四号該当性を云々する余地はない。同号該当性についても、同条二号について述べたのと同様に営業者が取り扱う個々の食品について個別、具体的に判断する必要があるとともに、この判断については十分な科学的ないし経験上の知見の裏づけが必要である。したがって、原因物質が不明であり、また個々の魚介類の有毒有害性を判断することもできなかった当時において、水俣湾内の魚介類が同条四号に該当するとはいえなかった。同条四号は「人の健康を害う虞があるもの」と規定しているが、この「人の健康を害う虞」ということが単なる可能性や憶測に基づくものでは足りないことは、この規定が行政処分や罰則の発動要件であることからして当然である。

(二) 有害食品の「疑い」

昭和四七年法律第一〇八号による食品衛生法の改正以前においても、同法四条二号の食品等には、有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着している「疑い」のある食品の規制が可能であったと解することができる。

食品衛生法四条二号は刑事罰及び行政処分を課するための要件規定であるから、具体的な食品等が、そこに規定している「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」という要件に該当するか否かは、その見地から厳格に解釈されるべきであって、条文の規定どおり、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着している」と確実に判断し得るもののみがこれに該当し、単にその「疑い」があるといった程度では足りない。

ところで、同号は、昭和四七年法律第一〇五号による改正により、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りではない。」と改められるに至った。同改正は、「有毒な若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着している疑いがあるもの」について食品衛生法上の規制を初めて可能ならしめた創設的な意義を有するものであって、同法改正以前においては、右「疑い」のある食品の規制は不可能であった。

(三) 水俣湾内の魚介類

昭和三二年夏ころには水俣湾及びその「周辺海域の魚介類」が、「種類を問わず」、有害・有毒であることが明確になっていたから熊本県知事は直ちに右海域の魚介類のすべてについて採取・販売を禁止する告示をなし、その旨周知徹底させるべき義務があった。

また、昭和三四年秋ころには不知火海全体に有毒化が進行していたから、関係知事は不知火海全体について採取・販売を禁止すべきであり、その旨告示・周知徹底すべきであった。

昭和三二年夏ころの段階では、いかなる魚介類が有害有毒であるのかはなお不明で、水俣湾外の魚介類の危険性についてはいまだ具体的な問題とは

なっていない。

被告県は、昭和三二年八月一六日、厚生省に対して水俣湾産の魚介類に対する食品衛生法四条二項の適用が可能かどうかの照会を行ったが、これは、同法の適用ができれば、より強力な行政指導等が可能になると考えたからである。もし、その段階で水俣湾内の魚介類がすべて魚種を問わず有毒有害になっていることが明らかであったならば、被告県は照会をする必要などなかったのである。この照会に対する厚生省の回答は、適用することはできないというものであったが、その基本的理由は、当時は水俣湾内の魚介類の危険性について食品衛生法の適用を可能ならしめるだけの科学的知見が集積していなかったことである。

昭和三四年一一月の段階までにおける動物実験結果や疫学的調査結果などの諸研究を総合しても、当時判明していたことは、水俣湾産の魚介類の中には相当期間継続的に大量摂取した場合には水俣病を発症せしめる有毒有害魚介類が存するということだけであって、水俣湾産の魚介類のすべてが右に述べた意味で有毒有害化しているといえなかったことはもちろん、種類や生息場所を限定して特定の魚介類が有毒有害化しているともいえる状況になかった。昭和三四年秋ころには水俣湾外の魚介類の危険性ということが危惧され始めているが、不知火海沿岸一帯で猫の発病や患者が発生しているというような事情はなく、逆に昭和三五年をもって患者発生は終息したとさえ考えられていたのであって、直ちに不知火海という広大な海域全体の漁獲を禁止すべき事情はなかった。

原因物質による規制という観点からは、昭和三四年一一月の段階においても、熊本大学研究班内で有機水銀説が有力に唱えられ始めていたものの、なお同班内でも他の原因物質を疑う諸見解が存在して必ずしも意見の一致をみず、厚生省食品衛生調査会の答申にしても、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」とするにとどまり、原因物質を特定したというには程遠い内容のものであった。仮に、ある種の有機水銀化合物がその原因物質であると考えたとしても、その種類は多く、いかなる有機水銀についてどのような許容量を設定すべきかについても確たる知見は存在せず、そもそも有機水銀を分析定量する技術すら存しなかったのである。したがって、当時、原因物質に着目して食品衛生法四条二号の該当性を判断することができなかった。

3 食品衛生法二二条

営業者が食品衛生法四条等に違反した場合、厚生大臣又は都道府県知事は同法二二条によって、その有毒有害食品等を廃棄させるなどの必要な処置を命じ、営業許可を取り消し、又は営業の禁止若しくは停止をすることができるから、厚生大臣又は熊本県知事は、水俣湾又はその周辺海域の魚介類に対して、右の措置を採るべきであった。そうすれば、自家用にのみ漁業をしたり、一般人が水俣湾周辺で漁業したりすることもなくなるはずであった。

(一) 営業の意義

食品衛生法二二条における「営業者」は、同法二条八項によれば、同条七項にいう「営業」を営む人又は法人をいうのであるが、同条七項但書によって、「農業及び水産業における食品の採取業」は、「営業」から除かれている。したがって、漁民は食品衛生法上の営業者には該当せず、漁民に対して同法二二条に基づく規制権限を行使する余地は全くない。また、右営業者に該当しない原告らに対して同権限を行使し得る余地はなく、右不行使と原告らが水俣湾内の魚介類を漁獲し、摂食したこととの間に何の因果関係も存しない。

同法二条七項但書において、農民又は漁民の採取行為を営業としての規制対象としないというのは、採取行為に当然に付随する市場における販売(卸)をも含め規制対象としない趣旨であるから、漁民が採取した魚介類を市場に販売する行為は、同法二二条の規制対象とはならない。

(二) 規制権限行使の要件

同法二二条の規制権限を行使するためには、営業者が同法四条等の規定に違反していることが要件となるが、当時においては営業者に同条違反の行為があったとは判断し得なかったため、行政庁が右規制権限を発動することはできなかった。具体的にいえば、販売店の店頭等に並んでいる魚介類がどこで漁獲されたかは表示されていないのであるから、その魚介類が水俣湾内で漁獲されたものかどうかも確定することが困難であったといえる上、仮に、当該魚介類が水俣湾産であることが判明したとしても、当該魚介類が有毒有害化していることを確定的に判断することもできず、結局、同法二二条を適用することはできなかったのである。漁獲した魚介類を水揚げした段階で水俣湾産か否か判断できるのではないかとの主張もあるが、水俣漁協の有する協同漁業権の範囲は、水俣湾のみならずその沖合いの広い範囲に及んでおり、また、実際の漁獲がその範囲に限られているわけでもないから、水俣漁協所属の組合員が市場に魚介類を卸したとしても、必ずしもそれを水俣湾内で漁獲したものと判断することはできない。したがって、漁港に水揚げした段階で、その中から水俣湾産魚介類を特定することもできなかったのである。

4 食品衛生法一七条

厚生大臣及び都道府県知事は、食品衛生法一七条により、必要があると認めるときは、

営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め、

当該官吏吏員に営業の場所等に臨検し、販売の用に供し、又は営業上使用する食品等を検査させ、

当該官吏吏員に営業の場所等に臨検し、試験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、又は営業上使用する食品等を無償で収去させ

ることができる。

厚生大臣又は熊本県知事は、水俣湾又はその周辺海域の魚介類に対して、右の措置を採るべきであった。

(一) 本条の趣旨

この権限は、同法四条各号違反の事実を調査確定するために認められているものであるから、厚生大臣及び都道府県知事が右権限を行使するためには、同法四条二号に該当すると判断される食品が存在し、営業者等に同条違反の行為が疑われるため「必要があると認められる」状況にあることが必要である。しかし、昭和三四年一一月に至っても水俣湾内の魚介類について

は、これが同法四条二号に該当するか否かを判断する方法はなかったのであるから、このような状況下では右各権限を行使し得なかった。

(二) 調査義務の不存在

同法一七条に規定する権限は、あくまで同法四条違反という具体的嫌疑を前提として、これを調査確定させるためのものであり、同法一七条において「必要があると認めるときは」というのも、もとより無限定なものではあり得ず、水俣湾産の魚介類一般の有毒有害性を研究する目的で、長期かつ継続的に同法一七条の権限を行使することは、そもそも同法の予定するところではなく、このような一般的な調査、研究の目的で同法一七条所定の権限を行使すれば、逆に違法な調査となる。もともと、同法上には担当公務員にかかる権限を行使すべき義務や食品の有毒有害性を調査すべき義務を定めた規定はない。

5 因果関係

被告国・県が右の規制権限を行使していれば、原告らには水俣病罹患の損害は生じなかった。

食品衛生法に基づく規制権限の不行使と原告らの主張する水俣病罹患という損害との間には因果関係は認められない。すなわち、原告らの中には鹿児島県に居住していた者もおり、水俣湾産の魚介類を多食していたとは思われない者が少なくないし、また、水俣湾の周辺に居住していた者であっても、昭和三二年になると水俣湾の魚介類が危険であるといわれ始め、同年八月には地元の水俣漁協でも水俣湾内での漁獲を自主規制し、同湾内でみるべき漁獲は行われていなかったのであるから、原告らが、当時、摂食していたであろう魚介類は大部分が水俣湾外の魚介類であったと推測される。

食品衛生法は、自家摂食を規制の対象外とし、流通過程において取得した魚介類を規制対象としている。原告らが流通過程において取得した魚介類によって水俣病に罹患したものではないならば、かかる権限の不行使と原告らが被ったとする損害との間に因果関係はない。

二 漁業法、水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則について

水俣工場廃水により水俣湾及びその付近海域に深刻な漁業被害が発生していたのであるから、被告国・県は、右被害を防止するための措置を講ずべきであり、漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項により水俣湾内の漁業権及び知事許可漁業を停止させ、また、熊本県漁業調整規則三二条によりチッソ水俣工場廃水に含まれる有毒物質の除害に必要な設備の設置又は除害設備の変更を命じるべき義務が発生していた。

漁業法及び水産資源保護法の目的並びに調整規則一条の規定に照らせば、同規則三二条が国民個々人の生命や健康といった利益を直接保護の対象としているものでないことは、明らかである。したがって、右各規制権限も所定の公益保護への観点から行使されるべきであって、それ以上に個々の国民の生命、健康といった利益を保護しているものではないのであるから、右各法条は、担当公務員に対してかかる個々の国民の法益を保護するために右権限を行使すべき行為規範として作用する余地はない。したがって、付近住民が水俣病に罹患するのを防止するために右権限を行使すべき作為義務が生じることはない。

1 漁業法の目的

漁業法は、食生活上の国民の生命、健康の安全確保を目的とする法律である。

漁業法は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し、もって漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする(同法一条)。同法には、水産資源の品質管理、安全性を確保するための規定が存在しないことはもちろん、これと多少とも関連するような規定すら一切存在しない。「食生活上国民の生命、健康の安全確保を目的」とするものでないことは明らかである。

2 漁業法三九条一項

漁業法三九条一項は、「公益上必要があると認めるとき」に、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができると規定しているが、生命、身体に優る公益はないのであって、同条にいう「公益」とは、生命、身体の保護ということも含まれる。熊本県知事は、住民の生命、身体の保護のために、漁業権を取り消すなどすべきであった。

同法三九条一項は、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができる。」と規定しているが、漁業権の取消し等の規制権限は漁業権者の権利を剥奪又は制限するという重大な効果を有するものであるから、同項の「公益上必要があると認めるとき」という要件は、安易に拡張して解釈されてはならない。従来から、右にいう公益上の必要とは、同項に例示する場合のほかは、極めて公益性の高い事業の用に供する場合に限定して解釈運用されてきている。

そして、漁業権は漁業を営むことを権利として保護するものであるから、これを剥奪、制限し得るに足る「公益」とは、漁業権を保護することにより侵害される公共の利益を指すのであり、しかも、その利益の実現のために水面の利用が不可欠であり、その水面の利用が漁業権の有する物権的排他性により実現できないことが不都合であるような公共の利益をいうものと解すべきである。

したがって、当該漁業権区域内の魚介類を摂食することに起因する国民の生命、身体の安全を確保する目的で、漁業法三九条一項の規制権限を行使するなどということは、本来同法の全く予定していないことであって、同法三九条一項の「公益」に含まれない。魚介類を摂食すると食中毒に罹患するおそれがあるとの理由で、当該水域に係る漁業権の取消等をすることはできない。

なお、原告らは取消等の対象たる漁業権を特定して主張していないが、仮に水俣漁協の有していた共同漁業権を取り消したところで同漁協の権利が消滅するだけのことで何ら漁獲禁止の効果を期待できるものではないし、その行使の停止を命じたとしても、当時水俣湾内で行われていた延縄漁業や一本釣漁業などは共同漁業権の対象とはなっていないのであるから、その操業に何ら影響がない。同条の権限の行使と原告らの漁獲あるいは魚介類の摂食との間に因果関係があるとは認め難い。

3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則について

(一) 水産資源保護法及び調整規則の目的

水産資源保護法によって保護される水産資源は、国民が口にするものであり、そのための資源なのである。また、ここにいう水産資源が、有毒でないものを意味するのは自明である。したがって、熊本県知事は、漁業法六五条及び水産資源保護法四条に基づいて制定された調整規則三二条によって、被告チッソに対して排水規制措置を命ずべきであった。

水産資源保護法は、「水産資源の保護培養を図り、且つ、その効果を将来にわたって維持することにより、漁業の発展に寄与することを目的とする」ものであり(同法一条)、また、同法四条一項は、農林水産大臣又は都道府県知事が「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」には省令又は規則を制定することができる旨規定しているから、同項四号の事項に関して制定された調整規則も、専ら「水産資源の保護培養」を図るためのものである。そして、「水産資源の保護培養」とは、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくため、乱獲等を防止し、資源としての水産動植物の繁殖保護を図ることであって、水産資源保護法及び調整規則が国民の生命、健康を保護することをその目的としていないことは明らかである。

(二) 調整規則三〇条一項

熊本県知事は、無害の水産資源を保護し、国民の生命、健康という公益上の必要があるので、調整規則三〇条一項に基づき、水俣湾及びその周辺海域における許可漁業の許可を取り消すべきであった。

調整規則五条は、同条所定の漁業を営もうとする者は知事の許可を受けるべきものとしていた(許可漁業)が、これ以外の漁業は自由になし得るものとしていた。すなわち、操業を規制する必要性のない漁業、例えば、当時水俣湾で広く行われていた一本釣漁業や延縄漁業は調整規則所定の許可漁業とされておらず、自由になし得るいわゆる自由漁業とされていたのである。したがって、自由漁業については、漁業許可の取消ということはあり得ない。

調整規則三〇条一項における漁業許可取消等の要件である「漁業調整その他公益上必要あると認めるとき」とは、前述した調整規則の目的に照らせば、漁業法六五条の「漁業取締その他漁業調整のため」、又は水産資源保護法四条の「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」に準じて解釈されるべきものである。したがって、原告らの主張するような人の生命、健康を保持する必要から、右規制権限を行使するというようなことは、そもそも許されない。

原告らは、具体的に誰がどの海域で有していた、いかなる内容の許可漁業を取り消すべきであったか、原告らは右許可漁業の許可を受けていたと主張するのか否かについて明確な主張をしていない。そもそも、許可漁業の許可一般の取消ということは考えられない。また、原告らが取り消すべきであったと主張する具体的許可漁業の許可と原告らの主張する損害との間にいかなる因果関係が存するというのか全く不明である。

(三) 調整規則三二条

被告国及び県の担当公務員は、調整規則三二条を根拠に、チッソ水俣工場に対して工場排水中の有毒物質の除去に必要な設備の設置を命じ、右除害設備が設置されるまでの間は有害排水の停止を命令するべきであった。

被告国及び県において有機水銀が定量できないのであれば、総水銀でもって規制すべきであったし、「水産動植物の繁殖保護に有害なもの」は、化学物質として特定されている必要はなく、単に特定の工場の排水というだけで足りる。

調整規則三二条二項に基づいて熊本県知事が有していた権限は、除害設備の設置又はその変更を命ずることであり、排水の停止までを命ずる権限は存しない。

除害設備の設置を命ずるという権限を行使し得るための要件は、「水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置してはならない。」という同条一項の「規定に違反する者があるとき」である。したがって、規制権限を行使する前提として、水産動植物の繁殖保護に有害な物が何であるのか、これを遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置する者が誰であるのかが特定され、かつ、右遺棄等の行為と水産動植物の繁殖保護上の有害性との間の因果関係が明らかになっていることが必要不可欠といわなければならない。

昭和三四年一一月の段階に至っても、被告国及び県としても直ちに有機水銀説が正しいと断定することができず、また当時有機水銀を定量する技術もなかったため、仮に有機水銀の排出を規制したとしても、その違反の有無を検証する方法もない状況であった。また、当時、水産動植物の繁殖保護に有害な特定の工場の排水という特定の方法も採ることができなかったし、そのような特定では、被規制者においていかなる除害設備を設置すべきかの判断もできず、その違反の有無についても判断不能であった。

排水中の総水銀自体極めて微量であり、当時一般には定量できなかったと考えられるが、もしも総水銀で規制するとした場合、当時でも原因物質ではないと考えられていた無機水銀の排出を規制する結果になる。

4 因果関係

被告国及び県が、漁業法及び調整規則に基づく規制措置を行っていれば、原告らは水俣病に罹患するという損害を被ることはなかった。

漁業法及び調整規則に基づく規制措置の不作為と原告らの主張する水俣病罹患という損害との間には因果関係は認められない。すなわち、原告らの中には鹿児島県に居住していた者もおり、水俣湾産の魚介類を多食していたとは思われない者が少なくないし、また、水俣湾の周辺に居住していた者であっても、昭和三二年になると水俣湾の魚介類が危険であるといわれ始め、同年八月には地元の水俣漁協でも水俣湾内での漁獲を自主規制し、同湾内でみるべき漁獲は行われていなかったのであるから、原告らが、当時、摂食していたであろう魚介類は大部分が水俣湾外の魚介類であったと推測される。

また、原告らの主張からは、原告らがどの漁協の組合員であったか、その行っていたという漁業と漁業権とがいかなる関係にあるか、あるいは許可漁業について原告らのうちの誰かが果たして何らかの許可を受けていたのか(許可を受けていなければ取り消す余地はない。)といった基本的なことさえ明らかでない。

三 水質保全法及び工場排水規制法(以下「水質二法」という。)について

1 水質二法の目的

水質保全法は経済企画庁長官が港湾、沿岸海域等の公共の用に供される水域の水質の保全を図るために水汚染が問題となっている水域を指定し(指定水域の指定)、その指定水域に排出される水の汚染度の許容基準の設定(水質基準の設定)すること(同法五条一、二項)を定めており、また、工場排水規制法は内閣が製造業等の用に供する施設のうち汚水等を排出するものを政令で「特定施設」として定め(同法二条)、特定施設ごとに主務大臣を定める(同法二一条)、ことを、主務大臣が特定施設を設置している者に対し、特定施設の使用方法の計画の変更命令や汚水の処理方法の改善命令等の必要な措置をとる(同法四条以下)ことをそれぞれ定めている。

これらの公務員は水質二法に規定されている右各権限を共同、一体として行使すべき義務があり、本件においては、経済企画庁長官はチッソ水俣工場より下流の水俣川及び水俣湾を指定水域として指定し、その排水から「水銀又はその化合物が酸化分解法を伴うジチゾン比色法により検出されないこと」という水質基準を設定し、内閣は直ちにチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と定め、かつその主務大臣を通産大臣と定め、通産大臣は直ちにチッソ水俣工場に対して水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制すべき義務があった。

水質保全法は、河川や海などのいわゆる公共用水域を汚濁源の悪影響から守り、水質の保全を行うこと、汚濁被害を受ける漁業や農業等と加害側産業との間の協和を保つこと及び公衆衛生の向上をねらいとしている。工場排水規制法は、水質保全法を受けて、製造業等の事業活動に伴って発生する汚水の処理を基準に定められたものとするため制定されたものである。したがって、水質二法上の権限は、「産業の相互協和」という高次の公益的判断の下に行使されることが予定されているのである。また、「公衆衛生の向上」については、主として上水道の確保、その他環境衛生上の考慮を示したもので、公共用水域の水そのものに直接起因する公衆衛生上の問題を念頭に置いており、同水域の魚介類に起因する食中毒の防止というようなことまで具体的に考えていたわけではない。

水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定は、各種の法規を運用する場合の共通の客観的基準を制定するものであり、直接国民を相手方として行われる一般の行政行為とは著しく性格を異にする一般的規範定立行為である。また、特定施設の指定も内閣が政令により行うものである以上、やはり一般的規範定立行為といわなければならない。経済企画庁長官が、直接個別の国民に対し、右のような立法行為に属する一定内容の基準の設定という行為をなすべき職務上の法的義務を負うものではない。経済企画庁長官が水質基準の公示をするに当たっては、合理的裁量に基づいて、指定水域の指定、水質基準の設定の要否、内容について判断するが、その内容が高度に専門的技術的事項にわたるため、右権限の行使に関する裁量の範囲は極めて広いというべきであって、右公示をしないことが裁量権の濫用となり、ひいては国賠法上違法になる余地はない。

また、政令のような行政立法の制定は、内閣の極めて高度な政策的及び専門技術的裁量に委ねられており、政令を定めることが直接個別の国民に対する関係で具体的な職務上の法的義務となることはあり得ず、政令を策定しないことが裁量権の濫用となって、国賠法上違法となることはない。よって、経済企画庁長官及び内閣に、政治的責任が生じ得るか否かはともかく、指定水域の指定、水質基準の設定、特定施設の指定をしなかったことが、個々の国民たる原告らとの関係で国賠法一条にいう違法が存すると評価されることはあり得ない。

2 水質保全法五条

経済企画庁長官は、昭和三四年三月の法施行と同時に、遅くとも同年七月の段階までには水俣水域を指定水域に指定すべきであった。水質基準については、チッソ水俣工場排水から「総水銀」つまり「水銀またはその化合物」が検出されないことという水質基準を設定すべきであった。

(一) 水質基準

水質基準は、工場又は事業場から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度として定められる排水口での基準であって、「いかなる水を流すのを禁止するか、いかなる除外施設を講ぜしめるか明確に定まらない。」という点を解決するものであるが、その許容量が関係産業への「相当の損害」又は「公衆衛生上看過し難い影響」を社会通念上妥当と思われる程度に除去又は防止する程度を超えないように定める必要がある。したがって、水質基準を設定するためには、第一に、特定の公共用水域の水質汚濁の原因となっている物質(以下「汚濁原因物質」という。)が特定されていること、第二に、当該汚濁原因物質が特定の工場から排出されていることが科学的に証明されていること、第三に、当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること、第四に、当該汚濁原因物質について水域指定の要件となった事実を除去し、又は防止するのに必要な限度を超えない許容量を科学的に決定し得ることが不可欠の前提となる。

(二) 水質調査

経済企画庁長官は、指定水域を指定するときは、当該指定水域に係る水質基準を定めなければならないが、そのためには、当該水域についての水質調査を行う必要がある。昭和三五年二月一日開かれた第四回水質審議会において、水俣病の関連から八代海南半部海域が調査水域に追加され、同月三日から担当者が調査を開始した。しかし、汚濁原因物質の特定等に時間を要したため、早急に指定水域の指定や水質基準の設定には至らなかった。

(三) 汚濁原因物質の調査状況

昭和三四年一一月の段階で、食品衛生調査会は、水俣食中毒部会の検討を基に水俣病の主因をなすのは「ある種の有機水銀化合物」である旨の答申をした。しかし、右答申は、病理及び水銀量等から原因物質を「ある種の有機水銀化合物」と大きな枠で特定したにすぎず、多数存在する有機水銀化合物の中のいかなる化合物であるのかという肝心な点は未解明のままであった。したがって、この時点では、水俣湾及びその付近水域について、その汚濁原因物質が特定されていたとはいえないから、右水域について水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することはできなかった。また、昭和三四年の段階では、水俣湾及びその付近水域の汚濁原因物質がチッソ水俣工場から排出されていることが科学的合理性をもって解明されていたとまでは到底いえなかった。さらに、昭和三四年当時の有機水銀化合物の分析定量方法の開発状況からみて、仮に有機水銀が原因物質であるとの説を採るにしても、それを分析定量することはできなかったものである。

(四) 総水銀による規制

原告らが主張する「チッソ水俣工場排水から『総水銀』つまり『水銀またはその化合物』が検出されないこと」という水質基準については、水俣病の原因物質が有機水銀であるとの説そのものがいまだ確立したものではない状況において、そのような水質基準を設定すれば、過剰規制となり、「産業の相互協和」をも目的とする水質保全法の趣旨(一条一項)にも背馳し、同法五条三項に規定する、水質基準の設定は指定水域指定の要件となった事実を除去し又は防止するため必要な程度を超えてはならない、という趣旨にも反する結果をもたらすものである。

当時の水銀の分析定量の技術的限界に関し、昭和三四年当時には、水銀について、JIS規格に規定されておらず、昭和三五年一二月改定のJIS規格(工業用水試験方法)においてさえ、0.02ないし一ppmとされており、当時のジチゾン法の感度としては0.01から0.05ppmが限度であった。昭和三五年九月二九日付の工業技術院東京工業試験所のデータによれば、昭和三四年一一月二六日から同三五年八月三一日までのチッソ水俣工場の百間排水溝の排水からジチゾン法で0.002から0.084ppmの水銀を分析定量したことになっているが、これは、異なる技術者が繰り返し測定したところで同様の結果が得られるという意味での再現性のあるデータといえるか極めて疑わしい。

そして、仮にチッソ水俣工場の排水中の総水銀の量が東京工業試験所で分析した程度であるとすれば、その大半が0.02ppm以下である。そこで、当時のジチゾン法による分析定量の技術水準において合理的と考えられるJIS規格に従って水銀が検出されないという水質基準を設定したとしても、チッソ水俣工場の排水中の水銀はほとんど検出限界以下ということになり、水俣病の発生を防止するという観点からいえば何の意味のない規制ということになる。仮に、原告らの主張が、JIS規格の基準よりもはるかに厳しい基準あるいは全く検出されないという水質基準を設定すべきであるとすれば、それは、不可能を強いるものである。

3 工場排水規制法

指定水域の指定及び水質基準の設定は、昭和三四年秋には可能であったし、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と指定することも可能であったのに、内閣は、特定施設を指定し、主務大臣を通産大臣と定めることを懈怠した。

工場排水規制法一五条は、指定水域の指定、水質基準の設定がない場合であっても、主務大臣が特定施設を設置している者に対して行政指導による排水規制をすべきことを定めている。昭和三四年秋の段階では、通産大臣は、同条によりチッソ水俣工場に対し、行政指導により、水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制する義務があったのに、これを怠った。

工場排水規制法一五条の「特定施設を設置している者」に対する規制、同法四条、一四条の「工場排水等を指定水域に排出する者」に対する規制及び同法七条、一二条の「工場排水等の水質基準が当該指定水域に係る水質基準に適合しない」場合の規制は、いずれも水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時にする水質基準の設定がその前提となっている。また、工場排水規制法にいう特定施設とは、製造業等の用に供する生産施設のうちで、その生産施設から排水される汚水又は廃液を公共用水域に排出すれば、その水域にある関係産業に相当の損害を与え、又は公衆衛生上看過し難い影響を発生すると考えられるような施設であって、政令で指定されたものをいう。昭和三四年一一月当時、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされていなかったし、工場排水規制法に基づく特定施設の指定もなされていなかったから、工場排水規制法に基づく規制権限の不行使を問題とする余地は全くない。また、昭和三四年一一月当時には、チッソ水俣工場の排水が水俣病の原因と判断することはできなかったから、同工場のアセトアルデヒド製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を政令で特定施設と定めることも、工場排水規制法二一条に基づき通産大臣を主務大臣と定めることも困難であり、また、仮に、右各施設を特定施設とし、主務大臣が定められたとしても、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされておらず、かつ、右指定及び設定はいずれも不可能であったのであるから、同大臣において、工場排水規制法七条、一二条等に基づく規制権限を行使する余地もおよそ存しなかったのである。

四 毒物及び劇物取締法について

被告チッソの水俣工場は、毒物である水銀化合物を業務上取り扱っており、毒物及び劇物取締法二二条一項、四項に基づき、同法一一条(漏出等防止義務)、一二条一項、三項(表示義務)及び一七条(立入検査等受忍義務)に定める各義務を負うとともに廃棄の制限(一五条の二)も受けていたから、厚生大臣又は熊本県知事は、毒物劇物監視員をして立入検査等をする権限(一七条)を有し、また、同工場が右毒物たる水銀化合物についての漏出等防止義務、廃棄の制限に違反していると認められたときには、相当の期間を定めて漏出等防止のために必要な措置を採ることを命じる権限を有していたが、この権限を行使しなかった。

昭和三六年一〇月一九日薬収第七五一号厚生省薬務局長回答により、同法の毒物・劇物とは文言どおりに限定されるべきものではなく、社会通念上理解されるべきであるから、水銀化合物を含む工場排水もこれに含まれる。

被告チッソの水俣工場において触媒として水銀化合物が使用されていたことは事実であるが、同工場は、これらの化学物質を漏出等していたわけではない。被告チッソが水俣工場から排出していたのは、これらの物質ではなく、微量の水銀化合物が含有された工場排水である。この排水は、右のような含有物があったとしても毒物及び劇物取締法が規制の対象としている毒物又は劇物には該当しない。厚生省令(毒物及び劇物取締法施行規則一六条の二、同規則別表第二、三)は、規制の対象となる毒物又は劇物として、「水銀化合物及びこれを含有する製剤」と定めているが、ここにいう「水銀化合物」とは、水銀と他の物質が化合して生じた、一定の組成を有し、しかも各成分の性質がそのまま現れていない物質そのものを意味しているから、右チッソ水俣工場の排水がこれに該当しないことは明白であるし、「水銀化合物を含有する製剤」とは、水銀化合物の効果的利用を図るために意図的に製剤化されたものを意味しているから、社会的に無価値な工場廃液、排水がこれに該当することはない。

原告らが引用する薬務局長回答の例は、基本的には使用者が使用の過程で調整した場合に該当し、水溶液にしただけでは製剤性は失われないとしているにすぎない。

五 労働基準法について

労働基準法は、労働者の安全衛生のみならず、地域住民の生命、健康の確保をも配慮している。労働基準監督官は、労働基準法(昭和四七年法律第五七号による改正前のもの)五五条、一〇一条、一〇三条等の権限を行使することにより、有害物を含有する廃液を無処理で排水していたチッソ水俣工場に対し、所要の措置を講じさせるべき義務があったのにこれを怠った。

原告らの主張は、労働基準監督官がいかなる措置を採るよう命ずべきかを特定していない点において、それ自体失当である。また、当時チッソ水俣工場内で労働者がメチル水銀による健康障害を受けていたのであればともかく、そのようなおそれすら認識されていなかった時点において、労働基準監督官が権限を行使することなど到底不可能であった。

さらに、労働基準法は、労働者の保護を目的とする法律であるから、同法上の権限を、工場の労働者以外の付近住民の生命、健康の確保という目的で行使することは、法の予定していないところである。仮に、労働基準監督官の権限行使によって結果的に周辺住民の生命、健康が守られることがあったとしても、それは事実上の利益にすぎない。

六 犯罪捜査の権限について

被告国(検察官又は労働基準監督官)及び県(県警察本部の警察官)は、毒物及び劇物取締法や熊本県漁業調整規則、労働基準法に定められた罰則を適用することにより、チッソ水俣工場の排水を規制し得た。被告国及び県の担当公務員は、被告チッソについて右各法律違反の有無を捜査し、公訴を提起して処罰を求めることにより、その排水を規制すべきであったのに、これを怠った。

犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない。被害者又は告訴人が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない。したがって、犯罪の捜査及び公訴の提起がされなかったことを理由に損害賠償を認める余地はない。

なお、本件において、チッソ水俣工場の排水の排出行為は毒物及び劇物取締法に違反するものでなく、熊本県漁業調整規則に違反すると認めるだけの根拠は存しなかったし、チッソ水俣工場内においてメチル水銀による危害は生じておらず、労働基準法上の罰則に触れると判断される状況になかったものである。

七 行政指導

1 行政指導の不作為の違法性

被告国及び県は、前記各規制権限を行使すべきであったことはもちろんであるが、少なくともこれらの権限を背景とした、可能な限りの強力な行政指導をすべき義務があったのに、これを懈怠した。

原告の主張する各規制権限の行使は不可能であったことは既に詳細に述べたところであり、このような権限を背景とした行政指導をする余地もなく、ましてこれをすべき義務を負うということもあり得ない。そもそも、行政指導をしないことが国賠法上の違法となることはないのである。

行政指導とは、おおむね行政機関が一定の行政目的を実現するために行政客体に働きかけ、相手方の同意又は任意の協力を得て、その意図するところを実現しようとする事実行為である。すなわち、行政指導は、法的拘束力のない非権力的、任意的行政手段であり、行政指導による行政目的の達成は専ら相手方の任意の同意又は協力によるもので、右同意ないし協力なくしては行政目的の実現を図ることができない行政上の措置である。行政指導に従うか否かは、あくまでも行政客体たる相手方の自由であり、その程度を超えて事実上相手方に強制を加えることは許されない。行政指導には、一般に、法令の根拠に基づいてなされる行政指導、行政機関の権限(許認可、改善命令等)を背景にしてなされる行政指導、法令の根拠に基づかないでなされる行政指導があるが、本件で原告らが問題としている行政指導は、法令の根拠に基づかないでなされる行政指導であると考えられる。法令の根拠に基づかないでなされる行政指導を安易に認知し、その実効性の確保を前提に、これを奨励することは、法の支配の原則に抵触する危険もあることを考慮すべきである。

行政指導の不作為が国賠法一条一項の適用上違法となるかどうかは、当該公務員が個別の国民に対する関係において、行政指導をすべき職務上の法的義務を負担していたかどうかの問題に帰着する。法律の根拠に基づかない行政指導についてみると、右行政指導を実施することが個々の国民に対する関係において公務員の職務上の法的義務となることはあり得ないといわなければならない。行政指導をするかどうかは、行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量に委ねられているから、行政当局が、行政指導をしなかったことにより政治的責任を負うのはともかくとして、損害賠償責任を負うことはない。

2 通産大臣の行政指導

通商産業大臣は、遅くとも昭和三二年春までの段階において、チッソ水俣工場の排水を調査した上、同工場に対し、工場排水の停止等の行政指導を行うべき義務があったのに、これを怠った。通産省は、被告チッソに対して排水浄化施設の設置を急ぐよう行政指導しているが、いわゆるサイクレーターには有機水銀除去能力がなかった。また、被告国・県は、被告チッソにアセトアルデヒド製造工程排水の閉鎖循環方式を採るように行政指導すべきであった。

そもそも行政指導の不作為が国賠法上違法となることはない。

この点をさておいたとしても、原告主張の当時においては、被告国・県の担当公務員として、被告チッソに対して行政指導を行うべき合理的根拠は何らなかった。原告らの主張する昭和三二年春の段階において、チッソ水俣工場の排水停止の行政指導を行うべき根拠は何ら得られていなかった。昭和三四年一一月当時、熊大研究班内で唱えられ始めた有機水銀説も、一般的に承認されていたわけではなく、このような不確定な状況にある一学説に依拠して軽々にチッソ水俣工場に対して法規上の根拠を有しない侵害的な行政指導をすることはできなかった。

いわゆるサイクレーターは有機水銀除去能力が全くなかったとはいえない上、被告国・県は、昭和三四年末においてその事実を知らなかったし、右浄化設備の効用等を疑うべき契機は存しなかった。その後、水俣病の原因物質がメチル水銀化合物であると判明し、結果的には被告チッソの設置したサイクレーターは右原因物質の除去能力がほとんどなかったことが判明したのである。また、アセトアルデヒド製造工程で水俣病の原因物質が生成していることも不明な昭和三四年当時に閉鎖循環方式の採用という具体的な行政指導をすることは行政指導の範囲を超えているし、仮に行政指導をしたとしても短期間のうちにこれが実現したとは到底考えられない。

3 行政指導との因果関係

被告国及び県が、右の行政指導をしていれば、原告らに水俣病罹患という損害は発生しなかった。

被告国及び県と被告チッソとの関係についてみると、行政指導の内容として原告らが主張する工場排水規制は、詰まるところ被告チッソの営業活動の停止を求めるものであり、排水規制の行政指導が受け入れられるような関係にはなかった。

八 国賠法二条に基づく責任について

水俣港湾区域及び水俣川は、被告県の管理する公の営造物に該当する。

港湾管理者である被告県は、水俣港湾区域内に汚悪水、有害物などが流入しないようにこれを維持管理すべきであるのにこれを怠り、また、河川管理者である被告県は、水俣川に汚悪水、有害物などが流入しないようにこれを維持管理すべきであるのにこれを怠ったものであるから、国賠法二条一項の管理の瑕疵が存する。

被告チッソ水俣工場は、昭和三三年九月ころから約一年の間、アセトアルデヒド製造工程排水を八幡プールを経て水俣川方面の排水溝へ排出していた。水俣川の流水中に右の工程排水に含まれていたメチル水銀化合物が混入していたことは、河川管理の瑕疵、すなわち河川が通常有すべき安全性を欠いていたものである。

原告らの主張では、何をもって国賠法二条一項にいう「公の営造物」に当たると主張しているのかは、必ずしも明確でない。

1 港湾管理の瑕疵について

港湾区域とは、「当該水域を経済的に一体の港湾として管理運営するために必要最小限の区域」(港湾法四条六項)として運輸大臣又は都道府県知事の認可を受けた水域をいうのであるから、それ自体が公の営造物に当たるものではない。したがって、「水俣港湾区域」自体が公の営造物に当たることはない。

仮に水俣港湾区域内の港湾施設を公の営造物と考えるとしても、原告らがこのような施設の欠陥、不備によって何らかの損害を被ったというものではない。したがって、これらの施設等に何らかの欠陥ないし不備が存したとしても、そのことと原告らが本件で賠償を求めている損害発生との間には因果関係が存しない。

海水自体は、国賠法二条一項に規定する「公の営造物」には該当しない。

2 河川管理の瑕疵について

原告らの主張する河川管理の瑕疵とは、河川とはいってもその流水(河川水)の水質管理を問題としていることになるが、このような事柄は国賠法二条にいう公の営造物たる河川管理の内容に含まれない。仮に、水質汚染をもって河川管理の瑕疵と解する余地があるとしても、当時の河川管理者たる熊本県知事には右汚染について予測可能性も回避可能性も存しなかったのであるから、これを理由に被告国・県が国賠法二条に基づく賠償責任を負う余地は存しない。チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程排水が水俣川河口付近へ排出されていたのは、昭和三三年九月から約一年間に限定されているが、被告国・県の公務員が右事実自体を漠然とでも知り得たのは昭和三四年六月ころのことである上に、そもそも当時は右排水中に何らかの有毒有害物質が含まれ、これが原因で水俣病が発生しているというようなことは何ら判明していなかったし、熊本県知事がこのような工場排水の流入を阻止し得る権限も有しなかった。

九 その他

1 百間港の浚渫について

被告県は、昭和二四年から二七年まで及び昭和三一年から三二年までの二度にわたり、百間港の浚渫を行い、カーバイド残渣を含む汚泥を撹拌した。そのため、汚染が湾内に広がり、水俣病発生の原因を作った。

原告主張の事実を裏付ける根拠はない。すなわち、水俣病の原因物質は、アセトアルデヒド製造工程において副生した微量のメチル水銀であって、それ以外に無機水銀も含まれていたが、この無機水銀によって水俣病が発生したものではない。もともとカーバイト残渣中にメチル水銀が含まれていたと認め得るような根拠は存しない。したがって、これらの無機水銀が浚渫によって撹拌されることはあり得るとしても、このために魚介類にメチル水銀が蓄積したり、無機水銀がメチル水銀化するといったことにはならないのであって、浚渫による水俣病の発生、拡大ということはあり得ない。

仮に、被告県による右浚渫が水俣病の拡大に何らかの悪影響を与えたとしても、水俣病の発生機序も全く不明であった右時期における浚渫行為が国賠法上違法とされ、関係公務員に故意はもちろんのこと過失の認められる余地もない。

2 原因究明に対する妨害行為について

被告国及び県は、水俣病の原因究明に対して様々な妨害行為を行った。

原告らの主張は、単なる憶測に基づくものにすぎないことは、その主張自体からも明らかであって、証拠に基づかず、根拠に欠けるものであることは明らかである。

3 「患者切捨て」の責任について

被告国・県には、患者・住民に対する放置・切捨ての責任がある。

水俣病の発見後原因究明の過程において被告国・県の採った措置は、相当なものであって、違法と評価されるものでない。また、水俣病の認定業務の不当をいう点については、本件請求との関係では何らの意味もない主張である。

第四章  水俣病の病像(争点一に対する判断)

第一  立証責任と証明度

原告らは、水俣病の病像に関し、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したことに加えて、水俣病でみられる四肢末梢の感覚障害等の一症状でも認められれば、他に特段の事情がない限り水俣病と認められるとの診断基準によって、水俣病か否かを判断すべきであると主張し、これに対して、被告らは、原告らの見解に反論するとともに、立証責任や立証の程度に関しても反駁する。そこで、立証責任及び立証の程度は、本件における以下の判断において基本的前提となる事項であるので、まず検討を加えることにする。

一  立証責任

本件は、原告らが、被告チッソの行為並びに被告国及び県の公務員の行為によって水俣病に罹患し、種々の損害を被ったとして、被告チッソに対しては民法七〇九条、被告国及び県に対しては国家賠償法一条一項及び二条一項に基づき、損害の賠償を求めているものであるから、原告らは、以下の事実について立証責任を負っている。

1 被告らが加害行為(不作為の場合を含む。)をなしたこと。

2 加害行為について被告らに故意又は過失があること。

3 加害行為と損害との間に因果関係があること。

4 損害(原告らの法益に対する侵害)が発生したこと及び損害の金銭的評価額

右3の要件事実は、本件において具体的にみると、原告らが被ったとする身体的障害がチッソ水俣工場の排水中に含有されていたメチル水銀化合物によって発生したといえることである。チッソ水俣工場の排水中に含有されていたメチル水銀化合物によって発生した身体的障害は、一般に水俣病といわれるから、本件患者が水俣病に罹患していることについては、原告らに立証責任がある。

二  経験則

一般に、要件事実は、直接証拠によって立証される場合もあるが、証拠によって間接事実を認定し、それを前提にして(以下、当該間接事実を「前提事実」という。)、前提事実から要件事実が推認できるとして間接立証(間接本証)によって立証される場合もある。間接立証において、前提事実から要件事実を推認するためには何らかの推定法則を媒介としており、推定法則や論理法則を総合して経験則という。

ところで、本章において検討する水俣病の病像とは、いかなる症候があれば、水俣病と判断できるかという診断基準の問題であるが、これは、前記の経験則の問題である。すなわち、ある症候の存在という前提事実が立証された場合、それによって、水俣病に罹患しているという要件事実が認定できるかどうかは、媒介となる経験則自体の持つ前提事実から要件事実を推認させる力が強いか弱いかが関係する。この力のことを、経験則の持つ客観的蓋然性という。客観的蓋然性が高いとは、前提事実が存在すれば、必ず要件事実が存在すると推認できるというように、前提事実が存在すれば、要件事実が存在すると考えられる可能性が高いことを意味する。本章における病像の争いは、原告らが主張する経験則と被告らが主張する経験則とで、その客観的蓋然性はいずれが高いかの問題である。したがって、ある症候が水俣病に極めて特徴的で、他の疾患では生じないような特異的なものである場合には、当該症候から水俣病罹患を推認する経験則は、客観的蓋然性が高いといえるが、特異的とはいえないとすれば、右の経験則に比較して客観的蓋然性が低いこととなる。水俣病がメチル水銀による中毒性神経疾患であることは当事者間に争いがないが、この疾患では、たとえば、ある種の細菌が患者の体内から検出されるというように、客観的蓋然性の極めて高い経験則によって罹患しているかどうかを判断することができる場合ではなく、一定の症候又は病理学的所見から水俣病であるかどうかを推認する方法によらざるを得ない。そして、本件では、その推認に用いられる経験則の存否及び客観的蓋然性の程度について、原告らと被告らとの間に争いがあるから、それぞれの主張する経験則が存在するか、また、いずれの客観的蓋然性が高いかを審理すべきこととなる。

次に、裁判官の通常の知識により認識し得べき推定法則は、その認識のために特に鑑定等の証拠調べを要するものでない(最高裁判所(第二小法廷)昭和三六年四月二八日判決・民集一五巻四号一一一五頁)が、裁判官の通常の知識により認識できないような専門的な経験則については、訴訟において、当事者が、当該経験則の存在及び事実認定をするに足る客観的蓋然性を有することを主張立証しなければならない。

三  間接反証

原告らは、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという事実に加え、水俣病にみられる四肢末梢の感覚障害等の一症状でもあれば、被告らにおいて右症状のすべてが他の原因によることを証明しない限り水俣病と認められると主張し、いわゆる他原因の存在については被告らに立証責任が存在すると主張する。

因果関係の存在、すなわち、水俣病に罹患していることの立証責任は原告らにあるのであり、原告らは、一定の症候の存在を立証し、それに適用される医学的経験則を立証し、それによって水俣病に罹患しているという要件事実を推認させる方法によって立証活動を行っている。こうした間接立証(本証)による証明は、前提事実の証明があり、かつ、適用される経験則が要件事実を推認させるに十分な客観的蓋然性を有するとき成立する。

これに対して、被告らは、前提事実の存在自体に対する反証、経験則の客観的蓋然性に対する反証のほかに、他の間接事実を立証して本件患者らの症状が水俣病以外の他の疾患によることを推認させることによる間接反証の方法を採ることが可能である。本件において、前提事実の存在自体に対する反証とは、本件患者らに存在すると原告らが主張している症候の存在自体に疑念を抱かせるための反証であり、経験則の客観的蓋然性に対する反証とは、原告らの依拠する医学的経験則が存在しない、ないしは客観的蓋然性が低いなどとするための反証であり、いずれも直接反証に属する。ところが、他原因の存在は、前記のように間接反証に該当する。間接反証は、ある症候が存在するという前提事実を立証して、経験則によって「本件患者は水俣病に罹患していない。」との命題、すなわち、反対事実を推認させることによって、原告らが「本件患者は水俣病に罹患している。」という命題を立証する活動の結果得られた証明力を減殺させる反証活動である。間接反証は、右のように、原告らが立証責任を負う命題の否定命題を推認させるための活動であって、あくまで反証の一環であり、そのことについて反証者側に立証責任の概念をいれる余地はない。なぜなら、一方の当事者がある命題について立証責任を負う場合、反対当事者がその否定命題について同時に立証責任を負うことは、立証責任の性質上ありえないからである。反証は、立証責任を負う側がした本証の証明力を減殺し、真偽不明に持ち込むことを目的とする活動であって、反証によって反対事実の立証までする必要はない。したがって、反対事実が真偽不明になった場合の不利益的効果は問題とはならない。問題は、立証責任を負う側が立証すべき命題である要件事実の存否なのである。したがって、いわゆる他原因の存在に関する立証責任は問題にならず、「被告らにおいて、本件患者の症状の全てが他の原因によることを証明しない限り水俣病と認められる。」との命題は成り立たない。被告らのなした直接及び間接反証をも考慮した上で、原告らが立証責任を負う「本件患者は水俣病に罹患している。」という命題が真実と認められるかどうかが、裁判所の判断すべき命題である。

四  証明度

1 高度の蓋然性

民事訴訟法一八五条における「事実上ノ主張ヲ真実ト認ムヘキ」場合のことを、一般に、証明があったというが、証明があったというに足りる立証の程度を証明度と呼ぶことにする。最高裁判所(第二小法廷)昭和五〇年一〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁が判示するように、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」のであるから、証明度は、「高度の蓋然性」という程度であり、「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる」程度とも表現される。

原告らが主張するように、公害訴訟や医療過誤訴訟等の高度の専門科学的知見が問題となる訴訟においては被害者たる原告の立証が困難となり、被害者救済に欠けることにもなるから、このような訴訟においては、証明度を引き下げて、原告の立証を軽減すべきであるとする見解が存在する。

しかし、法の下の平等の見地からみて、特定の訴訟においてのみ証明度を引き下げるべき合理的理由はないし、被害者救済という点は、公害訴訟や医療過誤訴訟に限った問題ではない。また、原告自身や訴訟代理人たる弁護士が高度の専門科学的知見を有していなくても、鑑定等そのような知見を訴訟上利用する方途は存在する。本件患者が、訴訟外で水俣病に関する専門医の診断を受けることは可能であるし、被告国及び県が証拠申出をした鑑定の採用に対しては、原告らが終始強く反対したことは、当裁判所に顕著である。したがって、少なくとも、本件において、原告らの立証につき、一般の民事訴訟に適用される前記の証明度を原告らのために軽減すべき合理的理由はない。

2 医学的知見

本件は、水俣病に罹患しているかどうかという専門的医学的判断を要する場合であるが、証明度においては、前記のように「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる」程度を基準にしている。「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる」程度とは、通常人が医学的見解を無視して、いわゆる素人の考え方によって真実と信じたかどうかが問題なのではなく、科学的根拠に基づいた高度の蓋然性が前提となる。なぜなら、前記最高裁判決は、まず「経験則に照らして全証拠を総合検討」することを要求しており、医学的見地もこの「経験則」の一種であると考えられるし、「通常人」とは、あくまで疑いを差し挟む場合の基準であって、立証活動の結果が「通常人であれば、それ以上疑わない」かどうかを検討すべきだからである。また、医学的知見に基づく相当の根拠を持った立証がなされているのであれば、通常人はそれを前提にして判断し、疑を差し挟むことはないであろうからである。したがって、本件においても、医学的知見に基づいて判断した場合、高度の蓋然性が肯定できるのでなければ、証明度に達しているとはいえない。

五  確率的因果関係論

前記のような考え方によった場合、医学的知見に基づいて判断しても、水俣病に罹患しているかどうかが不明に終わることが生じることもありうる。この場合、証明度に達しているかどうかによって、全か無かの悉無的判断をすることが事案によっては不当と考えられることがある。本件においては、当裁判所が和解勧告において指摘したように、「原告らが水俣病に罹患していると認定できるかどうかが最大の争点であり、その点について立証責任を負っているのは原告の側である。しかし、そもそも水俣病とは何かという根本の問題において、当事者間の見解の対立が顕著である。いかなる症状があれば水俣病といえるかという問題は、現在の医学において、未だ議論の続いている問題であり、今後とも容易に帰一するものとは思われない。また、水俣病かどうかの医学的診断は必ずしも容易ではない上、原告らの加齢により、類似疾患との鑑別はますます困難になっていく状況にある。こうした状況において、水俣病に罹患していることについて高度の蓋然性のある者だけを救済するとの立場を採るならば、現代医学の限界による不利益を原告らに負担させることになる。判決は、当事者の同意不同意に関係なく、確定したならば国家権力による強制的実現が保障された紛争解決方式であるが、そうした効力の大きさゆえ、訴訟において『証明』が要求されるのであり、水俣病に罹患していることの可能性が法の解釈によって決定される一定限度を下回る者には救済を否定せざるをえないことになる。しかし、有機水銀曝露歴を有する者に発現している健康被害が水俣病に起因する可能性の程度は、零パーセントから百パーセントまで連続的に分布していると考えられるのであって、判決による方式を選択した場合においてはボーダーラインの前後で、ある者は完全な救済を受け、ある者は全く救済を受けられないという事態の発生するおそれがあ」るからである。

そこで、本件患者らに健康被告があることが証明された場合に、それが水俣病に起因する可能性の程度に応じて判断することが考えられる。前記のように、水俣病に罹患しているかどうかという定性的、悉無的判断によった場合、水俣病に罹患している可能性が幾ばくかあるにもかかわらず、結論としては証明がないことに帰するという場合もありうる。しかし、水俣病に罹患しているかどうかを、定量的、確率的に判断するならば、各患者の健康被害が水俣病に起因する可能性の程度を、賠償額に反映させることが可能になり、水俣病に罹患している可能性を残しながらも、請求の全部棄却になるという結論を回避することができる。

しかしながら、和解による解決であればともかく、判決による場合に、前記の確率的判断を安易に持ち込むことは、事実認定の放棄ともなりかねないため、避けなければならない。当裁判所は、本件においては、例外的に確率的判断ができる場合であると判断するので、以下その理由を述べる。

第一に、最終的立証命題である要件事実は、不法行為における因果関係であり、確率的判断に馴染むことである。過去に起きた一回的事実の有無、たとえば、ある契約が締結されたかどうかが要件事実である場合には、三〇パーセント契約締結の可能性があるからといって、三〇パーセントの割合で請求を一部認容することは難しい。しかし、本件は、因果関係という要件事実の存否の問題であり、因果関係は、過去に起きた一回的事実の有無というよりは、むしろ、過去の事実関係をもとに行う評価としての側面を持っている。また、確率的判断を反映させる対象が損害賠償額(金銭賠償額)という可分なものである。

第二に、間接立証において使われる経験則そのものの存否、客観的蓋然性について、専門家たる医師の間においても見解の対立が深刻なことである。こうした情況で、医学の専門家ではない裁判所が経験則の取捨選択の名の下に一方の見解を医学的に正しいものと判断することが適切かどうかには疑問がある。また、未だ医学的に検証されていない仮説であっても、将来医学の進歩によって真偽が検証される可能性がありうる。もしも現段階の医学的知見をもとに、医学的見解が確立していないことを、高度の蓋然性がないとし、悉無的に判断するならば、現代医学の限界による不利益を原告らに負担させることになり、相当ではない。不法行為に関する法が、損害の公平な分担を目的としている以上、現代医学の限界による不利益は、確率的判断をもとに両当事者間に公平に分配されるべきである。

第三に、本件における因果関係については、複数の原因の競合という要素も考えられることである。本件で被告らが責任を負う可能性があるのは、本件患者が被告チッソの水俣工場からの排水によってメチル水銀に汚染された魚介類を摂取して水俣病に罹患した場合に限られる。ところが、本件患者の有機水銀曝露の終了(汚染地域からの転出)から既に長い年月が経過しているのであり、現在、本件患者に存する症候がすべて被告チッソ水俣工場の排水に原因があるといえるかどうかは疑わしく、むしろ、右の長い年月の間に、程度の差はあっても、他の原因が競合した可能性があると考える方が科学的である。また、水俣病は、メチル水銀に汚染された魚介類を摂取した不特定多数の者に発現した中毒症であるから、既に他の疾患に罹患していた者が水俣病を併発した場合も考えられ、その疾患が水俣病と類似の症候を呈するものであるときには、当該患者の症候については原因の競合があることになる。本件は、複数の原因のうち、被告チッソ水俣工場排水に起因する症候を量定する操作が必要な場合であり、この見地からも確率的判断を要する場合であるといえる。

したがって、第五章で本件患者ごとに因果関係を判断する際に、後記のとおり、因果関係を確率的に判断することがある。

第二  病像に関する判断

一  総説

被告らは、水俣病の病像について、少なくとも五二年判断条件を満たしていないような者が水俣病である可能性は低いとし、水俣病に罹患しているというためには、右五二年判断条件を満たすことが必要であるとする。これに対して、原告らは、被告らが主張する病像は狭きに失するとし、前記(第三章第一)のようなより広い病像を主張しているが、五二年判断条件で必要とされる症候を持つ者を水俣病と判断すること自体は争っていない。そこで、原告らが、被告ら主張の診断基準よりも広いと主張している部分について、原告ら主張の診断基準を以て水俣病かどうかの診断基準とすることが妥当かどうか、すなわち、当事者双方が主張する医学的経験則の持つ客観的蓋然性を検討する(以下、全体につき、証人三嶋功及び同原田正純の証言)。

二  疫学的条件の評価

1 水俣病が被告チッソ水俣工場の排水によって汚染された魚介類を摂取することによって生じたメチル水銀中毒症であることは当事者間に争いがない。そこで、患者が水俣病に罹患しているといえるためには、メチル水銀に曝露されたことが必要である。メチル水銀曝露歴のことを、原告らは「疫学的条件」といい、被告らは「疫学条件」というが、これらの間に有意な差は認められないから、以下、これらは同じ意味のものとして用いる。ところで、原告らは、疫学的条件を「水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素」であるとするが、被告らは、水俣病と診断するための必要条件として位置づけている。

前記のとおり、水俣病に罹患しているというためには、メチル水銀に暴露された事実がなければならない。しかし、疫学的条件を「水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素」であるとまで重視する医学的見解は存しない。また、水俣湾及びその周辺海域の魚介類を摂食したからといって必ずしも水俣病に罹患するわけではないことは中毒学において一般に認められている(乙第一一一七号証の一)から、疫学的条件のみを重視し、臨床症状が乏しいことを補う効果まで認めることはできない。したがって、水俣病に罹患しているといえるためには、疫学的条件が必要だが、疫学的条件があれば水俣病に罹患していると判断するのに十分であるというわけではない。

2 次に、メチル水銀曝露歴という事実の認定について、原告らが、「各原告についての水俣病か否かの個別的因果関係の証明に困難がある場合でも、損害の公平な分担を本旨とする損害賠償請求訴訟においては、原告の立証責任は軽減され、有機水銀への曝露(いわゆる疫学的条件)が状況証拠の積み重ねにより、相当程度の確からしさで証明され、かつ、特定の症状の組み合わせがなくても有機水銀によって発症しうる症状が見られれば、水俣病と事実上推定できる」と主張するのに対し、被告らは、「疫学条件は、現時点においては、基本的に当事者の曖昧な記憶に頼るほかはなく、その客観性には自ずと限界がある」と指摘する。

公害訴訟や医療過誤訴訟において、一般的に証明度の軽減を認めることができないことは、本章第一に述べたとおりである。しかし、立証命題であるメチル水銀曝露の事実は、既に遠い過去のものとなってしまった上、原告らが主張するメチル水銀曝露の経路は、魚介類の摂食であり、日常の食生活の中で、通常人が摂食の時期、期間、量、漁獲された場所、魚介類の生息場所、魚種等についての具体的な証拠を残すことは期待できず、これらの事実を詳細かつ具体的に認定することのできる事例は希有であると考えられる。また、本件患者について水俣周辺地域居住時の毛髪水銀量の測定結果はなく、そのことについて原告ら又は本件患者に帰責事由はない。結局、本件のような事案では、メチル水銀曝露の事実について、通常の社会人に、事実を解明する度合いの高い、具体的事実を認定するに足る証拠方法を提出することを期待できないし、他方、メチル水銀曝露の事実を争う側にも、当該事実の単純否認を超えて有力な反対の証拠方法を提出するだけの立証活動を期待できないのであるから、状況証拠により事実を推認する間接立証の方法により得られた心証で事実を認定するほかはないものと考える。メチル水銀によって汚染された海域の近傍に居住していた事実が認められるならば、その海域で漁獲された魚介類を、少なくともその当時、その地域における平均摂取量程度は摂食したであろうと推認でき、少なくとも当該海域の魚介類のメチル水銀平均含有量程度のメチル水銀に曝露されたことが推認できる。また、同居の家族や家畜が水俣病に罹患していれば、少なくとも同居期間中は、食品の入手経路を同じくし、同程度の魚介類を摂食していたであろうと推認できる。そして、メチル水銀曝露の事実が水俣病の診断においては、水俣病と診断するための必要条件であることに鑑みれば、右事実の立証は前記のようなものでも満足せざるを得ない。

したがって、原告ら主張のように、疫学的条件のみを重視することも妥当でないが、さりとて、被告らが要求する事項まで詳細かつ具体的に立証できなければ証明度に達しないとすることもできないといわなければならない。第五章において、メチル水銀曝露の事実に関しては、右のような見地から、本件患者ごとに検討する。

三  感覚障害のみを呈する水俣病の有無

原告らは、知覚障害があるだけで水俣病であると主張する。しかし、被告らは、ハンター・ラッセル症候群といわれる主要症候の全てを呈する典型的な水俣病のほかに、そのうちのいくつかの症候しか呈さない、いわゆる不全型とよばれる水俣病が存在することは認めるが、感覚障害があるということだけで水俣病であると高度の蓋然性をもっていうことはできず、少なくとも五二年判断条件に示す症候があることを要すると主張する。そこで、感覚障害が認められただけで水俣病であると判断できるかどうかを、原告らの挙げる根拠ごとに検討する。

1 まず、「末梢性知覚障害のみ認められ、それ以外の症状が確定的に捉えられなかったり、知覚障害もその他の症状も確定的に捉えられなかったりしても水俣病と認定された症例がある」という点についてである。

甲B第六号証、同一六号証、同七号証の三、同八号証の二では、水俣病と認定された患者で、それぞれの文書記載の検診時に感覚障害のみを示していた者があることが認められる。しかし、甲B第六号証表4にいう水俣病と認定された患者の症状の存否・内容については、「村山の資料による。昭和四〇年の症状。」と記載されており、感覚障害のみで水俣病と認定された患者かどうかは同号証からは不明であり、認定患者で当該感覚障害のみを示した者は、同表の四四名中三名に過ぎない。甲B第一六号証表9のB10に記載された患者は、新潟水俣病の公害被害者認定審査会の審査当時の主要症候が感覚障害のみで認定された例であるが、同表に掲げる二三名中唯一の例である。同八号証の二によれば、水俣病と認定されていた患者を昭和四七年から同四八年にかけて調査した結果、三一一名中二名は感覚障害のみであったことが認められる。また、甲B第七号証の三及び同八号証の二では、感覚障害のみを呈する患者を水俣病の疑いがあるとするに止まる。

甲B第一二〇号証の症例一一は、認定審査会では感覚障害のみ証明され、その後解剖で水俣病病変があった例である。しかし、同号証によれば、右症例の患者は、審査会の診察の約三年前の中等度の視野狭窄及び聴覚障害、協調運動拙劣等の症状が見られたことが認められ、同号証でも一時水俣病の症状が出現していたとしており、一旦現れた症状が改善した事例である可能性を示唆しており、同号証は、臨床病理を検討する上で感覚障害のみの場合を検討していない。

新潟水俣病では、毛髪水銀値40.0ないし59.9ppmを示し、新潟大学脳研究所神経内科を受診する者の中に感覚障害のみの例は、四四名中七名あった(甲B第七四号証の四)。また、椿忠雄氏は、毛髪水銀値が二〇〇ppmを超える場合は感覚障害のみで水俣病と認められるが、水銀量が余り高くない場合、感覚障害プラス何かそれを支持する所見があればいい、すなわち、症候組合せ方式になると考えていた(乙第一〇一九号証)。したがって、新潟水俣病では、毛髪水銀値が二〇〇ppmを超える場合には、感覚障害のみで水俣病と認められるという基準があったと認められる。甲B第六三号証で、椿氏は、有機水銀中毒症と診断した「症例の中には、知覚障害のみのものも含まれている」と答えているが、毛髪中水銀量等も考慮した上での結論であることが認められ、同氏が述べた右基準も考慮すると、同氏が毛髪水銀値が不明の場合であっても知覚障害だけで水俣病と診断できると主張しているとは認められない。

ところで、原田正純氏は、「一定の疫学的条件が揃い、特徴のある手袋足袋様の感覚障害があれば最低限、有機水銀の影響と考えられる・・(中略)・・たとえ、感覚障害だけと言われる患者も水俣病にみられるさまざまの自覚症状をもち、日常生活に程度の差はあるがさまざまな支障があるのである。いたずらに検診を複雑にすることなく、疫学条件があるのだから、特徴的な感覚障害が確認されたなら、これらの患者は水俣病として救済の枠に入れても医学的に差しつかえないと考えられる。」と主張する(甲B第一七号証)。しかし、感覚障害のみで水俣病と高度の蓋然性をもって判断できるとする医学的根拠の説明に乏しく、また、四肢末梢優位の感覚障害が水俣病によるかどうかの鑑別診断について言及していない。結局、同号証は、原田氏の提言ないし主張を述べたものと解される。

乙第一〇一七号証では、昭和六〇年一〇月一五日、水俣病の判断条件に関する医学専門家会議が、「四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症候が水俣病であると判断することは医学的には無理がある」との結論を出している。

2 次に、「水俣病においては、知覚障害が初発症状であることが多く、また、これが最後まで軽快し難い症状である。そうとすれば、知覚障害のみの段階に止まっている水俣病又は知覚障害のみが残存しても何も不思議はない。」と主張する点である。

(一) まず、宮川太平氏は、水銀の「摂取量がある一定量以下であれば四肢末端や口周のしびれ感、知覚鈍麻のみを訴えるものから、摂取量が増加するにつれて運動失調、求心性視野狭窄、さらに精神症状の加わったものなど多種多様であろうと考えられる」としている(甲B第一一二号証)。

しかし、同氏が根拠とするのはラットを用いた実験と二〇数年前に典型的な水俣病症状を示した患者の末梢神経の生検結果との比較であり、メチル水銀に対するヒトとラットの間における種差が考えられるから、右見解のみで末梢神経が先行的に障害されると考えることはできない。また、武内忠男氏は、「動物の実験的観察では、きわめて著明な末梢優位の病変がみられるが、人体の場合は依然として中枢優位で末梢に比較的軽度の病変をみる事実」があるとし(乙第一〇八三号)、黒岩義五郎氏らは「患者の下肢遠位部の触―圧覚だけでなく痛覚の鈍麻についてもその責任病変が腓腹神経などの末梢神経に存在しない可能性が強く示唆される」とし(乙第一〇八四号証)、徳臣晴比古氏は、脳波の一種である短潜期SEPを調べた結果、水俣病において「感覚障害の節制期限として中枢性要因を示唆する」としており(乙第一〇八六号証)、いずれも末梢神経が先行的に障害されるとの点には否定的である。さらに、衛藤光明氏は、末梢神経の方が障害されやすいのではなく、染色方法の違いから末梢神経の方が顕微鏡下での所見がわかりやすいのであって、末梢神経のみが障害されている例は病理的に水俣病と診断できず、そのようなことを主張している病理学者はいない旨説明している(乙第一一三八号証)。

(二) 次に、甲B第二一号証において、バキル氏らは、異常知覚については、運動失調症、構語障害、聾、死亡の各閾値よりも低く、異常知覚の閾値である水銀量二五ないし四〇ミリグラムは、日本でのデータからスエーデンの専門委員会が計算した閾値三〇ミリグラムと極めてよく一致しているとする。

しかし、同号証は、阪南中央病院水俣病研究会の翻訳に係るものであり、そこにいう異常知覚が感覚障害と同義であるかどうかは原典の解釈の問題も関係し、この点に関する増強証拠はないので、感覚障害の閾値がその他の症候の場合よりも低いかどうかは不明である。また、乙第一一三六号証では、「感覚障害」という語を使わずに、「主観的な訴えであるパレステジアは、日本の中毒事件において曝露をうけた患者では持続的な症状であったが、イラクの事件では多くの症例でパレステジアは一時的であった。この違いが生ずる理由は不明である。」としている。さらに、ラスタム氏らは、バキル氏と同じイラクの水銀中毒事件について、軽症患者で高い血液中水銀値の者があり、これらの者は軽い運動失調あるいは軽度の知覚障害を持っていたと報告し、「血液中水銀レベルと重症度の関係は、家族による感受性の差では説明できない。水銀に対する感受性の個体差が決定因子である可能性はある。」と結論づけている(乙第一〇八六号証)。この違いについて、椿忠雄氏は、バキル氏らの報告とラスタム氏らの報告の「解離の理由は不明であるが、知覚障害が絶対的に多いということではなさそうである。またRustamの用いた症例の血中水銀量は相当に高値のものが多いので、知覚障害が軽症のために見られなかった訳ではない。」とする。

(三) そして、原告らは、感覚障害が最後まで軽快し難い症状であると主張するが、乙第一一三七号証で、マーシュ氏は、「イラクの例では、明らかに症状が一定期間後に消えた」とし、感覚障害が「実際イラクでは治った」とした上で、「マイルドなケースでは細胞レベルで変化があっても構造的変化は起きない。恐らく化学的変化です。もしそれが起りうるすべてであるなら、症状が回復することは合理的です。私の意見ですが、もし他の症状や徴候がないなら、感覚障害が永久に持続すると考えることはむつかしい。一般に、重症であればあるほど、徴候も永続的です。」と述べている。徳臣晴比古氏らは、一〇年間にわたり、反復検査した水俣病患者について、「いったん現れた中枢神経症状は、一部の軽快はあるものの容易に消退せず残存することを示している」とし、「以上より、水俣病の診断は、個々の症状のみにてなされるべきでなく、症状の組み合わせが最も重要であり、また高血圧、糖尿は水銀汚染の根拠にはなり得ない」との結論を導いている(乙第一〇八七号証)。したがって、感覚障害以外の症候が消失し、感覚障害のみが残存するとの医学的知見が存在するとは認められない。

3 そして、「現実に住民検診をした結果においても、被汚染地区に知覚障害のみを訴える住民が認められる。」という点についてである。

原田正純氏は、福浦、湯の口地区住民検診を行った結果、感覚障害に関しては申請、未申請に関係なく全住民の六割以上(65.5パーセント)という高率にみられているという(甲B第一七号証)。

しかし、一般に老年者のかなりの率で知覚障害があり(乙第一〇五一号証)、非汚染地区の五〇歳以上の老人一一三人を対象として検診を行った結果、異常感覚を訴えた者が二二パーセントあったが、その異常感覚は一例を除きいずれも四肢末端のもので、実際に感覚障害が証明されたのは一〇例(一一パーセント)であり、部位は様々であったことが報告されている(乙第一〇五五号証)。また、乙第一一三九号証によれば、四肢末梢の感覚障害を呈する者は水俣地区で15.6パーセント(九二八人中一四五人)、対照たる有明地区で3.2パーセント(九〇四人中二九人)を占めているが、水俣地区において水俣病が疑われた二五一人中で感覚障害のみを呈する者はわずか二二人(2.3パーセント)にすぎないことが認められる。さらに、乙第一〇八一号証の二によれば、桂島においては感覚障害のみを呈する例はなく、感覚障害を呈している例はすべて運動失調や視野狭窄を併発していることが認められる。

4 さらに、「四肢末端ほど強くなる感覚障害は、水俣病に限って見られるものではなく、他の多くの疾患によっても生ずるが、そのような他の疾患との鑑別は容易である。検診によって知覚障害のみと診断された患者たちも、頭痛、疲れやすい、動作がぎこちない、日常生活(料理、漁、歩行、ボタンかけ等)がうまく行えないなどの診断が難しい不調を訴え、消化器、循環器にも原因不明の不調を感じているのが現実である。これら諸症状が有機水銀に起因するものとの確定的証明は難しいが、特徴的知覚障害との合併の多いことは、これらの症状についても有機水銀との関連を推定させる。」とする点である。

しかし、乙第一〇〇八号証、同一〇四八号証及び同一一二四号証の六の二によれば、四肢の遠位部優位の知覚障害は、ほとんど全ての多発性神経障害の場合に認められ、中枢神経障害の場合にも認められることがあり、また、多発性神経障害の原因は非常に多くのものが考えられ、原因不明のものも少なくないことが認められる。したがって、四肢末端優位の感覚障害は、水俣病に特異的(特徴的)な症候ということはできず、それがあるというだけでは、高度の蓋然性をもって水俣病であるということはできない。そのため、水俣病以外の原因疾患との鑑別診断が必要である。その鑑別が容易かどうかは、鑑別を行う医師の主観の問題であり、どれだけ鑑別ができているかは、各患者ごとに判断すべき問題である。また、原告らの主張する右の自覚症状は、感覚障害そのものではなく、これらの自覚症状が併存することから水俣病であることが推認できるとする医学的知見(経験則)が存在すると認めるに足りる証拠はない。

5 判断

以上検討したところからすると、感覚障害のみを呈する患者については、現時点の医学的知見では、それが水俣病である可能性ないし疑いは否定できないにしても、例外的なものといえる。また、四肢末端ほど強くなる感覚障害は水俣病に特異的とはいえないから、「メチル水銀曝露が認められる患者に四肢末端ほど強くなる感覚障害が認められるだけで、水俣病と判断できる」という命題の客観的蓋然性は低い。したがって、四肢末端ほど強い感覚障害があるという前提事実が認められるだけで水俣病であると判断する経験則は認められない。ただし、四肢末端ほど強い感覚障害は水俣病の主要症候の一つであり、他の症候が認められるならば水俣病と診断できる場合もあるし四肢末端ほど強い感覚障害しか認められなかった場合でも、医学的可能性として水俣病が考えられるならば、本件患者に対する判断においてその可能性の程度を考慮に入れることはできる。

四  慢性(遅発性)水俣病

1 遅発性水俣病

白川健一氏は、新潟水俣病においては、慢性水俣病の一つとして遅発性水俣病が存在すると主張する(甲B第一六号証、同七一号証)。同氏のいう遅発性水俣病とは、新潟水俣病発生の昭和四〇年当時は全く自覚及び他覚症状がなかったもの、あるいは、全身倦怠感、頭痛、眩暈、筋痛、関節痛等の訴えのみで他覚的所見のなかったものに、新たなメチル水銀の侵入がないにもかかわらず、数年の経過で他覚的に捉えられる水俣病症状が明らかになったものをいう。新潟水俣病では、昭和四〇年六月に川魚摂食禁止があったが、その後においてむしろ多数発症している。同氏は、毛髪水銀量五〇ppm以上の者について調査した結果をもとに、一〇年近く経過してもなお早期の体内蓄積水銀量に対応する水銀量が残留していることを確認し、組織内に長期間残留する水銀が遅発性水俣病発症の重要な因子で、これによる緩徐な病変の進行が遅発性水俣病という発症形式をとったと考えている。

武内忠男氏は、メチル水銀中毒症の発症には、急性、亜急性と慢性発症があり、急性と亜急性は毒物摂取曝露期間が短く、約三か月以内が多く、慢性はそれ以上の年をもって数える期間が多いとする(甲B第一三八号証)。同氏は、水俣病の慢性発症には、摂取量が比較的少量であるため中毒症状発現までに蓄積期間(潜伏期)が必要で、それが長引くほど発症が緩徐で、稀に慢性発症で重症となるが、多くの場合、水俣病そのものは軽く、魚介類を介しての中毒では、むしろ慢性発症が多いと考えている。また、同氏は、慢性水俣病を、急性及び亜急性発症水俣病が後遺症を残して長期にわたり経過したもので、しかもメチル水銀汚染地域居住により加重しているもの、遅発性水俣病、加齢性遅発性水俣病、狭義の慢性水俣病に分類し、狭義の慢性水俣病については、魚介類中に含まれるメチル水銀の摂取量が比較的少なく、そのため長期間にわたって摂取するうちに脳内に一定量以上の水銀蓄積を来し、発症値(一ppm)に達した場合、その時点から症状が現れはじめ、蓄積を増すにつれて症状も増加し、水俣病症候群を示すようになる例であるとする。さらに、同氏らの研究によって、人体の脳には、他の臓器に比べてメチル水銀が入りにくいが一旦入ると排出されにくい特徴があることが示されており、慢性発症を基礎づける(甲B第七四号証の二、同一三九号証)。

井形昭弘氏らも鹿児島県の汚染地区における患者の検診をもとに遅発性水俣病の存在を肯定している(甲B第一四六号証)。

これに対して、被告らは、生物学的半減期が約七〇日であること(乙第一〇〇五号証、同一一三六号証)から、メチル水銀の取り込みが終了してから相当期間経過後に感覚障害が出現することは中毒学の常識に反するとし、遅発性水俣病は存在しないとする。

しかし、水俣病では脳における水銀値が重要であり(甲B第一三九号証)、動物実験からの諸臓器生物学的半減期が常に同様に妥当するとは考えにくい。乙第一一三六号証は、メチル水銀(あるいはメチル水銀が分解して生じた無機水銀)がゆっくりと脳に蓄積することでは説明できないとするが、この理由について言及しておらず、結論としては潜伏期が長い原因はわかっていないとするのであり、メチル水銀は、人体の脳に、他の臓器に比べて入りにくいが一旦入ると排出されにくい性質があることを覆すに足るものではない。

また、前記の遅発性水俣病を肯定する見解には、その根拠として長期微量汚染の可能性を挙げているものがある(甲B第七一号証)。しかし、乙第一〇六一号証によれば、マグロ、メカジキ等の海洋産大型魚類には比較的高濃度(平均0.252ppm)のメチル水銀が含まれているが、これらの魚類を持続して多量に摂取した者、たとえば、マグロ漁船員に水俣病類似の症候が認められたとの報告は存在しないことが認められる。したがって、右のような反証もあるから、長期微量汚染が遅発性水俣病の原因の一つであるとすることには疑いが残り、長期微量汚染で遅発性水俣病を根拠づけられるとは認められない。

しかしながら、右のとおり証拠を検討した結果、臨床医学の経験、特に新潟水俣病における症例、遅発性となる機序の医学的説明も一応できること等に鑑みれば、少なくとも新潟水俣病で確認されたような類型の遅発性水俣病が存在すると認めることができる。したがって、メチル水銀曝露終了後、相当期間経過後に水俣病の症状が発生し始め、その後水俣病症候群を呈するに至った患者については、単に遅発性であるとの理由で水俣病であることを否定することはできない。メチル水銀中毒においても発症までの潜伏期間が考えられることになる。

なお、遅発性水俣病が存在することは、必ずしも感覚障害のみの水俣病とは結びつかない。前記のように遅発性水俣病は、症状の初発時期はメチル水銀曝露中止後潜伏期間を経過した後であるが、その後最終的には水俣病の症候を揃えるに至る場合であるからである。前記一において認定したように、感覚障害のみが先行したり、それが最後まで残存したりする医学的可能性は乏しいから、遅発性水俣病において、感覚障害のみで症状の進行が止まるとは考えられないからである。

ところで、前記武内氏の分類による加齢性遅発性水俣病は、老化現象の一つとして脳皮質神経細胞の消耗減数があり、メチル水銀中毒でもその脱落現象があるが、それはある程度の好発部位がある結果、中毒で特定部位の神経細胞の脱落減数があって、それが軽いために症状が現れなかったのに、老化現象の始まる時期に加齢による神経細胞の脱落が加重して水俣病症状が発現するものである。したがって、症状の発生、拡大に加齢という因子が影響している事例であり、加齢という因子による症候については被告らの行為と本件患者の被害との間の因果関係がないことになる。そのため、加齢性遅発性水俣病と認められた患者については、加齢という要素を考慮した上で因果関係を確率的に判断することがある。

2 いわゆる全身病説

白木博次氏は、病理学的及び実験医学的根拠に基づいて、メチル水銀の影響が神経系のみならず、全身臓器に及ぶもので、水俣病は単なる神経疾患としてではなく、「全身病」として捉えるべきであり、とりわけ、血管系については、メチル水銀が血管に直接作用するとする一次的効果、あるいは高血圧、糖尿病等を来すことによる二次的効果によって動脈硬化症が促進され、それに伴う合併症までが水俣病の範囲に含まれるとの見解を述べている(甲B第四三号証)。

しかし、甲B第四三号証は、白木氏が水俣病患者を自ら解剖した経験に基づくものではない。また、水俣病患者の一般臓器に病変はなく、メチル水銀中毒そのもので動脈硬化症が起こるとは考えられないとの見解もある(乙第一〇九〇号証)。したがって、いわゆる全身病説は、いまだ検証の十分でない仮説の域を出ないものと評価せざるを得ず、全身病説に従った病像によって判断して水俣病である高度の蓋然性があるとは認められない。

3 潜伏性水俣病

原田正純氏は、初期の水俣病認定患者の症状を基にして定型化された病像も時の経過とともに症状に変化が見られ、水俣病の臨床症状の推移を見ると、非典型例や軽症例等様々な病型が水俣病として存在する可能性があるとする(甲B第一三号証、同四号証、同六号証)。この見解は、症状の揃った水俣病であっても、一〇余年の経過の中で症状の遷移が見られ、次第に非典型化していくことから、最初から、このような非典型例や軽症例が存在している可能性があり、水俣病発症地区住民に今なお多数の神経精神症状を持つ患者が多数存在することから、急性・亜急性の典型的症例の底辺には、ごく軽度のものから非典型まで含め多数の患者が存在するはずであり、また、医学的な水俣病の概念は、メチル水銀によって人体が影響を受けた全ての障害の総称であるべきで、認定された水俣病とは異なる概念であるとする。また、慢性水俣病の臨床特徴は、ハンターラッセル型(失調型)、多発神経炎型(末梢神経型)、筋萎縮型、脳血管障害型(卒中発作型)、痴呆型、脊髄障害型、その他(パーキンソニズム型)があると分類している。

しかし、前記のとおり検討した結果を踏まえると、同氏の見解が従来の考え方に対する問題提起をし、いくつかの医学的可能性を指摘した推論に止まると考えられる。まず、同氏が「非典型例や軽症例等様々な病型が水俣病として存在する可能性がある」と指摘する点は、従来の見解に対する問題提起としては重要なものを含んでいるが、一つの可能性の指摘であり、なぜ非典型例や軽症例でも水俣病、すなわち、チッソ水俣工場の排水を原因として生じたメチル水銀中毒症であると高度の蓋然性をもっていえるかという点についての論証は十分でない。本章で問題となっているのは、いかなる症候が認められれば、高度の蓋然性をもって水俣病といえるかであり、一定の症候という前提事実が認められた場合に「水俣病である」という命題を推認させる医学的経験則が持つ客観的蓋然性の優劣が検討されなければならない。「医学的な水俣病の概念は、メチル水銀によって人体が影響を受けた全ての障害の総称であるべきで、認定された水俣病とは異なる概念である」とすることは、結局、高度の蓋然性がなくても水俣病と認定すべきであるという政策論に過ぎない。

しかしながら、当裁判所は、本章第一においても述べたように、因果関係を確率的に認定することは可能だと考えるので、原田氏の見解は、水俣病である可能性を指摘したものとして、確率的に因果関係を認定する上で考慮する要素とはなりうる。

五  水俣病の主要症候

1 感覚障害

原告らは、水俣病において、知覚障害が高率に認められるが、それが認められない症例もあり、また、四肢末端ほど強い感覚障害に限らず、中枢性(半身性)、脊髄性(下半身)、全身性等もあると主張する。

ここで、四肢末端ほど強い感覚障害が認められる者のみを水俣病と認定するという基準を採用した状況下では、認定患者とそうでない者における感覚障害の出現率を比較するのは意味がない。

乙第一〇九九号証、同一〇二四号証、同一〇二五号証、同一〇二六号証及び甲B第八四号証によれば、メチル水銀は、体内の諸臓器をくまなく障害するのではなく、神経系の特定部位を強く侵す選択性があり、大脳頭頂葉中心後回領域及び末梢神経の障害が感覚障害を引き起こすことが病理的知見によって裏付けられている。しかし、メチル水銀が、感覚障害を生じさせずに他の症候を生じさせることや中枢性(半身性)、脊髄性(下半身)、全身性等の感覚障害を引き起こすこともあるという病理的知見が存在すると認めるに足りる証拠はない。

口周囲又は舌尖部にみられることもある。両側対称性の四肢末端ほど強い感覚障害があるときに、水俣病の主要症候としての感覚障害があるといえるのであり、右以外の感覚障害がある場合や感覚障害の認められない場合には、水俣病である高度の蓋然性を基礎づけることにはならず、各患者ごとに総合的に検討した上で水俣病である可能性が考えられるに過ぎない。

2 求心性視野狭窄

原告らは、求心性視野狭窄が水俣病に特異的な症状であり、他の中毒疾患を除外できるならば、求心性視野狭窄のみで水俣病と認めて差し支えないと主張する。

しかし、乙第一〇五三号証、同一〇五四号証及び証人向野和雄の証言によれば、求心性視野狭窄を来す疾患には、網膜色素変性症、緑内障、視野神経炎の不完全視神経萎縮、視神経交叉のクモ膜炎、視放線又は視中枢の両側性血管障害、頭部外傷後遺症、前頭葉腫瘍、心因性又は疲労による視野狭窄等があることが認められる。したがって、求心性視野狭窄が水俣病に特異的な症状であるとは認められない。

次に、甲B第二三四号証、同二三二号証及び同一二五号証によれば、水俣病の求心性視野狭窄は、精密に検査すれば、可視部視野の境界がギザギザになるのであり、ゴールドマン視野計の最小視標で静的に測定してみると、視標点滅を何回やっても見えない点(まびき脱落暗点)が確定水俣病のうち視野狭窄のある者のうち七七パーセントにあったことが認められる。したがって、求心性視野狭窄が認められる場合には、可視部視野の境界がギザギザでまびき脱落暗点が認められても水俣病であると判断するのを妨げないと考えられる。

また、原告らは視野の沈下のみが認められる場合があると主張する。確かに、甲B第一二五号証に、「視野狭窄が著明でない例に、視野の沈下のみが認められることがある。たとえば、水俣病又はその疑いとされた五三例中、視野狭窄例三二例に対し、沈下のみを示したものが一一例あった」との記載がある。しかし、これは、母集団に水俣病の疑いに過ぎない者を含んでおり、水俣病の症候の一つとして視野の沈下が単独で起こるとの意味ではないし、証人向野和雄は、「沈下のみということは考えがたくて、やはり両者が一つになって沈下と狭窄がともに起こってくる」と証言しており、水俣病で視野狭窄がなく、視野の沈下だけが起こる場合があると認めるに足りる証拠はない。したがって、視野狭窄があるかどうかが水俣病であるかどうかの判断基準の一つであり、視野狭窄がなく、視野の沈下しか認められない場合に水俣病であると判断することはできないが、視野狭窄に視野の沈下を伴っているというだけでは、水俣病の症候の一つである視野狭窄があることを否定することにはならない。

そして、原告らは、「水俣病の視野としてらせん状視野が現れることがあり、年月の経過とともに、視野の変動もあり得る」と主張する。

甲B第一三五号証によれば、水俣病と認定された患者で、視野を継続的に測定することのできた一九例のうち、視野狭窄が改善している例が九例あり、症度が改善しても視野狭窄の改善をみない例や症度が不変でありながら視野狭窄が増悪をみた例があったことが認められる。しかし、同号証は、Foer-ster氏視野計だけでなされた検査結果によるもので、患者の自覚のみに依存せざるをえない視野検査法の限界が原因であることを示唆し、視野狭窄の変動の機序は未解明だとする。また、同号証の調査対象は昭和四四年までの患者であり、転居等により有機水銀曝露の中止があった患者についても直ちにあてはまるものとはいい難い。乙第一〇四四号証によれば、視野の変動ないし動揺があっても、新潟水俣病の事件発生から三ないし四年で納まり、五年後から症状固定の傾向があり、毒物の摂取が全くなくなってから七ないし八年後に短期間に悪化することも考え難いと認められる。したがって、右の範囲で視野に変動がみられても、視野狭窄があると診断された場合には水俣病の症候の一つがあると判断することを妨げるものではないが、有機水銀曝露の中止から七ないし八年後に短期間に悪化することはないといわなければならない。

らせん状視野については、甲B第二三四号証においてらせん状視野が現れたとの報告があるが、同号証は「疲労現象がしばしば現れる。・・(中略)・・このような場合、心因の分析とヒステリー状態でないときの視野について検討する必要がある」としているのであって、水俣病の症候の一つとしてらせん状視野が現れるとの意味ではない。また、乙第一〇四四号証でも、らせん状狭窄は「被検者の疲労に留意せずに強制すると起こるもので、わずかの休息をくり返して測定すると再現性のよいイソプターが得られることが多い。また日により被検者が著しい易労性を訴えることがあり、そのときにこのような現象がおこるが他の日には全くおこらないという性格のものである。疲労がいかなる機構でおこってくるのか、これを分析する方法に乏しい。」とされており、水俣病の診断においてらせん状視野に注意すべき旨を述べたにすぎない。したがって、水俣病の症候の一つとしてらせん状視野が現れると認めるに足りる証拠はない。

3 運動失調

原告らは、水俣病に見られる運動失調は、主に小脳の障害に基づくものであるが、他の部位の障害に基づく失調も認められていると主張する。しかし、乙第一〇九九号証、同一〇二四号証、同一〇二五号証、同一〇二六号証及び甲B第八四号証によれば、メチル水銀は、体内の諸臓器をくまなく障害するのではなく、神経系の特定部位を強く侵す選択性があり、小脳の障害が小脳性運動失調を引き起こすことが病理的知見によって裏付けられている。原告らは、乙第一〇〇一号証、甲B第一二一号証及び同七二号証で、水俣病患者の中にある程度ロンベルグ徴候が見られることから水俣病の運動失調は小脳性に限らないとする。しかし、ロンベルグ試験が陽性であれば小脳性以外の障害を窺わせる(証人永松啓爾の証言)が、その小脳性以外の障害がメチル水銀中毒によることを裏付ける知見はなく、前記の病理的知見を覆すものではない。したがって、小脳性以外の障害があるから、それだけで水俣病ではないということもできないが、小脳性以外の障害があるから水俣病の症候の一つがあるということもできない。

また、原告らは、甲B第七三号証の二、甲B第一二〇号証等を挙げて、生前明らかな運動失調が認められながら、死後剖検により小脳の病変が認められないか、又は病変が軽かった症例があるとも主張する。しかし、解剖によって得られた病理所見と生前の臨床所見とが必ずしも一致しないことはしばしばあり(証人永松の証言)、右各号証は小脳の病変が小さい症例もあることを意味するに過ぎず、小脳性以外の障害がメチル水銀中毒によることを意味するとは限らない。さらに、原告らは、脊髄病変として軽症例、特に慢性発症経過例においても、後索、特にGoll索の変性がしばしば認められる(乙第一一一一号証)ことから、水俣病患者に脊髄後索性の障害があることを示しているとするが、右のように、必ずしも病理所見と臨床所見とは一致しないし、後索、特にGoll索の変性が脊髄後索性の障害に結びつくとの医学的実証に乏しいため、脊髄後索性の障害があることから水俣病であると推認する医学的経験則があるとは認められない。

したがって、小脳性以外の失調も水俣病の症候の一つであると認めるに足りる的確な証拠はない。

4 難聴

原告らは、水俣病における難聴は後迷路性難聴に限られるものではなく、むしろ内耳性難聴の方が多いとし、甲B第八九号証及び同九〇号証を挙げる。しかし、水俣病患者以外を対象にした場合に、難聴のある者の大多数は内耳性難聴である(乙第一一〇四号証)から、水俣病認定患者に内耳性難聴の者が多いのは当然であり、そのことから直ちに水俣病における難聴は内耳性難聴が多いとの結論を導くことはできない。

次に甲B第一三一号証では、慢性有機水銀中毒に見られる「聴力障害のパターンは必ずしも後迷路性とはいえず、内耳性難聴を示唆するものも少なくない」とする。しかし、同号証では、慢性有機水銀中毒では内耳性難聴が起こるとの結論を導いておらず、右の記述は、検査結果の考察過程での指摘に過ぎない。また、甲B第一三二号証は、ラットを用いた実験から、内耳有毛細胞の消失があるとの結果が見られたとしているが、結論としては、「内耳性病変も完全には否定できない」とするに止まっている。同九〇号証も、「内耳毛細胞の直接的障害も当然考えられるので、内耳の剖検による組織学的検索の結果をまちたい」と結んでいる。さらに、乙第一〇九九号証、同一〇二四号証、同一〇二五号証、同一〇二六号証及び甲B第八四号証によれば、メチル水銀は、体内の諸臓器をくまなく障害するのではなく、神経系の特定部位を強く侵す選択性があり、大脳側頭葉横回領域の障害が後迷路性難聴を引き起こすことが病理的知見によって裏付けられている。

したがって、水俣病による難聴は、後迷路性難聴に限られるものではなく、むしろ内耳性難聴の方が多いと認めるに足りる証拠はない。ただし、内耳性難聴がメチル水銀中毒によって起こる可能性を指摘する見解があることは認められるから、これを水俣病に罹患しているかどうかの可能性を判断する一要素とすることはできる。

5 剖検患者の場合

(一) 原告らは、水俣病の剖検例については、水俣病の臨床症状の発現には必ず病理学的根拠すなわち組織的障害が認められるというものではなく、逆に、水俣病の病理学的特徴が認められたからといって、必ず生前それに対応する臨床症状が認められていたというものではないし、また、有機水銀を摂取した人体には、必ず大脳、小脳及び末梢神経の三者に障害が認められるものではなく、これらの組織が障害されたときには、必ずこれに対応する臨床症状が認められるともいえないと主張する。しかし、原告らの主張は、一般論を指摘したに止まり、いかなる病理所見があれば、高度の蓋然性をもって水俣病であると判断できるかという問題に答えるものではない。

また、原告らは、病理検査において組織に水銀の残留が認められる場合は、汚染を受けたことが明らかであるから、その示す組織の異常を注意深く拾いあげ、既成の基準に当てはめて軽率に判断するのではなく、生前の臨床検診結果や本人の愁訴とも合わせて、総合的に障害の有無を判定すべきであると主張する。しかし、これも病理的診断において注意すべき事項ないし一般論に過ぎない。

(二) 乙第一〇四一号証によれば、成人水俣病の病理について以下のことが認められる。

大脳皮質について、大脳半球の後半に前半より比較的障害が強い傾向を示し、その中でも後頭葉鳥距野、中心回領域及び側頭葉の横側頭回領域は好発的に障害されやすい。

小脳については、新旧小脳に区別なく、小脳半球にも虫部にも全般的に障害がみられ、とくに顆粒細胞の脱落が顕著であるのに対し、プルキンエ細胞は保たれやすい点が極めて特徴的である。

大脳核、脳幹及び脊髄の病変は脳皮質病変に比して著しく軽い。

末梢神経では、脳中枢における変化に比べればその病変ははるかに軽度で形態学的に病変を捜しにくいが、注意深く検索すると、急性・亜急性例では髄鞘の変性や崩壊を認め、慢性経過例においても限局性脱髄所見や線維内血管の壁肥厚・細胞浸潤を認めることがあるので全く無障害とはいえない。

また、乙第一一五七号証によれば、武内忠男氏は、昭和五一年に新潟水俣病における動物実験や電子顕微鏡による人の末梢神経生検などの研究を検討した上で、「ここで判然といえることは、水俣病の病変の個々の所見を捕えてその特異性を決定することの困難さである。ここでも障害の全体像をみて始めて、その特異性がわかるといえよう。メチル水銀の特異的病変は、やはり中枢をみて始めて言えることであり、末梢神経では幾つかの特徴はあってもそれだけで特異性を物語るものはまだ見いだされておらずにいると考えるべきであろう。」としていることが認められる。さらに、同氏らは、昭和五三年に、新旧八三例の剖検例を基礎として、大脳皮質及び小脳の病変を第六度から第一度に分けて、最も軽い第一度の場合、大脳皮質については鳥距野、中心後回等の神経細胞の三〇パーセントの間引脱落がみられること、小脳については、顆粒細胞の減数がごくわずかで、深部小脳回の先端部に顆粒細胞の限局的消失があって、その部が瘢痕性収縮を示していること(小脳の尖頭瘢痕)とし、大脳皮質及び小脳に最低限度右記のとおりの特徴のある病変があり、それに加えて脊髄末梢神経の知覚線維優位の障害などが系統的に存在し、しかも脳基底核、脳幹に特記すべき所見がなく、脊髄後索に二次変性があるといった特徴的な障害パターンが出現することが水俣病の特徴であり、病理学的な水俣病の診断基準となることを明らかにしている(乙第一一一一号証、同一〇二四号証、証人衞藤光明の証言)。したがって、水俣病では、大脳、小脳、末梢神経に特徴的な障害パターンが出現することが水俣病の特異性であり、形態病理学的に他の疾患と鑑別する根拠となり得るとの病理学的診断基準があることが認められる。

(三) 原告らの提出した本件患者に関する証拠の中には、末梢神経障害が存在するだけで水俣病と診断できるとしているものがあるが(甲C第一四号証の二)、証人衞藤は、脳には、脳血液関門という血液と神経組織との間の関門があり、その関門によって、血液から送られてきたものを選択的に脳内へ取り込む仕組みになっているところ、有機水銀は無機水銀とは異なり容易にその関門を通過するため、有機水銀であるメチル水銀によって末梢神経が障害されたならば、メチル水銀が脳血液関門を通過して、大脳や小脳も障害されるはずであり、病理学的に、水俣病の場合、末梢神経だけの病変が生じて、大脳や小脳の病変が生じないというようなことはあり得ない旨証言しており、末梢神経障害が存在するだけで水俣病と診断できるとは認められない。

六  五二年判断条件と水俣病罹患の可能性

1 原告らは、五二年判断条件が、四六年事務次官通知とは趣旨が全く異なり、水俣病認定申請患者の増加、チッソ及び熊本県の財政等経済的な理由から水俣病認定患者を減少させる意図で作成されたものであると主張する。

まず、四六年事務次官通知と五二年判断条件について、当事者間に争いのない事実及び以下に摘示する各証拠によって認められる事実は次のとおりである。

昭和三一年に水俣病が公式発見されたが、徳臣晴比古氏らによってまとめられた患者の症状は、ハンター・ラッセルの報告した症状(乙第一〇六三号証の一、二、同一〇六四号証の一、二)と同様であり、ただ、表在感覚障害及び難聴が高頻度に出現していることが注目された(乙第一〇六五号証)。その後、いわゆるハンター・ラッセル症候群を中心として患者発掘が進められ、昭和三五年を最後に患者発生は終息したものと考えられるようになった(乙第一〇六六号証、甲B第一九号証の二)。昭和四〇年、新潟県阿賀野川周辺で新たな水俣病患者が確認され、椿忠雄氏らが、大規模な住民検診を行った。その際、「中毒にはごく軽症のものから定型的なものまで、いろいろの段階のものがありうる」との考えから、あらかじめ一定の診断基準を設けることなく、疑いのあるものを広くすくいあげ、その中から共通の症状を選び出し、これと並行して診断要項を設定するという手法を採った(乙第一〇六八号証)。その結果、患者とされた者の中にはハンター・ラッセル症候群のそろっている者は少なかったが、この椿博士らの診断は、間もなく医学界で承認されることとなった。その後、昭和四四年一二月に、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法が制定されたが、救済の対象として「水俣病」とのみ規定されていたことから、その範囲を明確にするために出されたのが、昭和四六年八月七日付環境事務次官通知(乙第一〇一三号証)、すなわち、四六年事務次官通知である。これにより水俣病の判断基準が示された。四六年事務次官通知は、前記椿氏らの研究成果を取り入れ、救済法の公害被害者の早期救済という趣旨を踏まえて、医学を基礎としながらも、できるだけ広く患者を救済することを目指して設定された。

しかし、四六年事務次官通知は、その表現において誤解を招きかねない点が存したことや、「有機水銀の影響によるものであることが否定し得ない場合」にも「影響が認められる場合に含む」としながら、右「否定し得ない場合」ということの意味を具体的に示していなかったことから、認定業務に支障を来す場合もあった(乙第一〇七五号証、第一〇五一号証)。昭和四八年一〇月、公害の健康被害の補償等に関する法律が制定された後も、四六年事務次官通知を参考として各地で認定業務が続けられていたが、審査会の委員からもより明確な基準設定を望む意見もあり、また、この間、多くの申請者について検診等を行い、水俣病に関する医学的知見も相当に集積してきたことから、昭和五〇年になって、環境庁は、四六年事務次官通知にいう前記「否定し得ない場合」というのは補償法の趣旨を踏まえて具体的にいかなる場合をいうのかという点の検討を各地の審査会の専門家に委嘱し(乙第一〇一六号証)、その成果に基づいて、昭和五二年七月一日付けで五二年判断条件(乙第一〇一五号証)が示されることになった。

その後、福岡高等裁判所の判決で、五二年判断条件は補償協定該当者を選別するための基準となっている旨判示されたことから、環境庁は、各地の審査会委員や我が国の代表的な医学者で構成する「水俣病の判断に関する医学専門家会議」を設置して、意見を求めたところ、「現時点では、現行の判断条件により判断するのが妥当である」との意見(乙第一〇一七号証)が得られた。

右認定の事実によれば、水俣病の認定業務において参考に供されている判断基準は、その時点での医学的知見を基礎として作成されたことが認められ、五二年判断条件は、四六年事務次官通知を具体化したものであり、認定要件を以前より厳格にしたとは認められない。

ところで、原告らの前記主張は、もともと四六年事務次官通知に示された判断基準が水俣病の可能性がわずかでもある限り、あるいは水俣病にみられる一症状でもあれば水俣病と認定すべきであるとしていると理解した上で、五二年判断条件を批判するものである。しかし、公害保健課長通知(乙第一〇一四号証)、当時の環境庁長官の国会での答弁(乙第一〇七五号証)及び当時の熊本県認定審査会副会長武内忠男氏の東京地方裁判所における証言(乙第一一二五号証)によれば、四六年事務次官通知の「いずれかの症状がある場合」とは、「水俣病であると診断できるような症状があれば」という意味であることが認められる。

以上によれば、五二年判断条件は、四六年事務次官通知を具体化したもので、水俣病認定申請患者の増加、チッソ及び熊本県の財政等経済的な理由から水俣病認定患者を減少させる意図で作成されたと認めることはできない。

2  前記認定事実によれば、五二年判断条件は、直接には公害の健康被害の補償等に関する法律における「水俣病」患者と認定できるかどうかの診断基準として作成されたものであるが、その作成過程においては、当時における医学的知見を基礎として作成されたことが認められる。また、原告らが主張する五二判断条件よりも広い病像は、前記一ないし五において検討したように、昭和五二年以降の医学的研究成果を斟酌しても、被告らが五二年判断条件を基礎にして主張する病像にとって代わるものではない。したがって、当裁判所が本件患者の水俣病罹患の有無を判断するにあたって依拠すべき病像は、遅発性水俣病の点を除き、水俣病の症候については、五二年判断条件によることになり、これを満たす患者については水俣病である高度の蓋然性があると考えられるが、これを満たさない患者については水俣病である高度の蓋然性まであるとはいえない。

しかし、本件では、各患者ごとの個別的因果関係の有無が問題となっているのであり、行政上の水俣病認定の可否が問題になっているわけではない。また、前記第一に判示したように、本件は、因果関係を確率的に認定できる場合であると考えられるから、五二年判断条件を満たさない患者について、直ちに請求棄却とするのではなく、高度の蓋然性はない場合であっても、証拠から認められる水俣病である可能性を量定して、それを損害賠償額に反映させるべきである。

第五章  水俣病罹患の有無(争点二に対する判断)

第一  除斥期間

一  除斥期間の主張

被告国及び県は、第三章第二の二2記載の者については、既に民法七二四条後段の除斥期間が経過しており、損害賠償請求権が消滅したと主張する。

ところで、最高裁判所(第一小法廷)平成元年一二月二一日判決・民集四三巻一二号二二〇九頁は、「民法七二四条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし、同条がその前段で三年の短期の時効について規定し、更に同条後段で二〇年の長期の時効を規定していると解することは、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず、むしろ同条前段の三年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが、同条後段の二〇年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。・・(中略)・・裁判所は、除斥期間の性質にかんがみ、本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても、右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり、したがって、被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は、主張自体失当であって採用の限りではない。」と判示している。

本件で、被告チッソは、明示的に除斥期間に関する主張をしていない。このことをもって、被告チッソは除斥期間経過による利益を黙示的に放棄したと考えられないではない。しかし、民法七二四条後段の法意を右判旨のように、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解すると消滅の効果は絶対的であり、除斥期間経過による利益の放棄(放棄によって一旦消滅した権利が復活する効果を生じさせること)はできないと解すべきであるし、民法一四六条は除斥期間には適用がないと解される。したがって、少なくとも、明示的に除斥期間経過の主張をしていないことをもって、除斥期間経過による利益を黙示的に放棄したと解することはできないといわなければならない。

したがって、本件において、被告チッソは明示的に除斥期間経過の主張をしていないが、右判旨に従い、被告チッソとの関係でも除斥期間が経過したかどうかを検討すべきである。

二  除斥期間の起算点

民法七二四条後段は、「不法行為ノ時」を除斥期間の起算点と定めている。これを加害行為がなされた時と解する見解があり、東京高等裁判所昭和五三年一二月一八日判決・訟務月報二五巻四号九五六頁は、「『不法行為ノ時』というのは、損害発生の原因をなす加害行為がなされた時をいい、さらに、右の『加害行為がなされた時』というのは、字義どおり加害行為が事実上なされた時と解すべきであり、当該加害行為のなされたことが被害者に認識された時、あるいは認識され得るような外部的表象を備えるに至った時と解すべきものではない。もっとも、『不法行為ノ時』をもって損害発生の原因をなす加害行為がなされた時と解すると、加害行為の時と当該行為による損害発生の時との間に時間的な間隔がある場合には、損害賠償請求権が未だ発生していないうちに二〇年の期間が進行を開始することとなるけれども、右の期間を前述のように除斥期間と解すれば、このことをもってあながち不合理ということはできない」と判示している。これに対し、不法行為の要件が充足された時と解する見解もあり、福島地方裁判所いわき支部平成二年二月二八日判決・判例時報一三四四号五三頁は、「不法行為ノ時」を加害行為がなされた時と解すると、「加害行為後長期間を経て初めて損害が顕在化するという場合には、被害者の救済に悖ること甚だしく、時には被害者が全く救済を受けられないという不当な事態さえ生ずることにもなる。・・(中略)・・『不法行為の構成要件が充足された時』、換言すれば『加害行為があり、しかもそれによる損害が発生した時』とする解釈をもって基本的に正当であるものとすべきことになろう。・・(中略)・・ここに『損害が発生した時』というのは、必ずしも損害の全部が確定していなければならないというわけではなく、損害の一部でも、それが発生していることが客観的に明らかになったことをもって足りる」と判示している。

当裁判所は、基本的に、民法七二四条後段が「不法行為ノ時」と定めている以上、客観的に不法行為の要件が充足された最初の時点を起算点とすべきものと考える。ただし、客観的に不法行為の要件が充足された最初の時点は、民法七二四条前段の「損害ヲ知リタル時」とは異なるから、被害者の認識に関係なく、あくまで客観的に損害の一部でも発生した時点をいうと解すべきである。右の時点は、事実認定において、明確な一時期を特定することが必ずしも容易であるとはいえないが、不法行為による損害は、通常、加害行為の止んだ時に既に発生し、又はそれと同時に発生する場合が多いと考えられるから、加害行為の終了時を「不法行為ノ時」と事実上推定し、加害行為の止んだ時から一定の時間が経過した後に損害が発生する場合であるという特段の事情がある場合には、加害行為の止んだ時点以降遅くとも被害者が損害を認識した時点までの間で、客観的に損害の一部でも発生したと推認できる時点を起算点とすべきである。被害者が損害を認識した時には、既に損害が発生しているのであり、客観的にはその時以前の損害が発生していたと経験則上考えられるからである。

三 本件においては、仮に被告らに不法行為が認められるとしても、本件患者らが水俣湾周辺地域から他の地域へ転居した時点をもって、被告三名いずれとの関係においても、加害行為が止んだと認められる。

原告らは、被告国及び県の不法行為の内容は不作為であるから、除斥期間の起算点は、不作為時ではなく、不作為が解消した時と解釈すべきであると主張する。しかし、不作為が不法行為となるのは、作為義務違反があるからであり、当該作為義務には、義務を負う相手方を観念することができ、原告らの主張する作為義務は、水俣湾周辺において魚介類を自家摂食するなどして摂取する者に対して負う義務ということができる。したがって、水俣湾周辺地域から転居した場合には、本件患者らは被告国及び県が作為義務を負う相手方ではなくなり、この時点をもって不作為が解消した時と解されるから、転居時が加害行為の止んだ時に該当する。

四 次に、原告らは、遅発性水俣病が存在し、水俣病にもいわゆる潜伏期間が考えられると主張しているから、加害行為の止んだ時から一定の時間が経過した後に損害が発生する場合であるという特段の事情を主張していることになる。潜伏期間のある病気に罹患することが不法行為の損害の内容である場合には、潜伏期間の間は、客観的にも損害が発生していないというべきであるから、加害行為の止んだ時から除斥期間が進行すると解するのは妥当でない。第四章において認定したとおり、新潟水俣病において認められるような遅発性水俣病が存在することは認められるから、本件は、加害行為の止んだ時から時間が経過した後に損害が発生する場合である可能性がある。また、被害者が損害を認識した時には、既に客観的に損害の一部が発生しているのであり、客観的に損害の一部でも発生した最初の時点は、被害者の認識時以前であると考えられる。そこで、このような場合には、加害行為の止んだ時点から、医学上考えられる潜伏期間を経た時点以後に、たとえ、被害者が損害を認識していなくても、除斥期間が進行すると解すべきである。

甲B第一四六号証によれば、遅発性水俣病は、汚染当時毛髪中に水銀値が高いにもかかわらず症状がない例が、二ないし三年たって発症した経験に基づいて指摘されたものであることが認められ、甲B第一三号証でも、遅発性水俣病の症状初発時期は、魚の摂食を止めてから一ないし二年後であるとする。また、甲B第四号証は、新潟水俣病に関する未発表の文献を引用して、初期に軽症で数年(多くは昭和三五年頃から四〇年にかけて)経たのち症状が増悪ないし発症した例は少なくないし、魚介摂取中止後一ないし四年後に次第に水俣病の症状がそろった例が確認されているとする。ところで、甲B第七三号証の四では、一〇年以上経ってから発症することもありうるとしているが、ここにいう発症は客観的に症状の現れた最初の時点を指すものではないと解され、県外移住者を継続的に毎年検診した結果による結論でもないと解されるから、右結論を全面的には信用することができない。

以上の証拠を総合考慮すれば、仮に、本件患者らが遅発性水俣病であったとしても、水俣湾周辺地域からの転居、すなわち、水俣湾内の魚介類の摂食中止から、遅くとも四年を経過した時点以後には、客観的に最初の損害が発生していたと推認されるから、その時点を除斥期間の起算点と考えるべきである。

五  本件患者のうち、左記の患者について、水俣湾周辺地域からの転居時期が左記のとおりであることは当事者間に争いがなく、各患者に対応する原告の訴訟提起日が左記のとおりであることは当裁判所に顕著である。

なお、転居時期については、年を以て特定する者と月を以て特定する者があるが、いずれについても当該年の一二月末日までには転居したことが認定できるから、その日を転居時期とする。

患者番号 患者氏名 汚染地域からの転居時期 訴訟提起日

一五 木下嘉吉 昭和二五年一二月昭和五七年一〇月二八日

一六 坂本伸一 昭和三一年八月右同

一七 坂本美代子 昭和三三年一〇月 右同

二四 田中ヤス子 昭和三四年 右同

三二 蓑田太丸 昭和三四年 右同

三三 芝シズエ 昭和三三年 右同

三四 蓑田信義 昭和三四年 右同

三九 坂口邦男 昭和三八年四月昭和五九年六月二一日

四一 井上光男 昭和三三年三月昭和六〇年五月二九日

四四 湯元スエ子 昭和三五年 右同

四五 天川旬平 昭和三〇年九月昭和六〇年一二月二〇日

四六 湯元篤 昭和二九年六月 右同

四七 湯元禮子 昭和二九年六月右同

四八 山口キシ 昭和三三年 昭和六〇年一〇月一四日

四九 一司スエ子 昭和三四年三月右同

五〇 山下ツタエ 昭和三六年六月右同

五一 荒木多賀雄 昭和三九年 昭和六三年二月八日

五二 鬼塚岩男 昭和三二年 右同

五三 面木学 昭和三七年 右同

五四 神園茂子 昭和三九年 右同

五六 坂口チサ子 昭和三九年 右同

五八 吉田信市 昭和三九年一一月右同

五九 若林カズエ 昭和三五年 右同

六 ところで、原告らは、水俣病の認定申請を訴え提起と同視すべきであると主張する。たしかに、除斥期間内に権利行使があったというためには、訴訟外の権利行使でもよいと考えられるが、除斥期間の経過により消滅すべき権利の行使でなければならないと解される。水俣病の認定申請は、被告チッソに対してなされたものとはいえないし、不法行為による損害賠償請求権の行使とも異なるから、被告チッソに対する関係で訴訟外で権利行使をしたとは認められない。また、被告国及び県に対する関係でも、水俣病の認定申請は、国家賠償を求めるものではなく、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法又は公害の健康被害の補償等に関する法律の適用を求めるものであるから、除斥期間の経過により消滅すべき権利の行使とはいえない。

七 右各患者の転居時期から四年を経過した時点を除斥期間の起算点とすると、木下嘉吉(患者番号一五)、坂本伸一(同一六)、井上光男(同四一)、湯元スエ子(同四四)、天川旬平(同四五)、湯元篤(同四六)、湯元禮子(同四七)、山口キシ(同四八)、一司スエ子(同四九)、鬼塚岩男(同五二)、面木学(同五三)、及び若林カズエ(同五九)については、除斥期間が経過しており、たとえ同患者らが水俣病に罹患していたとしても、民法七二四条後段により、被告ら三名との関係で損害賠償請求権は消滅している。

被告国及び県は、患者鬼塚光男(患者番号四〇)が胎児性水俣病罹患を主張しているため、出生日が起算日となると主張しているが、甲C第四〇号証の一によれば、同人は出生後も水俣湾周辺地域に住み、昭和三九年に大阪へ転居したことが認められるから、加害行為が止んだ時は、昭和三九年と認められる。したがって、同人については、未だ除斥期間が経過していない。

よって、除斥期間が経過したと認められる前記各患者に対応する本文冊末尾の別紙第四原告目録記載の原告らの請求はいずれも理由がない。なお、右の木下嘉吉、湯元禮子、山口キシ及び若林カズエ(いずれも死亡)の承継関係は、本文冊末尾の相続関係説明図(五)(一二)(一三)及び(一五)のとおりである。

第二  本件各患者における個別的因果関係

一  三浦・村田医師の診断の信用性

本件患者の症候は、三浦洋医師(以下「三浦医師」という。)及び村田三郎医師(以下「村田医師」という。)らによって把握され、原告らは検診報告書や診断意見書の形で証拠として提出する。しかし、被告らは三浦・村田医師の行った診断について医学的に誤っている部分があるなどと主張する。したがって、三浦・村田医師の診断の信用性について一般的に検討する。

1 構音障害(言語障害)について

水俣病にみられる構音障害は、小脳障害に起因して出現する(乙第一一一七号証の一)ものであり、構音障害がゆっくりした、不明瞭な、滑らかさを欠く、爆発性のいわゆる断綴性言語という小脳障害を示唆する型かどうかを吟味することが重要であることが認められる(証人松永啓爾の証言)。

ところが、原告ら提出の証拠中には、「断続性言語」と記載のある場合があり、三浦・村田医師の証人尋問を検討しても、同人らが前記「断綴性言語」の意味で用いたとは認められない。したがって、断続性との記載からは小脳障害に起因する構音障害と診断できるかどうかは不明である。

また、三浦・村田医師は、小脳性構音障害の判断のため、ラ・ナ・パ行を発音させて判定している。ところで、診断のため各行を発音させる意味についてみると、ラ行(ダ、タ行も同じ)は主に舌を使う舌音であるから、この行を発音させることによって、舌の協調運動の状態を判断することができ、失調性のものかを判断するためのものであり、ナ行は、鼻に抜ける発音(鼻音)であり、咽頭における麻痺を判断するためであり、パ行(バ行、マ行も同じ)は、口唇を使う発音であり、唇の力が弱いと異常が見られるものがあり、その場合は顔面筋の筋力の低下が問題となるのであって、失調性とは無関係な所見であることが認められる(証人永松の証言)。三浦・村田医師の検診報告書(たとえば、甲C第五号証の二)では、ラ行、ナ行が正常、パ行のみが拙劣であるのに構音障害があると判断したり、ラ行・パ行が拙劣であるが、要約では構音障害はなしとしたり(たとえば、甲C第三五号証の二)、同じ所見で構音障害ありとしたり、ラ行・ナ行・パ行はいずれも正常であるのに、要約では構音障害あり(たとえば、甲C第五〇号証の二)としたりするものがある。

結局、構音障害について三浦・村田医師らのこの点に関する診断は信用性が高いとはいえない。

2 視野検査について

証人三浦洋は、「いろんな光の出しかたをアットランダムに出すとかいう形」で検査する場合があると供述する。しかし、検査では被検者の反応時間に対する配慮が必要であることが認められ(乙第一一四三号証)、光の出し方をアットランダムにしたのでは、被検者の反応が遅れがちになり、狭い視野しか取れなくなってしまうことが考えられる。

また、視野の測定方法について、証人向野の証言によれば、ゴールドマン視野計は、求心性視野狭窄の検査方法として一般的な方法ではあるが、万能ではなく、特に、検査が基本的に被検者の主観的応答に頼らざるを得ない以上、機能的障害による視野狭窄が疑われる場合には対座法やアイカップによる検査方法をも併用することが不可欠であり、具体的には、ゴールドマン視野計により極端に狭い視野を示している場合には、対座法やアイカップによる検査を行ってゴールドマン視野計による検査結果の信頼性を検証する必要があることが認められる。ところが、極端に狭い視野を示している検査結果があっても、三浦・村田医師らは対座法等の方法を併用したとは認められない。

そして、本件患者の視野図には、マリオットの盲点が検出されていないものがある。証人向野の証言及び乙第一一四三号証によれば、臨床的には、これが正しい位置に現れるか否かでその視野が正しいか否かの判定に役立つという意義があることが認められる。原告らは、学術論文に引用されている視野図でもマリオットの盲点の記載のないものは多数存在するから、マリオットの盲点が検出されていない視野図だからといって、視野図としての信憑性がないということはできないと主張する。しかし、学術論文に引用されている視野図はいわば模式図であることが考えられ、実際に患者の視野検査を行って作成された視野図とは異なり、引用の際にマリオットの盲点が省略された可能性もあるから、右所論は採用できない。

さらに、鑑別診断について検討するに、原告ら提出の検診報告書では、眼科的検査の欄からみて、眼科的検査として視力の検査、眼球結膜・角膜異常の検査、眼底検査、中心フリッカー値の測定、血管障害の検査としてCTスキャンによる検査を行っていることが認められるが、眼圧検査やERG検査が行われた形跡はない(ERG検査については、その欄が設けられているものの、これに記入のある例はない。)。証人向野の証言によれば、網膜色素変性症の診断をするには、眼底検査のほかERG検査をする必要があり、緑内症では眼圧検査が必要であり、CTスキャンの所見だけで血管障害による求心性視野狭窄を否定できないことが認められる。したがって、三浦・村田医師による鑑別診断は不十分であると判断せざるを得ない。

3 眼球運動障害について

(一) 乙第一〇五四号証及び同一一一七号証の一によれば、眼球運動に異常を来す原因には種々のものがあるが、水俣病の場合には、器質的障害によるものであるから、左右対称(左右両方向の運動に異常が出現すること)かつ共同(右眼と左眼に同じような異常が出現すること)という特徴があり、多少の変動はあるとしても、新たに眼球運動に異常を来す疾病がない限り、正常と異常の間で所見が変動することはなく、一度でも正常所見が得られた場合には、その時点では眼球運動障害を来すような器質的な障害はないものと判断されることが認められる。

(二) 証人向野の証言及び以下に摘示する証拠によれば、眼球運動障害の診断について必要な点は以下のとおりであることが認められる。

眼球運動検査では、被検者が注意力を集中して一所懸命に視標を追うことが大前提であるから、被検者が視標をきちんと追っていないもの、特に滑動性追従運動では衝動運動によって視標を追跡したため衝動性運動様の波形になっているもの、衝動性運動では視標よりも先に目を動かし先走りの波形になっているものは、検査データとしては無意味であり、そのことが検査データ自体から明らかである。したがって、このような検査データがある場合、条件を整えて再検査をする必要がある。

眼球運動異常も、水俣病に特異的な症状ではなく、眼球を動かす筋肉や、その筋肉につながる運動神経の障害といった末梢性の原因によっても眼球運動の異常が起こるし、水俣病と同様、後頭葉眼球運動中枢や小脳の半球虫部の障害を来す他疾患としては、後頭葉の脳梗塞、大脳・脳幹・血管病変、脊髄小脳変性症、多発性硬化症などが挙げられる(乙第一一二二号証)。したがって、眼球運動の異常が確認できた場合、これら他原因・他疾患との鑑別を行う必要がある。

検査方法について、滑動性追従運動の場合、視標の速さは、0.3ヘルツの周波数で行うのが世界的な標準であることが認められる。

ところが、三浦・村田医師は、前記のような場合にも再検査又は鑑別を行っていない場合があるほか、0.5ヘルツの周波数による検査しか行っていない(証人村田の証言)。0.5ヘルツでは、視標の動きが0.3ヘルツよりも速く、したがって、視標を追うのがよりむずかしいため、異常が出やすく、検査方法として適切ではない。このように、標準である0.3ヘルツによる検査データがなく、通常より負荷の大きい0.5ヘルツによる検査データしかない場合、0.5ヘルツによる検査で異常が検出されたとしても、軽度の障害としか評価できない。

(三) 滑動性追従運動の場合、正常であれば、眼電図はきれいなサインカーブを描く。これに対して、異常波形の特徴は、階段状又は歯車様になることである。診断上注意しなければならないのは階段の傾斜の向きであり、滑動性追従運動に障害ありと判定されるのは、例えば上向きのサインカーブでは階段の平坦部分も上り傾斜になっているものである。これが下り傾斜になっている場合は滑動性追従運動の障害ではなく眼振(眼の異常な揺れ)が加わったものと解釈するのが正しい(たとえば、甲C第五二号証の四)。また、垂直方向の動きが大きく、衝動性運動のような波形になっているものは、被検者が視標を一所懸命に追跡せず、衝動運動によって視標を追ったことによると解釈されるから、データとして無意味であり、これだけで異常とは判断できない(たとえば、甲C第五九号証の二)。さらに、眼電図に人工産物としてのまばたきが混入してとがった波形が出現することがあり、この場合は、まばたきによるとがった波形を取り除いて正常異常を判定しなければならない(たとえば、甲C第四六号証の二)。そして、滑動性追従運動では、正常波形が一つでも含まれておれば器質的障害は否定され、滑動性追従運動は全体として正常と判断される。

ところが、村田医師は、証人尋問において、甲C第二四号証の二の眼電図につき、右眼滑動性追従運動のうち、二番目、三番目、七番目、八番目、九番目の山の下向きのところに「階段状の変化」があるのを見て異常があると判断したと供述しているが、右階段の平坦部分を見るに、七番目と八番目だけが下向きの傾斜で、二番目、三番目、九番目は上向きの傾斜なのであるから、これらを一括して「段階状の変化」ととらえて滑動性追従運動異常との結論を導いたのは相当でない。また、右眼電図は、衝動性運動の波形になっており、被検者が視標をきちんと追跡せず衝動運動によって視標を追っていることが明らかなものであり、無意味なデータから滑動性追従運動異常と判断した誤りがある。結局、視標を追わず勝手な動きをしているもの、特に衝動運動によって視標を追っているもの、まばたきがあるため異常とみえるもの、眼振が加わっているかその疑いがあるものなど、本来滑動性追従運動異常との判断をなし得ないものについてまで、これらを滑動性追従運動異常と判断した上で、水俣病の診断根拠としたものについては、診断に信用性が乏しく、当該症候の存在を認定できない。

(四) 衝動性運動の場合、正常であれば、視標をきちんと捕らえ、振幅の誤差を生じない動きをするが、異常の場合は、視標の位置より行き過ぎ、あるいは行き足りず、視標を捕らえるまで何度か行きつ戻りつする(乙第一一二二号証)。診断で注意するのは、視標の動きに応じて眼球を動かすまでに多少の伝達時間を要するため、正確に指標を追って眼を動かすと、眼電図では眼球の動きは視標の動きよりも少し遅れたものとして記録されるということであり、これとは逆に、眼球の方が視標より先に動いている眼電図は、被検者が視標を見ず、それよりも先に目を動かした(先走りをした)結果であるから、検査データとしては無意味であり、衝動性眼球運動障害の判定に際して考慮に入れることはできない。また、この場合には、視標より先に眼を動かしてしまった被検者がその後改めて視標を捕らえる動きをするため眼の動きが二段になり、眼電図が階段状を呈することがあるが、後の動きで視標を正確に捕らえておれば正常と判断できる(たとえば、甲C第一一号証の二、同二六号証の二)。なお、衝動性運動についても、視標を追わず勝手な動きをしているもの(たとえば、甲C第四一号証の二)、まばたきがあるため異常とみえるもの(たとえば、甲C第五三号証の二)、眼振が加わっているかその疑いがあるもの(たとえば、甲C第五二号証の四)は異常波形ではない。そして、衝動性運動では、一〇回のうち二、三回程度でも異常が出なければ、全体として異常との判断をすることはできない。したがって、先走りのあるものを検査データから排除せず、さらに、固視が十分でないもの、まばたきがあるもの、眼振が疑われるものを衝動性運動異常と判断した部分については、当該症候の存在を認定することはできない。

衝動性運動異常の判断基準について、村田医師は、ハイパーメトリア(測定過多)、すなわち行き過ぎを失調の所見としてとらえている旨供述しているが、異常の判断基準は、行きつ戻りつというジスメトリア(測定障害)に求められるべきである。また、三浦医師は、階段状の動きを衝動性眼球運動障害ととらえるのに、村田医師は、階段状の動きは「失調とは言っておりません。」と供述しており、内容に矛盾がある。

(五) 滑動性追従運動の異常は、小脳障害によるほか、大脳、脳幹などの血管病変、変性疾患、パーキンソン病その他の中枢神経の障害でも出現し得るほか、集中力を欠いていたり、薬物を使用するなど日常的なあらゆる原因で出やすいから、滑動性追従運動に異常が認められたからといって、直ちにこれが小脳障害によるものだと判定することはできない。また、正常者でもとり方によって病的所見に出ることがあり、滑動性追従運動の障害が階段状のパターンを示す例が小脳性運動失調の場合に限らず多数存するが、衝動性運動の異常は、小脳障害に特徴的であることが認められ(甲B第一六二号証)、水俣病罹患の有無を診断する上では、衝動性運動異常の方が診断的価値は高い。ところが、三浦医師は「水俣病ではどちらかというと滑動性の眼球運動障害に異常が出る率が高いということがわかっております。」と供述し、診断意見書でも、滑動性追従運動障害が認められただけで小脳性運動失調ありと判断されている例が多いが、小脳性の眼球運動障害を判断するためには、滑動性追従運動で障害が認められることのほか、衝動性運動でも異常が認められることが不可欠である(乙第一一一七号証の一)。水俣病では滑動性の眼球運動障害の方が衝動性の眼球運動障害よりも異常の発生率が高いとしても、それは、もともと滑動性追従運動障害が小脳障害以外の中枢疾患やその他多くの原因で出現するからであって、水俣病における小脳性運動失調が滑動性の眼球運動障害のみの形で発現することを推認させるものではない。したがって、滑動性の眼球運動障害だけで小脳障害と診断している場合、その診断は医学的経験則に反する。

4 難聴について

三浦・村田医師らの行った難聴の診断は、専門の検査技師が行った聴力検査(ただし、純音オージオメーターによる純音聴力検査を実施しているだけで、自記オージオメーターによる検査は行っていない。)の結果と、耳鼻科の医師が行った慢性中耳炎の有無についての診察結果を基にして、最終的な判定をしたものである(証人三浦の証言)。

しかし、右の判定方法には、水俣病罹患の有無を診断するのに純音聴力検査しか実施しておらず、純音聴力検査の結果から感音性難聴と認められるか否かのみによって判断し、他疾患との十分な鑑別を行っていない上、検査結果に対する評価の仕方を誤っている以下のような問題点がある。

第一に、水俣病にみられる難聴は、感音性難聴の中でも後迷路性難聴であることが特徴的なのに、三浦・村田医師は、純音聴力検査を実施しているだけで、後迷路性難聴を鑑別するために必要語音聴力検査、聴覚疲労検査、補充現象の検査等(乙第一一一七号証の一)は行っていない。したがって、原告らが書証として提出する純音オージオグラムは、それだけでは水俣病の症候の一つである後迷路性難聴を立証するための証拠としては不十分である。

第二に、難聴例全体に占める感音性難聴の割合は高く、感音性難聴を来す原因は多数存する(乙第一一〇四号証、甲B第一三〇号証)上、聴力は加齢とともに低下するものであり、老人性変化のみによって水俣病類似の症状を来すことがあるため、これらの原因又は難聴との鑑別が必要となるのに、三浦・村田医師は、純音聴力検査の結果から感音性難聴と判定した者について、ほとんど他疾患との鑑別らしい鑑別を行わず、感音性難聴であることから直ちに水俣病罹患の事実を推認している。確かに、鼓膜の所見から中耳炎の可能性につき触れているものがあるが、これは伝音性難聴との鑑別でしかない。また、前章に述べた病理学的知見によって裏付けられているところからみれば、聴力損失の程度や態様に左右差のある例はメチル水銀の影響によるものとは考え難い。さらに、閾値が極端に改善、悪化している例ではむしろメチル水銀以外の原因を考えるべきである。したがって、他疾患との鑑別を十分に行わず、感音性難聴であればそれだけで水俣病の主要症候があるとする診断は、相当なものとはいえない。

騒音性難聴では、純音オージオグラムにおいて四〇〇〇ヘルツ付近に鋭い谷型の切れ込みを作り、いわゆるC5 dipを示すことが特徴的である(乙第一一一七号証の一、甲B第一三〇号証)。したがって、オージオグラムにこのパターンが出現したときには、その者が騒音を発する職場で働いたことがあるかどうかを確認するなどして、騒音性難聴の可能性につき検討を加えておかなければならない。三浦・村田医師は、このような場合に、その者が工場など一般に騒音を発するものと認められる職場に勤務した経験を有するとの事実があっても、うるさく感じたか否かという本人の主観的認識を重視して、騒音職場に勤務したことはなく騒音性難聴とは考えられないと判定しているようであるが(証人三浦)、騒音性難聴は、一定量の騒音の曝露を受けることにより、騒がしいという本人の自覚がなくても発症するものであるから、右判断手法は医学的常識に反する。

さらに、老人性難聴との鑑別に関し、原告らは、年齢が五九歳までの者は老化による難聴ということは除外して考えてもよい旨主張する。しかし、加齢による聴力低下は、患者が自覚しなくても、三〇歳ころから生じる(乙第一〇四七号証)のであり、この点についての鑑別を十分行っていない診断については信用性が高いとはいえない。

第三に、耳鼻科の医学的知見に反する診断例がある。

三浦医師は、川元正人(患者番号一三)の聴力障害について、甲C第一四号証の六のオージオグラムによれば、特に高音部に明らかに感音性の難聴が認められる旨証言し、右オージオグラムには、四〇〇〇ヘルツ及び八〇〇〇ヘルツで骨導聴力の閾値が気導聴力の閾値より二〇ないし三〇デシベルも高く、骨導聴力の閾値は左右とも九〇デシベルでスケールアウトした旨の記載がある。しかし、理論的に骨導での聴力閾値は気導での聴力閾値より高くなり得ない。被検者がそのように答えることは十分にあり得るという意味において、測定には誤差があるとしても、許容できる誤差は五デシベルか、せいぜい一〇デシベルまでであり、これを超えて骨導閾値の方が高い検査結果が得られた場合には、検査自体の正確性が低い。

第四に、検査自体に以下のような不備がある。

左右一方の耳しか聴力測定が行われていない場合(例えば、甲C第二七号証の二、同第三七号証の一、同第四九号証の二)、気導聴力しか測定されていない場合(甲C第一一号証の四、同第一九号証の四a、同第二一号証の九、同第二三号証の八、同第二四号証の二、同第二五号証の五、同第二六号証の二、同第三四号証の五、同第四〇号証の六、同第五四号証の二、同第五五号証の二、同第五六号証の二など多数)があり、水俣病かどうかを判断するのに、左右差の有無は重要な要素であるし、気導聴力しか測定されていなければ、伝音性難聴と感音性難聴の区別ができない。

オージオグラムの記載方法が一般の記載例(乙第一一四四号証の二八)に従っていない場合があり、当該オージオグラムが専門の検査技師によって作成されたかどうかに疑いがある。

オージオメーターで出すことのできる音の強さには限度(乙第一一四五号証、甲B第一三〇号証、乙第一一四四号証、甲B第一三〇号証)があるのに、聴力の閾値が器機の出力以上に検出されている例がある(たとえば、甲C第一四号証の六、同八号証の三の五、同四四号証の一六)。

オージオグラムでは聴力損失が大きいのに、神経内科における音叉やストップウオッチによる検査結果では聴力障害なしとされているものがある。

一般的に、聴力障害の度合いが強すぎる。平均聴力損失値が三〇デシベルを超えれば、普通会話は困難、六〇デシベルを超えれば普通会話は不能とされている(乙第一一四四号証)のに、原告らの約三分の二が平均聴力喪失が三〇デシベルを超えており、六〇デシベルを超える者もある。しかし、これらの者に対する原告本人尋問において尋問に支障のある者がなかったことは、裁判所に顕著である。

以上のとおり、難聴に関する診断が右の問題点を含む場合には、診断の信用性が低く、水俣病の主要症候の一つである後迷路性難聴を認めることはできない。

5 運動失調の診断について

(一) 指鼻試験、指指試験

三浦・村田医師は、指鼻試験、指指試験を開眼・閉眼の両方で実施し、開眼での所見と閉眼での所見の比較によって小脳性の運動失調を判定し、指鼻試験、指指試験では、開眼時には正常であっても閉眼時には異常が認められる場合には、開眼時及び閉眼時のいずれもが異常があるというべきであり、小脳性の運動失調と考えてよい旨証言している(証人村田)。

しかしながら、小脳性の運動失調の場合には、小脳から各運動器官への命令機構が障害されるために運動障害が生じるのであるから、視覚による情報が中枢に伝わっていようがいまいが運動障害が生じてくるものである。小脳性失調症の場合、開眼時でも異常所見がでて、ロンベルグ徴候が陰性である(乙第一〇四〇号証、甲B第一六八号証)。視覚の情報によって運動障害が左右されるのは、情報伝達器官の障害であって小脳障害でないことを示しているのであって、小脳性の運動失調がある場合は、開眼であっても、閉眼であっても同様の異常所見が得られるというのが神経内科学の常識である。もし、視覚による情報によって障害が出現しないのであれば、前庭迷路性あるいは脊髄性の失調が疑われるが、小脳性の運動失調はないというべきである上、そもそも指指試験を閉眼で行うことは、検者の指の位置を確認し得ないのであるから検査としては無意味であるといわなければならないのである(証人永松啓爾の証言)。また、三浦医師は、ロンベルグ試験とは開眼時に安定した姿勢がとれる場合において、閉眼時での動揺の有無をみる試験であることを了解しているはずであるのに、原告蓑田ソモに係る検診報告書(甲C第三二号証の二)では、全盲の同人に対しロンベルグ試験を実施し、その結果が陰性であった旨を証言している。

以上のように、村田・三浦両医師が、指指試験等を閉眼で行うなど、これらの検査の意義の理解が不十分であると考えられ、これらの検査に基づく診断の信用性は低く、その診断から小脳性の運動失調と判定することはできない。

(二) 書字検査

証人永松の証言によれば、書字は非常に複雑な動作であるので、本当に失調症があるのならば手首をついてもきれいに書くことができず、直線、円、三角などを書くときは、肘を上げて書かせて検査すべきであることが認められる。

ところが、検査方法について、三浦医師は机に肘をついて書かせるとし、しかもその書字検査の結果は失調の症状判定をする際に全く考慮にいれていないなどと供述しているが、書字検査の基本的手技に反する。

また、書字の判定について、線引き試験では、小脳障害では目的のところで止めることができず行き過ぎてハイパーメトリアを示したり、その手前で止ってしまってハイポメトリアとなることが多く(甲B第一六八号証、甲B第一七〇号証)、また、字を書かせるとだんだんと大きくなる(これをマクログラフィアという。パーキンソン病ではだんだん小さくなるミクログラフィアとなる。甲B第一六八号証)ことが認められる。

ところが、三浦・村田医師の書字の判定には、若干の震えがみられるようなものにつき、何らハイパーメトリアやハイポメトリアが認められないものについても、異常と判定しているものがあり、これは神経内科の一般的知見に反する。

二  個別的因果関係の判断

本章第一において判断した患者を除く本件患者が水俣病に罹患しているかどうかの判断は、第六章第二の二3及び第三分冊に記載するとおりである。

第六章  被告らの責任(争点三に対する判断)

本章においては、本件患者のうち、第五章において水俣病に罹患している可能性があると認められた者について、被告らに民法又は国家賠償法による責任が認められるかどうかを検討する。

第一  基本的事実経過

当事者間に争いのない事実並びに次に摘示する証拠及び弁論の全趣旨によって認められる事実を総合すると、本件における基本的事実経過は以下のとおりである。

一  水俣病発見前の時期

1 工場排水と漁業被害

被告チッソは、明治四一年にその前身が設立され、その後拡大発展してきたものであるが、水俣工場の拡大に伴う漁業補償の問題は、水俣病が問題になる前から発生しており、昭和一八年ころ、被告チッソは水俣工場から生じる汚水等を水俣市漁業協同組合(以下「水俣漁協」という。)が漁業権を有していた海面に放流することに伴い、同漁協に当該部分の漁業権を放棄してもらい、その対価として補償金を同漁協に支払うことにし、以後チッソ水俣工場の排水を水俣湾に流していた(甲A第二一、二二号証の一、二)。

戦後間もなく、チッソ水俣工場の廃棄物であるカーバイト残渣が水俣百間港に堆積し、船舶の出入りにも支障を来し、漁業への影響も危惧されるようになった。被告県は、昭和二四年度から百間港に堆積していたカーバイト残渣を浚渫し、浚渫物をもって海岸を埋め立てる工事を実施し、同工事は昭和二八年に完成して、カーバイト残渣等は排除された(乙第七八ないし八一号証)。

戦後、鉱工業生産が増大するのに伴い、全国的に農漁業と鉱工業との間で工場排水等に起因する農漁業被害等をめぐる紛争が頻発したため、被告国に経済安定本部資源調査会が設置され、その対策が検討された。被告県においても、昭和二六年ころから八代市や坂本村等に所在する工場の排水によって魚の異常死が頻発するなどのことが問題となった(乙第一三六号証)ので、被告国の動きに対応して被害状況等を把握すべく、県経済部において、チッソ水俣工場を含む県内各地の工場に対し資料提出を要請した。チッソ水俣工場からも昭和二七年三月二四日付「工場排水処理状況報告書」(甲A第二四号証の二、三)が提出されており、他の報告とともに「最近の熊本県における水質汚濁事例」(乙第八二号証)にまとめられた。チッソ水俣工場からの報告書には、製品の種類、原材料名、製造法の概要、排水の性質等が記載されているが、排水の大部分を占めているのは冷却水であり、また、多くの原材料の中の一つとして、酢酸の項に水銀が記載されているにすぎない。また、「排水の性質」のうち「酢酸冷却水」の項に、「酢酸合成塔内の反応熱を除く為に蛇管にて冷却水を通しているのが大部分で一部アセトアルデヒド生成器の母液循環冷却に使用している。アルデヒド母液の老化による一部排出及び循環ポンプの故障或いはパッキング取替えの場合に硫酸及び酸化鉄の母液が排出する事がある。」との記載はあるが、排水に含まれる物質の分析内容については何ら記載されていないし、この時期に右排水に特に注目すべき事情は何もなかった。

2 三好報告書

昭和二七年ころ、水俣漁協の組合長から県水産課に対し、「水俣湾の生簀の魚が死んだことがあり、漁獲が減少しているので実情を調査して欲しい。」との要請があった。そこで、三好礼治振興係長(以下「三好係長」という。)は、同年八月二七日、チッソ水俣工場及び水俣湾周辺の実地調査に赴いた。

三好係長は、漁業被害の具体的実情について、水俣漁協の組合長等から、水俣湾内の魚介類全体の被害ということではなく、従来の被害として「生簀の魚の斃死」があったこと、当時の被害として「巾着網、ボラ囲刺網、延縄等が操業が悪く且つ漁獲が減少して来た」ということを聴取し、復命書でその旨報告した(乙第一三七号証)。三好係長は、直接に漁業被害を現認したわけではなく、漁獲の減少ということについても、資料の裏付けがないことから明確な心証を得ていない。復命書には、漁獲の減少があるとすれば、その原因としては「百間に排水される汚水の影響」と「百間港内にある従前堆積した残渣」が考えられる旨記載されているが、三好係長は、水俣湾の汚水の程度についてBODは若干高いが酸性度は普通と考えており、また、アセトアルデヒド母液の排出に関しても、その酸性度によって魚介類に影響があるかも知れないとは思ったが、水銀に関しては何ら認識していなかった(乙第一三八号証の一及び同号証の二)。

なお、原告らが提出した甲A第二四号証の一の末尾には「水俣市地先略図」と題する図面が添付されているが、三好復命書には添付されていないことが認められ(乙第一三七号証及び乙第一三八号証の一)、同図面の成立の真正を認めるに足りる証拠はない。

3 茂道部落の猫の死亡

昭和二九年八月一日付熊本日日新聞には、同年七月三一日に水俣市茂道の住民が水俣市衛生課に対し、茂道部落にいた猫が全滅し、ネズミが急増しているのでその対策を採るように申し入れた記事が掲載されている(乙第一三九号証)。しかし、被告国・県の担当公務員を含めて、当該記事から水俣病の存在を推知した者がいたとは認められない。また、昭和三一年一二月に実施された喜田村教授らの調査によれば、茂道南部地区の住民の中には昭和二七、二八年ころ猫がほとんど死滅したと主張する者もいたが、「各世帯調査の結果ではそのような記憶はないと答えるものが大部分であった。」と報告されている(乙第九〇号証の一、二)。

4 当時の水俣湾周辺の状況

公式発見前における水俣湾周辺の状況について、熊本県水俣保健所の伊藤蓮雄所長は、昭和三〇年の夏、恋路島に二回ほど海水浴に行ったが、恋路島周辺海域は外見上汚れていたということもなく、貝類その他も生息しており、特に異常な現象もみられず、魚が浮いて流れているということもなかったと述べている(乙第五四号証)。

二  水俣病の発見から昭和三二年九月まで

1 水俣奇病の発見報告

昭和三一年五月一日、水俣保健所は、チッソ水俣工場附属病院(以下「チッソ附属病院」という。)から、水俣市の月の浦地区に脳症状を呈する原因不明の奇病患者が四名発生し、同病院に入院した旨の報告を受けた(甲A第三一号証、同第三六号証)。

2 水俣奇病に対する措置

(一) 水俣保健所

水俣保健所は、前記1の報告を受け、翌二日に、入院患者及び患者の発生した現地(月の浦地区)を調査したが、時期的に最も疑われる日本脳炎とは症状が異なっていたため、右患者をしばらくチッソ附属病院に収容して観察することとした。ところが、その後、同地区から同一の症状を呈する患者が相次ぎ、同病院に入院する患者が八名に及ぶに至った(甲A第三六号証)。

そこで、水俣保健所の伊藤所長は、昭和三一年五月四日、県衛生部長に対し、患者の発生状況、症状及び同保健所の採った措置等について「水俣市字月浦附近に発生せる小児奇病について」と題する文書(甲A第三一号証)をもって報告した。また、伊藤所長は、小児麻痺症状を呈する患者らが共同で使用していた井戸水に伝染性の病原を疑い、井戸及び患者の家屋の内外を消毒するとともに、同月七日、井戸水を県衛生研究所に送り、検査を依頼したが、その検査結果に異常は認められなかった(乙第五二号証及び甲A第三六号証)。

水俣病保健所は、更に患者家族や現地の住民から事情を聴取するなどして患者の発生状況につき調査を進めたところ、同様の症状を呈する患者が既に昭和二八年ころに発生し、また、現在なお自宅で療養している患者もいることが判明した(甲A第三六号証)。

このような状況から、伊藤所長は、今後も同様の奇病患者が発見され、また、続発するおそれもあると考え、奇病患者の実態及びその対策を把握するため、昭和三一年五月二八日、水俣市医師会長、同副会長及び地元開業医等を水俣保健所に招集し、意見の交換を行ったところ、奇病患者の実数は相当数に上る模様であることが判明した。そこで、同日、水俣保健所を中心に水俣市、水俣市医師会、水俣市立病院及びチッソ附属病院の五者によって構成される水俣市奇病対策委員会(以下「奇病対策委員会」という。)を設置し、奇病患者の実態の調査研究に当たることにした(乙第五二号証及び甲A第三六号証)。

(二) 水俣奇病対策委員会

奇病対策委員会は、奇病患者の発見とその実態調査及び患者の入院、療養費に関する措置に努めていたが、地元開業医らの協力を得て行ったカルテに基づく類似症状を呈する患者の拾い出し調査により、昭和三二年一月には、水俣湾沿岸の部落において、同様の患者が既に昭和二八年一二月に一名発症し、その後同二九年中に一一名、同三〇年中に一〇名、同三一年中に三二名の合計五四名に上る患者が発症し、そのうちの一七名が既に死亡していることを突きとめた。一方、チッソ附属病院では、患者の付添いの家族が発病し、他の入院患者が不安に思うようになってきたので、早速県予防課担当者を招いて協議した結果、患者を「日本脳炎疑」として、市伝染病舎に隔離することにした。そして、右患者の診断、治療に努めたが、右奇病の原因、本態については不明のままに終始し、その研究は極めて困難という見通しになったため、結局、医学者の専門的な調査究明を仰ぐほかはないという結論に達し、奇病対策委員会は、昭和三一年八月一四日、熊本大学(以下「熊大」という。)医学部に現地調査を依頼した(以下につき、乙第一号証、同第三号証ないし五号証)。

(三) 県衛生部長の厚生省に対する報告

県衛生部長は、伊藤所長からの報告を受けて、同部予防課担当者を水俣市の現地に派遣し、奇病発生の実情把握に当たらせていたが、その原因も何ら判明せず、奇病患者はその後も続発したことから、昭和三一年八月三日、厚生省防疫課長に対し原因不明の脳炎様患者が多発している旨電文で報告し(乙第一四〇号証)、さらに、同年九月八日、「水俣市における原因不明脳炎様疾患の発生について」と題する文書(乙第三号証)で同様の報告をした。被告県でも右奇病の原因究明については医学専門家の調査研究にゆだねる必要があると考え、同年七月二六日、右調査研究を熊大学長に正式に依頼した(乙第二号証)。

(四) 熊大研究班

熊大では、被告県の右依頼を受けて、同年八月二四日、医学部に医学部長尾崎正道教授を班長として、勝木司馬之助教授(内科学教室)、長野祐憲教授(小児科教室)、武内忠男教授(病理学教室)、六反田藤吉教授(微生物学教室)、喜田村正次教授(公衆衛生学教室)及び入鹿山勝郎教授(衛生学教室)によって構成される水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織し、右奇病の原因究明のための調査研究を行うこととなった(甲A第三四号証)。

また、被告県は、水俣病の原因究明を熊大に依頼したことに伴い、研究委託費について予算措置を採るとともに、猫を熊大へ送る等その調査の援助、資料の提供及び連絡調整等熊大研究班に対し可能な限りの援助を行った。さらに、被告国においても熊大研究班が組織された昭和三一年以降、水俣病の原因究明のための研究費等を熊大に交付した。昭和三一年度から同三五年度までの被告国及び県の熊大に対する研究委託費は合計一七二八万五〇〇〇円である(乙第四四ないし五一号証)。

3 熊大研究班による調査研究の開始

熊大研究班は、昭和三一年八月二四日、六反田、長野、勝木、武内の諸教授を水俣現地に派遣し(その際、県衛生部予防課貝塚医師が同行した。)、奇病対策委員会との間で研究方法と今後の対策について協議した。

協議に基づき、原因究明が極めて困難であるという見通しに立って、同月三〇日、患者を学用患者として熊大医学部附属病院に入院させて厳密な臨床的観察を行うとともに、死亡した患者については、病理学教室において病理解剖学的検査を行い、他方、患者発生地区の現地調査を進めるとともに、現地で採取した海水、土壌、魚介類等の資料について、微生物学、公衆衛生学、衛生学の各教室において分析検査を行うこと等が開始された(甲A第三六号証、乙第一号証)。

なお、昭和三一年八月よりも後に、熊本県経済部水産課指導係は水俣湾及びその付近における魚介類の種類とその販路について、同部商工課はチッソ水俣工場における製品及び原材料について、いずれも簡単な調査を行った。しかし、昭和三一年八月の時点では、前記のとおり奇病の原因が不明で暗中模索の状態であり、被告県が熊大学長に原因究明について調査研究を依頼し、同大学において研究班を組織し調査活動を始めたばかりの段階であった。

(一) 熊大研究班第一回研究報告会

熊大研究班は、昭和三一年一一月三日、熊大医学部において、同研究班員、県衛生部職員及び奇病対策委員会委員の出席の下に、第一回目の研究報告会(いわゆる中間報告会)を開催した。同報告会においては、研究班全体の意見をまとめるまでに調査、研究は進んでおらず、各教授より次のような研究過程の報告がなされたに過ぎない(甲A第三四号証)。

微生物学教室の六反田教授は、「本病の症状及び発生状況よりみて、本病を神経親和性のウイルスによる疾患及び中毒性特に神経親和性細菌毒素、すなわちボツリヌス中毒の二面から本夏来努力を重ねてきたが未だその両方とも研究の途上にあって結論を導くに至っていない」と報告した。

公衆衛生学教室の喜田村教授は、「本疾患を病理組織学的所見並びに臨床所見より感染症であることを否定し、中毒症と考えるとすれば、その症状からまずマンガン中毒症を考慮する必要があると認め、現地飲食物、海水、土壌、並びに剖検死体臓器、患者の屎尿中のマンガン含有量の分析を実施したが、現在までのところ何らマンガン中毒を肯定すべき事実は認められない。しかし、尚マンガンに関する検索を継続中である。」と報告している。

衛生学教室の入鹿山教授の報告は、「水俣奇病の原因は未だ不明であるが、この発生が漁夫に多いことから海産食品との関係が一応疑われる段階で、海産物の特殊の汚染原因と考えられるものとしてはチッソ工場排水があり、該工場排水が本奇病発生と如何なる関係にあるか、現在のところ何も根拠がないが、既にこの排水によって付近の海域が汚染され、海産物にも影響していることは当然考えられるので該工場排水による海域の汚染状況を調査、企画中である。」と報告した。

(二) 以上のとおり、右研究報告会が開催された当時、熊大研究班として未だ結論は出ておらず、水俣奇病が伝染性疾患である可能性も全く捨ててはいなかったが、ある種の重金属中毒疾患ではないかと疑い始め、もし中毒疾患であるとすれば中毒物質としてマンガンが疑われるとの考えであった。しかし、その中毒物質の人体への侵入経路については、魚介類との関係が一応疑われる以外は何ら判然とせず、一般的に考えられるあらゆる可能性を模索するという段階にとどまっていたのであり、本奇病の原因についてはなお不明であり、今後更に調査研究を続ける必要があるものとされた。

なお、昭和三二年三月に発行された後記熊大研究班による「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について」(熊本医学会雑誌三一巻補冊第一)は昭和三一年一一月以降の研究成果をも取り込んでおり、昭和三一年一一月当時の知見を示しているものではない(右冊子中の入鹿山教授の報告(乙第八五号証の五)が、昭和三一年一二月五日に実施された廃水調査の結果について言及している)。

このような報告会の結果を受けて、県衛生部は熊大研究班に対して引き続き右奇病の原因究明についての研究を依頼するとともに、患者の続発を防止するため、水俣現地の住民に対し、魚介類が危険であるので摂取しないよう指導することにした(甲A第三六号証、乙第一号証)。また、現地水俣においても、一一月二五日、関係教授を招き水俣保健所において現地説明会を開催した。同説明会において、本疾患はある種の重金属による中毒の疑いが濃厚となってきており、その中毒物質としては、マンガンが最も疑われるが、その中毒物質の発生地並びに人体への侵入プロセスについては確定した学問的な根拠は実証されておらず不明であるとされた(甲A第三六号証)。

4 厚生省厚生科学研究班の結成と現地調査

厚生省は、昭和三一年八月、県衛生部からの報告を受けた後、しばらくはその原因究明を熊大研究班の調査研究に委ねていたが、疾患の本態も原因も判明しないまま、依然として患者が発生したため、同省自らも現地と協力して原因究明に当たることとし、昭和三一年一一月ころ国立公衆衛生院疫学部長松田心一を班長とし、国立予防衛生研究所リケッチア・ウイルス部長北岡正見、熊大医学部長長尾崎正道、県衛生部長蟻田重雄らを班員とする厚生科学研究班を結成した(甲A第二〇二号証)。

そして、松田班長及び国立公衆衛生院の宮入技官は、同月二七日、県衛生部予防課の貝塚医師を伴って水俣市の現地を訪れ、翌一二月二日までの間、現地調査を行った(甲A第三六号証、乙第一号証)。右両名は、その際、現地の伊藤保健所長らに対して疫学調査の概要を教示したが、現実には小、中学校生徒の健康診断等を行った程度であって、本格的な疫学調査を行ったわけではなく、また水俣病の疫学について一定の結論をまとめるようなこともしていない。

5 国立公衆衛生院における研究発表会

昭和三二年一月二五日、二六日の両日、国立公衆衛生院において、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、熊本県、水俣市及びチッソ附属病院の各関係者による合同研究会が開かれ、それまでの疫学調査結果をそれぞれ持ち寄り、研究発表を行った。

その結果、現在までのところ「奇病は或る種の重金属の中毒であり、金属としてはマンガンが最も疑はれる、かつその中毒の媒介には魚介類が関係あると思はれる」という一応の結論に達し、今後は、「危険が一応排除されるまで魚介類を食べないこと……に注意し……国の研究機関、熊大医学部、県衛生部、水俣市奇病対策委員会の四者間で極力、原因究明と対策にのり出すこと」が決められたが、右結論は患者が魚介類の多食者に多い等の疫学的調査結果に基づくものであって、中毒物質自体の確定やその人体への侵入経路については未だ解明できておらず、なお今後の調査研究を待つ必要があるという状況であった(乙第八四号証、甲A第三六号証、乙第一号証、同第四、五号証)。

6 魚介類の摂食及び漁獲自粛の行政指導

熊大研究班第一回研究報告会において、前述のとおり、入鹿山教授から病原物質の人体への侵入を媒介するものとして魚介類が一応疑われる旨の報告がなされた。ここにおいて、県衛生部としては引き続き原因究明について熊大に研究を依頼するとともに、伊藤所長らを介し、患者の続発を防ぐため、水俣市役所や水俣漁協を通じ、さらには隣組等の組織や各種会合を利用して魚介類の摂取は危険であるので摂食しないように現地住民を指導し、また、新聞記者に対しては、事態が重大であるので危険性を大きく報道するように依頼するなどして水俣湾産魚介類の摂食及び漁獲の自粛方を指導した(乙第五四号証・七七項以下)。

そして、昭和三二年一月二五日、二六日の国立公衆衛生院における研究発表会の結果、魚介類の摂食が原因であるとの一応の結論に達した。このことは、各種報道機関によっても報道されたが(前記乙第八四号証)、現地では、このころには既に奇病ノイローゼといわれる状況にあり、恐がって水俣湾内の漁獲は皆無の状態であった。現地におけるこのような状況に加えて、県衛生部が、現地の水俣保健所をして、新たな患者の発生を防止するために、引き続き水俣市の住民に対し、魚介類が危険であるのでその摂取をしないよう呼び掛ける等の指導を行わせ、同保健所はことあるごとにその旨の指導を行うとともに、県水産課でも水俣湾内での漁獲を自粛するように水俣漁協に申し入れたため、現地の漁民は漁業を自粛するに至った(乙第五九号証)。

その結果、水俣湾内及び水俣湾沿岸における魚介類の摂取は事実上停止され、その結果昭和三一年一二月以降新たな患者の発生は全くみられなくなった。

7 熊大研究班第二回研究報告会

熊大研究班は、昭和三二年二月二六日、熊大医学部において第二回の研究報告会を開催し、関係各教授がそれぞれ研究経過を報告したが、ここにおいても、いまだ病原物質の確定等については結論が出せず、それまでに判明した事実を踏まえての対策について協議されたにとどまった。なお、その際、水俣湾内の漁獲を禁止する必要性が唱えられた(乙第一号証)。

8 被告県の対応

(一) 対策の基本方針

熊大研究班第二回研究報告会において、水俣湾内の漁獲を禁止する必要性が唱えられたほかは、それまでにも、県衛生部が水俣湾の魚介類を採捕したり、摂取しないよう指導を行っており、また、魚介類が危険であることが新聞報道され、熊大研究班や国立公衆衛生院の調査対象が魚介類に向かった結果、水俣病の原因が判明しないまま水俣現地の漁業はほぼ操業停止の状態となった。そのために、患者家族ないし漁民の生活に深刻な影響が生じ、水俣漁協は、昭和三二年二月に漁業被害対策委員会を発足させ、被告県に対する陳情を開始した。さらに、水俣市内の旅館、市場、一般家庭にまで二次的な影響が現れ始め、ことは単なる食中毒事件にとどまらず、社会問題と化するに至った(乙第五九号証、甲A第五五八号証の一、二)。

県衛生部は、水俣湾内の魚介類が危険であると報告されたところから、厚生省とも連絡をとって、水俣湾内の魚介類が食品衛生法四条二号に該当する可能性があるとして同法に基づく規制が可能か否かを検討していたが、当時判明していた事情のみでは、同法を適用して水俣湾内の魚介類を一律かつ包括的に規制することは無理であると判断せざるを得ず、従来行ってきた水俣湾産の魚介類の摂食を避けるように呼び掛ける旨の行政指導を行うこととし、これと併行して、さらに本疾患の原因究明を促進することとした(乙第一号証、甲A第二二九号証)。

(二) 打合せ会

同年三年四日、県では、副知事を初めとして、衛生部、民生部、土木部及び経済部の各部長(民生部は次長)及び関係各課の職員が水俣奇病対策のための打合せ会を開催した(乙第六二号証)。この打合せ会においては、公衆衛生課長より水俣病発生以来の経過及び原因究明状況について、熊大研究班ではマンガン中毒説が唱えられているが、種々反論があって判明していない旨の報告がなされた後、関係者で協議が行われ、次の事項が決定された。

被告県としては熊大及び被告国に科学的な調査を依頼しており、このために必要な資料の提供及び便宜供与、会合の立合い等を従来どおり行う。原因究明について、被告県は昭和三二年当初予算を計上して原因究明の促進に努める。

水俣病患者は、現在熊大の学用患者として入院させているが、熊大の研究費も残額があまりないので、生活保護法による医療保護患者として熊大附属病院に入院させる(この場合、熊大附属病院は指定医療機関ではないので特認の必要がある。右医療保護患者にできない者は引き続き学用患者として取り扱うよう熊大の協力を求めることとする。)。

患者の家族対策として、生活扶助及び職業あっせんを行う。

漁業法、食品衛生法等関係法令により漁獲禁止措置を採ることはできないが引き続き検討する。静岡県の浜名湖あさり貝中毒事件における同県の対策を調査することとする。当面の行政指導として水俣湾周辺の魚介類を摂食しないよう指導すること及び漁業協同組合に対し自主的に水俣湾内の操業禁止の申合せを行わせ、関係漁民に対し広報宣伝させることとする。

漁業転換(漁場及び漁業種類の転換)を強力に促進するとともに、これによって救済し得ない者については転業あっせんを行う。なお、救済し得ない者については生活扶助を行う。

打合せ会において、副知事を長とし、衛生部、民生部、土木部及び経済部の各部長及び関係各課長をもって組織する熊本県水俣奇病対策連絡会(以下「水対連」という。)を設置することとし、被告県として今後の水俣奇病問題についての総合的な対策を実施することとした。

(三) 被告県の対策

被告県は、前記基本方針に従い、次のような対策を樹立した。

漁協に漁獲自粛の申合せをさせることについて、水俣市の現地の海域に想定危険海域を定め、当該海域における操業を自主的に禁止するよう勧告すること

漁業の転換を推進することについて、無害海域における浅海増殖事業(コンクリートブロック魚礁設置、わかめ増殖投石事業)及び魚撈施設の整備改善(ア無動力漁船の動力化、イ曳網漁船の動力化、ウ沖合延縄漁船の建造、転換漁具購入)を実施し、漁業種類を転換し、さらに他海域(鹿児島県)に入漁させること

そして、水俣漁協は、昭和三二年一月ころから県の指導を受け操業を自粛していたが、右の勧告を受け、重ねて水俣湾内の操業を自粛することとした。

被告県は、同月二〇日、「水俣市における奇病発生に伴う漁業対策要望書」を農林大臣、水産庁長官等に提出して国庫補助、融資のあっせん及び他海域への入漁あっせんを要望し、その援助、協力を受けた上、これを実施した(乙第六四号証の一、二)。

さらに、被告県は食品衛生法に関し厚生省から示唆を受けていたところであるが、前記決定に基づき、昭和三二年三月六日、食中毒に関する措置について静岡県に照会した(甲A第四一号証の一)。同年四月三日、県衛生部は静岡県からその回答(甲A第四一号証の二)を受け取り、検討した。その結果、被告県としては、静岡県の右事例は特定地域で養殖中のアサリとカキという特定の貝類が、季節によって有毒化したものであり、喫食日に近接して発症することや生息の仕方、定着性のあることなどから、右貝類は同法の有毒食品として特定できるが、病気の原因やその原因物質が何ら確定されていない水俣病とは根本的に異なっており、本件にそのまま当てはめることはできないという結論に達し、これまでの行政指導は十分な効果があったことから、従来どおり行政指導により水俣湾産の魚介類を摂取しないように指導することとした(乙第一四三号証の一)。

(四) 患者の救済対策

被告県は、水俣病患者の救済対策として医療費の公費負担、患者家族の援護対策として生活保護法を適用する等次のような措置を採った。

被告県は、熊大と協議して昭和三一年八月三〇日、水俣市伝染病隔離病舎に入院中の患者を学用患者として熊大医学部附属病院藤崎台分院に移していたが、昭和三二年度以降は大学予算の関係から学用扱いが困難となったため、第一回水対連で生活保護法による医療保護患者として熊大医学部附属病院への入院継続の措置を採ることを決定し、昭和三二年四月から入院患者九名について生活保護法による医療扶助を適用した(乙第八号証、同第三一、三二号証)。

その後、昭和三三年九月一〇日現在の患者の状況は、発生患者数六六名(五一世帯)、死者二三名、在宅患者三一名、治癒した者三名、入院患者九名(熊大病院六名、県立小川再生院二名、チッソ附属病院一名)であるが、右入院患者については引き続き生活保護法による医療扶助を行った。なお、水俣市は、昭和三二年度に熊大入院患者に対する医療扶助開始と同時に入院患者一人当たり月額三〇〇〇円、さらに付添看護人に対しても一人当たり月額四〇〇〇円の法外援助措置を採った(乙第八八号証及び同第三三号証)。

罹患世帯五一世帯のうち一六世帯については、生活保護法による生活扶助、教育扶助等の援護を行ってきたが、残り三五世帯については、同法を広義に解釈しても法の建前上適用は困難であったので、希望世帯につき低所得者に対する世帯更生資金貸付制度による援護を図った。昭和三二年一二月、労働力を有する一四世帯に対し、世帯更生資金六八万円の貸付けを行い、昭和三三年度にも同じく一五世帯に対し七三万円の貸付けを行った(乙第八八号証)。被告県は、同時期に一四世帯に対し、衣料品三八〇点(二〇万円相当)の法外援助も行った(乙第三四号証)。

被告県は、第一回水対連の決定に基づき、就職あっせんについても、昭和三二年に県庁内に関係各課による連絡会を設け就職の相談に応じた。そして、同年九月には水俣病関係の就労あっせん申込みが一四人あったが、一人は釣船鉄工所の臨時工として、他の者は民間の日雇いとしてあっせんした(乙第一一号証の三)。

9 熊大研究班第一報配布

熊大研究班は、昭和三二年三月(乙第一一七号証の三)、それまでの研究の成果をまとめた報告書第一報「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について」(熊本医学会雑誌三一巻補冊第一)を配布したが、右報告書には次の論文が掲載されている。

喜田村教授ほか「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績」(甲A第三五九号証)は、疫学調査を行った結果をまとめて、「患者は昭和二八年末より発生し、……三ケ年に合計五二名発生している。……月別患者発生は四〜九月に比較的多発し、……季節的変動が著明である。……発生地域は水俣市百間港湾沿岸の農漁村部落に限られ、その発生範囲の拡大は認められない。とくに漁家に患者発生は多く、‥同地域飼育の猫は同様の症状で多数斃死している。……本疾患は共通原因による長期連続曝露を受けて発症するものと認められ、その共通原因としては汚染された港湾生棲の魚貝類が考えられる。」と報告している。この報告においては「患者発生地域近傍の特殊環境として存在し、港湾汚染を招来する可能性ありと考えられるものとして……某肥料株式会社の水俣工場、月の浦地区の水俣市営屠殺場、湯堂地区の海中に湧水個所のあること並びに茂道地区に旧海軍の弾薬貯蔵庫、高角砲陣地が存在した事実があげられる」と記載している。

入鹿山教授ら「水俣港湾の汚染状況について」(乙第八五号証の五)は、「水俣地方に発生した脳症を伴う不明疾患の原因は現在のところ明らかでないが、本病が魚撈を業とするものに多いことや発生の時期が水俣港湾内での魚撈(カシアミ、夜ボリ等)の時期と関係があるように考えられることなどからして、本病の発生と同港湾の汚染との間に何等かの関係があるのではないかと疑われている。……水俣港湾の海水は工場廃水の排水口に近い部分では明らかにその影響がみられるが、港湾全体としても一般に汚染されている。これは、工場廃水のほか船舶や家庭廃水による汚染が綜合されたものと考えられる」と報告している。

勝木教授、徳臣助教授ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経疾患、特に臨床的観察について」(乙第八五号証の二)は、初期の患者八例の臨床症状を報告した上で、原因として日本脳炎その他の感染性疾患、マンガン、二硫化炭素、一酸化炭素、四エチル鉛等の中毒を考察した。「そして、それらの中ではマンガン中毒に最も近いが、従来の記載と全く一致するものではない。」旨報告した。

武内教授ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経疾患の病理について(第一報)」(乙第八五号証の三)は、水俣病患者の剖検結果を報告した上で、感染症よりむしろ中毒症を思わす疾病と考えられると結論づけているが、「病理学的変化を招来し、しかも臨床症状が錐体外路性症候を主として現すものとしては、第一にマンガン中毒が考慮されるが、本症がそれに該当するか否かは多くの研究を必要とする。」と述べ、マンガン中毒説を肯定する事実(魚介類にマンガンが多量に検出されること、解剖所見の類似性)と否定する事実(水俣病患者の屍体の臓器マンガン量が対照より著しく多い成績を示さないこと、組織化学的証明で患者の臓器にマンガンを証明できないこと)を報告した。

喜田村教授ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する化学毒物検索成績(第一報)」(乙第八五号証の四)は、水俣病と平塚市に発生したマンガン中毒症とは類似点が多いところから、土壌、海水等についてマンガンを主とする諸種毒物の分析定量を実施し、「分析の結果異常と認められるのは海水及び一部魚貝類に含有されるマンガン量のみであったが、摂食する食品中のマンガン量に大差があるとは認められない。対照地区の住民の中に、一日一〇ミリグラム程度のマンガンを摂取している者がいるが何ら異常が認められない。剖検屍体臓器中のマンガン量にも異常は認められず現在までの分析結果では何らマンガン中毒を肯定する事実は認めないが、更に検討を要する。」旨報告した。

10 厚生省厚生科学研究班の打合せ会及び報告書

国立公衆衛生院の宮入、佐藤両技官及び厚生省食品衛生課の岡崎技官は、昭和三二年三月一九日、被告県を訪れ、その後の研究結果について熊大研究班と打合せを行い、翌日から水俣市の現地を調査した(乙第一号証)。

そして、同月三〇日、厚生科学研究班は、「熊本県水俣地方に発生した奇病について」と題する報告書を作成した。同報告書の概要は、「本病の発生がどのような原因によって起こるものかについては、なおその結論が得られていない。現在の調査研究の段階で一応考えられることは次のとおりである。」として様々な要因について検討した後、「現在最も疑われているものは疫学的調査成績で明かにされた水俣港湾に於て漁獲された魚介類の摂食による中毒である。魚介類を汚染していると思われる中毒物質が何であるかは、なお明らかでないが、これはおそらく或る種の化学物質ないし金属類であろうと推測される。」とし、「今後の調査研究方針」として「以上の成績から本病の原因については更に広い視野に立って探究を続ける必要があるものと考えられるが、ことに疫学的、病理学的、化学的ないし毒物学的究明が最も重要と思考されるので、今後その方面について更に調査研究を続行する方針である。」(甲A第二〇二号証)というものである。

11 内藤大介技師の調査

被告県水産課内藤大介技師は、昭和三二年三月六日、七日水俣市百間港一帯の漁業被害を調査するため水俣に赴いた。

内藤技師の調査(甲A第三八号証)によれば、「海岸一帯で顕著にみられることは、礁に附着しているかき、ふじつぼ等の脱落で」、「体長一糎前後の二枚貝の死殼が多数認められ」、また「明神崎の内側恋路島の東岸には海藻類の附着がほとんどなく」、「岩礁は灰泥に覆れ海藻類は全然認められない。」旨報告されている。なお、魚介類、鳥類については、「海岸に斃死した小魚、しゃこの漂着が認められ、翼脚のきかないかいつぶりを一羽発見した。」程度であって、魚介類、鳥類の大量のへい死などは報告されていない。また、内藤技師は「現在この一帯においては、漁獲は皆無で漁民はこの附近で魚介類をとることに恐怖を感じて(いる)」旨報告している。

12 伊藤所長の調査等

伊藤所長は、昭和三二年三月二六日、津奈木村の衛生課職員から、同村の平国部落で猫が発病した旨の報告を受け、直ちに同部落に赴き調査したところ、同部落のうちの合串及び割刈の二地区約三〇戸の家庭の飼猫及び野良猫(主に野良猫)合計九匹がイリコを食べて発病し、へい死したこと(ただし、死体はなかった。)、津奈木村沿岸では漁獲が皆無の状態となったため、平国部落の漁業者の一部は同年二月下旬ころから水俣湾内で操業をしていたこと等を確認した。そこで、伊藤所長は、津奈木村長らに対し、イリコの摂食と水俣湾内での漁獲を禁止するよう指導方を依頼するとともに、開業医等に対し、平国部落において手足のしびれや言語障害等の症候を示す患者があれば直ちに水俣保健所長に報告するよう指示した。そして、伊藤所長は、以上の点について、県衛生部長に対し「水俣奇病に関する速報について」と題する書面(甲A第四五号証)をもって報告するとともに、天草郡、芦北郡及び八代郡方面の漁業者に対し水俣湾内での操業を禁止するよう指示する必要がある旨の意見を付した。

県芦北事務所長は、同年三月二九日津奈木村福浜で猫が発病した旨の情報を得たので、同月三〇日現地を調査したところ、同地区の地曳網業浜田某が地先海岸での操業不振のため同月二三日水俣市袋湾において片口小羽いわしを漁獲して乾燥中、付近の猫一五匹がこれを食べて発病し、へい死したこと等を確認した。そこで、同所長は、各村長並びに各漁協長あて危険海域での操業を自粛するよう警告した上、今後の措置として、水俣病の今後の進展いかんによっては水俣市以北の海域も危険区域と想定されるので、危険区域での操業を自粛することはもちろん、努めて津奈木村以北で操業をするように勧めることとし、県経済部長に対し右事実を「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面(乙第九号証)をもって報告するとともに各漁業協同組合長あて警告を行うよう要望した。

県水産課は、昭和三二年五月ころから、密漁の監視船「阿蘇」及び「はやて」を月に数回水俣湾に派遣して、操業の自粛が守られているかどうか監視し、操業自粛の実効が上がるよう努めていた。その後に水俣漁協も独自に監視船を出して操業自粛の実効性を高めるよう努めていた(乙第五九号証、同第五四号証、甲A第五五一号証)。

13 伊藤所長の猫実験

前記のとおり、本疾患の病原物質の人体への侵入の媒介物として水俣湾産魚介類が考えられた後、これを実験的に実証する方法として、熊大研究班においては、猫に水俣湾産魚介類を与えて飼育し発病させる実験が行われていたが、成功していなかった。

伊藤所長は、武内教授の依頼を受け、昭和三二年三月二六日から同様の実験を試みたところ、早いものでは魚介類を投与し始めてから一週間以内に発症し、その症状及び病理学的所見は自然発症の猫のそれと同様であることが確認され、ここに至って初めて右実験が成功した(乙第五三号証、甲A第一七二号証)。その後、熊大研究班の各教室における実験でも同様の成績が相次いだ(乙第九〇号証の四)。

14 厚生省厚生科学研究班の昭和三二年七月一二日開催の研究報告会

厚生省厚生科学研究班の研究報告会が、同年七月一二日、国立公衆衛生院で開催され、結論として、本奇病は感染症ではなく中毒症で、水俣港湾内において何らかの化学毒物によって汚染された魚介類を多量に摂取することによって発症するものであるが、その有害物質ないし発病因子が何であるかについては、これを断定するまでの成績は得られておらず、この点につき更に調査研究を続行中である旨発表された(乙第一〇号証)。

この報告会において、喜田村教授らは、中毒症として本症に類似の症状を惹起する既知の化学毒物としては、マンガン、タリウム、ヒ素、セレン等が考えられるが、これらの中で最も本症と類似の症状を招来するのはマンガンであること、工場廃水及び一部海水中に微量のマンガンを、魚介類に大量のマンガンとセレンを、発病猫の毛に異常のマンガン、セレンを、工場廃水口付近の海底泥から若干のマンガンと多量のセレンをそれぞれ検出したことを報告した(同号証)。

15 水対連第三回会議

第三回水対連が、昭和三二年七月二四日開催され、その会合において前記厚生省厚生科学研究班の研究報告会は本病は水俣病内産の魚介類を摂取することによって発病するものと結論づけたものと理解された。そこで、これらの研究結果によっても水俣湾内産の魚介類のすべてが有毒か否かは依然不明であるが、食品衛生法を拡大解釈して水俣湾内産の魚介類のすべてを同法四条二号に規定する「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」とみなす必要があるとされ、その結果、一定海域を区切って水俣湾内産の魚介類すべてについて、同法四条二号に該当する食品として取り扱うことを告示(県公告式条例による県公報登載)する方針が決定された(乙第一四三号証の一)。そして、右告示を実施するに当たり、水俣市当局、漁協等の地元関係者と事前に打合せをして十分に了解を得ておくこと及び厚生省に対し文書をもって照会をしておくことが確認された。

また、被告県としては、引き続き、生活保護法の適用や職業あっせん等の施策を強化すること、漁業対策として浅海増殖事業の実施や魚撈施設の整備改善、鹿児島県北薩海区への入漁についての折衝を促進すること、そして、研究機関たる熊大及び国立公衆衛生院に対し、病原物質及びこの汚染経路の研究・確認の促進方を依頼することが決定された。

なお、土木部においては、従前から計画されていたものの、水俣湾の汚染の拡大を恐れてその実施を見合わせていた水俣湾浚渫事業を、今回実施を予定する告示の後に実施することとされた(甲A第五一号証)。

同年八月一四日、水対連の方針に基づき、水俣保健所において、被告県から衛生部公衆衛生課長、経済部水産課長及び水俣保健所長が出席し、現地から水俣市衛生課長、商工課職員、市議会議長、同議員、水俣漁協組合長、同参事、水俣市医師会長、同副会長及びチッソ附属病院院長が出席した上で、水俣奇病対策懇談会が開催された。右懇談会においては、県側から水対連で決定された告示の方針及び想定危険海域の範囲として明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線の範囲内を考えている旨等説明がなされたが、水俣漁協側から、漁業権の買上げや事実上の漁業停止の見返りとして補償をする意思の有無を問う質問がされた(甲A第五三号証)。その結果、想定危険海域として、明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結ぶ線以内の海域とすることで水俣市漁協と合意に達し、ここに、従前必ずしも明らかでなかった漁獲を自粛すべき海域が明確にされた。同漁協は、以上のことを役員会で決議した上、同海域における操業を自主規制することとなった(乙第八九号証)。

16 被告県から厚生省への照会とその回答

水対連第三回会議において食品衛生法に関する告示をする方針が決定されたのを受けて、被告県は、同年八月一六日、県衛生部長名で厚生省公衆衛生局長あてに「水俣病にともなう行政措置について(照会)」と題して、「標記の件については、昭和三二年七月一二日水俣奇病研究発表会の際に、結論として、本疾患は諸種の調査研究及び実験的追求の結果、その本体は中毒性脳症であって、水俣湾産魚介類を摂取することによって発症するものであることが確認された。従って、同湾内に生息する魚介類は、食品衛生法第四条第二号の規定に該当するものと解釈されるので、該当海域に生息する魚介類は海域を定めて有害又は有毒な物質に該当する旨県告示を行い、法第四条第二項を適用すべきものと思料するが、貴局の御見解を御伺いします。」(乙第一四五号証)との照会を行った。

これに対して、厚生省公衆衛生局長は、同年九月一一日、右照会に対し、「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患にともなう行政措置について」と題する書面で、「一、水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経系疾患を発生する虞があるので、今後とも摂食されないよう指導されたい。二、然し、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法第四条第二号を適用することは出来ないものと考える。」旨回答した(甲A第五六号証の二)。

被告県は、厚生省の右回答を受けた結果、水俣湾内産の魚介類のすべてを食品衛生法四条二号にいう有毒・有害食品に該当するということはできないが、厚生省からの回答にもあるように、今後とも、水俣湾内産の魚介類についての漁獲自粛を求める行政指導を続け、新患者発生の防止に努めることとした(乙第一一号証の三、同第一三号証)。

この後、新たな患者は昭和三一年一二月末以降昭和三三年八月まで全く発生しなかった。

17 水俣湾内の魚介類の危険性に対する認識

以上のとおり、水俣病が公式発見された直後からしばらくの間は原因について全く見当もつかずに推移していたが、患者発掘が進むにつれて患者は水俣湾沿岸に居住する者で、しかも漁師及びその家族が多いことが徐々に判明し、その結果水俣病の原因として水俣湾内の魚介類が疑われるようになってきた。昭和三一年末における疫学的調査の結果をまとめた喜田村教授の論文(「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績」甲A第三五九号証)には次のような記載がある。

患者発生世帯の職業分布について、「患者発生世帯と対象世帯の世帯主職業を比較表示したのが第八表(省略)である。当地域に漁家の多いことは当然であるが、患者群と対照群との間の漁家の占める比率の差異は著明であり、調査において特に注目された点は、患家世帯では非漁業世帯と雖も、世帯主或いは家族の一員が何らかの形で漁獲に従事しているものが、一四世帯中一〇世帯に認められ、又全然漁獲に従事せぬ四世帯も、漁家に隣接して容易に現地採取の魚貝を入手し得る点であり、対照の非患家においてはこのような事実は認めなかった。第四図(省略)中の海岸より遠隔の地点に単独発生している多々良地区の患者は会社員であるが、漁獲に極めて熱心に従事し、百間の患者も理髪業ではあるが一ヶ月の中1/3は漁獲を行っていたなどの例は、この間の事情をよく物語っているものである。」

海産物摂取の状況並びに漁獲方法について、「現地住民には漁家が多く、これらは当然多量の魚貝を摂取しているが、他地域に比べ特異な点は港湾内で漁獲の海産物を主として摂食することである。すなわち患者発生の当該地域に隣接した、東北、南西の両方向海岸沿いには、現地同様の漁村部落が散在しているが、これらの部落には患者の発生は全然認めらず、またそれらの部落の漁民は漁区の関係上、水俣港湾内における漁獲は全然行っていない。これに反して丸島より茂道に至る当該地域の漁家は主としてこの港湾内の漁獲を行っているのである。」

前記喜田村論文及び昭和三二年三月三〇日付厚生科学研究班による報告書(甲A第二〇二号証)には、「本病と魚介類の摂食との関係・疫学調査の結果、患家ではいずれも日常魚介類を多量に摂取している事実を知った。本病が漁民の間に多発しているのは自ら漁獲した魚介類を多く摂取することに因るものと推測され、しかもその魚介類はいずれも水俣湾内で漁獲されたもので、主として、かに、えび、ぼらその他の魚介類であることを確かめた。」とあり、この当時水俣湾内の魚介類が疑われる対象であり、水俣湾外の魚介類は含まれていない。

18 水俣湾外の魚介類の危険性に対する認識

(一) 津奈木村平国部落における猫の集団発症

昭和三二年三月、津奈木村平国部落において猫の集団狂死が発生した。しかし、伊藤所長作成の報告書(甲A第四五号証)によれば、これは水俣湾内で漁獲したイリコを猫が食べて発症したというものである。

(二) 回遊魚の有毒有害性について

喜田村教授は、昭和三二年九月発刊の熊本医学会雑誌(第三一巻補冊第二)所収の「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績補遺」(乙第九〇号証の一、二)と題する論文中においてイワシの有毒性を指摘している。

喜田村論文は、回遊性のタレソイワシを水俣湾内のいけすに貯蔵していたところ、鳥がこれを好んで食べていたという事実と水俣湾内あるいはその沿岸で歩行、飛しょう困難に陥っている鳥が見受けられた事実とを挙げ、この間に因果関係があるものと推測して右タレソイワシの有毒有害性を指摘している。同論文の要約3には、「廻遊性の魚類であり、水俣湾内に短期間滞在したものであっても、魚類は毒性を帯びるに到るようである。」と記載されている。

三  昭和三二年九月から有機水銀説まで

1 水俣病の原因物質の研究

水俣病の原因物質については、当初、、マンガンが有力視され、マンガンであることを想定して、これを実証する方向で研究が進められていたが、その後、セレンやタリウムが疑われ始め、原因物質及びその発生源を特定し、実証するには、なお時間をかけた調査研究を必要とする様相を呈し始めていた。

(一) 熊大研究班第二報配布

熊大研究班は、昭和三二年九月二八日(乙第一一七号証の三)、第一報以後の研究成果をまとめて、「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について(第二報)」(熊本医学会雑誌第三一巻補冊第二)を発行し、配布した。

同報告書には、次のような研究成果が掲載されている。

武内教授らは、水俣病における神経細胞の変化等の病理組織学的所見について報告し、神経細胞の変化から特定の中毒性因子を類推することはかなり困難であり、原因はなお不明といわざるを得ないと結論づけた(乙第九〇号証の三)。

喜田村教授らは、諸種のマンガン化合物を猫に経口投与したが、これによっては猫を発症させることはできなかった。他方、亜セレン酸と硫化ソーダを経口投与した実験においては現地魚介類により中毒症状を発現したものと極めて類似の症状を起こすことができた(乙第九〇号証の四)。そこで、次に、喜田村教授らは、重金属間の相乗作用をも考慮して亜鉛や銅の分析や投与を試みたが、猫を発症させることはできなかった(乙第九〇号証の六)。そこで、水俣病と症状が極めて類似したところの多い平塚市のいわゆるマンガン中毒症例の発生状況を検討した結果、硫化鉱に着目し、本症状と類似の症状を惹起させる毒物としてセレン、タリウム、ヒ素、バナジウムについて工場排水や泥土の含有分析をしたところ、セレンを異常大量に検出したが、同港湾内魚介類中には対照の魚介と比べて著明に多量のセレンは検出されなかった。しかしながら、現地発症の動物及び死亡患者の臓器、殊に肝中には従来のセレン中毒例の場合に匹敵する多量のセレンを検出し対照群に比し著明な差を示していることが判明した(乙第九〇号証の七)。

世良教授らは、正常健康猫に硫酸マンガンを単独あるいは硫酸銅と併用して主食に混ぜて投与したところ、併用した事例において臨床症状の発現は認めなかったものの、本症病理所見にかなり近似する所見がみられた(乙第九〇号証の五)。

入鹿山教授らは、水俣病の原因と想定される物質(マンガン、タリウム、セレン)による動物実験を行ったが、いずれも発症せず、これらと本症との関係を明らかに証明できなかった(乙第九〇号証の八)。

(二) 厚生省厚生科学研究班の研究

厚生科学研究班は、昭和三二年一〇月、第一二回日本公衆衛生学会において、水俣病は水俣湾産の魚介類を摂食することによって起こるものであることは明らかに実証されたが、その魚介類の有毒有害化の原因及び本病発症の機序については、今後更に研究を続行し、近い将来これを解明したい、回遊性の魚類で同湾内に短期間留まったものでも毒性を帯びるようであるとの報告をした。

厚生科学研究班は、同年一一月二九日、国立公衆衛生院で厚生省、国立公衆衛生院、県衛生部の各担当者出席の上、研究報告会を開催したが、その概要として、「本病は現地の水俣市で昨年一一月以降全く新発生を見ていない。これは現地の住民が、水俣港湾内で漁獲された魚介類を摂取しなくなった為と考えられる。本病は同港湾内産の魚介類を摂取又は投与することによって、猫その他の動物にも自然的に、または実験的に発症するものであるが、その病理学的所見は人の場合に酷似している。同湾内の一部の泥土で動物の脳に類似の病理学的変化を起こすこともできる。現地の泥土中には、マンガン及びセレンが多量に証明せられ、また発症猫の臓器中にもマンガン及びセレンが著明に認められる。マンガン及びセレンによる猫の実験的研究でも泥土の場合と同様の病理所見が認められる。セレン化合物の経口投与で、小動物を致死せしめた時の臓器内セレン含有量は、現地で発症死亡した動物内のセレン含量と大差をみとめない。同湾内産の魚介類で飼育した猫の示す中毒症は、実験的タリウム中毒症に酷似している。本症患者には、その血液及び肝汁中にマンガンが多く証明せられたものがある。以上の成績から本症は水俣港湾内で或る種の化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂取することによって発症する中毒性疾患で、その化学毒物として現在の段階では、セレン、マンガン、タリウムが主として疑われる。」旨報告がなされた(乙第一二号証)。

(三) 熊大研究班の被告チッソに対する照会と回答

熊大研究班は、昭和三二年九月七日、被告チッソに対し、廃棄物処理状況等について照会していたが、被告チッソは、同年一二月二〇日、熊大研究班に対し、コットレルダストからタリウム、セレンを、排水口泥土からタリウム、セレン、マンガンを各検出した旨回答した(甲A第五九号証)。

(四) 厚生省厚生科学研究班の研究報告会(昭和三三年二月一五日)

厚生省厚生科学研究班は、昭和三三年二月一五日、研究報告会を開催し、チッソの右回答を検討し、魚類の有毒化実験及び毒物の動物、人体への侵入経路の解明が今後の研究課題とされた(甲A第六三号証)。

(五) 熊大研究班の研究報告会

熊大研究班は、同年四月一六日、水俣市において研究報告会を開催し、各教授から、大略次のとおり、マンガン説、タリウム説、セレン説のそれぞれに対し、肯定的見解及び否定的見解の発表がなされた(乙第九一号証)。

宮川教授は、「猫に酢酸タリウムを混ぜた餌を投与する実験を行い、死亡した猫の脳の病理所見を見て検討している。水俣湾産鳥貝からタリウムが顕著に検出された。」と報告した。

武内教授は、「マンガンを猫に投与すると、水俣病と似た点もあるが全く同じとはいえない。セレンを猫に投与すると脳に浮腫を起こす。」と報告した。

喜田村教授は、「マンガン中毒と似ており、発症猫の毛にマンガンを多量に検出するが、患者の毛髪中のマンガンは健康人と差がない。セレン、タリウムが水俣湾産に多く検出される。セレン化合物の皮下注射実験をしてみると大体症状は似ているが、全部似ているとはいえない。」と報告した。

(六) 厚生省厚生科学研究班の研究報告

厚生省厚生科学研究班は、同年六月、それまでの調査研究成績を「いわゆる水俣病に関する医学的調査研究成績」と題する報告書(甲A第六〇号証)にまとめた上、厚生省に提出したが、右報告書では、原因物質としてセレン、マンガン、タリウムが主として疑われるが、いずれも単独では実験的に再現できず、これらの物質が魚介類に摂取されて、その性状を変化し、毒性を増強し、それが生体の諸種の条件とあいまって特異な累積中毒作用を発現するに至るものであろうとされた。

2 被告国・県の対策等

(一) 県衛生部長の指示

昭和三二年一二月一三日県衛生部長は、水俣市長及び保健所長に対し、水俣港改修に伴う同港の一部浚渫が開始されるのに伴い、同湾内魚介類について従来どおり摂食しないよう地元漁協等関係者に対し強力に指導するよう指示した(乙第一三号証)。

(二) 魚礁及び築磯設置事業の実施

被告国・県は、昭和三三年三月、三〇八万円を負担して、危険の想定されない海域に魚礁を六か所、投石による築磯を三か所設置する事業を実施した。なお、右事業予算については、通常の補助率とは異なり地元負担分をなくして被告国・県が各二分の一ずつ負担したものであった。また被告県は、他海域(鹿児島県)への入漁をあっせんし、沖合漁業への進出等について漁民を指導した。(以上につき乙第四〇号証の一、二)

(三) 参議院社会労働委員会における尾村偉久厚生省環境衛生部長の答弁

厚生省の尾村偉久環境衛生部長は、同年六月二四日に開催された参議院社会労働委員会において質問を受けた際、前記原因究明の状況を踏まえて、水俣病の原因物質はタリウム、マンガン、セレンのいずれか、あるいはこの三つの二つないし三つの総合によるものであろうということが今のところ分かっており、魚類に対する移行経路は判明していないものの、当該物質は水俣市の肥料工場から流失したと推定される旨発言しているが、それと同時に、当該物質を排出する工場は全国に多数あるにもかかわらず、二〇年以上にわたって操業してきた同工場付近のみにおいて、しかも昭和二八年以降になって患者が発生したことに疑問がある旨の右推論に対する疑問も指摘している(甲A第六三号証)。

(四) 厚生省公衆衛生局長による関係各省庁及び被告県への通知

厚生省の山口正義公衆衛生局長は、同年七月七日、原因物質として主としてセレン、タリウム、マンガンが疑われる旨の前記厚生科学研究班の報告に基づき、水俣病は、水俣湾内においてある種の化学毒物によって有毒化された魚介類を多量摂取することによって発症するものであり、肥料工場の廃棄物によって魚介類が有毒化されるものであると推定した上、廃棄物が魚介類の体内へ移行し、有毒化する機序については今後の総合的研究にまつ必要があるとして、関係省庁及び被告県等に対し、「熊本県水俣市に発生したいわゆる水俣病の研究成果及びその対策について」と題する文書をもって右研究に対する協力方を依頼するとともに、本問題の対策について、一層効率的な措置を講じられるように要望した(乙第九三号証)。

(五) 水俣奇病綜合研究連絡協議会及び水俣奇病対策連絡協議会の設置

厚生省は、右の課題を踏まえて関係各省庁との協議の結果、同年八月七日、被告県、熊大、九州大学及び関係省庁の出先機関で構成する水俣奇病綜合研究連絡協議会を被告県に設置して、水俣奇病の原因につき総合的かつ有機的な研究を行うこととし、さらに中央に、厚生省、水産庁、通産省、文部省、運輸省及び海上保安庁で構成する水俣奇病対策連絡協議会を設置し、関係省庁間の連絡を密にして、右の研究成果の分析とこれに基づく適切な対策を実施していくこととした(甲A第七〇号証)。

3 新たな患者の発生と対策等

(一) 新たな患者の発生

昭和三三年八月一一日、水俣市茂道に住む少年の生駒秀雄は、熊大医学部の徳臣助教授により水俣病と診断され、ここに新たな水俣病患者が昭和三一年一二月以来初めて発生したことが確認されるに至った。そこで水俣保健所長は、県衛生部長に対し「水俣病新患者発生報告について」と題する書面をもって右事実を報告した。生駒少年は、昭和三三年七月初めに袋湾内の蟹を自ら捕獲し、数回にわたって多量に摂取した結果発病したものであった(乙第一四号証)。

(二) 被告県の対策

新たな水俣病患者の発生を確認した被告県は、それが約一年八か月にわたって患者が発生しなかったことから、水俣湾内の魚介類に対する住民の警戒心が緩み水俣湾内で漁獲する者が出始めたためと判断し、まず、現地の水俣保健所を介して、従前から水俣市役所及び漁協を通じて水俣湾内の魚介類を摂取しないよう呼び掛けてきたのに加え、更に、市の回覧板や地元の学校を通じてこの旨周知徹底させるべくPR活動を行った(乙第五三号証、乙第一四号証)。

また、県経済部長は、従前地元漁協に想定危険海域である水俣湾内での操業自粛を申し合わせるよう勧告し、漁協もこれに従って水俣湾内での操業自粛を申し合わせ、所属組合員に指示していたのであるが、右新患者の発生に伴い、昭和三三年八月二二日、地元漁協に対し従前の申合せを遵守するように通知するとともに、県内各漁業協同組合長、県漁業協同組合連合会長及び九州各県の水産主務部長らに対し、同海域での操業を絶対行わないよう指導方を願う旨想定危険海域の図面を添付して通告した(乙第六三号証)。

その後、同年九月中旬に二名の患者の発生があったものの、それ以降は再び新たな患者は発生せず、この状態は昭和三四年三月まで続いた。

(三) 水俣漁協による漁民大会決議・陳情

水俣漁協は、新患者の発生に伴い、同年九月一日、漁民大会を開催し、想定危険海域内の操業を法的に全面的に禁止し、それに伴う生活補償を漁民に与えること及び水俣病の発生経路を早期に究明すること等を要望する旨の決議を行った。右決議に基づき、同漁協は水俣市長、水俣市議会議長らとともに水俣奇病の原因究明のための多角的総合的研究体制の即時確立、奇病罹患世帯に対する救済援護の早期実現、魚礁投石の設置及び漁業転業資金の貸付あっせんにつき被告県に陳情した。なお、右陳情の内容には、チッソ水俣工場の排水の停止というようなものは含まれていなかった。これに対し被告県は、水俣市と合同で国に陳情したい旨答えた(乙第五九号証及び同第一四七号証)。

(四) 被告県の漁業対策

被告国・県及び水俣市は、水俣漁協が漁業不振に加え、水俣病の発生により好漁場を放棄せざるを得ない状態になったため、昭和三三年度においても、前年度に引き続き水俣漁民の漁場転換を図るため三〇三万円八〇〇〇円を負担して茂道沖等に魚礁や築磯を設置する事業を実施した(乙第四一号証の一、二)。

(五) 被告国及び県の水俣病患者への救済、援助措置

被告国は、昭和三三年一一月一四日の閣議で水俣病の原因究明と患者の救済対策として、予備費から、水俣食中毒原因究明調査委託費一〇〇万円(全額国庫負担)、同患者の昭和三三年度分医療費七〇万五〇〇〇円(水俣食中毒治療研究費・国、県、市、各三分の一負担)の支出を決定した。

そして、熊大入院患者について、地元医療機関への引受けの問題が生じたので、厚生省は、そのころ水俣食中毒患者収容病棟(以下「専用病棟」という。)を水俣市立病院内に建設することを決定し、その建設費として、被告国と県は各二一一万五〇〇〇円を水俣市に補助した。

同年一二月、専用病棟が完成するまでの間、市立病院の仮病室に在宅患者及びチッソ附属病院入院中の患者一〇人を収容し、公費により治療を行った。(以上につき乙第三五、三六号証)。

4 水俣食中毒部会と熊大研究班第三報

(一) 厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の発足

厚生省は、水俣病の原因究明費用として予備費の支出が決定されたのを受けて、水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で、食品衛生法二五条に規定する厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に臨時的な特別部会として「水俣食中毒部会」を発足させることとし、昭和三三年一二月三日、熊大研究班、県衛生部、西海区水産研究所、県水産試験場の関係者を招集して、その編成等について打合せを行い、昭和三四年一月一六日ころ、同部会が発足した。

同年二月一七日、東京において食品衛生調査会が開催されたが、その際、水俣食中毒部会を代表して鰐淵熊大学長及び県衛生部長が出席して水俣病問題について討議した。(以上につき、乙第一五号証、同第一六号証の一、二)。

(二) 熊大研究班第三報配布

熊大研究班は、昭和三四年三月三一日(乙第一一七号証の三)、それまでの研究成果をまとめた「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第三報)」(熊本医学会雑誌第三三巻補冊第三)を刊行配布した。同報告書には、次のような論文が掲載された。

喜田村教授らは、発症猫の肝中に多量のセレンが含有されていたため、対照群として芦北町の健康猫の肝中セレンを検査したところ、健康猫からも多量のセレンが検出された旨報告している(乙第九二号証の四)。

神経精神医学教室瀬口三折らは、「我が教室で行った他の方法よりの研究によると、タリウムの中毒と水俣病とは、いまわしい程の近似をしているのである。」として、猫にタリウムの慢性の中毒を起こさせて観察した結果、水俣病と同様な間代性痙攣の起こることなどを認め、小脳の顆粒細胞の粗鬆化が著しく高度である点も水俣病の猫の場合と同様であることを認める旨報告している(同号証の三)。

武内教授らは、慢性経過をとった水俣病患者を病理解剖した結果を踏まえて、解剖所見からみた原因物質に対する考察を加え、マンガン化合物、セレン化合物、タリウム化合物、鉛中毒、水銀中毒、殊に有機水銀についてそれぞれ検討し、マンガン化合物については、主要病変を異にしている、セレン化合物については病理所見が不明で比較検討が不可能である、タリウム塩についてはその解剖所見が必ずしも一致しない、鉛中毒については、臨床症状を異にするが病理所見は水俣病に類似する、などと述べ、さらに、有機水銀中毒については、有機水銀中毒にみられるハンター・ラッセル症候群の症状と一致すること、有機水銀中毒の病理所見と本症の解剖所見がよく類似していることなどを指摘し、「以上の所見は有機水銀中毒症が水俣病に極めて良く以ていることを示す知見であるが、この様な有機水銀が果して現地の魚貝類に存在するかは尚検討されていない。又、公衆衛生の立場からかかる有機水銀が現地湾内に存在し得るか否かは今後の検討に埃たねばならない」と報告している(甲A第五二〇号証)。

5 水俣川河口付近海域の汚染の判明とそれに伴う対策等

(一) チッソ水俣工場の排水経路の変更

チッソ水俣工場は、昭和三三年九月ころ、アセトアルデヒドの排水経路を百間港から八幡プールに変更し、その排水を水俣川河口に排出するよう変更した(乙第五三号証)。

(二) 水俣川河口における水俣病患者の発生

従前、水俣病患者は、水俣湾沿岸地域だけに発生していたが、昭和三四年三月二六日、水俣川河口付近である水俣市浜八幡に住む森重義が水俣病と診断された。しかし、調査の結果、森は水俣川河口付近だけでなく水俣湾内の想定危険海域でも漁獲し、多食していたことが分かり、この時点では、水俣川河口付近の海域が汚染されていることは知る由もなかった(乙第一七号証)。森の発病に続き、翌四月二四日には、水俣市浜下に住む中村末義が水俣病と診断された。調査の結果、中村は水俣湾外の水俣川河口付近を漁場とし、そこで捕獲した魚介類を摂取して発病したと思われた(乙第九七号証)。

さらに、中村の発病に続き、水俣湾外の海域を漁場とする者の発病が確認され、これを契機に、水俣湾以外の海域である水俣川河口付近の魚介類も危険視されることとなった。

(三) 被告県による水俣川河口の調査

県水産試験場技師沢本良は、患者発生とは関係なく、水俣川河口に鮎が浮いたとの情報が入ったことから、昭和三四年六月五日、水俣川河口に赴き、同所の漁場の調査を実施したが、その際漁協関係者から、同年春ころから魚がへい死をしていることなどの訴えを聴取し、翌六日復命書をもって上司に報告した(甲A第七五号証)。復命書にはチッソ水俣工場が「一昨年七月」から新たに水俣川に排水を流している模様である旨記載されている。

(四) 水俣市長らの被告県に対する陳情

水俣市長、同市議会議長らは、同年六月八日、県副知事らに対し、水俣湾外の水俣川河口付近でも患者が発生したことを踏まえ、これらの患者発生に対する対策、危険海域を漁獲禁止区域として漁業権を被告県が買い上げること、水俣病の原因を早期に究明することを要望した。これに対し被告県側は、これまで採った措置について説明するとともに、食品衛生法で漁獲を禁止することはできない旨説明した(乙第一六号証の一、二、甲A第七六号証)。

(五) 水俣市議会議長らの厚生省等に対する陳情

水俣市議会議長らは、同年六月二〇日ころ、厚生省公衆衛生局環境衛生部長らに対し、水俣病発生原因の早期究明を要望するとともに、食品衛生法の適用により魚介類を全面的に採取禁止にすることは不可能であり、また水産関係法規でも漁獲禁止をする方法がない現況であるので、水俣地先海面を漁獲禁止区域とする特別立法を制定する措置を採ってもらいたい旨を陳情した。その際、同議長らは、最近被告チッソが水俣川に廃水を排出している模様である旨説明した。同部長らは、食品衛生法により廃棄処分をしたときは補償していないこと及び厚生省としては、摂食禁止指導の強化、有害化区域の指定及び原因の早期究明に重点を置いて実施する旨説明した(甲A第七七号証の一、二)。

(六) 県衛生部長の調査依頼

県衛生部長は、同年七月二日不知火海沿岸の宇土、八代、本渡、牛深、松橋及び水俣の各保健所長に対し、「水俣病に関する調査依頼について」と題する書面をもって魚介類水揚げ地区における猫の発病について調査の上報告するように依頼した(乙第一八号証)。

(七) 県議会水俣病対策特別委員会の設置及び被告国に対する陳情

同年七月八日、県議会に水俣病対策特別委員会が設置され、同委員会は、同月一三日、水俣病の原因につき早期に学問的結論を得ることや漁獲禁止の特別立法の措置を要望すること等を決定した(乙第九八号証)。

同委員会の右決議を踏まえ、県知事及び県議会議長は、同月二四日、関係省庁に対し、水俣病発生原因の早期究明、危険海域の調査指定及び危険海域を漁獲禁止区域とする特別立法の制定を要望する旨の陳情を行った(乙第九九号証)。

(八) 水俣漁協による漁獲自粛

水俣漁協は、同年四月以降従来の想定危険海域外において患者が発生したことから、同年六月ころ、県水産課の漁獲自粛の指導に従って想定危険海域を拡大し、津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島・熊本県境を結んだ線までの海域における漁獲を自主的に禁止することを申し合わせた(乙第八九号証、同第一〇〇号証)。

6 熊大研究班と食中毒部会等の研究状況

(一) 有機水銀説の浮上

熊大研究班による研究開始後二年半を経過したころ、研究班内で武内教授らによって主張された有機水銀説が浮上してきたため、喜田村教授らは、三か月間に及ぶ水銀微量定量法の検討や習熟期間を経て、水銀の分析を行い、泥土等から極めて大量の水銀(総水銀)を検出した(乙第一一七号証の四)。

第一内科教室においては、水俣病の臨床症状の把握に努め、水俣病に共通した主要症状として求心性視野狭窄、難聴、運動失調、振戦、表在知覚障害及び深部知覚障害がほとんどの症例にみられたことから、これを基礎として、その臨床像を確立した。

徳臣助教授らは、右の病像と従来報告されている鉛、四エチル鉛、タリウム、マンガン、無機水銀及び有機水銀の各中毒症状とを比較鑑別した結果、有機水銀中毒症が水俣病の病状と類似していることが判明した(乙第一一六号証の三)。

(二) 熊大研究班の研究報告会

熊大研究班は、昭和三四年七月一四日に班会議を開き研究班としての見解をまとめ、同月二二日、熊大医学部で、県関係者ら出席の上、研究報告会を開催したが、その席上、「水俣病は現地の魚貝類を摂取することによって惹起される神経系疾患であり、魚貝類を汚染している毒物としては、水銀が極めて注目されるに至った。」と発表した。

右研究報告会で報告された研究内容の概要は、次のとおりである(甲A第八五号証)。

第一内科教室の徳臣助教授は、水俣病疾患二四例の臨床症状が従来報告された有機水銀中毒と極めてよく一致すること、ジエチルジチオガルバミン酸銅法によって患者の尿中の水銀を定量したところ高値を示したこと、スペクトル分析法によって発病猫の脳、臓器に水銀の存在を認めたこと、エチル燐酸水銀を猫に投与した結果、水俣湾内産の貝を投与して発病させた猫と同一症状が生じたこと等から、水俣病は有機水銀中毒であろうと報告した。

病理学教室の武内教授は、水俣病患者の臨床症状の特徴に加えて、患者の最も特徴的な病理解剖学的所見が小脳顆粒型萎縮及び視中枢荒廃であるとし、これは有機水銀中毒の剖検例に認められること、水俣病患者の剖検例一〇例について多量の水銀を検出したこと等から水俣病の原因物質が有機水銀、特にアルキル水銀に類似するものではないかと考えている旨報告した。なお、武内教授は、ジメチル水銀を経口投与することによって猫を実験的に発症させることができたが、ジメチル水銀は、それが水には溶けないが有機溶媒には溶けるところ、既にその当時内田教授により水俣病の原因物質は水にも有機溶媒にも溶けないことが確認されていたため、武内教授もジメチル水銀自体が水俣病の原因物質ではないと認識していた。

公衆衛生学教室の喜田村教授は、ジチゾン法による水銀の定量を行った結果、水俣湾内泥土、魚介類、発病した猫や人の諸臓器に大量の水銀が証明されたことから、魚介類を汚染した因子として水銀が極めて注目されるが、疫学的見地からなお検討を要するとし、セレンの分析結果も若干右の結果に似た傾向を示した事実等から、更に引き続き検討を加える予定である旨報告した。

神経精神医学教室の宮川教授は、動物実験によって、発症させた猫などの酢酸タリウム中毒の症状及び病理組織的所見は水俣湾産魚介類による発症の場合と同一であるとして、水俣病の原因としてタリウムが依然として主要な原因をなすものと確信する旨報告した。

(三) 後藤教授の発生機序に関する見解の発表

昭和三四年七月二四日付熊本日日新聞は、後藤源太郎熊大理学部教授が「チッソ水俣工場から排出される水銀が原因である。」として、「工場の廃液には無機水銀が含まれているが、地中の無機水銀をエビやゴカイが吸収しこれらの生物を魚が食い、この過程のなかで無機水銀は有毒な有機水銀に変り魚自体もしだいに体内に有機水銀を蓄積する。水銀は工場が昭和二八年から塩化ビニールの触媒に利用しており、患者も昭和二八年から発生している。」旨断定したと報道した(乙第一四一号証)。

(四) 熊大研究班の有機水銀説に対する批判

チッソ水俣工場の研究陣は、昭和三四年八月五日、県議会水俣病対策特別委員会で工場側の研究発表を行い、熊大研究班の中で唱えられている有機水銀説は実証性のない推論である旨発表した。すなわち、同研究陣は、熊大研究班が動物実験に使用した有機水銀はいずれも水俣病の原因物質とは異なることが実験的に明らかにされていること、発表された病理所見について熊大教授の中にも異論があること、同工場では昭和七年からアセトアルデヒドの合成に無機水銀の一種である硫酸水銀を、昭和二四年から塩化ビニールの合成に同じく無機水銀に属する塩化第二水銀をそれぞれ触媒として使用しており、これらの無機水銀の一部が排水溝から海に流れ湾内に存することは事実であるが、これらの無機水銀は相当昔から世界各地の化学工場で使われてきたものであり、これら無機水銀から有毒物質が副生されたという文献はないこと、無機水銀が生体内で有機水銀に変化するというのは客観的に実証されてはいない単なる推論でしかないこと等を挙げて、有機水銀説を批判した(乙第一九号証)。

東京工業大学の清浦雷作教授は、昭和三四年八月二四日から同月二九日までの間、水俣湾内及びその周辺の海水について調査を実施した。右調査が終った段階で、同教授は、水俣市湯の児沖約3.5キロの地点から熊本、鹿児島両県境の神ノ川沿岸までの六〇か所で五〇〇点の海水を採取して分析し、海水は、化学工場がある他県の海水とほとんど同じでむしろ清浄な部類に属するが、水俣湾内、特に防波堤内側は濁っており魚は住めない状態である、水俣病の原因の一つと考えられているセレン、タリウムなど重金属類の融解度は、水俣湾内外とも大差はなく、特別に水俣湾だけが多いとはいえず、水銀についても他の化学工場と変わらない、魚の致死量として考えられている水銀の融解量は0.04ppmであるが、水俣の場合その一〇万分の一程度で非常にわずかであり、水俣病原因究明には更に総合化学的な研究が必要と思う、熊大の水銀説はまだ推論だと聞くが推論が大きな事態を招くことも十分に考えた上、発表は慎重にすべきだったと思う旨発表した(乙第一〇一号証)。

日本化学工業協会の大島竹治理事は、同年九月二九日、水俣病は、水俣、八代一帯に存した特攻隊と軍隊の集積所の爆薬、薬品が水俣湾内に投棄され、その成分である四エチル鉛、ヘキソーゲン、ピクリン酸等の薬物が昭和二八年ごろから流れ出たことに起因するとする見解を発表したが、その際、水銀が水俣病の原因とする説について、水銀を含む泥土に海水を入れて飼育した魚を猫に与えても発症しないという報告があること、水俣病が昭和二八年から急に発生していること、チッソ水俣工場と同様の工場が海岸に接して古くから全国に数多く存在しているが、そこでは水俣病は発生していないこと等を指摘して、同説を採り得ないものとした(甲A第一二八号証)。

(五) 水俣食中毒部会の会合

水俣食中毒部会は、昭和三四年九月八日、熊大医学部で会合し、研究方針について検討した。その席上で、生化学教室内田教授、第二病理学教室武内教授、第一内科教室徳臣助教授及び公衆衛生学教室喜田村教授らから将来の研究方向を有機水銀に置きたい旨の発言があったが、神経精神医学教室宮川教授及び衛生学教室入鹿山教授らは有機水銀による中毒症状の疑いはあるが、それが有機水銀であるとの証明はできないので、水銀が疑わしい程度にしたい旨主張した。その結果、水俣食中毒部会としては、「水銀が疑わしい。」という方向で臨むことになった(甲A第八六号証)。

(六) 食品衛生調査会合同委員会の開催

昭和三四年一〇月六日、東京において、食品衛生調査会合同委員会(水俣食中毒部会、常任委員会、技術部会、水産食品部会)が開催され、水俣食中毒部会は、水俣病の原因究明の中間報告を行ったが、その結果は、「水俣病は臨床症状及び病理組織学的所見が有機水銀中毒に酷似し、ある種の有機水銀を猫及び白鼠に経口的に投与して、水俣湾魚介類によるものと全く類似の症状及び病理組織学的変化を惹起せしめ、かつ患者及び罹患動物の臓器中より異常量の水銀が検出される点より原因物質としては水銀が最も重要視される。しかし水俣湾底の泥中に含まれる多量の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序は未だ明白でない。従って今後の研究はこの点を明らかにすることと原因物質そのものの追求に向けられねばならない。」というものであった(甲A第八八号証)。

(七) 水俣食中毒部会の中間報告に対する批判

被告チッソは、熊大研究班が報告した有機水銀説に対し、昭和三四年一〇月二五日までの研究結果をまとめて「水俣病原因物質としての「有機水銀説」に対する見解」と題する文書(乙第二二号証)を公表し、その疑問点を概要次のとおり指摘した。

水俣病発生の特異性として、水俣工場では、昭和七年以来今日まで酢酸の製造に水銀を使い、また、昭和一六年以来塩化ビニールの製造にも水銀を使用し、これら水銀の損失の一部が工場排水とともに水俣湾内に流入していることは事実であるのに、なぜ昭和二九年から突然水銀によって水俣病が発生したといえるのか。また、水俣工場と同様水銀を触媒に使用している工場は、日本に二〇以上あるのに、それらでは水俣病が発生していない。昭和二八年ないし二九年を境として水俣湾内に異常が起こったと考える方が常識的である。

水俣病の原因物質でないと自ら認めている有機水銀化合物(エチル水銀及びエチル燐酸水銀)のみで動物実験を行い、その結果が水俣病に酷似しているとして、有機水銀説の根拠とすることは正しくない。

海底土、河水、海水の水銀含有量を測定したところ、河川水中の水銀が意外に多く、しかも経日的に変化していることが判明したが、水銀剤農薬使用の影響と考えられる。

有機水銀説では有毒化機構に関する証明がなされていない。工場排水や無機水銀を入れた水中で飼育した魚を猫に投与しても発症をみず、また、工場排水及び泥土を直接猫に経口投与しても発症をみない。このことは、工場の排水中には魚介類を媒介体として有毒化する物質が存在しないことを示している。

東京工業大学の清浦雷作教授は、前記の海水調査を踏まえて水俣病の原因の探求に参考となる諸事項について研究し、昭和三四年一一月一〇日、水俣湾内外の水質は、溶存酸素量(DO値)は大で、化学的酸素要求量(COD値)は小で一般に汚濁の程度は低いこと、海水中の水銀の濃度は他の都市及び工場地帯に接する海湾と比較して特に高いとは認められないし、工場排水中の水銀濃度も同種工場と比較して特に異常を認めないとし、さらに、工場排水に含まれる無機水銀が有機化するという説については、水俣湾内の泥土や魚介類に大量の水銀が検出されるとしても、水俣以外の水域でも大量の水銀が検出される箇所があり、それにもかかわらず、それらの魚介類を摂取して発病した事実がないこと、発病した動物の体内や排泄物中に水銀が多く認められるとしても、そのために水俣病が発症したとは直ちにいえないこと、実験的に動物を発症させたとされる有機水銀(ジメチル水銀、エチル燐酸水銀)は水俣病の発症物質ではないこと等を指摘して、「工場排水が水俣奇病の原因であると断定することは妥当ではない。」旨発表した(乙第二一号証)。

(八) ネコ四〇〇号実験

チッソ附属病院の細川医師は、当時猫に酢酸工程から採取した排水をかけた餌を摂取させる実験を行った結果、昭和三四年一〇月七日に至って一匹の猫(ネコ四〇〇号)が発症したことを認め、その旨をチッソ水俣工場技術部へ報告した上、同月二一日この猫を屠殺して病理解剖したところ、水俣病と類似の所見が認められた。

しかし、同年一一月三〇日ころ、右技術部が右実験の続行を禁止したため、細川医師は実験の続行を断念して研究を中止し、右実験結果を外部に一切公表しなかった(甲A第一〇号証)。

(九) 神原助教授の発生機序に関する学会発表

昭和三四年一一月五日付熊本日日新聞は、神原武熊大医学部病理学教室助教授が第五回日本病理学会秋季総会において水俣病の原因として水俣湾に面するチッソ水俣工場から廃液として出る無機水銀が魚、貝の体内で有機水銀に変わるためだと結論した旨報道した(甲A第二一二号証)。

(一〇) 食品衛生調査会の厚生大臣に対する答申

右のような状況の中で、食品衛生調査会は、同年一一月一二日、東京で常任委員会を開催し、水俣食中毒部会の中間報告を基に、水俣食中毒の原因についての結論を出し、同日付けで厚生大臣に対し最終答申を行った。右答申の結論は、「水俣病は、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによっておこる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」とする純医学的結論であり、それ以上に、病原物質の発生原因等に触れるものではなかった(乙第二五号証)。

食品衛生調査会の右答申が出されたことにより、水俣病の原因についての医学的な結果が得られ、その結果、食品衛生調査会に臨時に設置されていた水俣食中毒部会は、その目的を達したものとして解散した(乙第二六号証の一、同第一四二号証の一)。

7 被告国及び県が採った対策等

(一) 水俣食中毒部会に対する研究委託費の支出

被告国・県は、昭和三四年七月三一日、水俣食中毒部会に対し、水俣食中毒原因調査を行うために研究委託費一〇〇万円を支出することとした(乙第四六号証)。

(二) 鹿児島県出水市における水俣病猫の発生

昭和三四年八月一二日、鹿児島県出水市米ノ津天神部落の木下要松方の猫が水俣病に罹患したのではないかと疑われ、水俣保健所を通じてその旨の検査依頼があったため、翌一三日、同猫の死体が熊大へ送付された。同月一七日、熊大で右猫を検査の結果、水俣病猫と同一所見と判定されたので、被告県は、熊大からの依頼もあって、鹿児島県衛生部を通じて現地の魚介類の流通経路について調査を依頼したところ、木下要松は築港の行商人から購入したものと判明した。

他方、鹿児島県出水保健所長は、同月一二日、出水市内において水俣病の症状を呈する猫が発見された報を受け、早速、現地調査を実施したが同様の猫は見当たらなかった。しかし、事態を重視した出水保健所長は、同月一四日、管轄区域の開業医を招集し、水俣病の症状について説明し、協力を求めるとともに、出水市当局に患者の有無について調査を依頼し、また、米ノ津、阿久根の両魚協に対し、水俣方面での漁業について自粛するよう指導した(乙第二〇号証)。

(三) 水俣市鮮魚小売商組合の不買決議と水俣漁協等による漁業補償の要求

水俣市鮮魚小売商組合は、昭和三四年七月三一日、水俣漁協の漁獲した魚介類を一切取り扱わない旨決議して同漁協に申し入れ、水俣市等を交えて協議したが決着せず、翌八月一日の臨時総会で再度不買決議をして同月三日から実施した(甲A第八三号証、乙第一〇二ないし一〇五号証、同第九八号証)。

水俣漁協は、右不買決議によって深刻な打撃を受けたため、昭和三四年八月四日開催の臨時総会及び漁民大会の決議に基づき、同月六日、チッソ水俣工場と交渉を開始し、漁業補償一億円、ヘドロの完全除去及び優秀な排水浄化装置の設置を要求し、その後も交渉を続けたが、同月一七日の第四回交渉の際の工場側の回答に漁民が怒り、交渉会場に乱入して、交渉がいったん打ち切られた(乙第一四八、一四九号証、同第九八号証)。

その後同漁協は工場との交渉を再開し、水俣市長らで構成するあっせん委員会のあっせんにより、同月二九日漁業補償等として合計三五〇〇万円を支払うこと及び工場排水浄化装置を翌年三月までに設置すること等の条件で漁業補償契約を締結した。

昭和三四年九月下旬、芦北郡津奈木村岩城に居住する漁民(船場藤吉)が水俣病と診断されたことから、同月末には芦北郡の津奈木、田浦、芦北、湯浦の各漁業協同組合が相次いで決起大会を開き、被告チッソに対して漁業被害の補償と工場排水の水俣市八幡(水俣川河口付近)への排出停止を求める旨決議した(乙第一〇六号証)。

昭和三四年一〇月一七日、二度にわたり県漁業協同組合連合会主催による漁民総決起大会がもたれ、被告チッソに対し、工場排水浄化装置完成まで操業を停止すること、ヘドロを除去すること、漁業被害を補償すること等を求める旨決議し、工場に押しかけ、警官隊が出動する事態になった。なお、水俣漁協は、前記の補償契約を締結していたので、これには参加していなかった。

昭和三四年一一月二日、再度県漁業協同組合連合会主催による漁民総決起大会が開かれ、工場側に操業中止の団交を申し入れたが、これを拒否されたため、漁民が工場に乱入し、警官隊と衝突する事態となった。

その後県漁業協同組合連合会は、昭和三四年一一月一四日、熊本県知事に対し、漁業補償のあっせんを依頼するに至った(乙第一六号証の一、二)。

(四) 被告県の関係省庁に対する陳情等

被告県は、昭和三四年一〇月一五日、関係省庁に対し、熊本県知事及び県議会議長名義の同月一〇日付け「水俣病についての陳情書」をもって水俣病発生原因の早期究明及び危険海域の調査指定を陳情したが、その際、ア危険海域の調査及び指定等、イ操業禁止海域の設定及び補償、ウ漁民の救済援護等を内容とする水俣病対策特別立法の立法措置を陳情した(甲A第九一号証)。

また、被告県は、昭和三四年一〇月二六日に開催された県議会水俣病対策特別委員会で水俣病対策特別措置法要綱案を示し、被告国に対して立法を働きかけることとした(甲A第三四一号証)。この右要綱案は、食品衛生法、漁業法等の現行法では漁獲を禁止する適当な方法がないと考えられるところから、原因究明、危険水域の設定、漁業関係者に対する補償及び水俣病患者の医療等諸般の対策に関する法律の制定を求めたものであり、特に危険海域内においては真珠養殖等以外の水産生物の採捕を禁止し、それによって損失を被った者に対し政府が損失を補償するというものであった(乙第一〇九号証)。

昭和三四年一一月一日から三日にかけて、衆議院の農林水産委員会、社会労働委員会、商工委員会及び関係省庁担当者で構成する調査団が被告県を訪れ、水俣現地を調査した(甲A第二五三号証)。

なお、調査団は、帰京後間もなく関係省庁との対策打合せ会を開催し、患者、漁民の救済対策案を取りまとめた(乙第一四六号証、甲A第三四八号証)。

(五) 水俣市の反対

水俣市議会は、昭和三四年一一月五日「水俣病対策についての決議文」を採択し、水俣病の原因が未だ究明されていない今日において同工場の操業を停止することは極めて重大な結果を招来するおそれがあるので、工場をして浄化装置の完成を促進せしめ、操業停止の事態が発生しないように措置するよう要望した(乙第一一一号証、同第一一二号証の一、二)。さらに、水俣市長、市議会議長、商工会議所会頭らは、同月七日、県知事に対し、チッソ水俣工場の操業停止につながる工場排水の全面的中止に反対する旨陳情した(乙第九八号証)。

8 被告国及び県がチッソ水俣工場の排水について採った措置

(一) 通産省による行政指導

水俣川河口付近海域の汚染が判明した後の昭和三四年八月ころから、漁業関係者においてチッソ水俣工場排水の浄化装置の設置や水俣川河口付近への排水ないし全面的な排水停止を求める声が高まっていた。これに対し、地元唯一の基幹産業であるチッソ水俣工場の排水を停止することは操業停止を意味し、地域に重大な影響を及ぼすとして、操業停止に反対する要望も強く、水俣市議会からもその旨農林大臣に陳情された(乙第一一二号証の一、二)。

当時水俣病の原因物質として唱えられていた有機水銀説に対しては前記のような批判がある状況の中で、通産省は、水俣病が現地で極めて深刻な問題を惹起している状況にかんがみ、同工場に対し、口頭をもって、水俣川河口に放出していた排水路を廃止するとともに、排水処理施設の完備を急がしめ、原因究明等の調査について十分に協力するよう行政指導を行った(乙第二三号証)。

さらに、厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年一〇月三一日、通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する文書で、食品衛生調査会水俣食中毒部会の研究の結果水俣病は水俣湾付近の一定水域において漁獲された魚介類を摂取することに起因して発病するものであること、右魚介類中の有毒物質はおおむね有機水銀化合物と考えられることの二点が明らかにされるに至っているとし、このことをもって直ちに水俣市所在の化学工場からの排水に起因するものであるとは断定し難いものの、当該排水の排出状況と水俣病患者の発生の状況に相互関連があるとの意見があり、また、前年九月の新排水口の設置以来その方面に新患者が発生している事実もあることから、現段階において工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望した(甲A第九六号証)。

これを受けて、通産省は、前記の口頭による行政指導に加えて、さらに、昭和三四年一一月一〇日、軽工業局長からチッソ社長あての「水俣病の対策について」と題する文書で「かねてから、排水路の一部の廃止等種々対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況には誠に同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい。」旨の行政指導を行った(乙第二四号証)。

被告チッソは、昭和三四年九月二三日から既に排水浄化装置の設置工事に着工し、昭和三五年三月に完成する予定であったが、右指導を受けたこともあって、年内完成を目指して急ぐこととした。

なお、水産庁においても、昭和三四年一〇月三一日水産庁次長から厚生省公衆衛生局長に対し、「水俣病の原因究明について」と題する文書で、水俣病発病地域の拡大に伴い、漁業操業上の支障及び地元住民の不安が極度に増大し、数回にわたる陳情を受けたことを述べ、原因の早期究明、現段階で判明している事項及び厚生省の意見を水産庁に知らせることを要望し(乙第一五〇号証)、さらに、同年一一月一一日、水産庁長官から通産省企業局長及び軽工業局長に対し、「水俣病対策について」と題する文書で、至急チッソ水俣工場の工場排水に対する適切な措置を講ずるよう要望した(乙第一五一号証)。

これに対し、通産省軽工業局長は、同月二〇日、既に被告チッソに対し、水俣川河口に放出していた排水路を廃止するとともに排水処理施設の完備を急ぐこと及び原因究明等の調査に協力することを、口頭及び文書をもって行政指導をした旨回答した(乙第一五二号証の二)。

(二) 被告チッソによる排水処理設備の完成

被告チッソは、昭和三四年一一月一一日、県経済部鉱工課長及び県議会水俣病対策特別委員会に対し「水俣工場の排水について(その歴史と処理及び管理)」と題する書面(甲A第二一九号証)を提出し、各製造設備ごとの排水処理を明らかにした。右文書には、アルデヒド酢酸設備排水は、従前鉄屑槽を経て百間排水溝に放流していたが、昭和三三年九月からはアセチレン発生残渣とともに八幡プールに送り、昭和三四年一〇月一九日からは酢酸プールで微量の残存金属を除去した上で八幡プールに送ったこと、構内プール、酢酸プール及び滲透水逆送管等の設備完成前の排水分析結果によれば、水銀量が0.01ミリグラム/リットル(同年七月六日、百間港への排水、水量三二〇〇立方メートル毎時)、0.08ミリグラム/リットル(同月三日、八幡残渣プール排水、水量六〇〇立方メートル毎時)であったものが、右設備完成後は、0.009ミリグラム/リットル(同年一一月七日、百間港への排水、水量三五〇〇立方メートル毎時)と総水銀量は約2.5分の一に減少しており、また、この濃度の水銀値は、厚生省令水道法水質基準に合格するものであること、昭和三四年一二月下旬運転予定のサイクレーター、セディフローターを主体とする排水浄化装置完成後の排水処理は、カーバイド密閉炉、硫酸ピーボディ塔、燐酸石膏、アルデヒド酢酸、塩化ビニールの各排水をサイクレーターに入れ、酸、アルカリをPHメーターの指示により添加して中和を行い、アルギン酸ソーダ等の凝集沈澱剤を加えて固形物を沈降させて浄化作業を行い、浄化後は一般工場廃水とともに百間廃水溝に入れることが記載されていた。サイクレーター及びセディフローターは、昭和三四年一二月二〇日に運転が開始されたが、当時、被告チッソは、被告国・県の担当公務員に対し、右サイクレーター等は多額の投資をした一般の化学工場に類をみない高級大規模な浄化設備であり、これによって工場排水が浄化される旨強調していた(乙第一一五号証)。

9 水俣奇病対策連絡協議会及び水俣奇病綜合研究連絡協議会の解消

厚生省は、前記食品衛生調査会の答申により水俣病の原因についての医学的な結論を得たことから、昭和三四年一一月一八日、従前設置していた厚生省所管の水俣奇病対策連絡協議会を発展的に解消し、これに伴い被告県に設置されていた水俣奇病綜合研究連絡協議会も解消された(甲A第一三三号証)。

10 水俣病総合調査研究連絡協議会の発足

食品衛生調査会の前記答申により、水俣病の原因についての医学的な結論を得られたものの、その原因物質の発生原因、その生成過程等については未解明であったため、その後も、医学的な調査研究以外に生物学及び理化学的な調査研究も含めた総合的な調査研究を継続する必要があった。そこで、経済企画庁が中心となり、厚生省、通産省及び水産庁の各機関がそれぞれ分担して各調査を実施し、その間の有機的関連性を確保して水俣病に関する総合的調査研究を推進することとなり、昭和三四年一一月一九日、経済企画庁から右各調査の計画、分担等を定めた「水俣病に関する総合的調査の実施について」と題する文書(乙第一五三号証)が右各省庁に送付され、さらに、昭和三五年一月九日、右目的のために、各省庁の担当者のほか関係各方面の研究者も加えた水俣病総合調査研究連絡協議会が発足し、以後、右協議会において必要な調査、研究をしていくこととなった(乙第一四二号証の一)。

11 不知火海漁業紛争調停委員会による調停の経緯

昭和三四年一一月二四日、県漁業協同組合連合会と被告チッソとの間の漁業補償について調停を行う目的で、寺本広作県知事、岩尾豊県議会議長、中村止水俣市長、河津寅雄町村会長、伊豆富人熊本日日新聞社長を委員とする不知火海漁業紛争調停委員会が発足した。

同委員会は、当初、右の漁業補償を処理することだけを目的としていたが、昭和三二年八月に既に結成されていた水俣病患者家族の団体である水俣病患者家庭互助会により水俣病患者の補償を求める旨の陳情を受けたことから、結局患者に対する見舞金という名目でこれも加えて処理することに決定し、漁業補償については、昭和三四年一二月一八日、被告チッソ及び県漁業協同組合連合会に、水俣病患者の見舞金については、同月二九日、被告チッソ及び水俣病患者家庭互助会に、それぞれ調停案を提示した結果、前者については同月二五日に、後者については同月三〇日にそれぞれ右調停案どおりの契約が締結されるに至った。

12 被告県の漁業転換対策

被告県は、漁業転換対策として、近海漁業及び真珠母貝の養殖等を指導奨励し、水俣漁協ほか四組合から二一隻の漁船を対馬海域のいか釣漁業に出漁させ、昭和三四年度におけるそのための発電機等購入費、集魚灯購入費及び漁具購入費の合計四四五万七八〇〇円全額を被告国・県において負担した。なお、被告県は、同年度において近海出漁指導費の助成として水俣漁協ほか一九組合に対し八〇万円を、漁業振興費の助成として県漁連に対し五〇万円をそれぞれ補助した。また、被告県は、同年度において、真珠母貝の養殖適地の調査事業を不知火海沿岸を対象に行った結果、未利用漁場適地が各所に散在していることが判明したので、まず水俣湾内において試験養殖に着手させた(乙第四二号証の一、二)。

被告県は、昭和三五年度に、前年度に続いて、二見漁協ほか八組合から合計二九隻の漁船を対馬海域のいか釣漁業に出漁させ、その傭船料一七五万一〇〇〇円全額を、また、芦北町漁業協同組合ほか四組合から合計一七隻の漁船を対馬海域、五島海域、奄美大島海域の、ぶり、しび曳縄漁業に出漁させ、その傭船料、漁具購入費及び燃料費三〇三万円全額を被告国と共に負担した。

また、水俣漁協に対し、漁業転換用の漁船購入経費について、その三分の二(二〇四万円)を被告国・県が補助した。さらに、被告県は対馬海域のいか釣漁業のために対馬に二か所の前進基地を設置し、県職員を駐在員として常駐させて陸上宿泊、燃料、食料等の日用品の確保、漁獲物の処理あっせん、家族との連絡等の陸上事務の折衝に当たらせた。

真珠母貝の養殖については、前記のとおり昭和三四年度不知火海沿岸調査の結果、適地が各所に散在していることが判明していたところ、昭和三五年度に姫戸村漁業協同組合ほか六組合が真珠母貝の養殖事業を行うに必要な養殖施設(筏等)を購入したので、被告県はその購入費一〇〇〇万円全額を負担した(乙第四三号証の一、二)。このほか、漁民対策としては、近海出漁のできない者への就職あっせん、また他産業への転換を希望する者にはその就職あっせんをしたほか、生活困窮者については生活保護法による生活扶助等を適用した。

13 被告国及び県の水俣病患者への救済、援助措置

昭和三四年六月二六日現在の水俣病患者の状況は、発生患者数七〇名(五五世帯)、死者二六名、県外転出者二名、就業者六名、在宅患者一七名、入院患者一九名(熊大病院五名、県立小川再生院二名、市立病院一二名)であるが、前記のとおり水俣市立病院内に建設していた専門病棟が同年七月に完成したため、大半の患者は治療費公費負担のもとに、ここで治療を受けることになった。また、同年八月二〇日現在の患者の状況は、発生患者数七一名(五六世帯)、死亡者二八名、県外転出者二名、在宅患者五名、入院患者二五名(専用病棟二三名、県立小川再生院二名)、就労、就学者一一名である。

入院患者の公費負担の内訳は、生活保護法の医療扶助によるもの一二名、水俣食中毒治療研究費によるもの一一名となっているが、その当時の右治療費の公費負担は入院患者一人につき月額約二万円である。なお、右水俣食中毒治療研究費は、水俣市立病院に収容した患者の治療研究に要する費用(生活保護法、社会保険等による療養給付対象者を除く。)につき、昭和三三年一一月一四日の閣議決定に基づき、同年一二月一日から国、県、市で三分の一ずつ負担しているものである。その後、昭和三四年一二月水俣病患者家庭互助会と被告チッソとの間で締結された患者補償契約に基づき患者補償金が支給されることになったため、医療扶助を受けていた一二名の患者に対する医療給付は打ち切られ、国民健康保険によらざるを得なくなった。当時、国民健康保険は医療費の五割が自己負担となっていたが、被告県は患者及び患者家族の窮状を考慮して右自己負担の免除措置を採り、これを公費負担とした。

さらに、被告県は水俣病関係者の就職あっせんに努力し、昭和三五年六月には就労申込みが増大し三五人になったが、定職を紹介することに努め二九件を紹介した結果、一九人が定職に就いた。また、失業対策事業についても水俣病に関しては特別扱いをすることにし、水俣病関係者には就労枠を拡大して就労させる措置を採った。(以上につき、乙第三七、三八、三九号証の一、二)

四  昭和三四年一二月以降原因の確定まで

1 熊大研究班第四報配布

熊大研究班は、昭和三五年三月、それまでの研究成果をまとめて発表した(「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第四報)」熊本医学会雑誌三四巻補冊第四)。右研究報告書には、次のような論文が掲載されていた。

生化学教室の内田教授らは、水俣湾産ヒバリガイモドキを使った実験を行ったが、アセトン、ビリジン、エーテル、熱アルコールその他の有機溶媒抽出によってこれを抽出することができず、ただ、強酸性処理でアセトン抽出残渣貝をクロロホルムで抽出すると、発症物質はクロロホルム層に移行し、その際に、そのクロロホルム層の水銀量が、抽出後の残渣のそれに比して約四倍に増大することなどから、有機水銀化合物と水俣病発症物質との間に緊密な関連を指摘し得ると報告した(乙第一一六号証の八)。

第二薬理学教室の松本哲らは、チッソ水俣工場の酢酸工場の連結管から採取した水銀泥滓の性状を検討した結果、「湿潤水銀泥滓を多量の水をもって温浸した後混在している硫酸、硫酸水銀を十分濾別せるものは多量の酸素を含む高分子の有機物を主体とし、これに金属水銀の微細粒子が物理的に混淆したもので有機分子中の水銀が結合されているとは思われない。」と報告した(同号証の六)。

衛生学教室の入鹿山教授らは、「水俣病の原因物質とその発症機序については未だ不明な点が多い。」とし、この問題解決のために行った実験の一つとして、硫化有機水銀化合物を猫及びラットに投与したが、水俣病類似の症状を起こし得なかった旨報告した(同号証の七)。

病理学教室の武内教授らは、「水俣病の本態が中毒性神経性疾患であり、しかもそれは特定地域である水俣湾産の魚貝類の多量摂取による中毒症であるという事は……明らかにされているが、漁貝類を汚染している毒性物質が何であるかは今日まで確認されたとは云えないで経過している。」とした上、病理学教室としては、剖検例の蓄積と種々の実験的研究の結果、水俣病が有機水銀中毒症に最も類似していると考えていることを明らかにし、その根拠について報告した(同号証の四)。

第一内科教室の徳臣助教授らは、水俣病について臨床観察、動物実験を重ねた結果、実験成績について報告した(同号証の三)。

このほか、本研究報告書には、タリウム中毒説に立つ神経精神医学教室の研究員らの一四編の論文も収録されている。

2 有機水銀の抽出

(一) 内田教授らの研究

内田教授らは昭和三五年から同三六年にかけて、生化学的立場から水俣湾産のヒバリガイモドキから有毒物質を抽出し、これが水俣病類似症状を惹起し得ることを確認し、昭和三六年になって、それがCH3-Hg-S-CH3であると発表した(乙第一一七号証の五)。

(二) 入鹿山教授らの研究

入鹿山教授は、水俣湾産のヒバリガイモドキを磨砕し、ペプシン消化し、これを水蒸気蒸留して有機溶媒で抽出し、これを猫などに投与すると、脳幹を通過して蓄積することが判明し、ヒバリガイモドキの中に有機水銀が存在することが確認されたので、右実験結果を昭和三六年九月一日発表した(乙第一二八号証)。

このように、水俣湾産の魚介類から有機水銀を抽出することに時間がかかったのは、メチル水銀のような低級アルキル水銀が生体中のタンパク質と結合していて、単純な操作では有機溶媒に抽出されなかったことによる(乙第一二二号証の一)。結果からみれば、この時点で水俣病の原因物質が大部分解明されたということもできようが、この入鹿山教授らの研究は直ちに学会等に受け入れられず(乙第一五五号証の一)、その時点で行政がかかる知見を当然の前提として直ちに何らかの対応を採り得るようなものではなかった。

入鹿山教授らは、昭和三四年八月及び昭和三五年一〇月にチッソ水俣工場の酢酸工程の反応管から直接採取していた水銀滓から有機水銀を抽出することに成功したが、その構造は、内田教授らが水俣湾産ヒバリガイモドキから抽出したのとは異なり、CH3HgClであるとし、右実験結果を昭和三七年八月に発表した(甲A第三一二号証)。

入鹿山教授らは、アセトアルデヒド製造施設内におけるメチル水銀化合物の生成機序について解明すべく、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド施設で用いた触媒(無機水銀)からメチル水銀化合物が生成するかについて実験を行ったところ、右生成機序のすべてを証明し得たとはいえないとしながらも、アセチレンと無機水銀との反応では直接メチル水銀化合物は生成しないが、これに無機水銀、鉄塩、二酸化マンガン及び塩化物を加えることによりメチル水銀化合物の生成が推知されたとし、昭和四二年六月、右実験結果を発表した(乙第一一八号証の一、二)。

さらに、入鹿山教授らは、昭和四一年七月、一〇月及び一二月にチッソ水俣工場内の排水処理系統の水銀汚染の調査を行い、アセトアルデヒド製造設備の精溜塔排液等からメチル水銀化合物(CH3HgCl)を検出し、昭和四二年八月、その調査結果を発表した(乙第一一九号証の一、二)。

3 水俣病の原因の確定

前記2で述べたとおり、入鹿山教授らが、昭和四二年六月にアセトアルデヒド製造工程においてメチル水銀化合物が生成され得ることを、また、同年八月にはチッソ水俣工場アセトアルデヒド設備の精溜塔排液等からメチル水銀化合物を検出したことを報告したことにより、水俣病の病原物質がチッソ水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物であることがほぼ確認された。

以上の経過を経て、昭和四三年九月二六日、「水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによって起こった中毒性中枢神経疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによって生じたものと認められる。水俣病患者の発生は昭和三五年を最後として、終息しているが、これは三二年に水俣湾産魚介類の摂食が禁止されたことや、工場の廃水処理施設が昭和三五年一月以降整備されたことによるものと考えられる。なおアセトアルデヒド酢酸設備の工程は本年より操業を停止した。」との政府公式見解が発表された。

五  水俣病患者の発生状況

甲A第五七七号証及び以下に摘示する証拠によれば、水俣病患者の発生状況は以下のとおりである。

1 昭和三一年四月末日までの段階

現在水俣病と呼ばれる病気が熊本県水俣市付近で発生していることを、被告国及び県の公務員が最初に認識したのは、前記のとおり昭和三一年五月一日であった。それより前においては、被告国及び県の公務員が患者発生の事実を認識していたと認めるに足りる証拠はない。

2 昭和三一年五月一日から同年一二月末日までの段階

昭和三一年五月一日、水俣保健所の伊藤所長は、チッソ附属病院の野田医師から、水俣市月の浦地区に脳症状を呈する小児の奇病が発生し、四名の患者が同病院に入院した旨の報告を受け、ここに同保健所は初めて後に水俣病といわれる奇病の発生を知るに至った(以下、これを「公式発見」という。甲A第三一号証)。

水俣保健所では、右の報告を受け、直ちに翌二日には同保健所予防課長において患者発生の現地(月の浦地区)を調査し、他にも類似の症状を呈する患者が存在するらしいということを地元民から聴取した。その後、同地区から同一の症状を呈する患者の発生が相次ぎ、前記病院に入院する患者は八名に及んだ。

伊藤所長らは、更に患者の家族や現地の住民から聴取する等して患者の発生状況等の調査を進めたところ、同様の症状を呈する患者は昭和二八年ころから散発しており、自宅で療養している者もいることが判明した。このような経緯から、今後なお多数の患者が発生することも危惧されたので、伊藤所長は、昭和三一年五月二八日その対策と患者発生の実情を把握すべく、水俣市医師会長らの地元開業医を水俣保健所に集め、情報収集及び意見交換を行った。その結果、患者はなお多数に上ることが予想されたため、以後の患者発掘調査等に当たることを目的として奇病対策委員会が設置された。

その後、右奇病対策委員会で熊大医学部の徳臣晴比古助教授らの協力を得て調査した結果、同年九月六日の段階で、同様の症状を呈する患者は合計三四名に上ることが判明した(乙第三号証)。

その後も、奇病対策委員会の調査は続けられ、同年一二月末日までの段階で、公式発見前に二七名、その後に二五名の合計五二名の患者がいることが確認された。なお、乙第四号証等では患者数が五四名となっているが、その中にはこの段階では水俣病とまで診断できず、翌昭和三二年になってその旨診断された患者三名が含まれている反面、昭和三一年一二月に水俣病と診断された患者一名が抜けている。この間、最後に患者が発症したのは、同年一二月一日である。(以上につき、甲A第三六号証、乙第一号証)。

3 昭和三二年一月から昭和三三年八月一〇日までの段階

昭和三一年一二月一日に最後の発症をみて後、水俣病の患者発生は昭和三三年八月三日(発症が確認されたのは、同月一一日)までの約一年八か月間にわたって途絶えた(乙第一五七号証)。

4 昭和三三年八月一一日から昭和三四年三月ころまでの段階

水俣病の発生は終息したかに考えられ始めた昭和三三年八月一一日、水俣市茂道に住む少年生駒秀雄が熊大医学部の徳臣助教授により水俣病と診断され、ここに約一年八か月ぶりに水俣病患者の再発が確認されるに至った。同少年は、同年七月初めに袋湾内の蟹を捕獲し、数回にわたって多食したとのことであった(乙第一四号証)。

伊藤所長の報告により右事実を知った被告県は、水俣湾内の魚介類に対する住民の警戒心が緩み、同湾内で魚獲する者が出始めたのではないかと判断し、摂食禁止等の行政指導を更に強化するとともに、同年八月二二日、県経済部長名で水俣漁協に対し、従前からの想定危険海域内における操業自粛の申合せを遵守するように通知するとともに、県内各漁業協同組合長、県漁業協同組合連合会長及び九州各県の水産主務部長らに対し、同海域内で絶対操業しないよう指導願いたい旨通告した(乙第六三号証)。

その後、同年九月中旬に水俣市丸島及び梅戸で各一名の新たな患者が発生し、間もなく確認されたが、それ以降は、前記のような対策もあって新たな患者は発生せず、この状態は昭和三四年三月まで続いた(乙第一五八号証の三)。

なお、昭和三三年九月一〇日の段階で確認された患者は、合計で六六名あり、その内訳は、前記2の五二名のほかに、昭和三一年以前に発症していながら新たに確認された患者一三名と右生駒少年の一名である(乙第三三号証)。

5 昭和三四年三月以降昭和三五年一二月までの段階

昭和三四年三月二六日に水俣市浜八幡に住む森重義が水俣病と診断され(乙第一七号証)、翌四月二四日には同市浜下に住む中村末義が同じく水俣病と診断された(乙第九七号証)。このように、新たに二名の患者が発生したことに加え、この二名は従来患者が発生していた水俣湾沿岸地域ではなく、同湾北方に位置する水俣川河口付近に居住している者であった。早速、水俣保健所が調査したところ、前記森は水俣川河口付近だけでなく水俣湾内の想定危険海域でも漁獲し多食していたことが判明したが、同中村の場合は水俣川河口付近を漁場としていたとのことであり、どうして同人が発症したのかは不明であった。この点について伊藤所長は、「漁場が水俣湾より遥かに離れた水俣川口附近なので毒物の拡散も考えられるが、或いは水俣湾入口附近で毒物のためフラフラになった魚類が風と潮にのって川口附近に遊泳してきたものをとって食したものとも考えられる。」と報告している(乙第九七号証)。

その後、同年六月から九月にかけて水俣川河口の魚介類を摂食していたと認められる者が三名発症するとともに、同年九月二三日になって、芦北郡津奈木村で患者一名の発症が確認された。これに引き続き、同年一〇月に一名、同年一一月に二名の患者が同村で確認され、同年一二月には芦北郡湯浦町で、昭和三五年二月には芦北郡計石でも患者が確認された(これらの患者の中で発症が一番遅いのは、計石の患者で、同年一一月初旬の発症である。)。水俣保健所で調査したところでは、これらの者は、明確ではないが、それぞれ同地先で操業していたという者が相当数あった。

患者の発生地域が、右のとおり北上する一方、昭和三五年二月には鹿児島県出水市米の津及び下知識の漁業者が水俣病であると診断された(乙第一五九、一六〇号証)。これらの二名は、調査の結果、右発見以前の昭和三四年夏ころから発症していたことが判明したが、いずれにせよ、鹿児島県内で水俣病患者が発生していることを被告国及び県が確認したのは、右昭和三五年二月が最初である。右二名の発症に関連して原因が調査されたが、まず、鹿児島県の調査の結果、同県出水沖等の海域が汚染されているとの結果は得られなかったこと等から、これらの二名については、いずれも水俣湾内の想定危険海域内で操業したのではないかとの疑いがもたれた。その後、同年一一月になって出水市米ノ津の患者一名が確認されている(発症は昭和三四年八月ころと判明)。また、この間における水俣湾沿岸及びその周辺地区における患者の発生は、五名である。そして、昭和三五年一〇月を最後に患者発生は終息した(乙第一五八号証の三、甲A第一七四号証)。

6 昭和三六年以降の段階

昭和三六年以降、昭和三七年には、いわゆる胎児性水俣病の存在が認知されることになるが、これらの患者は、既に昭和三四年以前に誕生しており、新たに患者が発生したわけではない。

その後、熊大の徳臣助教授らは、患者多発地区の成人の約六三パーセントを占める一一五二名について健康調査を実施し、各人の問診結果から精査を要する二四名を選び出し、これらの者について更に神経学的検査を行った結果、三名を水俣病、五名を一応疑わしい点はあるが経過をみるものと診断し、成人の水俣病につき、「九〇名近い患者と三六名の死亡者を出して住民を恐怖のどん底に追い込んだ水俣病も昭和三六年以来新患者の発生をみず漸く終息した様である。」(甲A第一七四号証)とし、この報告は昭和三八年に公表されている。

また、昭和四一年三月に、それまでの研究成果を集大成して熊大医学部水俣病研究班が「水俣病」という論文集を刊行しているが、この書籍中でも、「第一例は、昭和二八年一二月一五日に発症、昭和三五年一〇月九日の発症例を最後としている。患者は、昭和二九年、三〇年と多発し、三一年に到って激増をしめしている。昭和三二年、三三年に発生数少なく、三四年に再び多発し、三二年(三五年の誤記と認められる。)に若干の発生をみて後、本疾患の流行は終息している。」(乙第一五八号証の三)と指摘されている。

7 患者発生状況の推移

被告国及び県が知り得た水俣病患者は、昭和四三年の時点までで合計一一一名であり、その内胎児性の患者が二二名である。

患者は昭和二八年以来、毎年平均して発生してきたのではなく、公式発見以来約七か月の間に二五名の患者が続発したが、昭和三三年の夏ころに三名の発生をみただけで、昭和三四年春までの間(約二年四か月)は新たな患者の発生のない状況が続いた。

六  漁業被害

1 漁獲高の推移

本件で問題となっている昭和三〇年前後の数年間における熊本県の小海区別漁獲高と水俣市における漁獲高の推移をみると、熊本県全体でみて昭和二六年当時相当程度落ち込んでいた漁獲高は、同二七年、二八年と順調に回復しているものの、同二九年以降再び年々低下の傾向を示している。この熊本県全体の傾向の中で水俣市における漁獲高の推移をみてみると、昭和二九年に約二五〇トンあった漁獲高が昭和三一年にはその約三分の二程度まで低下しているものの、昭和三二年には再び昭和二九年とほぼ同じ程度にまで回復し、昭和三三年には逆に昭和二九年の二倍以上の漁獲高となっている(乙第一六一号証及び同第一六二号証の一ないし四)。

2 漁獲高変動の原因

不知火海及び水俣市の漁獲高の変動をみてみると、これらの共通していることは、昭和三一年及び同三二年の漁獲高がその前後の年に比べて減少していることである。昭和三三年になると水俣市での漁獲高は前年の二倍以上に増加しているが、漁法別の漁獲高をみると、昭和三一年にはほとんど漁獲のなかったいわし船曵網、吾智網等の船曵網による漁獲が昭和三三年には375.4トンと急増し、同年の漁獲高の三分の二近くを占めるに至っている。このことは、被告県の指導により、湾内での操業を避け、湾外での操業へと漁法を転換したことによる結果と推認できる(乙第六二号証)。

ところで、甲A第四三号証は、水俣市商工課長作成に係る報告書であるが、この報告書では、水俣漁協の漁獲高は昭和二九年以降年々激減していることになっている。しかし、同報告書に記載のある昭和二九年以降の漁獲高は、漁民を公民館に集めて出漁日数等を聴取して推計したものであって、基になる数字自体があいまいな記憶に基づくものである上、漁業補償を得る目的の下に作成されたものであり、資料的に正確なものとはいい難い(甲A第五五一号証)。これに対し、前記統計資料は、統計法上の指定統計として、海面漁業漁獲統計調査規則に基づき、漁業種類により多少の差はあるが、基本的には農林省熊本統計調査事務所の担当職員が毎月巡回調査を行い、その結果をとりまとめたものであり、客観性及び正確性の点では甲A第五五一号証に優越する(乙第一六三号証の一ないし四)。

3 漁民の被った損害

昭和三二年の初めには、既に魚を獲っても売れないというような状況が生じており、やがてこの状況は水俣湾外で獲れた魚介類にも及び、昭和三四年七月三一日には、水俣市鮮魚小売商協同組合が、水俣近海で獲れた魚介類は想定危険海域以外のものでも買わないこと及び市内漁民の獲った魚介類は一切買わないことを決議した(甲A第八三号証、乙第一〇二ないし一〇五号証、同第九八号証)。

漁民が被告県に対して何度か水俣湾の漁獲禁止ということを要求したことがあるが、この目的は、事実上操業がされていない水俣湾内について漁獲禁止という法的措置を採ることにより漁民にその補償をして欲しいという点にあった(乙第一六四号証)。

七  メチル水銀に関する知見

1 メチル水銀の毒性の特色

水銀及びその化合物には様々なものがあり、その特異な性質によって工業用、農業用、医薬用等古来から多くの用途に使用されている。

水銀及びその化合物を、その科学的性質に従って分類すれば、大きく分けて、金属水銀、無機水銀化合物及び有機水銀化合物の三つに分類される。無機水銀化合物には、塩化第二水銀、硫化水銀、酸化水銀等の多くの化合物があり、また有機水銀化合物にも、アルキル水銀化合物、フェニル水銀化合物等多くの化合物が存在する。水俣病の原因物質であるメチル水銀は、エチル水銀、プロピル水銀等とともに右有機水銀化合物中のアルキル水銀の一種に分類されるものである。

前記各種水銀及び水銀化合物の化学的性質、毒性も、それぞれに異なる。まず、金属水銀は、経口毒性はほとんどないとされており、経気毒性としては、神経系統を侵し、精神症状、振せん等の症状が出るものの、水銀から離れると回復する。また、無機水銀化合物は、経口、経気毒性として、歯齦炎、口内炎、嘔吐、腹痛、下痢等の症状がみられ、主として肝臓や腎臓に蓄積される。さらに、有機水銀化合物の毒性は一様ではなく、フェニル水銀化合物等の毒性は、経気、経口毒性として無機水銀化合物のそれとほとんど同様であるが、アルキル水銀化合物の中でもメチル水銀やエチル水銀は、脳血液関門機構を通過して脳内に侵入し、特にメチル水銀は神経細胞を障害して、感覚障害や運動失調等のいわゆるハンター・ラッセル症候を引き起こすとされている(乙第一二四号証、同第一五五号証の一)。毒性の点からみて、それぞれの水銀化合物には様々な特性があり、とりわけメチル水銀の毒性は特異なものであって、低級アルキル水銀と他の水銀化合物とでは全く別の性質を持つ(以上につき、乙第一二二号証の一及び乙第一二四号証)。

2 水俣病の発生機序の特異性

前記説示のとおり、水俣病は魚介類の摂食を介してメチル水銀が人体内に多量に取り込まれ、これが発症閾値を超えるまでに蓄積して引き起こされる疾病である。その意味では一般の中毒と特に異なる点はないが、水俣病の発生機序は特異である。それは、発症の前提として食される魚介類に従来予想もされなかったほど多量のメチル水銀が蓄積され、しかも魚介類自身を障害することはほとんどないというメチル水銀の特異性があったからである。したがって、メチル水銀を含有する工場排水によって魚が死亡して海面に浮いたり、メチル水銀の直接的影響で漁獲高が減少することは考えられず、水俣湾においてこうした事象が発生したとすれば、それは、むしろ、メチル水銀以外の要因を推認させる。すなわち、工場排水中のメチル水銀は、海水中に遊泳する魚介類の体内で極めて高度に濃縮、蓄積されるが、しかしながら、当該魚介類をほとんど障害しないのである(乙第一二二号証の一及び乙第一三二号証)。

喜田村教授は、次のような指摘をしている。

「メチル水銀は化学的には水銀化合物であるが、毒物学的には水銀化合物とは言えない特異な性質をもっている。腸管吸収がよく、分解排泄がおこりにくく人体に蓄積しやすいことは先に述べたとおりであるが、メチル水銀は脂溶性であり、且つ生体の蛋白SH基との結合力が極めて強く、その解離恒数Kは一〇のマイナス一七乗とされており、そのためいかなる希薄溶液からでも水中生物は体表面を通じあるいは鰓呼吸を通じてメチル水銀を体内にとり入れる。水生昆虫や魚介がメチル水銀を蓄積した水中生物を餌として摂取した時の腸管吸収が良いことは動物や人と同じであって言うまでもない。

持続的にメチル水銀汚染をうけた水域に生息する生物はすべて体表面を絶えずメチル水銀にばく露するため体表からの吸収蓄積をおこすのであり、また魚介では鰓に多量の水を通過させ呼吸を行ない、この際メチル水銀が不可逆的に体内にとりこまれる。魚は人間の体重に換算すれば、一日一〇、〇〇〇リットルの水を飲むに等しいほどの鰓呼吸を行なうと言われ、また水中生物の体表を絶えず通過する水量は莫大なものであることに間違いはない。このため直接の体内吸収によるだけでもメチル水銀の蓄積濃縮比はきわめて大きいが、加えて水中生物には植物性プランクトン→動物性プランクトン→水生昆虫→食虫性昆虫→魚介類→食魚性魚介という食物連鎖のつながりがあり、それぞれメチル水銀を蓄積したものを順次餌として摂取するのでこれからもメチル水銀の著しい濃縮蓄積がおこる。魚介はこの食物連鎖の最終に位置するのでメチル水銀の濃縮比はもっとも大きく一〇〜二〇ppmのメチル水銀を含有し水俣病の原因食品となった有害魚介では汚染水域中のメチル水銀濃度に比し数万ないしは一〇万倍の濃縮を来していたと推算される。

さらに見逃してならないメチル水銀の特異毒性として、メチル水銀が徐々に体内蓄積を来した場合、障害を被るのは高等動物の神経系に限られるという事実である。このことはあれほど重篤な症状を呈した水俣病患者でも体内にあまねくメチル水銀蓄積が認められながら肝、腎、心、肺、脾、膵などの実質臓器、血液、筋肉などには病理組織像からも機能検査の上からも何の異常も認められなかったことから理解出来るであろう。事実有害魚介をはじめ水俣や阿賀野川の水中生物には何の異常も認められなかったのである。もしこれらの下等動物がメチル水銀の蓄積により障害をうけるのであれば上述の食物連鎖は途中で切れてしまい、魚介には有毒化する程のメチル水銀の濃縮蓄積がおこらなかったであろうと思われる。」、「この様に水中生物では食物連鎖をも加えて超希薄濃度に汚染された有毒有害物質を魚介類が著しく高度に濃縮する可能性をもつのであるが、逆に魚介類を介したならばすべての有毒有害物が人の健康障害につながる可能性をもつというのではない。むしろメチル水銀は極めて特異な性質を有し、現在知られている唯一の魚介有毒化をおこしうる有毒物質であると言ってもよい。」(乙第一二五号証)。

極微量のメチル水銀を含有する排水であっても魚介類を介することにより人体等に対して危険なものとなるというメチル水銀の特異性が解明されたのは昭和四〇年以降のことであった(乙第一五五号証の一、乙第一二二号証の一)。

3 水銀の定量分析法の変遷

(一) 昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術

昭和三四年当時の総水銀の一般的な定量分析技術としては、無機あるいは金属水銀を分析対象とする発光分析法、水溶状態にした(イオン化した)水銀を分析対象とするジチゾン比色法があった。

このうち、発光分析法の原理は、元素(原子)が放出するその元素特有のエネルギー(輝線スペクトル)の種類と強さを検出することにより元素の特定と定量を行うというものであるが、これでは金属成分(元素)の定性分析しかなし得ず、水銀化合物の分析は不可能であり、その分析限界も数ppmであった。したがって、排水中などに含まれる微量の水銀化合物の定量分析は全くできなかった。

他方、ジチゾン比色法というのは、ある特定の条件下(酸性)で、特定金属イオンとジチゾン(ある種の有機試薬)が結合した化合物(キレート)の呈する色の強弱を比色計で測り、その金属の定性、定量を行うというものであり、あらかじめ試料に酸化剤を加えて加熱し、酸化分解すれば、有機又は無機の金属化合物が分解され、金属イオンが単離するので、含まれているすべての金属を分析できる。したがって、有機水銀であろうが、無機水銀であろうが、試料を酸化分析しジチゾン比色法を用いることにより、総水銀の定量分析がなされる。これについては、通常の操作ではサンプル量五〇〇ミリリットル(当時としては、これがサンプルの限界量であった。)当たりで0.01ppmが定量限界であった。(以上につき、乙第一三三号証及び同第一二二号証の一)

東京工業試験所やチッソ水俣工場の技術部等では、昭和三四、三五年ころ、工場排水などを0.001ppmオーダーまで測定した旨のデータを出しているが、当時の東京工業試験所やチッソ水俣工場の技術部の定量分析技術というのは卓越しており、極めて熟練した者にしてはじめて測定できるものであったことが認められ、通常の技術者による再現性のある数値とはいえない(甲A第六二八号証)。また、藤木証人が当時のジチゾン法による総水銀の分析方法を具体的に説明した上で、その実情を踏まえて、昭和三〇年代に通常の実務家(都道府県の衛生研究所等)が出し得る再現性のある分析値としては0.1ppmオーダー程度までであろうと証言する(証人藤木素士の証言、乙第一五五号証の一)。

(二) 有機水銀の定量分析法

昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術としては、赤外線吸収スペクトル法及びペーパークロマトグラフ法があった(乙第一三三号証)。

赤外線吸収スペクトル法は、有機化合物(分子基)が固有のエネルギー(赤外線スペクトル)を吸収することを利用し、その赤外線スペクトルの種類及び強さを分光光度計で測定することにより化合物の構造の解明を行うというものである。したがって、純度の高い均質な有機水銀化合物の分子構造の特徴を把握する、すなわち、定性分析を目的として使用するのみであり、微量の有機水銀の定量分析に使用できるものではなかった(甲A第六二七号証)。

ペーパークロマトグラフ法は、化合物の違いによってろ紙の中を移動する位置(移動速度)が異なることを利用して目的の化合物を分離するという原理に基づくものであるから、ろ紙の一端に有機水銀化合物を含む溶質を塗布し、溶媒槽に下部を浸し、一定時間後に移動した場所に発色剤を噴霧し呈色させることによって、有機水銀の検出をすることができる。その上で、酸化分解によるジチゾン法で定量分析すれば、有機水銀を定量分析することができる。しかし、これは、濃度が高く、しかも不純物の少ない有機水銀農薬の定量分析を目的として開発されたものであるから、分析限界が約二〇〇ppmと感度が極めて悪く、海水や工場排水のように不純物が多く、しかも含まれる有機水銀の量が極めて微量なものの定量分析には到底使用できないものであった(甲A第六二七号号証)。

以上のように、昭和三四年当時においては、工場排水中の有機水銀を定量分析するということは不可能であった。

(三) 有機水銀の定量分析法の確立経過

昭和三六年ころ、有機水銀を直接定量分析する分析法として、我が国にブローダーソンの開発したガスクロマトグラフ法が導入されたが、その検出感度は極めて低く(約二〇〇〇ppm)、これでもやはり排水中の微量のメチル水銀の定量分析は不可能であった。ちなみに、ガスクロマトグラフ法の分析原理、方法は、カラム(細い管)の中をガス状の試料が移動する場合に、各化合物ごとに移動速度に差が生じることを利用して、溶媒に溶かした試料又はガス状の試料をガスクロマトグラフ装置(カラム、検出器、記録計等からなる。)に入れ、各化合物を分離し検出器により保持時間、濃度を測定するというものである。

排水中の微量のメチル水銀の測定が可能になったのは、昭和四一年五月に喜田村教授らが、「ガスクロマトグラフによる有機水銀化合物の分離・定量」という論文(乙第一二〇号証の一ないし三)において、電子捕獲型検出器(ECD)付きガスクロマトグラフによりブローダーソンらのガスクロマトグラフの数百万倍の感度で微量のメチル水銀の定量分析が可能になったと発表してから後のことである。すなわち、ガスクロマトグラフ装置の検出器に電子捕獲型検出器を使えば、通常のサンプル量でその当時約0.001ppmの微量のメチル水銀を測定することができるようになったのである。ただし、これは、放射能性のものであるから直ちに一般化されたわけではなく、国や県のレベルで実用化できるようになったのは昭和四三年以降のことであった(甲A第六二七号証)。

また、その他の有機水銀の分析方法として、昭和四〇年代に入ってから、薄層クロマトグラフが開発され、ジチゾン法と併せて有機水銀の定量分析に使用されるようになった(以上につき、乙第一三三号証)。昭和四四年二月、ガスクロマトグラフ法及び薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法が水質基準(メチル水銀含有量)の検定方法に指定されるに至ったものである(乙第一三四号証)。

以上のように、工場排水中に含まれる微量のメチル水銀等の有機水銀を定量分析することは昭和四〇年代に入って可能になったと認められる。

(四) 水蒸気蒸留

ところで、水俣病の原因究明の過程において、藤木素士氏らは水蒸気蒸留でメチル水銀を水俣湾の魚介類や水銀滓(スラッジ)から抽出することに成功していたことが認められる(証人藤木素士の証言、甲A第六二七、六二八号証)。しかし、右証拠からは、微量のメチル水銀を含む工場排水については水蒸気蒸留を用いて魚介類やスラッジと同様にメチル水銀を抽出することまでできたとは認められない。

4 メチル水銀の副生

(一) 副生に関する知見

水俣病を引き起こしたメチル水銀は、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程中で触媒である無機水銀から副生したものであることが現在認められているが、水俣病発生以前にアセチレン接触加水反応においてメチル水銀化合物が副生することは全く予想されておらず、そのことを指摘した文献も存在しない(乙第一五五号証の一、甲A第六二八号証、乙第一六五号証)。

入鹿山教授は、昭和四二年六月に発表した「水俣湾魚介中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第八報・アセトアルデハイド生産施設内におけるメチル水銀化合物の生成機構に関して」(乙第一一八号証の一、二)において、「水銀を触媒としてCH=CHよりCH=CHOを合成するアセトアルデハイド施設の反応管においてメチル水銀化合物が生成することは従来まったく想定されなかったことである。」と述べており、同じ研究に従事していた藤木教授も、水俣病の原因究明にかかわった当時メチル水銀の副生について全く考えられなかった旨証言している(乙第一二二号証の一及び甲A第六二八号証)。

(二) アセトアルデヒド生産工程における副生

アセチレン加水反応において触媒たる無機水銀化合物は何らの化学反応もせずに存在しているわけではなく、極めて模式化していえば、最初にアセチレンと反応して一定の中間体を形成し(炭素との結合を有するので一種の有機水銀化合物というべきであるが、メチル水銀化合物ではない。)、次の段階でアセトアルデヒドを放出して元の無機水銀化合物に戻るという反応を繰り返し、その過程でアセチレンからアセトアルデヒドが生成されるのであるが、このような当時一般に考えられていた反応を繰り返している限りは、メチル水銀化合物が形成されることも、それが工程外に排出されることもない。この化学反応において右中間体が有機水銀化合物であることは、早くから知られているが、それ自体は、水俣病等を引き起こすものではない(乙第一三〇号証)。

ところが、前記のように、水俣病の原因究明における問題点は、アセトアルデヒド製造工程においてこの一般的に考えられていた反応とは別の副反応が存在し、そこで有害なメチル水銀化合物が生成され、それが最終的に反応工程外に排出された点にあった。

この問題点に関する従来の論文として、フォグトとニューランド論文(甲A第六号証の一、二)、ツァンガー論文(甲A第七七〇号証)、バーダー・ホルスタイン論文(甲A第六四九号証の一ないし三)、ケルシュ論文(甲A第七六九号証)、ニール論文(甲A第七九三号証)、ラツバエフ論文(甲A第七九九号証)、五十嵐赳夫論文(甲A第三〇八号証)等があった(以下の説明につき、乙第一六六号証)。

しかし、これらの論文は、アセトアルデヒド製造工程におけるメチル水銀化合物の副生を化学的立場から指摘又は実証したものではなかった。また、アセトアルデヒド製造工程におけるメチル水銀の生成という実験仮説を追求していた藤木教授でさえ、かかる文献を当時見ていなかった(甲A第六二八号証)ことが認められ、最終的に、メチル水銀の副生を喜田村らが実証したのは昭和四一年のことである(乙第一五五号証の一)。

八  チッソ水俣工場排水中のメチル水銀量の変遷

1 原因物質

被告チッソ水俣工場の排水中に含まれていたメチル水銀化合物が水俣病の原因物質であることは、当事者間に争いがない。

ところで、被告チッソの水俣工場には、塩化ビニールモノマー製造工程もあったが、この中でメチル水銀が副生し、排出されたというような研究成果は今日まで明らかになっておらず、塩化ビニール製造工程内でメチル水銀が副生すると認めるに足りる証拠はない(乙第一一八号証の一、二、同第一一七号証の七)。

また、チッソ水俣工場から排出された無機水銀自体が水俣病の原因になるということはあり得ず、水俣湾泥土中に存する無機水銀は、ほとんどが化学的に安定し、有機化しにくい硫化水銀であり、今日では、海水の成分であるクロールイオンが無機水銀の有機化を妨げるということも明らかになっており(乙第一二二号証の一、同第一二七号証)、結局、無機水銀が自然界で有機化して水俣病を引き起こしたと認めるに足りる証拠はない。

2 アセトアルデヒド製造工程の概略とメチル水銀の副生

チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド製造工程は、時期により若干の差異はあるが、基本的には生成器に触媒である水銀、硫酸、助触媒である硫酸鉄及び水からなる触媒液(母液)を入れ、これを撹拌しながらアセチレンガスを吹き込んでアセトアルデヒドを生成した後、生成したアセトアルデヒドを母液とともに連続的に真空蒸発器に送り、ここでアセトアルデヒドの母液中の水の一部を蒸発させた上、第一精溜塔に送られ、残りの母液は順次生成器に戻される。第一精溜塔に送られたアセトアルデヒドと水蒸気からは、同精溜塔及びこれに次ぐ第二精溜塔の中で水蒸気が液化して分離されて純粋なアセトアルデヒドが製造される一方、第一、第二精溜塔内で液化した水は、順次排水として排出される(これを「精ドレン排水」という。)。本件で問題とされているメチル水銀は、生成器中でアセトアルデヒドが生成される際に副生したものであり、その生成量はアセトアルデヒドの生産量に対して、0.0035ないし0.005パーセント程度と考えられており(乙第一六七号証。以下「藤木鑑定書」という。)、右精ドレン排水中に含まれて排出されたことになる。「アセトアルデヒド排水」とは、右精ドレン排水及び漏出した母液等を洗滌した排水を指し、これらには、触媒として使用された水銀も含まれており、右のようにして副生した微量のメチル水銀に比べるとその占める割合ははるかに大きいとされている。チッソ水俣工場のアセトアルデヒドの生産量に照らせば、同工場で副生したメチル水銀のおおよその量(工場外への排出量と同じではない。)は推計することができる。

3 チッソ水俣工場における排水経路の変遷

チッソ水俣工場における主要な排水は、カーバイド残渣排水(アセチレン残渣排水とも称され、排水量は時期により多少の変動があるが、昭和三四年当時で毎時約一一〇立方メートル。以下同様)、アセトアルデヒド排水(毎時約六立方メートル)、塩化ビニール排水(毎時約一〇立方メートル)、燐酸排水(毎時約七〇立方メートル)、硫酸ピーボディ塔排水(毎時六〇立方メートル)、重油ガス化排水(毎時約八〇立方メートル)、カーバイド密閉炉排水(毎時約二五〇立方メートル)の七系統(甲A第八三三号証)である。このうち、水銀を含む排水はアセトアルデヒド排水と塩化ビニール排水(昇汞を触媒とし、アセチレンガスと塩化水素ガスとを反応させて塩化ビニールモノマーを生成した際、残存する塩化水素ガスを洗い流した排水であり、微量の水銀を含む。)のみであり、アセトアルデヒド製造工程で副生した微量のメチル水銀を除きほとんどが無機水銀である(乙第一二二号証の一)。

アセトアルデヒド排水の量は、昭和三四年当時では、全体の排水量の約一パーセント程度でしかなく、また、同様に水銀を含む塩化ビニール排水の量と併せても、全体の約三パーセント程度にすぎない(甲A第八三三号証)。したがって、チッソ水俣工場の排水が混合して排出された場合、排水中に含まれる水銀はメチル水銀としても総水銀としても微量である。

アセトアルデヒド排水系統の変遷、排水の処理方法及び推定される工場外に排出されたメチル水銀量(以下すべて藤木鑑定書の計算による。)を詳述すれば、以下のとおりである。

昭和七年から昭和二〇年までのアセトアルデヒド排水は、特段の処理をされることなく百間排水溝を経由して百間港に排出された。右排水中のメチル水銀量は、アセトアルデヒドの生産量にほぼ比例して、総量としては一六四七キログラムないし二五六〇キログラム程度と推計されている。

昭和二一年から昭和三三年八月まで、チッソ水俣工場では、アセトアルデヒド製造施設に鉄屑槽を設置し、これを通過させた排水を右と同様の経路で百間港に排出していた。この鉄屑槽は、その設置時期からも明らかなとおり、水俣病問題とは関係なく、同工場で使用する金属水銀の回収を目的として設置されたものであるが、鉄屑に多く含まれる不純物(金属)は、水銀化合物(メチル水銀も含む。)とアマルガムを作る効果があることから、メチル水銀も、鉄屑槽に精ドレン排水が滞留した時間に比例して金属水銀に還元されることになり、結果として、精ドレン排水中の約二〇パーセントのメチル水銀を除去する効果があったことになる(甲A第六二八号証及び藤木鑑定書)。したがって、この期間におけるメチル水銀の排水量は、アセトアルデヒド生産量の推移からして、約一七一〇キログラムないし二六六一キログラム程度と推計される。

昭和三三年九月から昭和三四年一〇月までの間においては、アセトアルデヒド排水の排出先が百間港から水俣川に面した八幡中央排出溝に変更され、メチル水銀は八幡沖海域に排出された。正確には、精ドレン排水は、前記鉄屑槽を経て八幡プールに送られ、同プールから八幡中央排水溝に排出されることになるが、右プール及び八幡中央排水溝には、それ以前からカーバイド残渣排水、燐酸排水、硫酸ピーボディ排水、重油ガス排水及びカーバイド密閉炉排水などが排出されていたのであり、これに加えて新たに比較的少量のアセトアルデヒド排水も排出されることになった。そして、この排水系統における鉄屑槽のメチル水銀除去能力については前記のとおりであり、八幡プールに滞留中に沈澱して除去される排水中のメチル水銀量の割合を約五〇パーセントと仮定しても大きな誤りはないと考えられているから、この間八幡沖に排出されたメチル水銀量は約三〇四キログラムから六一三キログラムと推定される(藤木鑑定書)。

昭和三四年一〇月一九日に酢酸プールが完成し、同年一二月一九日までの間、アセトアルデヒド排水と塩化ビニール排水はここを通して八幡プールに送られるようになった。これは、チッソ水俣工場が水銀の除去を目的として計画実施した施設であるが、鉄屑を敷きつめて滞留させた排水中の水銀を除去しようとするものであることから、水銀を除去する原理は前記鉄屑槽と同一であり、滞留時間(約一八時間)からメチル水銀除去率は約八〇パーセントと推定される(乙第一三〇号証及び藤木鑑定書)。

これに加えて、同年一〇月三〇日以降は、八幡プールの排水を八幡中央排水溝に排出するのを停止し、同プールの上澄水をアセチレン発生施設に逆送するように排水路が変更された。したがって、この間にはメチル水銀はチッソ水俣工場外に排出されていないと考えられる(藤木鑑定書)。

昭和三四年一二月二〇日にサイクレーターの運転が開始されたが、これは、当時疑惑を持たれていたチッソ水俣工場の総合排水の処理を目的として計画され、同年八月に着工されたが、通産省等の行政指導を受けたことから、急ぎ運転を開始したものであり、その工事費用は約一億円という当時としては破格のものであった。その浄化システムは、排水のPHを調節した後凝集沈澱剤により排水中の固形物を除去するというものであり(乙第一三〇、一一四、一一五号証)、循環式凝集沈澱方式による排水浄化設備であった。ただし、これは、水俣病の原因物質が明らかでない段階で総合的な排水浄化を目的として設計されたものであったため、メチル水銀除去効果まで考えられておらず、実際に凝集沈澱剤を用いてもメチル水銀を除去するだけの効果はなかったが、現在では他の粒子状の物質あるいは凝集沈澱可能の物質が混入していれば、メチル水銀も一緒に沈澱することがあると考えられており、一概に効果はないと断じることはできず、現に排水がサイクレーターに流入した前後において、排水中の含有水銀量が著しく減少したとのデータもある(藤木鑑定書及び乙第一三〇号証)。サイクレーターの運転が開始されたことに伴い、チッソ水俣工場の排水系統は、短期間のうちに何度かの変更が加えられたが、昭和三五年一月末からのアセトアルデヒド排水の経路は、鉄屑層、酢酸プールを経過した後、八幡プール等を経てサイクレーターに入り、そこから百間排水溝を経由して最終的に百間港に排出されるというものである。昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月の間におけるメチル水銀の排出量は、かなり不明確な点があるというものの、約三八キログラムから六〇キログラム程度と推定されている(藤木鑑定書)。

昭和三五年八月以降、精ドレン排水をアセトアルデヒド製造装置内で循環させるといういわゆる装置内循環方式が完成したことから、他のアセトアルデヒド製造工程から生じる排水はともかく、精ドレン排水に限れば、事故時や定期解体時等の場合を除いては原則として工場外に排出されることはなくなった(藤木鑑定書)。このことは、水俣湾内の魚介類の総水銀値をみても、定着性のあるヒバリガイモドキ(イ貝)の水銀量が昭和三五年から三八年にかけての数回にわたる測定によれば、八五、五〇、三一、五六、三〇、九、一二、一二というように、またアサリについても一次的に高くなっている時があるものの、やはり徐々に低下していることからも裏付けられる(いずれもppm。ただし乾燥重量当たりの水銀値であるから、貝の場合はこの五分の一の数値が湿重量における水銀濃度であり、魚介類の水銀濃度は、一般的に湿重量当たりの数値により比較対照されるべきものである。甲A第八三三号証及び乙第一二二号証の一)。結局、精ドレン排水の装置内循環方式が正常に運転されている限り、メチル水銀は原則として工場外に排出されなくなったということができる。そして、昭和四〇年から四一年にかけて一時的に魚介類の総水銀値が高くなっていることについては、チッソ水俣工場において、事故等何らかの原因によりメチル水銀が一時的に工場外に排出されたと推定されている(藤木鑑定書)。

昭和四一年七月以降は、チッソ水俣工場では排水を工場内で循環させるといういわゆる完全循環方式が採用され、すべてのアセトアルデヒド排水がチッソ水俣工場外に原則として排出されることはなくなり、昭和四三年五月のアセトアルデヒド生産停止により、完全に環境中にメチル水銀を排出する要因が喪失するに至った。他方、昭和四三年以降の水俣市住民の頭髪水銀値(全体と漁業従業者の平均、最高、最小の総水銀値、甲A第八三三号証)及び水俣湾内の魚類中の水銀量(同号証)が著しく低下している(乙第一二二号証の一)。すなわち、水俣市住民の頭髪水銀値は、漁業従業者の平均値が、昭和四三年においては9.2ppm、昭和四四年においては5.5ppm、昭和四五年においては3.7ppmと低下し、非汚染地区レベルと大差がなくなっているのである。また、魚介類についても、例えば、乾燥重量当たりのあさりの水銀値をみても、昭和四三年を境に大幅に低下しており、水俣湾とその周辺の魚も昭和四一年前後で水銀値に大きな格差がみられる。

九  石化政策について

1 アセトアルデヒド増産指示の存否

アセトアルデヒドは、メチル基とアルデヒド基の結合した有機化合物であり、極めて反応性に富み、種々の物質との置換、付加、縮合反応を行いやすいので、有機合成化学工業の重要な中間体である。

このアセトアルデヒドの製造方法としては、旧来法であるアセチレン水和法や石油化学法たるエチレン直接酸化法などが知られているが、我が国では昭和三年に日本合成化学工業株式会社が旧来法により製造を開始して以来、昭和三七年に三井石油化学株式会社が石油化学法による生産を開始するまでは、すべて旧来法によって行われていた。

このようにして製造されるアセトアルデヒドは、昭和三〇年代までは酢酸エチル、オクタノールなどのアセチレン系誘導品の中間原料として我が国のアセチレン系有機合成化学工業の中核をなしていた。アセトアルデヒドの生産状況をみると、昭和三〇年に三万五〇〇〇トンであったものが同四〇年には二六万九〇〇〇トンと年平均22.5パーセントの伸びを示している(乙第一六九号証の一ないし四)。これは戦後の復興を終え、高度経済成長への道を歩みつつあった我が国経済環境の中にあって、アセトアルデヒドを原料として最終的に生産される合成繊維、合成樹脂、溶剤、可塑剤等の需要が急速に拡大したことによるものである。アセトアルデヒドの主要な一次誘導品である酢酸(アセトアルデヒドの需要の五ないし六割を占める。)についてみると、その生産量は、昭和三〇年に二万九〇〇〇トンであったものが、同四〇年には一五万五〇〇〇トンと年平均一九パーセントの伸びを示しており、他の誘導品も同様な伸びを示している(乙第一七〇号証の一、二)。

市場の動向が右のような状況であったから、利潤の追及を目的とする合理的な経営判断により各生産者が増産を行うことは当然であり(昭和三七年前にはすべて旧来法による。)、チッソ水俣工場がアセトアルデヒドを増産したことも、その自主的な経営判断に基づくものと推認され、被告国(通産省)においてチッソ水俣工場に対してかかる増産を指示、指導した事実を認めるに足りる証拠はない。

2 いわゆる石化政策

いわゆる石化政策は、通産省の指導の下に、従来の有機化学工業から石油化学工業への転換を旨として実行されていった産業政策である(乙第一七一号証)。政策である以上、被告チッソ等の一企業の消長等を念頭においたものでないと考えられるし、前記のように、被告国による増産の指示があったとは認められないから、被告国が水俣病の原因の判明を妨害した事実を認めるに足りる証拠はない。

第二  被告チッソの責任

一  過失の自認

被告チッソは、第一回口頭弁論期日において、「原告ら主張の被告チッソに対する過失の事実は基本的には争わない。」と答弁したから、過失の評価を基礎づける評価根拠事実の主要部分については争いがない。

被告チッソの水俣工場附属病院の細川一医師らは、昭和三二年五月以降、水俣湾内で魚獲された魚介類等を猫に投与して実験したところ、水俣病の発症が見られ、また、細川医師らは、チッソ水俣工場内アセトアルデヒド製造設備廃水を猫に経口投与してその経過をみた(以下「ネコ実験」という。)結果、その猫(いわゆるネコ四〇〇号)は、水俣病症状を呈した(争いがない。)。ネコ実験の結果は、細川医師から、被告チッソ水俣工場の西田工場長及び技術部の者に伝えられた(甲A第一〇号証)ことが認められる。

昭和三二年五月の時点では、水俣病の原因物質が何であるかはまだ解明されておらず、被告チッソもこれを知悉していたとは認められないが、いかなる発生機序であるかがすべて逐一判明していないとしても、少なくとも右ネコ実験の結果は、自社工場内にあるアルデヒド製造設備廃水を投与すると水俣病が発症するという因果関係の基本的部分を被告チッソに認識させるのに十分であったと認められる。したがって、昭和三二年五月以降については、被告チッソには、廃水が原因であることを認識しながら、さらなる原因の探究を止め、工場から排水を続けたことに過失が認められる。

また、被告チッソは、右の認識を有しながら、昭和三三年九月、アセトアルデヒド製造設備廃液の放流経路を、百間港から水俣川河口に変更した(被告チッソとの間で争いがない。)。したがって、その後水俣湾周辺部以外に発生した水俣病の被害に対しても、過失が認められる。

二  損害額の認定

1 原告らは、水俣病罹患の結果、肉体的、精神的、経済的、社会的に甚大な損害を被り、その額は、生存者について金三〇〇〇万円、死亡した者又は現在寝たきりで他の者の介護を引続き必要とする者について金五〇〇〇万円であると主張する。また、弁護士費用として、各自の請求金額の一割相当の額を請求している。原告らは、準備書面(平成五年二月一日付)において、請求している損害額算定の「大体の方法」を説明し、逸失利益、慰謝料、介護費の項目を挙げるが、訴状において主張した算定方式と特段の違いはなく、結局、諸種の損害の額を具体的に主張しているわけではない。したがって、原告らの請求額は、基本的に肉体的、精神的、経済的、社会的に被った損害を総合的に斟酌した上で算定されたものと考えられ、その性質は全体として慰謝料の性質を持つと解される。

2 当裁判所は、本件患者の症候が水俣病に起因すると考えられる可能性に応じた因果関係が認定できるものと考えるものであるから、右可能性の認められた本件患者に対応する原告の認容額を決定するに当たっては、水俣病である高度の蓋然性がある場合の慰謝料額を決定し、これに、当裁判所が認めた可能性の程度(確率)を乗じて算定することが公平かつ相当である。

そして、水俣病である高度の蓋然性がある場合の慰謝料額としては、患者一人につき、金二〇〇〇万円(慰謝料の基本額)とするのが相当であり、被告チッソの負担すべき弁護士費用額としては、患者一人当たり金五〇万円とするのが相当である。したがって、患者一人についてみると、金二〇〇〇万円に対し同患者の水俣病である可能性の程度(確率)を乗じた額に金五〇万円を加えた額が認容額となり、その結果は、後記3及び別紙第一原告目録記載のとおりである。すなわち、当裁判所は、本件患者の中には、水俣病に起因する可能性の程度(確率)が最高で四〇パーセント、次いで三〇パーセント、二〇パーセント、最低で一五パーセント(四段階)の者があるとし、前記の二〇〇〇万円に各患者が水俣病に罹患している確率を乗じて慰謝料額を算定し、これに弁護士費用五〇万円を加えて、各原告ごとの損害賠償額を認定した。

3 別紙第一原告目録記載の原告らについて認容額の算定及び別紙第二原告目録記載の原告らのうち別紙第四原告目録記載の原告らを除く原告らについての棄却の理由は、次のとおりである(なお、原告、死亡した元原告及び原告の訴訟承継人については別紙当事者目録記載の原告番号を付記し、本件訴訟提起前に死亡した患者については患者番号<同目録記載の原告番号参照>を付記する。)。

(一) 原告荒木ヤス子(原告番号1)の認容額は、次のとおり八五〇万円である。

同原告の症候が水俣病に起因する確率(以下「本件確率」という。)は、第三分冊の同原告の「個別的因果関係の判断」の末尾記載のとおり(以下、他の原告について、単に「個別判断のとおり」と記述する。)四〇パーセントである。

前述した慰謝料の基本額二〇〇〇万円に右の四〇パーセントを乗じた八〇〇万円が認容すべき慰謝料額であり、これに弁護士費用五〇万円を加えると、認容額合計は八五〇万円となる。

(以下、本件確率が、四〇パーセントの場合の慰謝料額は八〇〇万円、三〇パーセントの場合の慰謝料額は六〇〇万円、二〇パーセントの場合の慰謝料額は四〇〇万円、一五パーセントの場合の慰謝料額は三〇〇万円であるとして、簡略な記述をする。)。

(二) 原告兼亡岩本愛子(原告番号3)の承継人岩本夏義(原告番号2、3―2)の認容額は、次のとおり一〇七五万円である。

原告岩本夏義の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。この金額に、亡岩本愛子の承継人(原告番号3―2)としての認容額四二五万円(この算定は次のとおり)を併せると、認容額合計は一〇七五万円となる。

亡岩本愛子の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであるから、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

ところで、本分冊末尾の亡岩本愛子の相続関係説明図(一)(以下、他の原告について、単に「相続関係図」と記述する。)のとおり原告岩本夏義は、亡岩本愛子の夫であるから、右八五〇万円の二分の一である四二五万円を相続により取得した。

(三) 亡岩本愛子(原告番号3)の承継人岩本優(原告番号3―3)、同岩本誠(原告番号3―4)、同小笹惠(原告番号3―5)、同岩本司(3―6)、同大倉朱美(原告番号3―7)、同岩本力(原告番号3―8)の認容額は、次のとおりいずれも七〇万八三三三円である。

ところで、相続関係図(一)のとおり右の岩本優ら六名は、いずれも亡岩本愛子の子であるから、亡岩本愛子の損害額八五〇万円の一二分の一である七〇万八三三三円(円未満切捨。以下同じ)をそれぞれ相続により取得した。

(四) 原告岩本章(原告番号4)の認容額は、次のとおり四五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

(五) 原告岩本祐好(原告番号5)、原告岩本俊雄(原告番号6)、原告池田一夫(原告番号七)、原告池田フミ子(原告番号8)の認容額は、次のとおりいずれも六五〇万円である。

同原告らの本件確率は、個別判断のとおりいずれも三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は各六五〇万円である。

(六) 亡池田光喜(原告番号9)及び亡池田ツヨ子(原告番号10)の承継人池田政利(原告番号9―3、10―2)、同池田敏久(原告番号9―4、10―3)、同池田利春(原告番号9―5、10―4)、同寺島文子(原告番号9―6、10―5)の認容額は、次のとおりいずれも三二五万円である。

亡池田光喜の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。また、亡池田ツヨ子の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

ところで、相続関係図(二)(三)のとおり右の池田政利ら四名は、いずれも亡池田光喜と亡池田ツヨ子(両者は夫婦である。)の子であり(相続分は各四分の一)、亡池田ツヨ子は夫の亡池田光喜よりも後に死亡して、同人の損害額八五〇万円の二分の一である四二五万円を一旦相続により取得した。そして、右四名の子は、結局、右両親の損害額合計一三〇〇万円の四分の一である三二五万円をそれぞれ相続により取得したことになる。

(七) 原告江口セツ子(原告番号11)、原告川元幸子(原告番号12)、原告川元フミ子(原告番号14、13―2)の認容額は、次のとおりいずれも六五〇万円である。

同原告らの本件確率は、個別判断のとおりいずれも三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は各六五〇万円である。

(八) 亡川元正人(患者番号13)の症候が水俣病に起因する可能性は、個別判断のとおりほとんどないといわざるを得ないから、同人の相続人である原告川元フミ子(原告番号13―2)、同川元正昭(原告番号13―3)の請求は、いずれも棄却すべきものである。なお、亡川元正人の承継関係は、相続関係図(四)のとおりである。

(九) 原告坂本美代子(原告番号17)の認容額は、次のとおり八五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

(一〇) 亡篠原蔀(原告番号18)の承継人篠原重子(原告番号18―2)の認容額は、次のとおり六三七万五〇〇〇円であり、同承継人篠原一堯(原告番号18―4)、同篠原智敏(原告番号18―5)、同篠原善喜(原告番号18―6)、同木村ミツモ(原告番号18―7)、同佐分邦子(原告番号18―8)の認容額は、次のとおりいずれも三五万四一六六円である。

亡篠原蔀の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

ところで、相続関係図(六)のとおり右の篠原重子は亡篠原蔀の妻であり、その余の篠原一堯ら五名及び後記二二の松崎キヨエ(原告番号30、18―3)は、いずれも亡篠原蔀の兄弟である。そこで、亡篠原蔀の損害額八五〇万円について、篠原重子は、その四分の三である六三七万五〇〇〇円を、篠原一堯ら五名及び右松崎キヨエは、その二四分の一(四分の一×六分の一)である三五万四一六六円をそれぞれ相続により取得した。

(一一) 亡下田幸雄(原告番号19)の承継人下田エミ(原告番号19―2)、同白江啓子(原告番号19―3)の認容額は、次のとおりいずれも二二五万円である。

亡下田幸雄の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

ところで、相続関係図(七)のとおり右の下田エミは亡下田幸雄の妻であり、右の白江啓子は亡下田幸雄の子であるから、亡下田幸雄の損害額四五〇万円の二分の一である二二五万円をそれぞれ相続により取得した。

(一二) 原告下村久恵(原告番号20)の認容額は、次のとおり六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(一三) 原告洲崎義輝(原告番号21)の認容額は、次のとおり三五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり一五パーセントであり、その慰謝料額三〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は三五〇万円である。

(一四) 原告洲崎百合子(原告番号22)の認容額は、八五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

(一五) 原告岩本キヨミ(原告番号23)の認容額は、六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(一六) 原告兼亡蓑田ソモ(原告番号31)の承継人田中ヤス子(原告番号24、31―4)の認容額は、次のとおり七二五万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。この金額に、亡蓑田ソモの承継人(原告番号31―4)としての認容額七五万円(この算定は次のとおり)を併せると、認容額合計は七二五万円となる。

亡蓑田ソモの本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであるから、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

ところで、相続関係図(九)のとおり右の原告田中ヤス子は、亡蓑田ソモの子であるから(ソモの相続人には、同原告、松葉ツヤ子、蓑田實、蓑田太丸、芝シヅエの五名及びソモの子である亡蓑田信義の代襲相続人蓑田一男がいた<すなわち、ソモの死亡当時、六名の相続人がいた。>。その後、右一男は平成四年一二月に死亡し、母の蓑田ヨシコが一男を相続した。)、亡蓑田ソモの損害額四五〇万円の六分の一である七五万円を相続により取得した。

なお、右松葉ツヤ子(原告番号31―2)、蓑田實(原告番号31―3)、蓑田太丸(原告番号32、31―5)、芝シヅエ(原告番号33、31―6)及び蓑田ヨシコ(原告番号31―7―2)の五名も原告田中ヤス子と同様にそれぞれ七五万円を相続により取得した。

(一七) 原告田端もり子(原告番号25)の認容額は、六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(一八) 原告徳冨美代子(原告番号26)の認容額は、四五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

(一九) 原告西川末松(原告番号27)の認容額は、六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(二〇) 亡濱本勝喜(原告番号28)の症候が水俣病に起因する可能性は、個別判断のとおりほとんどないといわざるを得ないから、同人の承継人濱本マサコ(原告番号28―2)、同濱本政喜(原告番号28―3)、同岩崎榮子(原告番号28―4)、同濱本健一(原告番号28―5)の請求は、いずれも棄却すべきものである。

なお、亡濱本勝喜の承継関係は、相続関係図(八)のとおりである。

(二一) 原告松崎幸男(原告番号29)の認容額は、八五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

(二二) 原告兼亡篠原蔀(原告番号18)の承継人松崎キヨエ(原告番号30、18―3)の認容額は、次のとおり八八五万四一六六円である。

原告松崎キヨエの本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。この金額に、亡篠原蔀の承継人(原告番号18―3)としての認容額三五万四一六六円(この算定は前記(一〇)のとおり)を併せると、認容額合計は八八五万四一六六円となる。

(二三) 亡蓑田ソモ(原告番号31)の承継人松葉ツヤ子(原告番号31―2)、同蓑田實(原告番号31―3)の認容額は、前記一六のとおりいずれも七五万円である。

(二四) 原告兼亡蓑田ソモ(原告番号31)の承継人蓑田太丸(原告番号32、31―5)、同芝シヅエ(原告番号33、31―6)の認容額は、次のとおりいずれも七二五万円である。

原告蓑田太丸及び原告芝シヅエの本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計はいずれも六五〇万円である。この金額に、亡蓑田ソモの承継人(原告番号31―5、31―6)としての認容額七五万円(この算定は前記一六のとおり)を併せると、認容額合計はいずれも七二五万円となる。

(二五) 亡蓑田信義(原告番号34)の承継人蓑田玉惠(原告番号34―2)の認容額は、次のとおり三二五万円である。

亡蓑田信義の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

ところで、相続関係図(一〇)のとおり右の蓑田玉惠は亡蓑田信義の妻であるから、亡蓑田信義の損害額六五〇万円の二分の一である三二五万円を相続により取得した。

なお、亡蓑田信義には、木村友美(原告番号34―3)、同蓑田佳永(原告番号34―4)、同南野容子(原告番号34―5)の三名の子がおり、同人らは、亡蓑田信義の損害額六五〇万円の六分の一である一〇八万三三三三円をそれぞれ相続により取得した。

(二六) 亡蓑田信義(原告番号34)の承継人木村友美(原告番号34―3)、同蓑田佳永(原告番号34―4)、同南野容子(原告番号34―5)の認容額は、前記二五のとおりいずれも一〇八万三三三三円である。

(二七) 原告森ミスカ(原告番号35)の認容額は、次のとおり六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(二八) 亡山下一弥(原告番号36)の症候が水俣病に起因する可能性は、個別判断のとおりほとんどないといわざるを得ないから、同人の承継人山下タユ子(原告番号36―2)、同長濱里美(原告番号36―3)、同山下正藏(原告番号36―4)、同山下繁蔵(原告番号36―5)、同山下正繁(原告番号36―6)の請求は、いずれも棄却すべきものである。

なお、亡山下一弥の承継関係は、相続関係図(一一)のとおりである。

(二九) 原告川上敏行(原告番号37)の認容額は、次のとおり八五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

(三〇) 原告川上カズエ(原告番号38)、原告坂口邦男(原告番号39)の認容額は、次のとおりいずれも四五〇万円である。

同原告らの本件確率は、個別判断のとおりいずれも二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は各四五〇万円である。

(三一) 原告鬼塚光男(原告番号40)が水俣病に罹患している可能性は、個別判断のとおりほとんどないといわざるを得ないから、同原告の請求は、棄却すべきものである。

(三二) 原告濱本喜造(原告番号42)、原告濱本スソノ(原告番号43)の認容額は、次のとおりいずれも六五〇万円である。

同原告らの本件確率は、個別判断のとおりいずれも三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は各六五〇万円である。

(三三) 原告山下ツタエ(原告番号50)、原告荒木多賀雄(原告番号51)の認容額は、次のとおりいずれも八五〇万円である。

同原告らの本件確率は、個別判断のとおりいずれも四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は各八五〇万円である。

(三四) 原告神園茂子(原告番号54)の認容額は、次のとおり四五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

(三五) 原告杉山多美子(原告番号55)の認容額は、次のとおり六五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり三〇パーセントであり、その慰謝料額六〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は六五〇万円である。

(三六) 原告坂ロチサ子(原告番号56)の認容額は、次のとおり四五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり二〇パーセントであり、その慰謝料額四〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は四五〇万円である。

(三七) 原告渕上キミ(原告番号57)の認容額は、次のとおり八五〇万円である。

同原告の本件確率は、個別判断のとおり四〇パーセントであり、その慰謝料額八〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計は八五〇万円である。

(三八) 亡吉田信市(患者番号58)の症候が水俣病に起因する可能性は、個別判断のとおりほとんどないといわざるを得ないから、同人の相続人である原告吉田ユキ子(原告番号58―2)、同藤本清美(原告番号58―3)、同吉田伸二(原告番号58―4)の請求は、いずれも棄却すべきものである。

なお、亡吉田信市の承継関係は、相続関係図(一四)のとおりである。

第三  被告国及び県の責任

原告らが被告国及び県の責任に関してする主張は、以下の一ないし六に検討する各規制権限を行使しなかったという不作為を違法な行為と主張し、国家賠償法一条一項を根拠とする主張、その他の同法一条一項を根拠とする主張及び同法二条を根拠とする主張に分けることができる。

国賠法一条一項にいう違法とは、公務員が国民に対して負担する職務上の法的義務に違反することをいうが、原告らの主張する不作為の違法については、被告国及び県が作為義務に違反することが違法と評価される。作為義務があると認められるのは、必ずしも法令に明定されている場合に限られるわけではないが、作為義務が国賠法上の違法の判断基準となることからみて、少なくとも法的義務であることが必要である。

被告国及び県の責任については、原告らの主張する各規制権限ないし責任原因ごとに以下検討する。

一  食品衛生法

1 食品衛生法の目的

原告らは、食品衛生法が、憲法二五条を受けて制定された法規であり、同法は、従来の警察取締行政から、積極的な施策をとることとされたものであって、行政庁も右目的のために積極的に介入すべきであったと主張する。

しかし、食品衛生法の制定された経緯、目的及び規定の内容等に鑑みると、同法は、食品衛生行政庁に対して、食品の製造、販売等に関し、積極的な行政責任を負わせた規制法ではなく、本来営業の自由に属する食品の製造、販売等に対し、食品の安全性という見地から必要最小限度の取締りを行うことを目的とする消極的な警察取締法規であると解するのが相当である。

まず、食品衛生法一条は、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的とする。」と規定し、警察取締目的であることを明らかにしている。同法が規定しているのは、食品関係の営業及び営業者に対する各種の規制及び取締りであって、「営業」とは、「業として、食品若しくは添加物を採取し、製造し、輸入し、加工し、調理し、貯蔵し、若しくは販売すること又は器具若しくは容器包装を製造し、輸入し、若しくは販売すること」をいい、営業を営む人又は法人を「営業者」という。しかし、同法二条七項及び八項で明らかにされているとおり、営業者には農業及び水産業における食品の採取業は含まれない。すなわち、水俣湾内の魚介類を漁民その他の者が採取し、自らこれを食するといった行為(以下「自家摂食」ということがある。)は、同法による規制、取締りの対象にならない。同法は、有毒有害な魚介類が流通経路を経て一般市民に衛生上の危害を及ぼさないようにするため、これら魚介類の販売及びその前段階としての販売の用に供するための採取を禁じている(同法四条)に過ぎないから、有毒有害魚介類の販売目的の採取が禁じられ、当該魚介類が商品価値を失い、漁獲することもなくなり、結果的に漁民がその摂食を免かれることになっても、そのことは本来同法が予定していることではない。

担当公務員において、漁民(食品の採取業者)が自ら採取し、摂食することに起因する食中毒等を防止するために、食品衛生法上の規制権限を行使することは全く予定されておらず、したがって右権限の不行使が漁民らに対する関係で違法となることはない。

結局、食品衛生法に基づく行政庁の規制は、補完的、後見的、二次的な立場で行われるのであり、食品の安全確保は、第一次的かつ最終的には食品の製造販売業者の責任に委ねられている。営業の自由が公衆衛生等内在的な制約に服する場合には、その制約は害悪の発生を防止するのに必要にして最小限度、手段において消極的になされなければならない。また、同法上、国民に対する関係において食品衛生行政庁に対し一定の行為を積極的に行うべきことを義務付けた規定は存しない。

2 食品衛生法四条

原告らは、食品衛生法四条に基づき、熊本県知事は水俣湾及びその周辺海域の魚介類全部について、採取及び販売を禁止する告示をなす義務を負っていたのに、これを怠ったと主張する。また、同法四条の解釈として、同条に該当するためには、有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着している「疑い」のある食品であれば足りると主張する。そし、昭和三二年夏ころには水俣湾及びその「周辺海域の魚介類」が、「種類を問わず」、有害・有毒であることが明確になっていたので、規制が可能であったと主張し、そして、昭和三四年秋ころには不知火海全体に有毒化が進行していたから、関係知事は不知火海全体について採取・販売を禁止すべきであり、その旨告示・周知徹底すべきであったと主張する。

しかし、同条を根拠として被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできないと考えるので、以下理由を述べる。

(一) 規制権限

食品衛生法四条は、同条各号に掲げる食品又は添加物は、これを販売し、又は販売の用に供するために、採取してはならないと規定し、同条二号は「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」、同条四号の「不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を害う虞があるもの」を挙げている。

しかし、食品衛生法四条は、有毒有害食品を販売又は販売目的で採取等をしようとする者に対し、不作為(禁止)義務を課した規定であって、厚生大臣又は都道府県知事に対して右行為を禁止すべき作為義務を課し、禁止する権限を与えた規定であるとは解されない。また、都道府県知事が魚介類の採取及び販売を禁止する告示をすべき義務、あるいは告示する権限は規定されていない。同法四条に該当することは、同法二二条、三〇条などの規定が発動されるための要件であって、同条自体が行政庁の何らかの規制権限や義務を規定しているわけではないと解するのが相当である。

同法四条四号は、同条一号ないし三号以外の事由による人の健康を害うおそれのあるものについての規定であって、四号にいう「その他の事由により」というのは、一号ないし三号及び四号の例示の場合以外の場合を指していると考えられる。すなわち、四号は一号ないし三号に対して補充性を持った規定であり、同法一号ないし三号の規定の解釈によって処理されるべき食品については、四号該当性を検討する余地はない。

四号該当性は、営業者が取り扱う個々の食品について個別、具体的に判断する必要がある問題であるが、「健康を害う虞」は、前記の食品衛生法の目的やこの規定が行政処分や罰則の発動要件であることに照らし、該当性の判断については十分な科学的ないし経験上の知見の裏づけが必要であって、単なる可能性や憶測に基づくものでは足りないと解される。

(二) 有害食品の「疑い」

食品衛生法四条二号、昭和四七年法律第一〇五号による改正により、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りではない。」と改められるに至った。同改正は、「有毒な若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着している疑いがあるもの」について食品衛生法上の規制を初めて可能にした創設的な改正であり、同法改正以前においては、右「疑い」のある食品の規制は不可能であったと解される。

また、改正前においても、食品衛生法四条二号は刑事罰及び行政処分を課するための要件規定であるから、具体的な食品等が、そこに規定している「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」という要件に該当するか否かは、その見地から厳格に解釈されるべきであって、条文の規定どおり、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着している」と確実に判断し得るもののみがこれに該当し、単にその「疑い」があるといった程度では足りない。

(三) 水俣湾内の魚介類

まず、前記第一において認定した事実経過に鑑みると、昭和三二年の時点では、水俣病の原因物質が不明であり、また、個々の魚介類の有毒有害性を判断することもできなかったと考えられ、水俣湾内の魚介類が当該時点で同条四号に該当するとはいえなかった。昭和三二年夏ころの段階では、いかなる魚介類が有害有毒であるのかはなお不明であり、水俣湾外の魚介類の危険性については、漠然と食中毒と捉えられていたのであり、未だ具体的な問題とはなっていない時期であったと認められる。

前記第一において認定したとおり、被告県は、昭和三二年八月一六日、厚生省に対して水俣湾産の魚介類に対する食品衛生法四条の適用が可能かどうかの照会を行った。しかし、これは、当時現に行っていた魚介類を摂食しないようにとの行政指導が、同法の適用を受けることによって、より強力に住民に呼びかけられるとの意図で行われたものと推認される。原告らは、照会したことをもって規制権限行使が可能であったと主張するが、もし、その段階で水俣湾内の魚介類がすべて魚種を問わず有毒有害になっていることが明らかであったとすれば、被告県は照会をするまでもなかったと考えられるから、右主張は採りえない。この照会に対する厚生省の回答は、前記認定のとおり、適用することはできないというものであったが、その基本的理由は、当時は水俣湾内の魚介類の危険性について食品衛生法の適用を可能ならしめるだけの科学的知見が集積していなかったことである。そして、その理由は当時の原因解明状況からみてやむを得ないものであったと認められる。

次に、昭和三四年秋の時点でも、熊大の有機水銀説は未だ主要部分について検証が十分でない見解であったのであり、同条四号該当性を判断することはできなかったと考えられる。

前記第一に認定した事実によれば、昭和三四年一一月の段階までにおける動物実験結果や疫学的調査結果などの諸研究を総合しても、当時判明していたことは、水俣湾産の魚介類の中には相当期間継続的に大量摂取した場合には水俣病を発症せしめる有毒有害魚介類が存するということだけであって、水俣湾産の魚介類のすべてが右に述べた意味で有毒有害化しているとはいえなかったし、種類や生息場所を限定して特定の魚介類が有毒有害化しているともいえる状況になかったと考えられる。また、昭和三四年秋ころには水俣湾外の魚介類の危険性ということが危惧され始めているが、不知火海沿岸一帯で猫の発病や患者が発生しているというような事情はなく、むしろ、昭和三五年をもって一旦患者発生が終息する現象が見られたのであって、直ちに不知火海という広大な海域全体の漁獲を禁止すべき事情はなかったと考えられる。

原因物質による規制という観点からは、前記第一の事実経過をみても、昭和三四年一一月の段階においては、熊大研究班内で有機水銀説が有力に唱えられ始めていたものの、なお同班内でも他の原因物質を疑う諸見解が存在しており、必ずしも意見の一致をみず、厚生省食品衛生調査会の答申にしても、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」とするにとどまり、原因物質を特定したとはいえない状態にあった。仮に、ある種の有機水銀化合物がその原因物質であると考えたとしても、その種類は多く、いかなる有機水銀についてどのような許容量を設定すべきかについても確たる知見は存在せず、そもそも有機水銀を分析定量する技術すら存しなかったのである。したがって、当時、原因物質に着目して食品衛生法四条二号の該当性を判断することができなかった。

3 食品衛生法二二条

原告らは、営業者が食品衛生法四条等に違反した場合に、厚生大臣又は都道府県知事が同法二二条によって採るべき措置を怠ったと主張する。また、このような措置を採れば、自家用にのみ漁業をしたり、一般人が水俣湾周辺で漁業したりすることもなくなるはずであったと主張する。

しかし、同法二二条適用の前提要件のうち、営業者が同法四条に違反した場合という要件が充足されていなかったことは、前記2に説示したとおりである。これ以外の場合も含めて、当裁判所は、同条適用の余地はなかったと考える。以下理由を述べる。

(一) 営業の意義

食品衛生法二二条における「営業者」は、同法二条八項によれば、同条七項にいう「営業」を営む人又は法人をいうのであるが、同条七項但書によって、「農業及び水産業における食品の採取業」は、「営業」から除かれている。したがって、漁民は食品衛生法上の営業者には該当せず、漁民に対して同法二二条に基づく規制権限を行使する余地はない。また、右営業者に該当しない原告らに対して同権限を行使する余地はなく、規制権限不行使と原告らが水俣湾内の魚介類を漁獲し、摂食したこととの間に因果関係がない。

同法二条七項但書において、農民又は漁民の採取行為を営業としての規制対象としないこととしたのは、採取行為に当然に付随する市場における販売(卸)をも含めて規制対象としない趣旨であるから、漁民が採取した魚介類を市場に販売する行為は、同法二二条の規制対象とはならないと解される。

(二) 規制権限行使の要件

食品衛生法二二条の規制権限を行使するためには、営業者が同法四条等の規定に違反していることが要件となるが、当時においては営業者に同条等の違反の行為があったとは判断できず、行政庁が右規制権限を行使することができなかったと考えられる。

たとえば、販売店の店頭等に並んでいる魚介類がどこで漁獲されたかは表示されていないのであるから、その魚介類が水俣湾内で漁獲されたものかどうかも確定することは困難である。たとえ、魚介類が水俣湾産であることが判明したとしても、当該魚介類が有毒有害化しているかどうかを確定的に判断することもできず、同法二二条を適用することはできなかったと考えられる。また、漁獲した魚介類を水揚げした段階で水俣湾産か否か判断できるとの主張もあるが、水俣漁協の有する共同漁業権の範囲が水俣湾だけとはいえず、実際に漁獲する場所がその範囲に限られているわけでもないから、水俣漁協所属の組合員が市場に魚介類を卸した場合にすべてが水俣湾内で漁獲したものと判断することもできない。したがって、漁港に水揚げした段階で、その中から水俣湾産魚介類を特定することもできなかったのであり、規制権限行使の前提要件についての判断ができなかったといえる。

(三) 規制権限行使の効果

原告らは、食品衛生法二二条の規制権限が行使され、主張するような措置を採れば、自家用にのみ漁業をしたり、一般人が水俣湾周辺で漁業したりすることもなくなるはずであったと主張するが、後記5記載のように、同法は自家摂食を規制対象としていない以上、原告らの主張する効果が生ずる可能性は事実上は考えられても、規制権限を行使して自家摂食に影響が及ぶことは法的には考えられない。このように事実上の効果を期待して規制権限を行使することは、法の立法趣旨に反するおそれがあり、このような場合には、少なくとも行政庁に作為義務は発生しないと解される。

4 食品衛生法一七条

食品衛生法一七条一項は、「厚生大臣、都道府県知事…(中略)…は、必要があると認めるときは、営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め、当該官吏吏員に営業の場所、事務所、倉庫その他の場所に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品、添加物、器具若しくは容器包装、営業の施設、帳簿書類その他の物件を検査させ、又は試験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品、添加物、器具若しくは容器包装を無償で収去させることができる。」と定める。

原告らは、厚生大臣及び都道府県知事は、水俣湾又はその周辺海域の魚介類に対して、食品衛生法一七条による措置を採るべきだったと主張する。

しかし、以下の理由で、右主張は採ることができない。

(一) 本条の趣旨

食品衛生法一七条の権限は、同法四条各号違反の事実を調査確定するために認められていると解される。したがって、厚生大臣及び都道府県知事が右権限を行使するためには、同法四条二号に該当すると判断される食品が存在し、営業者等に同条違反の行為が疑われるため「必要があると認められる」状況にあることが必要である。しかし、前記第一の事実経過からみて、昭和三四年一一月に至っても水俣湾内の魚介類については、これが同法四条二号に該当するか否かを判断する方法はなかったのであるから、このような状況下では右各権限を行使し得なかったものといえる。

(二) 調査義務の不存在

同法一七条に規定する権限は、あくまで同法四条違反という具体的嫌疑を前提として、これを調査確定させるためのものであるから、同法一七条において「必要があると認めるときは」というのも、解釈上無限定なものではなく、具体的嫌疑であることを要すると解される。前記第一の事実経過に鑑みると、そのような具体的嫌疑があったと認めるに足りる証拠はない。また、右のような具体的嫌疑とは関係なく、水俣湾産の魚介類一般の有毒有害性を調査・研究する目的で、長期かつ継続的に同法一七条の権限を行使することは、食品衛生法が前記1のような立法目的の法律である以上、同法の予定するところではなく、このような一般的な調査、研究の義務を被告国及び県は負っていないと解される。

5 因果関係

原告らの主張は、被告国・県が前記の規制権限を行使していれば、原告らに水俣病罹患の損害は生じなかったことを前提とする。

しかし、食品衛生法に基づく規制措置の不作為と原告らの主張する水俣病罹患という損害との間には因果関係は認められない。なぜなら、原告らの中には鹿児島県に居住していた者もいるし、水俣湾の周辺に居住していた者であっても、昭和三二年になると水俣湾の魚介類が危険であるといわれ始め、同年八月には地元の水俣漁協でも水俣湾内での漁獲を自主規制し、同湾内でみるべき漁獲は行われていなかったのであるから、原告らが、当時、流通経路を通じて摂食していた魚介類の大部分は水俣湾産以外の魚介類であったと推認され、また、食品衛生法は、自家摂食を規制の対象外としているからである。同法は、流通過程において取得した魚介類を規制対象としているのであって、たとえ、規制権限を行使したとしても、自家摂食のための採取は規制できない。原告らが流通過程において取得した魚介類によって水俣病に罹患したものではないならば、同法上の権限の不行使と原告らが被ったとする損害との間に因果関係がない。

6 以上のように、原告らの主張する食品衛生法上の各規定から、被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできない。したがって、被告国及び県にこの点に関する作為義務違反はない。

二  漁業法、水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則

原告らは、水俣工場廃水により水俣湾及びその附近海域に深刻な漁業被害が発生していたのであるから、被告国・県は、右被害を防止するために以下のような規定に基づいた措置を講ずべきであったと主張するので、以下検討する。

1 漁業法の目的

原告らは、漁業法が食生活上の国民の生命、健康の安全確保を目的とする法律であると主張する。

しかし、漁業法は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とすると規定している(同法一条)。同法には、水産資源の品質管理、安全性を確保するための規定が存在せず、これに関連する規定もない。したがって、漁業法が食生活上の国民の生命、健康の安全確保を目的とする法律であると解することはできない。

2 漁業法三九条一項

まず、漁業法三九条一項は、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができる。」と規定している。

原告らは、漁業法三九条一項は、「公益上必要があると認めるとき」に、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができると規定していることを捉えて、生命、身体に優る公益はないから、同条にいう「公益」とは、生命、身体の保護も含まれるとして、熊本県知事は、住民の生命、身体の保護のために、取消等をすべきであったと主張する。

しかし、漁業権の取消し等の規制権限は漁業権者の権利をはく奪又は制限するという重大な効果を生じさせるから、同項の「公益上必要があると認めるとき」との要件を、安易に拡張解釈することは許されない 右の「公益上の必要」については、同項自体に例示されており、これ以外のものとしては、極めて公益性の高い事業の用に供するような場合であると解される。そして、漁業権は漁業を営むことを権利として保護するものであるから、これをはく奪、制限し得るに足る「公益」とは、漁業権を保護することにより侵害される公共の利益を指すと解するのが自然であり、しかも、その利益の実現のために水面の利用が不可欠で、漁業権の有する物権的排他性によりその水面を利用できないことが不都合であるような場合の公共の利益をいうものと解すべきである。

したがって、当該漁業権区域内の魚介類を摂食することに起因する国民の生命、身体の安全を確保する目的で、漁業法三九条一項の規制権限を行使するなどということは、本来同法の全く予定していないことであって、同法三九条一項の「公益」には含まれない。魚介類を摂食すると食中毒に罹患するおそれがあるとの理由で、当該水域に係る漁業権の取消等をすることはできない。

なお、原告らは取消等の対象たる漁業権を特定して主張していないが、これを水俣漁協の漁業権と仮定した場合、水俣漁協の有していた共同漁業権を取り消したところで同漁協の権利が消滅するだけで、直ちに漁獲禁止の効果を期待できるものではない。また、その行使の停止を命じたとしても、当時水俣湾内で行われていた延縄漁業や一本釣り漁業などは共同漁業権の対象とはなっていないから、その操業に何ら影響がない。同条の権限の行使と原告らの漁獲あるいは魚介類の摂食との間に因果関係があるとは認められない。

3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則

(一) 水産資源保護法及び調整規則の目的

原告らは、水産資源保護法によって保護される水産資源が国民の食用になるもので、有毒でないものを意味するのは自明であると主張する。

まず、水産資源保護法は、「水産資源の保護培養を図り、且つ、その効果を将来にわたって維持することにより、漁業の発展に寄与することを目的とする」ものであり(同法一条)、また、同法四条一項は、農林水産大臣又は都道府県知事が「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」には省令又は規則を制定することができる旨規定している。同項四号の事項に関して制定された調整規則も、専ら「水産資源の保護培養」を図るためのものである。

ここで、「水産資源の保護培養」とは、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくため、乱獲等を防止し、資源としての水産動植物の繁殖保護を図ることであると解されるのであって、食用になる水産資源自体の安全性を維持することではない。したがって、水産資源保護法及び調整規則が、国民の生命、健康を保護することをその目的としているとはいえない。

さらに、前記第一において認定したとおり、メチル水銀は魚介類に蓄積されるが、魚介類それ自身を侵すものではない。したがって、工場排水に含まれるメチル水銀によって直接的に水産資源である魚介類が被害を受ける(魚が死亡して海面に浮くなど)関係にはないから、原因の判明した現時点でみても、水産資源の保護の目的とメチル水銀を含む排水の規制とは結びつかない。

(二) 調整規則三〇条一項

原告らは、熊本県知事が、無害の水産資源を保護し、国民の生命、健康という公益上の必要があるので、調整規則三〇条一項に基づき、水俣湾及びその周辺海域における許可漁業の許可を取り消すべきあったと主張する。

しかし、調整規則三〇条一項における漁業許可取消等の要件である「漁業調整その他公益上必要あると認めるとき」とは、前記調整規則の目的に照らせば、漁業法六五条の「漁業取締その他漁業調整のため」又は水産資源保護法四条の「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」に準じて解釈されるべきものである。したがって、原告らの主張するような人の生命、健康を保持する必要から、右規制権限を行使するというようなことは、漁業法、水産資源保護法、調整規則のいずれも予定しているところではない。

調整規則五条は、同条所定の漁業を営もうとする者は知事の許可を受けるべきものとしていた(許可漁業)が、これ以外の漁業は自由になし得るものとしていた。すなわち、操業を規制する必要性のない漁業、例えば、一本釣漁業や延縄漁業は調整規則所定の許可漁業とされておらず、自由になし得るいわゆる自由漁業とされていたのである。したがって、自由漁業については、漁業許可の取消ということはあり得ない。

原告らは、具体的に誰がどの海域で有していた、いかなる内容の許可漁業を取り消すべきであったというのか、原告らは右許可漁業の許可を受けていたというのか、その主張は明確ではない。水産資源保護法及び調整規則の目的に照らして、許可漁業の許可一般の取消ということは考えられない。したがって、原告らが取り消すべきであったと主張する具体的許可漁業の許可が不明である以上、原告らの主張する損害との間にいかなる因果関係があるかも不明である。

以上により、調整規則三〇条一項による漁業許可取消は、原告ら主張のような理由では行うことができず、また、許可を取り消せば、原告らが損害を受けなかったという関係にあるともいえない。

(三) 調整規則三二条

原告らは、熊本県知事が、漁業法六五条及び水産資源保護法四条に基づいて制定された調整規則三二条によって、被告チッソに対して排水規制措置を命ずべきであったと主張する。

しかし、調整規則三二条二項に基づいて熊本県知事が有していた権限は、除害設備の設置又はその変更を命ずることであり、排水の停止を命ずる権限は存しない。

除害設備の設置を命ずるという権限を行使し得るための要件は、「水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置してはならない。」という同条一項の「規定に違反する者があるとき」である。したがって、規制権限を行使するには、水産動植物の繁殖保護に有害な物が何であるのか、これを遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置する者が誰であるのかが特定され、かつ、右遺棄等の行為と水産動植物の繁殖保護上の有害性との間の因果関係が明らかになっていることが必要不可欠の前提であるといわなければならない。

前記第一に認定した事実経過のとおり、昭和三四年一一月の時点で、被告国・県としても直ちに有機水銀説が正しいと断定することができず、また当時有機水銀を定量する技術もなかったため、仮に有機水銀の排出を規制したとしても、その違反の有無を検証する方法もない状況であった。また、当時、水産動植物の繁殖保護に有害な特定の工場の排水という特定の方法も採ることができなかったし、そのような特定では、被規制者においていかなる除害設備を設置すべきかの判断もできず、その違反の有無についても判断不能であったと考えられる。

原告らは、総水銀による規制を主張するが、排水中の総水銀自体極めて微量であり、当時一般には定量できなかったと考えられ、もしも総水銀で規制するとした場合、当時でも原因物質ではないと考えられていた無機水銀の排出を規制する結果になり、過剰規制となるものであった。

以上のように、熊本県知事が、調整規則三二条によって原告ら主張のような排水規制措置等を採ることが可能であったとは認められない。

4 因果関係

原告らの主張は、被告国・県が、漁業法及び調整規則に基づく規制措置を行っていれば、原告らは水俣病に罹患するという損害を被ることはなかったことを前提にしている。

しかし、漁業法及び調整規則に基づく規制措置の不作為と原告らの主張する水俣病罹患という損害との間には因果関係は認められない。すなわち、原告らの中には鹿児島県に居住していた者もおり、水俣湾の周辺に居住していた者であっても、昭和三二年になると水俣湾の魚介類が危険であるといわれ始め、同年八月には地元の水俣漁協でも水俣湾内での漁獲を自主規制し、同湾内でみるべき漁獲は行われていなかったのであるから、原告らが、当時、摂食していたであろう魚介類は大部分が水俣湾産以外の魚介類であったと推測される。

また、原告らの主張では、原告らがどの漁協の組合員であったか、その行っていたという漁業と漁業権とがいかなる関係にあるか、許可漁業について原告らのうちの誰かが果たして何らかの許可を受けていたのかが特定されていない。

5 結論

以上のとおり、漁業法及び水産資源保護法の目的並びに調整規則一条の規定に照らせば、同規則三〇条一項、三二条が国民個々人の生命や健康といった利益を直接保護の対象としているものではないと解される。したがって、各規制権限も、所定の公益保護への観点から行使されるべきであって、それ以上に個々の国民の生命、健康といった利益を保護しているものではないのであるから、右各法条は、担当公務員に対して個々の国民の法益を保護するために右権限を行使すべき行為規範として作用する余地はない。したがって、原告ら主張の各規定は、被告国及び県の作為義務を基礎づけるものではなく、これらの規定についての作為義務違反は認められない。

三  水質保全法及び工場排水規制法

1 水質二法の目的

まず、水質保全法は、経済企画庁長官が港湾、沿岸海域等の公共の用に供される水域の水質の保全を図るために水汚染が問題となっている水域を指定し(指定水域の指定)、その指定水域に排出される水の汚染度の許容基準を設定(水質基準の設定)すること(同法五条一、二項)を定めており、また、工場排水規制法は内閣が製造業等の用に供する施設のうち汚水等を排出するものを政令で「特定施設」として定め(同法二条)、特定施設ごとに主務大臣を定める(同法二一条)ことを、主務大臣が特定施設を設置している者に対し、特定施設の使用方法の計画の変更命令や汚水の処理方法の改善命令等の必要な措置をとる(同法四条以下)ことをそれぞれ定めている。

原告らは、これらの公務員は水質二法に規定されている各権限を共同、一体として行使すべき義務があり、本件においては、経済企画庁長官はチッソ水俣工場より下流の水俣川及び水俣湾を指定水域として指定し、その排水から「水銀又はその化合物が酸化分解法を伴うジチゾン比色法により検出されないこと」という水質基準を設定し、内閣は直ちにチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と定め、かつその主務大臣を通産大臣と定め、通産大臣は直ちにチッソ水俣工場に対して水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制すべき義務があったと主張する。

しかし、水質保全法は、河川や海などのいわゆる公共用水域を汚濁源の悪影響から守り、水質の保全を行うこと、汚濁被害を受ける漁業や農業等と加害側産業との間の協和を保つこと及び公衆衛生の向上を目的としている。工場排水規制法は、水質保全法を受けて、製造業等の事業活動に伴なって発生する汚水の処理を基準に定められたものとするため制定されたものである。したがって、水質二法上の権限は、「産業の相互協和」という公益的判断の下に行使されることが予定されている。また、「公衆衛生の向上」については、主として上水道の確保、その他環境衛生上の考慮を示したもので、公共用水域の水そのものに直接起因する公衆衛生上の問題を念頭に置いており、同水域の魚介類に起因する食中毒の防止というようなことまで具体的に対象にしているとは解されない。

水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定は、各種の法規を運用する場合の共通の客観的基準を制定するものであり、直接国民を相手方として行われる一般の行政行為とは性格の異なる一般的規範定立行為である。また、特定施設の指定も内閣が政令により行うものである以上、一般的規範定立行為である。経済企画庁長官が、直接個別の国民に対し、右のような立法行為に属する一定内容の基準の設定という行為をなすべき職務上の法的義務を負うものではない。経済企画庁長官が水質基準の公示をするに当たっては、合理的裁量に基づいて、指定水域の指定、水質基準の設定の要否、内容について判断するが、その内容が高度に専門的技術的事項にわたるため、右権限の行使に関する裁量の範囲は広いといわなければならない。また、政令のような行政立法の制定は、内閣の極めて高度な政策的及び専門技術的裁量に委ねられており、政令を制定することが直接個別の国民に対する関係で具体的な職務上の法的義務となることはあり得ず、政令を制定しないことが裁量権の濫用となって、国賠法上違法となることはないと考えられる。

さらに、水質保全法は、右のように一般的規範定立のための法律であり、同法二条は「何人も、公共用水域及び地下水の水質の保全に心掛けなければならない。」と定め、同法九条は「排出水を排出する者は、当該指定水域に係る水質基準を遵守しなければならない。」と定めているが、これらは、水質基準、指定水域が定められた場合に初めて作用するプログラム規定と解される。また、この法律自体には、定められた水質基準を遵守しなかった者に対する罰則等は規定されていない。

2 水質保全法五条

原告らは、経済企画庁長官が、昭和三四年三月の法施行と同時に、遅くとも同年七月の段階までには水俣水域を指定水域に指定すべきであり、水質基準については、チッソ水俣工場排水から「総水銀」つまり「水銀またはその化合物」が検出されないことという水質基準を設定すべきであったと主張する。

しかし、以下の理由により、原告らの主張は採用できない。

(一) 水質基準設定の前提

水質基準は、工場又は事業場から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度として定められる排水口での基準であって、「いかなる水を流すのを禁止するか、いかなる除外施設を講ぜしめるか」を明確に定めるためのものである。そして、前記1の目的に照らし、その許容量が関係産業への「相当の損害」又は「公衆衛生上看過し難い影響」を社会通念上妥当と思われる程度に除去又は防止する程度を超えないように定める必要があると解される。したがって、水質基準を設定するためには、第一に、特定の公共用水域の水質汚濁の原因となっている物質(汚濁原因物質)が特定されていること、第二に、当該汚濁原因物質が特定の工場から排出されていることが科学的に証明されていること、第三に、当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること、第四に、当該汚濁原因物質について水域指定の要件となった事実を除去し、又は防止するのに必要な限度を超えない許容量を科学的に決定し得ることが不可欠の前提となる。

また、経済企画庁長官は、指定水域を指定するときは、当該指定水域に係る水質基準を定めなければならないが、そのためには、当該水域についての水質調査を行う必要がある。昭和三五年二月一日開かれた第四回水質審議会において、水俣病の関連から八代海南半部海域が調査水域に追加され、同月三日から担当者が調査を開始した。

しかし、後記のように、昭和三四年の時点では基準設定に必要な原因物質の特定ができておらず、汚濁原因物質の特定等に時間を要したため、早急に指定水域の指定や水質基準の設定には至らなかった。

(二) 汚濁原因物質の調査状況

昭和三四年一一月の段階で、食品衛生調査会は、水俣食中毒部会の検討を基に、水俣病の主因をなすのは「ある種の有機水銀化合物」である旨の答申をした。しかし、右答申は、病理及び水銀量等から原因物質を「ある種の有機水銀化合物」であると漠然と特定したにすぎず、多数存在する有機水銀化合物のうち、いかなる化合物であるのかを絞り込むものではなかった。したがって、この時点では、水俣湾及びその付近水域について、その汚濁原因物質が特定されていたとはいえないから、右水域について水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することは不可能だったといえる。また、昭和三四年の段階では、水俣湾及びその付近水域の汚濁原因物質がチッソ水俣工場から排出されていることが科学的合理性をもって解明されていたとまでは到底いえなかった。さらに、昭和三四年当時の有機水銀化合物の分析定量方法の開発状況からみて、仮に有機水銀が原因物質であるとの説を採るにしても、それを分析定量することはできない状態だった。

(三) 総水銀による規制

原告らは「チッソ水俣工場排水から『総水銀』つまり『水銀またはその化合物』が検出されないこと」という水質基準を設けるべきであったと主張する。

しかし、水俣病の原因物質が有機水銀であるとの説そのものがいまだ確立したものではない状況において、そのような水質基準を設定すれば、過剰規制となり、「産業の相互協和」をも目的とする水質保全法の趣旨(一条一項)にも背馳し、同法五条三項に規定する、水質基準の設定は指定水域指定の要件となった事実を除去し又は防止するため必要な程度を超えてはならない、という趣旨にも反する結果をもたらすことになる。

当時の水銀の分析定量の技術的限界に関し、昭和三四年当時には、水銀について、JIS規格に規定されておらず、昭和三五年一一月改定のJIS規格(工業用水試験方法)においてさえ、0.02ないし一ppmとされており(乙第一七九、一八〇号証)、当時のジチゾン法の感度としては、藤木素士教授でも0.01から0.05ppmが限度であった(証人藤木素士の証言、乙第一二二号証の一)。昭和三五年九月二九日付の工業技術院東京工業試験所のデータによれば、昭和三四年一一月二六日から同三五年八月三一日までのチッソ水俣工場の百間排水溝の排水からジチゾン法で0.002から0.084ppmの水銀を分析定量したことになっている(甲A第三五八号証)が、これは、異なる技術者が繰り返し測定したところで同様の結果が得られるという意味での再現性のあるデータとはいえず、工業技術院東京工業試験所の熟練した者によって行われた場合に初めてこれだけの数値が出せるというものであった(甲A第六二八号証)。

そして、結果的にみると、昭和三四年一一月二六日から同三五年八月三一日までの時点のチッソ水俣工場の排水中の総水銀の量が、東京工業試験所で分析したとおりであるとすれば、0.002から0.084ppmであって(甲A第三五八号証)、JIS規格による検出限界の0.02ppm以下が七六回中七〇回であったことになる。そこで、当時「JIS規格に従ったジチゾン法による分析定量の技術水準において、水銀が検出されないこと」という水質基準を設定したとしても、チッソ水俣工場の排水中の水銀はほとんど検出限界以下だったことになる。前記第一において認定したように、工場排水に含まれるメチル水銀が微量でも、魚介類の体内で蛋白質と結合して蓄積されたため、水俣病を発生させるだけのメチル水銀が人体内に摂取されることになったのであり、メチル水銀が生体の蛋白質と結合してしまうことが、水俣病の原因確定を困難にした一因であったと推認される(乙第一二二号証の一)。

結局、排水の規制という見地から考えた場合、当時の水銀検出・定量技術では、水俣病の発生を防止するための規制は不可能だったと考えられる。仮に、原告らの主張が、JIS規格の基準よりもはるかに厳しい基準あるいは全く検出されないという水質基準を設定すべきであったとの主張であるとすれば、それは結果論に過ぎず、実現不可能な基準設定を求めるものにほかならない。

3 工場排水規制法

工場排水規制法は、まず、工場排水等を指定水域に排出する者は、特定施設の設置・変更又はその使用方法の変更等につき、主務大臣に対する届出を要すると規定している(四、六、七、九、一〇条)。そして、同条一二条は、「主務大臣は、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命ずることができる。」とし、政令で定められた者は、工場排水等の水質測定義務(一三条)を負い、また、主務大臣は、立入検査権(一四条)を有し、一五条は、「主務大臣は、公共用水域の水質の保全を図るために必要な限度において特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせることができる。」と定める。

原告らは、指定水域の指定及び水質基準の設定は、昭和三四年秋には可能であったし、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と指定することも可能であったのに、内閣は、特定施設を指定し、主務大臣を通産大臣と定めることを懈怠したと主張する。また、工場排水規制法一五条は、指定水域の指定、水質基準の設定がない場合であっても、主務大臣が特定施設を設置している者に対して行政指導による排水規制をすべきことを定めており、昭和三四年秋の段階では、通産大臣は、同条によりチッソ水俣工場に対し、行政指導により、水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制する義務があったのに、これを怠ったと主張する。

しかし、工場排水規制法は、工場排水の分野における水質保全法の実施法としての法律であって、工場排水規制法一五条の「特定施設を設置している者」に対する規制、同法四条、一四条の「工場排水等を指定水域に排出する者」に対する規制及び同法七条、一二条の「工場排水等の水質基準が当該指定水域に係る水質基準に適合しない」場合の規制は、いずれも水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時にする水質基準の設定がその前提となっている。また、工場排水規制法にいう特定施設とは、製造業等の用に供する生産施設のうちで、その生産施設から排水される汚水又は廃液を公共用水域に排出すれば、その水域にある関係産業に相当の損害を与え、又は公衆衛生上看過し難い影響を発生すると考えられるような施設であって、政令で指定されたものをいう。

昭和三四年一一月当時、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされていなかったし、前記2に検討したように、指定水域の指定及び水質基準の設定が可能であったとは認められない。これらの指定及び設定工場排水規制法に基づく特定施設の指定もなされていなかったから、工場排水規制法に基づく規制権限の不行使を問題とする余地は全くない。また、前記第一における事実経過のとおり、昭和三四年一一月当時には、チッソ水俣工場の排水が水俣病の原因と判断することはできなかったから、同工場のアセトアルデヒド製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を政令で特定施設と定めることも、工場排水規制法二一条に基づき通産大臣を主務大臣と定めることも困難であり、また、仮に、右各施設を特定施設とし、主務大臣が定められたとしても、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされておらず、かつ、右指定及び設定はいずれも不可能であったのであるから、同大臣において、工場排水規制法七条、一二条等に基づく規制権限を行使する余地はなかったと考えられる。

4 結論

以上のとおり、原告らが主張する水質保全法及び工場排水規制法の諸規定によって、被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできず、この点についての作為義務違反は認められない。

四  毒物及び劇物取締法

原告らは、被告チッソの水俣工場が毒物である水銀化合物を業務上取り扱っていることを前提に、厚生大臣又は熊本県知事は、毒物劇物監視員をして立入検査等をさせる権限(一七条)を有し、また、同工場が右毒物たる水銀化合物についての漏出等防止義務、廃棄の制限に違反していると認められたときには、相当の期間を定めて漏出等防止のために必要な措置を採ることを命ずる権限を有していたが、この権限を行使しなかったと主張する。

しかし、被告チッソの水俣工場において触媒として水銀化合物が使用されていたことは事実であるが、同工場は、これらの化学物質の漏出等をしていたわけではない。被告チッソが水俣工場から排出していたのは、これらの物質ではなく、微量の水銀化合物が含有された工場排水である。この排水は、右のような含有物があったとしても毒物及び劇物取締法が規制の対象としている毒物又は劇物には該当しないと解される。なぜなら、厚生省令(毒物及び劇物取締法施行規則一六条の二、同規則別表第二、三)は、規制の対象となる毒物又は劇物として、「水銀化合物及びこれを含有する製剤」と定めているが、ここにいう「水銀化合物」とは、水銀と他の物質が化合して生じた、一定の組成を有し、しかも各成分の性質がそのまま現れていない物質そのものを意味しているから、右チッソ水俣工場の排水はこれに該当せず、「水銀化合物を含有する製剤」とは、水銀化合物の効果的利用を図るために意図的に製剤化されたものを意味しているから、社会的に無価値な工場廃液、排水がこれに該当することはないからである。(以上につき、乙第一八一ないし一八三号証)

原告らは、昭和三六年一〇月一九日薬収第七五一号厚生省薬務局長回答により、同法の毒物・劇物とは文言どおりに限定されるべきものではなく、社会通念上理解されるべきであるから、水銀化合物を含む工場排水もこれに含まれると主張する。しかし、原告らが引用する薬務局長回答の例は、基本的には使用者が使用の過程で調製した場合に該当し、水溶液にしただけでは製剤性は失われないとしているにすぎないのであって、本件のような工場排水が含まれるとの趣旨ではないと解される。

したがって、原告らが主張する毒物及び劇物取締法の諸規定によって、被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできず、この点についての作為義務違反は認められない。

五  労働基準法

原告らは、労働基準法が、労働者の安全衛生のみならず、地域住民の生命、健康の確保をも配慮していることを前提に、労働基準監督官は、労働基準法(昭和四七年法律第五七号による改正前のもの)五五条、一〇一条、一〇三条等の権限を行使することにより、有害物を含有する廃液を無処理で排水していたチッソ水俣工場に対し、所要の措置を講じさせるべき義務があったのにこれを怠ったと主張する。

しかし、そもそも、労働基準法は労働者の保護を目的とする法律であり、原告らが主張する前提が成り立たないし、原告らの主張は、労働基準監督官がいかなる措置を採るよう命ずべきかを特定して主張していないから、主張自体失当である。

原告らの主張を善解しても、当時チッソ水俣工場内で労働者がメチル水銀による健康障害という労働災害を受けたという事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、労働基準監督官が権限を行使する義務は発生していない。

さらに、労働基準法は、労働者の保護を目的とする法律であるから、同法上の権限を、工場の労働者以外の付近住民の生命、健康の確保という目的で行使することは、法の予定していないところである。仮に、労働基準監督官の権限行使によって結果的に周辺住民の生命、健康が守られることがあったとしても、それは事実上の利益にすぎない。

したがって、原告らが主張する労働基準法の諸規定によって、被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできず、この点についての作為義務違反は認められない。

六  犯罪捜査権限

原告らは、被告国(検察官又は労働基準監督官)及び県(県警察本部の警察官)は、毒物及び劇物取締法や熊本県漁業調整規則、労働基準法に定められた罰則を適用することにより、チッソ水俣工場の排水を規制し得たことを前提に、被告国・県の担当公務員は、被告チッソについて右各法律違反の有無を捜査し、公訴を提起して処罰を求めることにより、その排水を規制すべきであったのに、これを怠ったと主張する。

しかし、犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない。被害者又は告訴人が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない。したがって、犯罪の捜査及び公訴の提起がされなかったことを理由に損害賠償を認める余地はない。

なお、本件において、チッソ水俣工場の排水の排出行為は毒物及び劇物取締法に違反するものでなく、熊本県漁業調整規則に違反すると認めるだけの根拠は存しなかったし、チッソ水俣工場内においてメチル水銀による危害は生じておらず、労働基準法上の罰則に触れると判断される状況になかったことは前記説示のとおりであり、結局、捜査権限を発動するに足りる「犯罪があると思料するとき」(刑事訴訟法一八九条二項)には該当しなかったと認められる。

したがって、原告らが主張する諸規定によって、被告国及び県の作為義務を根拠づけることはできず、この点についての作為義務違反は認められない。

七  行政指導

1 行政指導の不作為の違法性

原告らは、被告国及び県が前記各規制権限を行使すべきであったことはもちろん、少なくともこれらの権限を背景とした、可能な限りの強力な行政指導をすべき義務があったのに、これを懈怠したと主張する。

しかし、原告の主張する各規制権限の行使は不可能であったことは既に説示したとおりである。したがって、原告らが主張する行政指導は、いずれも法令上の直接の根拠規定に基づかないものであることになる。このような行政指導については、その不実施が行政庁の作為義務の懈怠となることは原則としてないと考えられる。

行政指導とは、概ね行政機関が一定の行政目的を実現するために行政客体に動きかけ、相手方の同意又は任意の協力を得て、その意図するところを実現しようとする事実行為である。すなわち、行政指導は、法的拘束力のない非権力的、任意的行政手段であり、行政指導による行政目的の達成は専ら相手方の任意の同意又は協力によるもので、右同意ないし協力なくしては行政目的の実現を図ることができない行政上の措置である。行政指導に従うか否かは、あくまでも行政客体たる相手方の自由であり、その程度を超えて事実上相手方に強制を加えることは許されない。行政指導には、一般に、法令の根拠に基づいてなされる行政指導、行政機関の権限(許認可、改善命令等)を背景にしてなされる行政指導、法令の根拠に基づかないでなされる行政指導があるが、本件で原告らが問題としている行政指導は、前述のように法令の根拠に基づかないでなされる行政指導であると考えられる。

ところで、行政指導の不作為が国賠法一条一項の適用上違法となるのは、当該公務員が個別の国民に対する関係において、行政指導をすべき職務上の法的義務を負担していた場合である。法律の根拠に基づかない行政指導についてみると、右行政指導を実施することが個々の国民に対する関係において公務員の職務上の法的義務となることはあり得ない。一般に、法令の根拠に基づかないでなされる行政指導を安易に認知し、その実効性の確保を前提に、これを奨励することは、法の支配の原則に抵触する危険もあるし、行政指導をするかどうかは、行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量に委ねられているから、行政当局が、行政指導をしなかったことにより政治的責任を負うのはともかくとして、損害賠償責任を負うことはないと考えられる。

2 通産大臣の行政指導

原告らは、通商産業大臣が、遅くとも昭和三二年春までの段階において、チッソ水俣工場の排水を調査した上、同工場に対し、工場排水の停止等の行政指導を行うべき義務があったのに、これを怠り、通産省は、被告チッソに対して排水浄化施設の設置を急ぐよう行政指導しているが、いわゆるサイクレーターには有機水銀除去能力がなかったし、被告国・県は、被告チッソにアセトアルデヒド製造工程排水の閉鎖循環方式を採るように行政指導すべきであったと主張する。

しかし、前記1のように、そもそも行政指導の不作為が国賠法上違法となることはない。

また、原告ら主張の時点においては、被告国・県の担当公務員として、被告チッソに対して行政指導を行うべき合理的根拠は何らなかった。すなわち、前記第一に認定した事実経過のとおり、昭和三二年春の段階において、チッソ水俣工場の排水が水俣病の原因であるかどうかは不明であり、排水停止の行政指導を行うべき根拠はなかったし、昭和三四年一一月当時、熊大研究班内で唱えられ始めた有機水銀説も、一般的に承認されていたわけではなく、主要部分について十分検証されていない説であったから、行政庁が不確定な状況にある一学説に依拠して軽々にチッソ水俣工場に対して、法規上の根拠がないのに、排水停止という侵害的な行政対応をすることはできなかったと推認される。

前記第一に認定したように、いわゆるサイクレーターの有機水銀除去能力については、全くなかったとはいえないが、仮に除去能力がなかったとしても、昭和三四年末において被告国・県がその事実を知っていたとは認められないし、右浄化設備の効用等を疑うべき根拠があったとも認められない。その後、水俣病の原因物質がメチル水銀化合物であると判明し、結果的には被告チッソの設置したサイクレーターは右原因物質の除去能力がほとんどなかったことが判明したのである。(以上につき、乙第一六七、一三〇、一一四、一一五号証)

前記第一の事実経過のように、アセトアルデヒド製造工程で水俣病の原因物質が生成(副生)していることは、昭和三四年当時には不明だったから、なぜ閉鎖循環方式が必要かを基礎づけることはできず、閉鎖循環方式の採用という具体的な行政指導をすることは行政指導の範囲を超えているし、仮に行政指導をしたとしても短期間のうちに被告チッソの側でこれに応じて実現できたとはいえない。

3 行政指導との因果関係

原告らの主張は、被告国及び県が、右の行政指導をしていれば、原告らに水俣病罹患という損害は発生しなかったことを前提にするものである。

しかし、被告国及び県と被告チッソとの関係についてみると、行政指導の内容として原告らが主張する工場排水規制は、結局被告チッソの営業活動の停止を求めるものであり、排水規制の行政指導が受け入れられるような関係にはなかった。行政指導の効果は、前述のように専ら相手方の任意の同意又は協力によって生ずるものであり、事実上相手方に強制を加えることはできないから、行政指導をしても、被告チッソがこれに従った措置を採ることが期待できない状況にあった本件では、原告ら主張のような行政指導をしていれば、原告らに水俣病罹患の結果は生じなかったという関係にはない。

4 結論

したがって、原告らが主張する行政指導という根拠によって、被告国及び県の作為義務を基礎づけることはできず、この点についての作為義務違反は認められない。

八  その他

1 百間港の浚渫について

原告らは、被告県が、昭和二四年から二七年まで及び昭和三一年から三二年までの二度にわたり、百間港の浚渫を行い、カーバイド残渣を含む汚泥を撹拌したため、汚染が湾内に広がり、水俣病発生の原因を作ったと主張する。

しかし、右主張の事実を認めるに足りる証拠はない。すなわち、水俣病の原因物質は、アセトアルデヒド製造工程において副生した微量のメチル水銀であって、それ以外に無機水銀も含まれていたが、この無機水銀によって水俣病が発生したものではない。もともとカーバイト残渣中にメチル水銀が含まれていたと認め得るような根拠は存しない。したがって、これらの無機水銀が浚渫によって撹拌されることはあり得るとしても、このために魚介類にメチル水銀が蓄積したり、無機水銀がメチル水銀化するといったことにならないのであって、浚渫による水俣病の発生、拡大ということはあり得ない。

仮に、被告県による右浚渫が水俣病の拡大に何らかの悪影響を与えたとしても、水俣病の発生機序が当時全く不明であった以上、関係公務員に故意又は過失が認められる余地はない。

2 原因究明に対する妨害行為について

原告らは、被告国及び県が、水俣病の原因究明に対して様々な妨害行為を行ったと主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。

3 「患者切捨て」の責任について

原告らは、被告国及び県に、患者・住民に対する放置・切り捨ての責任があると主張する。

しかし、何をもって「切捨て」というかに関する原告らの主張は、あまりにも広汎にわたり、結局、水俣病の発見以降現在までの被告国・県が行った行政全般の不当をいうにすぎないのであって、国賠法上の賠償責任を基礎づけるものではない。

4 裁量権収縮論

原告らは、水俣病被害は、規模及び深刻さにおいて世界に類例をみないもので、行政は権限を行使するか否かの裁量を有しなかった旨のいわゆる裁量権収縮論の主張をする。

しかし、被告国及び県に規制権限がなかったことは既に判示したところから明らかであるから、原告らの右主張は採用できない。

5 緊急避難的行政行為

原告らの主張は必ずしも明確ではないが、いわゆる緊急避難的行政行為論に基づく主張をしているとも解されるので、検討を加えておくことにする。

原告らのいう緊急避難的行政行為とは、国民の生命・健康・財産への重大な危険が切迫し、行政庁がそれを容易に知り得るときには、行政法規の趣旨、目的が直接個々の国民の生命、健康を守ることになかったとしても、当該法規の定める規制権限を行使することによって重大な危害を防止等できる場合には、緊急避難的に当該法規を適用すべき義務があり、さらに、そのような法規もない場合でも、行使可能なあらゆる権限を行使し、行政指導を行う等して現実になし得る防止措置を採るべきである旨の主張と考えられる。

国民の生命、健康、財産が危機に瀕しているという緊急事態において、本来規制権限行使の要件を充足していないにもかかわらず、国民の生命、身体、財産に対する重大な侵害を防止するためにこれを行使した公務員の責任が問題となった場合、条理上行為の違法性が阻却される論理として緊急避難を用い、それを緊急避難的行政行為論と呼ぶことは考えられる。

しかし、本件において原告らが主張するのは、緊急時においては、公務員が規制権限を法が本来予定している規制目的以外にも行使すべき義務を負い、この義務に違反した場合には、国家賠償責任を負うとの意味である。この意味での緊急避難的行政行為論が、法治行政の原則に反することは明らかである。まして、緊急時には、公務員は本来の規制目的以外にも規制権限を行使すべきであるとの行為規範を、当該規制権限を付与した法律の解釈として導くとすれば、それは、法解釈の限界を超えるものである。さらに、規制権限がない場合にも、緊急時であれば公務員は権限行使ができ、かつ、行使すべき義務があるとすることは、法治行政の原則の否定にほかならない。

結局、原告ら主張のいわゆる緊急避難的行政行為論は、被告国及び県の作為義務の根拠としては、到底採用できるものではなく、結果論に過ぎない。

九  営造物責任

原告らは、水俣港湾区域及び水俣川が被告県の管理する公の営造物に該当することを前提に、港湾管理者である被告県が、水俣港湾区域内に汚悪水、有害物などが流入しないようにこれを維持管理すべきであるのにこれを怠り、また、河川管理者である被告県は、水俣川に汚悪水、有害物などが流入しないようにこれを維持管理すべきであるのにこれを怠ったと主張して、国賠法二条一項の管理の瑕疵を主張する。また、被告チッソ水俣工場は、昭和三三年九月ころから約一年間、アセトアルデヒド製造工程排水を八幡プールを経て水俣川方面の排水溝へ排出していたから、水俣川の流水中に右の工程排水に含まれていたメチル水銀化合物が混入していたことは、河川管理の瑕疵、すなわち河川が通常有すべき安全性を欠いていたものであると主張する。

しかし、原告らが、何をもって国賠法二条一項にいう「公の営造物」に該当すると主張しているのかは、その主張から必ずしも明確でなく、この点で既に主張自体失当であるが、善解しうる限度で以下検討する。

1 港湾管理の瑕疵について

まず、港湾区域とは、「当該水域を経済的に一体の港湾として管理運営するために必要な最小限度の区域」(港湾法四条六項)として運輸大臣又は都道府県知事の認可を受けた水域をいうのであるから、それ自体が公の営造物に当たるものではない。したがって、「水俣港湾区域」自体が公の営造物に当たることはない。

仮に水俣港湾区域内の港湾施設を公の営造物と考えるとしても、原告らがこのような施設の欠陥、不備によって何らかの損害を被ったというものではない。水俣病の原因は、被告チッソの水俣工場から排出された排水にあるのであって、水俣港の港湾施設に何らかの瑕疵があったため、水俣病が発生したのではないことは、前記第一に説示したとおりである。

また、海水自体は、国賠法二条一項に規定する「公の営造物」には該当しないし、水俣湾又はその周辺海域と場所を限定してみても、右のことに変わりはない。

2 河川管理の瑕疵について

原告らの主張では、河川管理の瑕疵という場合、河川とはいってもその流水(河川水)の水質管理を問題としていることになるが、このような河川の流水の管理は国賠法二条にいう公の営造物たる河川管理の内容には含まれないと解される。

仮に、水質汚染をもって河川管理の瑕疵と解する余地があるとしても、当時の河川管理者たる熊本県知事には右汚染について予測可能性も回避可能性も存しなかったことは、前記第一に認定したとおりであるから、これを理由に被告国・県が国賠法二条に基づく賠償責任を負う余地は存しない。

前記第一の事実経過のように、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程排水が水俣川河口付近へ排出されていたのは、昭和三三年九月から約一年間に限定されているが、被告国・県の公務員が右事実自体を漠然と知り得たのは昭和三四年六月ころのことであり、その時点では右排水中に何らかの有毒有害物質が含まれ、これが原因で水俣病が発生しているというようなことは何ら判明していなかったと認められる。そして、熊本県知事がこのような工場排水の流入を阻止し得る権限も有しなかった。

3 以上のように、本件において、被告国及び県に公の営造物の管理の瑕疵による国賠法二条の責任があるとは認められない。

一〇  結論

以上に判示したように、被告国及び県の損害賠償責任についての原告らの主張、すなわち、前記一ないし六で検討した各規制権限を行使しなかったという不作為を違法な行為として国家賠償法一条一項を根拠とする主張、その他の同法一条一項を根拠とする主張及び同法二条を根拠とする主張は、いずれも理由がない。

第七章  結論

以上の次第で、第一原告目録記載の原告らの被告チッソに対する請求は、同目録記載の限度で理由があるから認容し(なお、遅延損害金は、同目録記載の訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合で認容する。)、同目録記載の原告らの被告チッソに対するその余の請求並びに被告国及び被告熊本県に対する請求をいずれも棄却し、第二原告目録記載の原告らの被告らに対する請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用については、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言については、同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

第八章  水俣病紛争の解決について

原告らの請求に対する当裁判所の判断は以上のとおりであるが、本件の社会的重大性に鑑み、全国的な水俣病紛争の早期、適正かつ全面的解決に向けて、以下当裁判所の考えを補足して述べる。

一  和解勧告の意味

当裁判所は、さきに証拠調べの完了に際し、本件の当事者に和解勧告を行った。その趣旨は、「和解勧告」記載のとおり、すべての当事者とともに水俣病紛争の解決の道を模索することが妥当であると判断したからにほかならない。

水俣病紛争は、本件及び他の裁判所において係属又は判決された事件を含めて考えると、一私企業の不法行為に端を発するものであるが、被害の広がり、深刻さの点で前例のない種類の公害事件である。当裁判所が和解により、紛争解決の道を模索しようとしたのは、このような前例のない事件に対しては、前例のない解決方法による必要があると判断したからである。この紛争解決への道は、決して平坦ではなく、むしろ、判決の場合よりも難しい判断を要求されるものであることは想像に難くない。それでも、和解による解決を勧告したのは、前記和解勧告に指摘したとおり、判決によった場合の限界があるからであり、また、当事者双方のそれまでの主張・立証活動の結果からみて、本判決のような結論に至らざるを得ないと予測されたからである。

二  ところで、第四原告目録記載の原告らが水俣病に罹患していると認められる場合には、除斥期間の経過ということで、その請求が棄却されることは、他の認容原告と対比して、誠に気の毒なことであり、他方、未曾有の大規模な公害を発生させた加害企業たる被告チッソの責任を免れさせることとなり、水俣病紛争をめぐる従前の経緯に照すと、相当とはいい難い面がある。そこで、右原告らを救済するためには、除斥期間の経過により一旦消滅した損害賠償請求権の復活を被告チッソが承認したとか、その趣旨の契約が原告らと同被告との間で明示又は黙示に締結されたとの主張・立証を原告らにおいてするか、和解契約をするしかないであろう。

三  被告国及び県は、本件で勝訴したからといって、決して同被告らの責任が全くないという意味ではないことを銘記すべきである。

本件においては、被告国及び県が規制権限を発動して、一私企業である被告チッソによる不法行為を防止することを怠るなどしたことによる国家賠償責任があったかどうかという点について、裁判所が結論を出したに過ぎない。したがって、法的な責任はないというだけで、行政的な解決責任まで否定したわけではない。元来、国家賠償責任では、違法かどうかが判断すべき命題であり、違法とまではいえないが的確な行政対応であったともいえない領域が残る。本判決では、適正で合目的的な行政という観点からみれば、最低限の要請である「違法ではない」という段階を満たしたとの判断をしたに過ぎない。被告国及び県に対しては、「違法ではない」という最低限の段階に止まるのではなく、積極的に、水俣病紛争の解決を図るとの決意をもって抜本的に対処する基本姿勢への転換を強く求めたい。

四  水俣病紛争は、もはや、一私企業による不法行為という枠では捉えられない問題を含むに至っている。水俣病紛争の解決に向けて、平成三年一一月二六日、中央公害対策審議会が「今後の水俣病対策のあり方について」という答申を出すなどして、行政的解決に向けた努力が行われているが、本判決と関連のある部分について述べる。

行政的解決においては、まず、健康不安を抱く者を救済するための論理が問題となる。水俣病に関する事実経過からみて、メチル水銀を含む魚介類をそうとは知らずに地域住民が摂食していた時期が存在することは間違いなく、これが後に中毒を引き起こすメチル水銀を含んでいたと証明された場合、たとえ加齢により水俣病と同様の症状が出たとしても、そのような住民が感ずる健康不安は、単なる漠然とした根拠のない不安とはいえない。民法上、このような健康不安に対する慰謝料という考え方も解釈上導けないわけではないと考えられる。

水俣病紛争が今日に至るまで解決されず、多くの患者が司法的救済を求めているのは、現在、認定審査会における認定制度が閉塞状態に陥っていることに一因があると考えられる。認定審査会における検診制度は、医学的に水俣病である高度の蓋然性がある患者を選び出すことを目的としている。しかし、今や、いわゆる激症型の患者はほとんどなく、メチル水銀曝露を受けたと考えられる者の高齢化が進み、水俣病であるかどうかの鑑別診断は困難になっている。このような状況下にあっては、厳密に鑑別診断を行うよりも、有機水銀曝露歴を有する者に発現している健康被害が水俣病に起因する可能性の程度は、零パーセントから百パーセントまで連続的に分布しているとの考えに立って、その可能性に応じた救済を早急に与えることが必要であると考えられる。ボーダーラインの前後で、ある者は完全な救済を受け、ある者は全く救済を受けられないという悉無的な判断ではなく、可能性の程度に応じた公平妥当な救済を、早急に与えることが、現在求められているのではないかと思われる。

さらに、本件と同種の事件の判決の多くが指摘するように、水俣病紛争の抜本的解決は、和解等によらなければならないと当裁判所も考えるものである。すなわち、水俣病紛争において、現在真に必要なのは、事実を認定し、それに既存の法を適用して結論を出すという司法的方法による個別的救済よりも、水俣病紛争の歴史的経過及び現状を見つめ、それに適した新しい政策を形成し、実施するという行政的方法による集団的救済ではないだろうか。

本件のような多数の被害者を生んだ歴史上類を見ない公害事件が、水俣病の公式発見から既に三八年を経過するというのに、なお未解決であることは誠に悲しむべきことであり、水俣病紛争の早期解決のためには、すべての当事者及び関係者が早急に何らかの決断をする必要があると考える。当裁判所は、本判決にあたり、改めて全当事者及び関係者に対し右決断を求める。

(裁判長裁判官中田昭孝 裁判官小見山進 裁判官古閑裕二は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官中田昭孝)

別紙相続関係説明図(一)〜(一五)<省略>

別紙

本件各患者ごとの個別的因果関係の判断は、以下の凡例に従って記載する。凡例

1 患者番号:本件各患者に付した一連番号

2 患者氏名:因果関係判断の対象となる本件患者の氏名

3 患者分類

「棄却」:公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法又は公害の健康被害の補償等に関する法律に基づいて、県知事に対し水俣病認定の申請を行った結果、棄却処分を受けたことがある場合

「保留」:申請を行ったが、答申を保留された場合

「未検診」:申請を行ったが、認定審査会の検診を受けていない場合

「解剖」:死後解剖による剖検結果のある場合

「死亡」:本件訴え提起前又は訴え提起後口頭弁論終結前に死亡した場合(ただし、上記「解剖」に該当する場合を除く。)

4 生年月日:本件患者の生年月日

5 対応原告

本件患者が訴え提起前に死亡し、相続人が原告となっている場合及び本件患者が原告であったが、訴え提起後口答弁論終結前に死亡し、訴訟承継人が原告となっている場合に、当該原告又は原告承継人の氏名、原告番号、続柄及び相続分を順に記載し、本件患者が原告となっている場合には、「患者本人」と記載する。

6 関係証拠

「甲C12―3〜5」:甲C第12号証の3ないし5

「三浦40」:証人三浦洋の第40回口頭弁論における証言

「本人30」:原告又は原告承継人の第30回口頭弁論における本人尋問の結果

7 日付

年を特定するにつき、元号の記載のないものは「昭和」を意味し、昭和以外の元号の場合のみ記載する。

8 理由

本章第二の一記載の各項を理由として引用するときは、「理由」の次に当該項の数字を記載する。

個別的因果関係の判断

患者番号:1

患者氏名:荒木ヤス子

患者分類:未検診

生年月日:大正14年1月1日

対応原告:患者本人

関係証拠:甲C3―1〜7、村田67、71

上記関係証拠及び以下に摘示する証拠によれば、第1記載の事実が認められ、本患者の症候は第2記載のとおりであると判断される。

第1 メチル水銀曝露歴

1 生活歴・職歴

大正14年 鹿児島県出水郡東長島(現在の東町)獅子島で出生

24年 荒木清春と結婚し、夫の実家に居住

27年 夫とともに福岡県粕屋郡の炭坑へ転居

28年 鹿児島県出水市荘へ転居し、デンプン工場へ勤めた。

31年 鹿児島県出水郡東町伊唐へ転居し、網元の下で漁をした。

32年 長崎県北松浦郡鹿町へ転居

36年 夫の死亡後、鹿児島県出水郡東町獅子島へ転居

43年 大阪へ移住

2 家庭内認定患者

認めるに足りる証拠はない。

3 魚介類摂取状況

父は半農半漁で畑(7〜8畝)に家族が食べる程度のイモや麦を作り、漁は地引網の網元の下で働いた。本患者は小学校卒業後、網元のところで地引網を手伝ったり、父と兄が行っていたトントコ網漁や延縄漁を手伝っていた。

夫の父は半農半漁で網元の下で働き、その漁場は不知火海一帯だった。

伊唐居住時の漁場は獅子島、伊唐島付近を中心に不知火海一帯だった。

夫の死亡後、昼は土木作業、夜は網元の下で漁の手伝いをした。

獅子島にいる時には、本患者の父や兄が、また結婚後は舅が獲ってきたり、自らが漁の手伝いをしてもらった魚を食べており、伊唐島にいる時には、本原告の夫が獲ってきた魚を食べていた。

第2 症候

1 四肢末梢優位の感覚障害

57年7月1日の検査では、左右の前腕及び下腿、左半身前面に感覚障害(口周囲は正常)、58年9月1日の検査では、口周囲に±(軽度障害)、左右上下肢及び体幹に感覚障害(左がより鈍く、また前側がより障害されている。)があり、61年6月18日の検査では、左右上下肢に感覚障害(末端遠位部に強い。左手先は過敏)、口周囲も低下しているとされ、触覚は左下肢だけが低下している(村田71)との結果が出ている。感覚障害について、診断意見書は、「左右上下肢の知覚障害。末端遠位部に強い。左手先は過敏。口周囲の低下。振動覚の低下」を指摘する。

しかし、本患者の感覚障害は、口周囲に見られるように部位の変動が大きく、「基本的には躯幹全体に所見がある。」とされ、しかも、「左半身に強いという所見がみられ」(村田67)るものであるし、さらに、61年の検査結果によると、触痛覚の乖離もあり、触覚の障害は四肢末梢の低下ではない。口周囲の感覚障害についてみれば、57年の検査では正常だったものが、58年の検査では±の所見へと変動しているが、この変動は本患者のメチル水銀曝露終了から10年以上経過してから生じている。

結局、本患者の感覚障害は、全身型ないし左半身に強い半身型の感覚障害と考えられるが、左手先を除いて四肢末端に感覚障害は認められるから、メチル水銀の影響による可能性をある程度推認することができる。

2 小脳性運動失調

(1) 協調運動障害

57年の検査では、ジアドコキネーシス右+左++、指鼻試験右±左+、膝踵試験右±左+、企図振戦なし、58年の検査では、ジアドコキネーシス右−左+、指鼻試験右−左+、膝踵試験(左右とも)−、企図振戦あり、61年の検査では、指鼻試験右−左+、指鼻指試験右±左+、ジアドコキネーシス右+左++、膝踵試験右±左+、企図振戦左側のみあり等の各所見が得られている。

しかし、各検査の企図振戦の有無、ジアドコキネーシスの異常の有無、膝踵試験の異常の有無等において変動の所見が認められる。また、右半身に比して左半身に協調運動障害の所見が強く認められている。そして、右側の異常についてみると、57年に、ジアドコキネーシス右+の所見が得られているものの、指鼻試験右、膝踵試験右はいずれも±程度のものにすぎず、企図振戦は認められていないし、58年の検査では、企図振戦は認められるとするものの、ジアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験とも右側の異常は一切認められておらず、61年の検査では、ジアドコキネーシス右が+の所見が得られているとはいうものの、指鼻指試験、膝踵試験右はいずれも±程度のものにすぎず、指鼻試験右は−、企図振戦は右なし(村田71)との結果が得られている。さらに、各書字の検査結果をみても、ハイパーメトリア(測定過大)が認められず、起点、終点についても正確にとらえており(録取書の署名も何らの異常は認められない。)、歩行異常が何ら認められない。

したがって、右上下肢に協調運動障害があると認めるに足りる証拠はない。

(2) 平衡機能障害

診断意見書は、片足立ち起立動揺をもって、本患者に平衡障害があるとするが、もともと、片足立ち起立動揺の検査は負荷が大きく正常人でも異常の出やすい検査であって、片足立ち起立動揺の所見のみで平衡機能障害を推認することはできない。

結局、本患者の平衡機能障害については、全小脳性の運動失調として有意な所見は認められない。

(3) 構音障害

診断意見書では、構音障害は57年、58年、61年いずれの年にも認められたという。

しかし、57、58年の検査では、いずれもラ行、ナ行正常、パ行異常であり、この結果から構音障害を推認したのは医学的経験則に反する。61年に初めて、ラ行拙劣との結果が出ているが、発語異常欄は「無、ほぼスムース」との記載がある。

したがって、三浦・村田医師の検査では、ゆっくりした、不明瞭な、滑らかさを欠く、爆発性のいわゆる断綴性言語という小脳障害を示唆するタイプのものかどうか吟味していない(理由1)ので信用性が低く、構音障害を認めるに足りる証拠はない。

(4) 眼球運動障害

診断意見書は、眼球運動検査では、滑動性の眼球追従障害があり、そのパターンは階段状であり、失調性で、特に左側は衝動性眼球運動で測定過多が強く出ているとする。

しかし、三浦・村田医師の眼球運動に関する検査には理由3記載の問題点があり、検査結果の信用性が低い。また、衝動性眼球障害の検査については先走り、まばたきが認められるが、ジスメトリアは全くなく、失調性ではない。

したがって、本患者に眼球運動障害は認められない。

3 求心性視野狭窄

診断意見書は、求心性視野狭窄があるとしている。

しかし、三浦・村田医師の視野検査には理由2記載の問題点があり、また、本患者の視力は、右0.3、左0.1と近視であるのに、検査視力矯正がなされた旨の記載がない。61年6月16日の検査で、視野図には左右とも三つのイソプターが記載されているが、狭窄の有無を調べるために必要なV4の視標での検査は実施されていない。

確かに、本患者の視野検査結果の信頼性は乏しいが、視野図からは求心性視野狭窄がある可能性が認められる。

4 難聴

診断意見書は、本患者に聴力障害があるとするが、水俣病罹患の根拠の一つとしていない。また、三浦・村田医師による聴力障害の検査及び診断には、理由4記載の問題があり、信用性に乏しい。したがって、本患者に後迷路性難聴があると認めることはできない。

5 既往症又は水俣病以外の疾患

57年 CTスキャン検査で多発性脳梗塞を確認

61年 CTスキャン上で右基底核に小さな低吸収域が認められた。

57、58年の検査では後屈時に、61年には前屈で頸部運動制限が認められる。

57年の検査で頸椎に骨棘形成、61年に頸椎X―P検査で頸椎の椎体骨棘形成、椎間腔の狭小化が認められた。頸推では、脊椎管前後径の最小部は15mmであるが、58年に左バビンスキー反射、61年に左側でホフマン、ワルテンベルグ、バビンスキー、チャドック、クローヌスの病的反射が出現している。

61年 境界型糖尿病

第3 判断

以上検討したところを総合すると、本患者には、メチル水銀曝露歴が一応認められ、四肢末梢優位の感覚障害、求心性視野狭窄の可能性がある。しかし、その他の水俣病にみられる主要症候である小脳性運動失調、後迷路性難聴はいずれも認めることはできない。

前記認定の事実及び本件患者の症候を総合的に判断すると、本件患者の症候が水俣病に起因する確率は40パーセントと判断するのが相当である。

個別的因果関係の判断

患者番号:2

患者氏名:岩本夏義

患者分類:保留

生年月日:大正12年7月10日

対応原告:患者本人

関係証拠:甲C2―1〜4、三浦64、65、本人25、27、74

上記関係証拠及び以下に摘示する証拠によれば、第1記載の事実が認められ、本患者の症候は第2記載のとおりであると判断される。

第1 メチル水銀曝露歴

1 生活歴・職歴

大正12年 鹿児島県出水郡東長島村獅子島湯の口において出生

4年 梅戸に転居(10年ころまで)

10年 獅子島に戻る。

20年 父から独立して漁を行うようになる。

32年 1か月程度、湯の口で漁を行い、次の1か月程度は長崎(造船所)、佐賀(炭鉱)へ出稼ぎに行く生活を続けた。

38年 水俣の出月へ転居し、約半年程漁師や土方をした後、水俣化学、田中建設で土木工事等の作業に従事した。

43年 大阪へ移住

2 家庭内認定患者

認めるに足りる証拠はない。

3 魚介類摂取状況

父は、網元として、通常は秋10月から翌年の3月か4月までの間、地引網を主体に漁をしていた。地引網をしない間は、一本釣り、延縄等の漁に従事した。一本釣りの漁場は、伊唐島、上天草の御所浦、場合によっては、百間港、恋路島の外辺り、桂島の周辺だった。延縄は、時期によって獅子島から天草ないしは水俣方向に向かって漁場とした。

本患者は、小学校を卒業(昭和12年)後、父と共に獅子島で漁を従事した。21、22年ころから地引網ができなくなり、延縄、一本釣り等に従事した。30年ころから伊唐島、天草、田浦周辺の計石方面でも漁をした。

魚を主食とし、副食に麦、米を食したこと、その日に獲れた魚を朝、昼、晩食していた。本患者自身で漁獲禁止の立て札を確認し、30年前後に水俣市で漁獲された魚が売れなくなったことを自認している。

第2 症候

1 四肢末梢優位の感覚障害

診断意見書は、知覚障害の分布が左半身+四肢末端+口周囲であったことは、55年、57年の検診で確認されているが、特に左右の四肢末端に知覚障害が確実に存在することは58年の検診で実施された電気痛覚計及び振動覚計で左右差なく著明な低下が認められているとしている。

しかし、55年及び57年の感覚障害の検査では、いずれもほぼ同様のパターンを示しており、特に左半身型の感覚障害を示している。55年の感覚障害の検査結果からは、右上肢末端については感覚障害は認められない。58年の感覚障害の検査では、全身型の感覚障害のパターンを示している。

以上によれば、55、57年に左半身優位の感覚障害だったものが、水俣を離れて約15年経過した58年には全身型となっており、感覚障害の部位に著しい変動がみられる。本患者については、3回の検査で一度も四肢末端優位の感覚障害が検出されたことがない。結局、本患者については、58年の検査を除いてはいずれの検査でも左半身の感覚障害が認められ、基本的には半身型の感覚障害のパターンを示している。

2 小脳性運動失調

(1) 協調運動障害

55年の検査では、ジアドコキネーシス(左右とも)+、指鼻試験開眼(左右とも)±、指指試験−、膝踵試験右−左+、57年の試験では、ジアドコキネーシス(左右とも)+、指鼻試験開眼右±左+、指指試験開眼±、膝踵試験右+左++、58年の検査では、ジアドコキネーシス(左右とも)+、指鼻試験開眼右±左+、指指試験±、膝踵試験(左右とも)+の所見が得られている。

しかし、55年に、膝踵試験については右下肢では正常となっており、膝踵試験の異常が左下肢のみにみられる。57年及び58年の検査はやや左優位の所見がとられているようであるが、上肢の協調運動についてみると、ジアドコキネーシス左右の上肢に出現しているものの、指鼻試験(右)、指指試験、指鼻指試験(特に右上肢)では±ないし−程度にすぎず、右上肢については明確な異常を示しているわけではない。57年及び58年には、左右の握力に低下がみられ、この影響も考えられる。58年の書字の検査結果をみると、若干のふるえは認められるものの、小脳性運動失調の特徴であるハイパーメトリア(測定過大)が見られないほか、起点、終点についても正確にとらえている。58年の検査結果によると、起立歩行検査でしゃがみ動作不能、踵歩行、つま先歩行で異常が認められているほか、下肢のバレー現象での動揺が示すように、本患者には下肢の脱力症状がうかがわれる。なお、指叩き試験で回数が低下しているが、運動緩慢という以上の意味はなく、運動緩慢から協調運動障害を推認できない(永松60、乙1141―2)。

以上のとおり、本患者に小脳性の協調運動障害があると認めるに足りる証拠はない。

(2) 平衡機能障害

55年の検査では、直立時動揺±、つぎ足による直立時動揺+、片足立ち起立不安定又は不能、つぎ足歩行動揺+、57年の検査では、直立時動揺−、つぎ足による直立時動揺+、片足立ち起立不安定または不能、つぎ足歩行動揺+、58年の検査では、直立時動揺±、つぎ足による直立時動揺+、片足立ち起立で動揺、歩行検査で失調性(ブロードスタンス)、つぎ足歩行動揺+の所見が得られたとされている。

しかし、片足立ち起立動揺やつぎ足直立動揺の検査は負荷が大きく正常人でも異常の出やすい検査であって、これら所見だけで平衡機能障害を推認することはできない。本患者は、62年ころ自転車に乗っていた旨述べている。また、足踏み偏倚試験は、水俣病の症状の有無を確認する試験には含まれず(乙1117―1)、一側の内耳の異常を調べる試験であるから、小脳性運動失調があることの根拠とはならない。

結局、本患者の平衡機能障害を認めるに足りる証拠はない。

(3) 構音障害

診断意見書では、構音障害が確認できたというが、55年の検査では、ラ行、ナ行正常、パ行異常、57年の検査では、ナ行正常、ラ行、パ行とも異常、58年の検査では、ラ行、ナ行、パ行いずれも拙劣の所見が得られている。

しかし、55年にはラ行が正常であり、57年以降にのみ構音障害が考えられるに過ぎない。初めてラ行拙劣の所見が得られたのが、大阪への移住後約14年を経過した時点であり、三浦・村田医師の検査では、ゆっくりした、不明瞭な、滑らかさを欠く、爆発性のいわゆる断綴性言語という小脳障害を示唆するタイプのものかどうかを吟味していない(理由1)ので信用性が低く、構音障害を認めるに足りる証拠はない。

(4) 眼球運動障害

診断意見書では、本患者に眼球運動では滑動性障害があるとのことである。

しかし、三浦・村田医師の滑動性眼球運動障害の検査には、理由3記載の問題点があり、その検査結果に信用性が乏しい。また衝動性眼球運動障害の検査は正常である。滑動性眼球運動障害は、小脳障害特有のものではない。

したがって、本患者に眼球運動障害があるとは認められない。

3 求心性視野狭窄

56年、58年及び61年の視野図では、いずれも強度の求心性視野狭窄を示しており、診断意見書では、本患者には一貫して高度の求心性視野狭窄が認められるとする。

しかし、このような高度の求心性視野狭窄がみられる場合には、対座法やアイカップの検査によって、求心性視野狭窄の存在について確認することが必要であるが、これが行われたとは認められず、特に、56年の左右の視野図については、最大視野が15度を超えているにもかかわらず、マリオットの盲点が検出されておらず、視野の検査が正確に行われたものかどうか疑問が残る。

結局、信用性には疑問が残るものの、求心性視野狭窄の可能性は否定できない。

4 難聴

診断意見書には、本患者の両側に中等度の感音性難視がある旨述べている。

しかし、三浦・村田医師の診断には、理由4の問題点があるため、信用性が低く、結局、後迷路性難聴であると認めるに足りる証拠はない。

5 既往症又は水俣病以外の疾患

43年 作業中に突然倒れ意識不明になり、その後言葉がもつれてしゃべりにくく、手足の感覚が鈍く、細かい作業ができなくなった。

61年 CTスキャン検査で右視床に極小の低吸収域が認めらられ、陳旧性脳梗塞と診断

55年及び57年の検査では、いずれも前屈、後屈、回転、側倒で、58年の検査では、前屈、側転右、回転右でそれぞれ頸部運動制限が認められ、腰部も後屈時に痛みが存在した。脊椎管前後径の最小部の幅が13mmと狭く、頸椎及び腰椎の椎体骨棘形成、頸椎椎間腔の狭小、頸椎椎間孔の狭小、腰椎における脊椎スベリが明らかに認められている。

第3 判断

以上検討したところを総合してみると、本患者にはメチル水銀曝露歴が一応認められ、感覚障害が認められるが、半身型ないし全身型であり、小脳性運動失調、後迷路性難聴等はいずれも認めることはできない。しかし、鑑別が不十分ながら求心性視野狭窄が認められる。

前記認定の事実及び本件患者の症候を総合的に判断すると、本件患者の症候が水俣病に起因する可能性は30パーセントであると推認するのが相当である。

個別的因果関係の判断

患者番号:10

患者氏名:池田ツヨ子

患者分類:未検診(争いがない。)・死亡

生年月日:昭和5年3月10日

対応原告:池田政利(9―3=10―2、子、1/4)、池田敏久(9―4=10―3、子、1/4)、池田利春(9―5=10―4、子、1/4)、寺島文子(9―6=10―5、子、1/4)

関係証拠:甲C11―1〜12、村田68、71、向野82、本人(平成4年8月21日)

上記関係証拠及び以下に摘示する証拠によれば、第1記載の事実が認められ、本患者の症候は第2記載のとおりであると判断される。

第1 メチル水銀曝露歴

1 生活歴・職歴

5年 鹿児島県出水郡東町伊唐において出生

25年 池田光喜と結婚し、獅子島に転居

26年 伊唐島へ戻る。

43年 大阪府東大阪市へ転居

2 家庭内認定患者

認めるに足りる証拠はない。

3 魚介類摂取状況

家業は半農半漁で、農業ではいもや麦を作っていた。小学校卒業後は父の漁業の手伝いや弟妹の子守をし、父死亡後は伐木の皮むき仕事などをした。夫光喜は伊唐島で網子として巾着網漁、地引網漁のほか、一本釣りに従事していたが、その漁場は幣串と伊唐島の相半ばぐらいで、獅子島から水俣湾周辺のこともあった。魚介類については、牛深方面の魚を買ったほか、主として本患者の夫が獲った魚を食べていた。本患者は、30年代に東町漁業協同組合で、水俣湾の魚を獲らないようにとの話を聞いたが、夫が生活のためにやむを得ず盗み獲りをしたのを認識している。

第2 症候

1 四肢末梢優位の感覚障害

診断意見書は、57年には、顔面の前額部周辺を除いて全身の知覚低下を認め、58年には、両上肢肘から先、両下肢大腿から下の知覚障害が認められ、61年6月の検診で、胸を除いた躯幹の知覚障害―四肢末端に強い知覚障害を示したとする。

しかし、57年7月2日の検査では全身、58年12月1日の検査では両上肢肘から先、両下肢大腿から下、61年6月14日の検査では胸を除いた全身(ただし、触覚は正常)の感覚障害が認めらられている。本患者の感覚障害は基本的には全身型に属し、61年の感覚障害は触覚痛が乖離しており、58年の検査結果をも総合すると、感覚障害の部位の変動が著しい。

水俣病の典型例とは異なる点が多いものの、58年に四肢末梢に感覚障害が認められた後、61年には全身型となっており、水俣病に起因する可能性は考えられる。

2 小脳性運動失調

(1) 協調運動障害

57年の検査では、上肢及び下肢の協調運動障害は何ら認められていない。58年の検査では、ジアドコキネーシス(左右とも)+の所見が得られているが、その余の上肢の協調運動障害及び下肢の協調運動障害は認められていない。61年の検査では、指鼻指試験右のみ±、指指試験開眼±、ジアドコキネーシス(左右とも)±の所見が得られているが、下肢の協調運動障害は認められていない。

58年、61年ともに、上記以外の検査所見は正常であり、特に下肢の協調運動の検査所見は各年の検査で、一度も異常が認められていない(膝踵試験−、歩行異常なし)。61年の書字の検査結果をみると、小脳性運動失調の特徴であるハイパーメトリア(測定過大)がみられないほか、起点、終点についても正確に捉えており、企図振戦も認められない。また、指叩き試験の回数の低下からは動作の緩慢を推認できても、それだけで運動失調を推認することはできない(乙1140、同1141―2、永松60)。

以上のとおり、本患者には協調運動障害は認められない。

(2) 平衡機能障害

57年の検査では、つぎ足による歩行時動揺±、片足立ち起立(開眼)不安定、58年の検査では、つぎ足による直立時動揺±、片足立ち起立(開眼)動揺(右13秒、左30秒)、つぎ足歩行時動揺+、61年の検査では、つぎ足歩行動時動揺±等の各所見が得られている。

しかし、もともと、片足立ち起立動揺の検査は負荷の大きい試験であり、正常人でも異常所見が出やすい検査であることをも勘案すると、片足立ち起立動揺の所見のみをもって平衡障害があると判断することはできない。患者本人も膝関節の痛みを強く訴えており、この影響も否定できない。

結局、本患者の平衡機能障害については、全小脳性の運動失調があると認めるに足りる証拠はない。

(3) 構音障害

58年にラ行拙劣との所見が得られているが、57年と61年の検査では、ラ行、ナ行、パ行ともいずれも正常の所見が得られており、診断意見書も構音障害があるとはしていない。三浦・村田医師の検査・診断には理由1記載の問題点があって、信用性が低く、結局、本患者に構音障害があると認めるに足りる証拠はない。

(4) 眼球運動障害

診断意見書は、眼球運動障害の疑い(滑動性・衝動性追従障害)もあるとする。

しかし、61年の滑動性眼球障害の検査には、理由3記載の問題点があって、検査結果の信頼性が低い。また、本患者の滑動性眼球運動検査は、ほとんどが視標を一生懸命に追っていないもので、検査結果をもって判定の資料とすることはできない。衝動性眼球運動は視標より目の方が先に動いている、いわゆる先走りの部分がみられるが、小脳性失調でみられる測定障害等は全くみられないから失調症ではない(向野81、82)。

結局、本患者に眼球運動障害を認めるに足りる証拠はない。

3 求心性視野狭窄

診断意見書は、57年、59年、61年の3回の検診で、右鼻側下4分のーの欠損を伴う視野狭窄を認めているとする。

しかし、本患者の57年、59年、61年の各視野図の示す右鼻側下4分の1の視野の欠損は、緑内障などの視神経の病気を示唆するから慎重な鑑別を要するものであり、具体的には専門家による眼底、視神経の詳細な検査が必要な場合であることが認められる(向野81、82)。

したがって、視野図からも他の疾患が考えられ、鑑別が十分でないから、本患者に求心性視野狭窄は認められない。

4 難聴

57年7月21日に実施された聴力検査のオージオグラムでは聴力低下+としており、61年6月12日に実施された聴力検査のオージオグラムは、左右とも平均10dBの聴力損失があるとしている。

しかし、これらの検査では、気導聴力しか検査しておらず、後迷路性難聴を調べる検査は行っていない。診断意見書も、総合判定では本患者の聴力障害を水俣病に起因するものとはしていないし、後迷路性難聴を認めるに足りる証拠はない。

5 既往症又は水俣病以外の疾患

58年、頸部運動制限が右側転時に、61年、左側転時・前屈時に認められ、脊椎管前後径の最小部の幅は13mmしかない上、頸椎の椎体骨棘形成、椎間孔の狭小化、さらにはラセーグ徴候(58年)、左上肢病的反射(61年)がみられる。

61年 明らかな糖尿病が認められている。

重度の高血圧であり、CTスキャンでは両側淡蒼球に低吸収域があって、本人もしばしば強い頭痛を訴えている。

第3 判断

本患者には、メチル水銀曝露歴が一応認められ、感覚障害が認められるものの、四肢末梢優位とはいい難く、変形性脊椎症ないしは糖尿病等の影響も考えられる。その他の水俣病の主要症候である求心性視野狭窄、小脳性運動失調、後迷路性難聴等はいずれも認めることはできない。

前記認定の事実及び本件患者の症候を総合的に判断すると、本件患者の症候が水俣病に起因する可能性は、20パーセントであると推認するのが相当である。

個別的因果関係の判断

患者番号:13

患者氏名:川元正人

患者分類:棄却(争いがない。)・解剖

生年月日:明治40年9月4日

対応原告:川元フミ子(13―2、妻1/2)、川元正昭(13―3、子、1/2)

関係証拠:甲C14―1〜9、同15―1、検甲17―1〜5、三浦80、83 乙2013―1〜2、検甲4―1〜18、衛藤56、62

上記関係証拠及び以下に摘示する証拠によれば、第1記載の事実が認められ、本患者の症候は第2記載のとおりであると判断される。

第1 メチル水銀曝露歴

1 生活歴・職歴

明治40年 山口県阿武郡川上村で出生

25年ころ 鹿児島県出水郡獅子島幣串の網元方に住み込み、網子として漁業に従事

36年 川元フミ子と結婚し、水俣市茂道で同居、同人と共に茂道の網元方で網子として働く。

39年 川元フミ子と共に大阪に移住

2 家庭内認定患者

認めるに足りる証拠はない。

3 魚介類摂取状況

25〜39年は、網子の仕事のかたわら大工としても働いた。

手漕ぎ船で出漁し、巾着網で漁をした後、地引き網の手伝いやイリコの乾燥作業に従事し、イリコを手間賃として受取り、自食する。

第2 症候

1 四肢末梢優位の感覚障害

本患者が感覚障害を初めて訴えたのは、46年7月の脳卒中発作以後のことであることが認められる。また、54年1月20日の審査会医師の検査では、左半身に感覚障害を認めるが、四肢末端の感覚障害は認められておらず、翌日の検査でも同様の所見が得られている。54年7月25日の白川医師の検診では、前面については、口周囲、四肢末端、左半身の感覚障害が認められ、後面については、感覚障害の記載がされていない。さらに、55年5月22日の検査では、口周囲及び四肢に感覚障害が認められるが、下肢は前面が左右とも大腿以下、後面が左が下腿以下、右が足首以下と、前面と後面の感覚障害が存在する範囲が異なっている。

本患者には四肢末梢優位の感覚障害があるとしても、変形性脊椎症による感覚障害の可能性があり、その発現時期からみて脳卒中の影響が考えられ、鑑別が十分でない。

2 小脳性運動失調

(1) 協調運動障害

54年1月20日の審査会の検査では、ジアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験ではいずれも−(ただし、左は脱力との記載がある。)、白川医師の同年7月25日の検診でも、ジアドコキネーシス、指鼻試験はいずれも−(ただし、膝踵試験については記載がない。)、55年5月の阪南中央病院の検査(同号証の五)では、ジアドコキネーシス右+、左++、指鼻試験右−左+、指示試験右−左+、指指試験−、膝踵試験左右とも+との所見がそれぞれ得られているが、その他の上肢の協調運動の検査である指鼻試験(開眼)、指指試験(開眼)、指示試験の右側はいずれも正常である上、同年の書字検査をみても、直線を引く試験において、小脳性のハイパーメトリアやハイポメトリアは全く認められていない。したがって、小脳性の協調運動障害が存在する可能性は低い。

(2) 平衡機能障害

54年1月の審査会の検査では、歩行障害、つぎ足歩行障害の検査で検査不能、同年7月の検査でも片足立ち検査は実施せず、55年の阪南中央病院の検査では、片足立ち不能等と記されている。これらは結局、46年に脳卒中で倒れた後遺症によって検査の実施自体が不能であることを示していると推認される。したがって、小脳性の平衡障害は認められない。

(3) 眼球運動障害

54年1月の眼球運動の検査では、右向きから左向きへの異常が認められているが、「右行き左行きに差が認められ、脳卒中の後遺症が考えられ」と付記されているから、この異常についても脳卒中を原因とするものと推認される。

3 求心性視野狭窄:認められない。

4 難聴

55年の検診では、感音性難聴の所見しか得られていないし、鑑別診断が不十分で、54年1月26日の語音聴力や聴覚疲労の検査で異常は認められておらず、後迷路性難聴とは認められない。

5 既往症又は水俣病以外の疾患

46年7月 脳卒中

54年 審査会で頸部運動制限を確認、頸椎では椎間腔、椎間孔の狭小化、脊椎管前後径が12.5mmと狭小化していることがレントゲン検査で確認された。さらに、左側の一部の腱反射の亢進、両側のアキレス腱反射の低下が認められる。

55年 頸部運動制限が前屈で認められ、頸椎では椎間腔の狭小、腰椎では分離すべり症、左側の膝蓋腱反射の亢進、バビンスキー反射陽性の異常所見が認められる。

6 病理解剖所見

原告ら提出の診断意見書では、水俣を離れてから18年を経た時点においても、腎臓ヘンレ蹄係上皮細胞内に水銀化学反応が明瞭に認められ、長期経過暴露を証明するとし、脳の病理標本では褐色に染まる顆粒があり、リポフスチンならば赤色に染色されるはずであるので、水銀顆粒の可能性は否定できないとし、末梢神経に知覚優位の明らかな50%程度の神経脱落が認められ、腎臓に水銀顆粒が確認されていること、高齢(74歳)で右脳梗塞に付け加え、副腎癌という稀な癌で死亡していることから、水俣病特有の脳内病変が不明瞭となった可能性があるなどとしている。

しかし、証人衛藤光明の証言によれば、水銀顆粒はリポフスチンやセロイドに比べてより小さく、より黒いもので、もし水銀顆粒が存在すれば、数が少なくても標本全体にまんべんなく存在することが認められ、検甲17―2の小脳の写真では、そのような状況が見出せないから、診断意見書の指摘は失当である。また、乙2013―2及び証人衛藤の証言によれば、大脳、小脳には年令相応の萎縮性変化があるが、水俣病にみられる特徴的変化はみられず、脳内水銀は組織化学的に証明できないものであることが認められる。右証拠によると、大脳、小脳、肝臓、腎臓ともに水銀値は対照値の範囲内であり、脳内水銀の組織化学的証明はなされなかった上、診断意見書が指摘する腎臓の所見は対照例でも見られることがあり、病理的に水俣病に特異的な病変が見いだせなかったことが認められる。したがって、解剖所見からは水俣病特有の病変は認められない。

第3 判断

前記認定の事実及び本件患者の症候を総合的に判断すると、本件患者の症候が水俣病に起因する可能性はほとんどないといわざるを得ない。

個別的因果関係の判断

患者番号:21

患者氏名:洲崎義輝

患者分類:未検診(争いがない。)

生年月日:昭和3年1月24日

対応原告:患者本人

関係証拠:甲C22―1〜12、三浦67、72、本人73

上記関係証拠及び以下に摘示する証拠によれば、第1記載の事実が認められ、本患者の症候は第2記載のとおりであると判断される。

第1 メチル水銀曝露歴

1 生活歴・職歴

3年 熊本県葦北郡田浦町において出生

4年 福岡県遠賀郡岡垣町海老津に転居した。

17年 国鉄に就職

21年 国鉄をやめて田浦に帰り、きんちゃく網の網子として働く。

38年 大阪に移住

2 家庭内認定患者

母の甥熊太郎、母の従兄弟浜田人吉(争いがない。)

3 魚介類摂取状況

岡垣町海老津に転居した後、父は炭坑夫として働く。

本患者の田浦在住時の漁場は、不知火海全般に及んだ。また、きんちゃく網ができないときは手ぐり網を行ったが、これは地先権という漁業権があるため、田浦の沖合しか漁ができなかった。32年、33年ころから魚が獲れなくなり、33年ころから水俣病の関係で、水俣湾付近の魚を漁協は買ってくれなくなった。

本患者は、漁で漁獲した魚を毎食食べていた。

第2 症候

1 四肢末梢優位の感覚障害

57年、58年の検診では、いずれも手袋・靴下型の知覚障害があり、61年7月の検診では、歯車と筆による痛覚及び触覚の検査では左右差や部位による差が認められず、本人の四肢のしびれの訴えがあるも所見としては正常とされたが、音叉による振動覚検査では上下肢特に下肢に明瞭に低下が認められているとする。

しかし、57年、58年の各検診報告書の人体図は、いずれも手袋・靴下型の知覚障害を表しているが、58年の検診について、三浦医師は、痛覚の低下は認められるものの、触覚については分からない旨述べている(三浦72)し、かえって、同時に実施されたと思われる皮膚書字識別検査の結果が正常である。61年の検診報告書によると、本患者の痛覚、触覚とも正常とされた上、「両指先のシビレ感を訴えるも特変なし。」との注記がされている。診断意見書は、「左右差がはっきりしない全身型の知覚鈍麻か知覚障害が改善していたかのいずれかの可能性があるが、これまでの検診結果及び痛覚、振動覚計による数値データからして、本人の自覚症と一致して、手袋・靴下型の知覚障害があったと認定される。」としているが、一般に歯車と筆による痛・触覚の検査については、正常値を示す顔や腹部との比較で行われるものであるから、真実感覚障害が存在する場合には異常所見を検出できないことは考えられない。61年の検診報告書が明確に痛覚、触覚とも正常としているにもかかわらず(触覚が正常であることを前提とする皮膚書字識別検査の結果も正常である。)、診断意見書は、手袋・靴下型の知覚障害があったと認定されるとするのであり、信用性がない。

したがって、61年には異常がなく、57年、58年に手袋・靴下型の感覚障害が認められたに過ぎず、当時の感覚障害が水俣病に起因する可能性は低い。

2 小脳性運動失調

(1) 協調運動障害

57年の検査では、ジアドコキネーシス左右+、指鼻試験(開眼)±、指示試験左右±、指指試験(開眼)±、膝踵試験左右±、58年の検査では、ジアドコキネーシス左右±、指鼻試験(開眼)±、指鼻指試験右±左+、指指試験(開眼)±、膝踵試験−、61年の検査では、ジアドコキネーシス左右+、指鼻試験−、指指試験−、膝踵試験−等の所見が得られている。

しかし、58年、61年の検査では、下肢の協調運動障害は認められない(膝踵試験は正常)から、上肢のみにみられる協調運動の障害は、小脳性の協調運動障害による所見とは考え難い。上肢の協調運動障害についても、各年の検査を通じて企図振戦は認められず、書字の検査結果をみても、ハイパーメトリア(測定過大)がみられないほか、起点、終点についても正確にとらえており、これら所見を総合すると、上肢にも小脳性の協調運動障害は認められない。なお、診断意見書は、指叩き試験の結果を挙げるが、この結果として運動の緩慢が認められるに過ぎず、異常所見があっても、それから運動失調を推認できるわけではない(乙1140、同1141―2、永松60)。

以上のとおり、協調運動障害があると認めるに足りる証拠はない。

(2) 平衡機能障害

診断意見書には、平衡機能異常がみられるとの記載がある。57年の検査では、つぎ足による直立時動揺±、片足立ち起立右(開眼)正常、左(開眼)不安定の、58年の検査では、つぎ足直立時動揺+、61年では、つぎ足直立時動揺+、片足立ち起立(開眼、閉眼)動揺といった所見が得られている。

しかし、片足立ち起立(特に閉眼)の検査やつぎ足歩行時動揺の検査は老齢化によっても異常が出やすく、本患者は検査時50歳を超えていたことから、年令による影響も否定できない。また、58年の検査によると、踵歩行、つま先歩行の検査で異常、また、57年、58年、61年のしゃがみ動作の検査では不円滑あるいは不能となっており、本原告の下肢に筋力低下があることが認められ、前記の検査結果にこれが影響を与えていることも否定できない。

結局、本患者の平衡障害については、全小脳性の運動失調を推認するだけの的確な証拠はない。

(3) 眼球運動障害

診断意見書は、滑動性追従運動で失調性の眼球障害が認められるとする。

しかし、61年7月9日付検診報告書添付の眼球運動図は、0.5Hzの視標による検査のみで作成されたもので、信用性が低い(理由3)。また、滑動性眼球運動障害は、小脳障害のみならず、他の中枢神経の障害でも出現する。

衝動性眼球運動については、61年の衝動性眼球運動図によると、正常であり、診断意見書も異常と指摘してはいない。

3 求心性視野狭窄

診断意見書では、61年において左眼において平均76%の求心性視野狭窄が認められる。右眼では4分の1半盲様の狭窄がある。57年、58年の視野検査でも同様に左眼の求心性視野狭窄、右眼の不規則型視野狭窄があるとする。

しかし、57年、58年、61年の各視野図をみると、各年度を通じて、本原告の右眼は4分の1半盲様の視野狭窄となっており、緑内障等の他疾患を強く疑わせる。それにもかかわらず、本患者については慎重な鑑別診断が行われていない。

したがって、本患者には、視野狭窄が認められるとしても、求心性とはいえないし、水俣病以外の疾患による可能性が強く、求心性視野狭窄は認められない。

4 難聴

診断意見書は、感音性の聴力障害が認められるとするが、三浦・村田医師の検査・診断では、後迷路性難聴の鑑別は行われておらず、資料として信頼性がない(理由4)から、本患者に後迷路性難聴があると認めるに足りる証拠はない。

なお、61年のオージオグラムでは気導の検査しか行われておらず、この結果から聴力障害のパターンを見ることは不可能であるし、58年のオージオグラムについても、8000Hzで骨導値が検出されていること、骨導値が気導値よりも域値が上昇しているという通常の検査で考えられない結果が得られている。また、61年の検診報告書中の耳鼻科的検査では、鼓膜に瘢痕性変化ありとしており、慢性中耳炎と内耳性難聴が合併している可能性も否定できない。さらに、58年、61年のオージオグラムでは、4000Hzで低下していることから、騒音性難聴の可能性も否定できない。

以上のように、後迷路性難聴を生じているかどうか判断が困難であるばかりでなく、他疾患による聴力障害の可能性も否定できない。

5 既往症又は水俣病以外の疾患

61年の頸椎及び腰椎X―P検査で、頸椎の椎体骨棘形成、頸椎の椎間孔の狭小化が認められた。しかし、頸椎では、脊椎管前後径15mmで、スパーリング徴候や頸部運動痛がなく、深部反射の亢進や病的反射は認められない。

また、61年の一般内科的検診所見の要約欄に「耐糖能異常」との記載があり、境界型の糖尿病が示唆される。

第3 判断

以上検討したところを総合すると、本患者については、メチル水銀曝露歴が一応認められるが、四肢末梢優位の感覚障害が57年、58年に認められたものの、61年には正常の所見があり、その他の水俣病の主要症候である求心性視野狭窄、小脳性運動失調、後迷路性難聴があるとは認められないし、糖尿病の疑いもある。

前記認定の事実及び本件患者の症候を総合的に判断すると、本件患者の症候が水俣病に起因する確率は低く、15パーセントと推定するのが相当である。

患者番号3〜9、11〜12、14〜20、22〜58の個別的因果関係の判断<省略>

別紙当事者目録

〔原告の部〕

原告と他の原告の訴訟承継人(以下、訴訟承継人を単に「承継人」という。)を兼ねる場合及び複数の原告の承継人を兼ねる場合(原告番号において=が使われている場合)には、各別にそれぞれの資格で表示する。

(なお、左端の表示については下記の例のとおり)

1 「亡岩本愛子承継人」は、元原告であった岩本愛子の訴訟承継人である。

2 「原告(亡川元正人相続人)」は、本件訴訟提起前に死亡した患者川元正人の相続人であり、右相続人が原告になっている。

3 「亡木下慶嗣(亡木下嘉吉相続人)承継人」は、本件訴訟提起前に死亡した患者木下嘉吉の相続人である元原告木下慶嗣の訴訟承継人である。

4 「亡蓑田ソモ承継人亡蓑田一男承継人」は、元原告であった蓑田ソモの訴訟承継人蓑田一男の訴訟承継人であり、一旦訴訟承継をした蓑田一男も死亡したため、右一男の相続人が訴訟承継人になっている。

(原告番号)

(原告氏名)

原告

1

荒木ヤス子

原告

2=3-2

岩本夏義

亡岩本愛子承継人

3-2=2

岩本夏義

3-3

岩本優

3-4

岩本誠

3-5

小笹惠

3-6

岩本司

3-7

大倉朱美

3-8

岩本力

原告

4

岩本章

原告

5

岩本祐好

原告

6

岩本俊雄

原告

7

池田一夫

原告

8

池田フミ子

亡池田光喜承継人

9-3=10-2

池田政利

9-4=10-3

池田敏久

9-5=10-4

池田利春

9-6=10-5

寺島文子

亡池田ツヨ子承継人

10-2=9-3

池田政利

10-3=9-4

池田敏久

10-4=9-5

池田利春

10-5=9-6

寺島文子

原告

11

江口セツ子

原告

12

川元幸子

原告(亡川元正人相続人)

13-2=14

川元フミ子

原告(亡川元正人相続人)

13-3

川元正昭

原告

14=13-2

川元フミ子

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-2

木下キクノ

亡木下慶嗣(亡木下嘉吉相続人)承継人

15-3

木下美恵子

15-4

木下英樹

15-5

木下博樹

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-6

木下慶憲

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-7

細川千津子

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-8

木村恵美子

原告

16

坂本伸一

原告

17

坂本美代子

亡篠原蔀承継人

18-2

篠原重子

18-3=30

松崎キヨエ

18-4

篠原一堯

18-5

篠原智敏

18-6

篠原善喜

18-7

木村ミツモ

18-8

佐分邦子

亡下田幸雄承継人

19-2

下田エミ

19-3

白江啓子

原告

20

下村久恵

原告

21

洲崎義輝

原告

22

洲崎百合子

原告

23

岩本キヨミ

原告

24=31-4

田中ヤス子

原告

25

田端もり子

原告

26

徳冨美代子

原告

27

西川末松

亡濱本勝喜承継人

28-2

濱本マサ子

28-3

濱本政喜

28-4

岩崎榮子

28-5

濱本健一

原告

29

松崎幸男

原告

30=18-3

松崎キヨエ

亡蓑田ソモ承継人

31-2

松葉ツヤ子

31-3

蓑田實

31-4=24

田中ヤス子

31-5=32

蓑田太丸

31-6=33

芝シヅエ

亡蓑田ソモ承継人

亡蓑田一男承継人

31-7-2

蓑田ヨシコ

原告

32=31-5

蓑田太丸

原告

33=31-6

芝シヅエ

亡蓑田信義承継人

34-2

蓑田玉惠

34-3

木村友美

34-4

蓑田佳永

34-5

南野容子

原告

35

森ミスカ

亡山下一弥承継人

36-2

山下タユ子

36-3

長濱里美

36-4

山下正藏

36-5

山下繁蔵

36-6

山下正繁

原告

37

川上敏行

原告

38

川上カズエ

原告

39

坂口邦男

原告

40

鬼塚光男

原告

41

井上光男

原告

42

濱本喜造

原告

43

濱本スソノ

原告

44

湯元スエ子

原告

45

天川旬平

原告

46=47-2

湯元篤

亡湯元禮子承継人

47-2=46

湯元篤

47-3

洲賀崎信子

47-4

湯元國雄

亡山ロキシ承継人

48-2=59-6

中本千壽子

48-3=59-7

前川輝子

48-4=59-8

尾上時子

48-5=59-9

山口淳

48-6=59-10

山口強

48-7=59-11

菊池広美

原告

49

一司スエ子

原告

50

山下ツタエ

原告

51

荒木多賀雄

原告

52

鬼塚岩男

原告

53

面木学

原告

54

神園茂子

原告

55

杉山多美子

原告

56

坂ロチサ子

原告

57

渕上キミ

原告(亡吉田信市相続人)

58-2

吉田ユキ子

原告(亡吉田信市相続人)

58-3

藤本清美

原告(亡吉田信市相続人)

58-4

吉田伸二

亡若林カズエ承継人

59-2

若林松雄

59-3

坂井キシ

59-5

瀧本ハル子

59-6=48-2

中本千壽子

59-7=48-3

前川輝子

59-8=48-4

尾上時子

59-9=48-5

山口淳

59-10=48-6

山口強

59-11=48-7

菊池広美

亡若林カズエ承継人

亡前嶋サヨ承継人

59-12-2

前嶋ハツ子

59-12-3

前嶋一則

亡若林カズエ承継人

59-13

江口キミ子

59-14

鹿島三雄

59-15

西川ミユキ

59-16

濱園タミ子

59-17

藤本エミ子

59-18

鬼塚政雄

59-19

鬼塚一則

59-20

杉元ミエ子

59-21

鬼塚正人

59-22

山下知惠子

59-23

鬼塚靖晴

59-24

山口あきみ

59-25

元村義治

59-26

花元光子

59-27

元村久義

59-28

元村一高

59-29

横田昌子

(59-4は欠番)

原告ら訴訟代理人

弁護士

松本健男

大野康平

大川一夫

小野田学

金子利夫

田中康之

田中泰雄

竹岡冨美男

中島俊則

永嶋里枝

西口徹

丹羽雅雄

平尾孔孝

正木孝明

松井隆雄

養父知美

〔被告の部〕

(被告名)

被告

被告国代表者法務大臣

前田勲男

被告

熊本県

(以下「被告県」という。)

被告県代表者知事

福島譲二

被告国訴訟代理人弁護士

堀弘二

被告国及び県指定代理人

河村吉晃

佐村浩之

赤西芳文

塚本伊平

一谷好文

島田睦史

本田晃

嶋田昌和

中川猪三男

山本聖峰

被告国指定代理人

清水博

清水康弘

土生栄二

國井聡

大林一雄

深田謙治

田代耕太郎

被告県訴訟代理人弁護士

柴田憲保

斉藤修

被告県指定代理人

白濱良一

志賀能典

被告

チッソ株式会社

(以下「被告チッソ」という。)

被告チッソ代表者代表取締役

後藤舜吉

被告チッソ訴訟代理人弁護士

加嶋昭男

畔柳達雄

斎藤宏

松崎隆

齊藤和雄

宇佐美明夫

鈴木輝雄

松原護

樋口雄三

塚本侃

宇佐美貴史

森戸一男

別紙

第一原告目録(一部認容の原告及び認容額の目録) 以下、原告の訴訟承継人を「承継人」という。

原告番号

原告氏名

認容額(円)

起算日

(訴状送達の日の翌日)

原告

1

荒木ヤス子

8,500,000

昭和57年12月10日

原告兼亡岩本愛子承継人

2=3-2

岩本夏義

10,750,000

昭和57年12月10日

亡岩本愛子承継人

3-3

岩本優

708,333

昭和57年12月10日

3-4

岩本誠

708,333

昭和57年12月10日

3-5

小笹惠

708,333

昭和57年12月10日

3-6

岩本司

708,333

昭和57年12月10日

3-7

大倉朱美

708,333

昭和57年12月10日

3-8

岩本力

708,333

昭和57年12月10日

原告

4

岩本章

4,500,000

昭和57年12月10日

原告

5

岩本祐好

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

6

岩本俊雄

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

7

池田一夫

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

8

池田フミ子

6,500,000

昭和57年12月10日

亡池田光喜及び

亡池田ツヨ子承継人

9-3=10-2

池田政利

3,250,000

昭和57年12月10日

9-4=10-3

池田敏久

3,250,000

昭和57年12月10日

9-5=10-4

池田利春

3,250,000

昭和57年12月10日

9-6=10-5

寺島文子

3,250,000

昭和57年12月10日

原告

11

江口セツ子

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

12

川元幸子

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

14=13-2

川元フミ子

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

17

坂本美代子

8,500,000

昭和57年12月10日

亡篠原蔀承継人

18-2

篠原重子

6,375,000

昭和57年12月10日

18-4

篠原一堯

354,166

昭和57年12月10日

18-5

篠原智敏

354,166

昭和57年12月10日

18-6

篠原善喜

354,166

昭和57年12月10日

18-7

木村ミツモ

354,166

昭和57年12月10日

18-8

佐分邦子

354,166

昭和57年12月10日

亡下田幸雄承継人

19-2

下田エミ

2,250,000

昭和57年12月10日

19-3

白江啓子

2,250,000

昭和57年12月10日

原告

20

下村久恵

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

21

洲崎義輝

3,500,000

昭和57年12月10日

原告

22

洲崎百合子

8,500,000

昭和57年12月10日

原告

23

岩本キヨミ

6,500,000

昭和57年12月10日

原告兼亡蓑田ソモ承継人

24=31-4

田中ヤス子

7,250,000

昭和57年12月10日

原告

25

田端もり子

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

26

徳冨美代子

4,500,000

昭和57年12月10日

原告

27

西川末松

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

29

松崎幸男

8,500,000

昭和57年12月10日

原告兼亡篠原蔀承継人

30=18-3

松崎キヨミ

8,854,166

昭和57年12月10日

亡蓑田ソモ承継人

31-2

松葉ツヤ子

750,000

昭和57年12月10日

31-3

蓑田實

750,000

昭和57年12月10日

亡蓑田ソモ承継人

亡蓑田一男承継人

31-7-2

蓑田ヨシコ

750,000

昭和57年12月10日

原告兼亡蓑田ソモ承継人

32=31-5

蓑田太丸

7,250,000

昭和57年12月10日

原告兼亡蓑田ソモ承継人

33=31-6

芝シズエ

7,250,000

昭和57年12月10日

亡蓑田信義承継人

34-2

蓑田玉惠

3,250,000

昭和57年12月10日

34-3

木村友美

1,083,333

昭和57年12月10日

34-4

蓑田佳永

1,083,333

昭和57年12月10日

34-5

南野容子

1,083,333

昭和57年12月10日

原告

35

森ミスカ

6,500,000

昭和57年12月10日

原告

37

川上敏行

8,500,000

昭和59年8月29日

原告

38

川上カズエ

4,500,000

昭和59年8月29日

原告

39

坂口邦男

4,500,000

昭和59年8月29日

原告

42

濱本喜造

6,500,000

昭和60年10月24日

原告

43

濱本スソノ

6,500,000

昭和60年10月24日

原告

50

山下ツタエ

8,500,000

昭和61年11月23日

原告

51

荒木多賀雄

8,500,000

昭和63年4月14日

原告

54

神園茂子

4,500,000

昭和63年4月14日

原告

55

杉山多美子

6,500,000

昭和63年4月14日

原告

56

坂口チサ子

4,500,000

昭和63年4月14日

原告

57

渕上キミ

8,500,000

昭和63年4月14日

別紙

第二原告目録(全部棄却の原告目録)原告と他の原告の訴訟承継人(以下、訴訟承継人を単に「承継人」という。)を兼ねる場合及び複数の原告の承継人を兼ねる場合(原告番号において=が使われている場合)には、各別にそれぞれの資格で表示する。

原告番号

原告氏名

原告(亡川元正人相続人)

13-2=14

川元フミ子

原告(亡川元正人相続人)

13-3

川元正昭

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-2

木下キクノ

亡木下慶嗣(亡木下嘉吉相続人)承継人

15-3

木下美恵子

15-4

木下英樹

15-5

木下博樹

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-6

木下慶憲

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-7

細川千津子

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-8

木村恵美子

原告

16

坂本伸一

亡濱本勝喜承継人

28-2

濱本マサ子

28-3

濱本政喜

28-4

岩崎榮子

28-5

濱本健一

亡山下一弥承継人

36-2

山下タユ子

36-3

長濱里美

36-4

山下正藏

36-5

山下繁蔵

36-6

山下正繁

原告

40

鬼塚光男

原告

41

井上光男

原告

44

湯元スエ子

原告

45

天川旬平

原告

46=47-2

湯元篤

亡湯元禮子承継人

47-2=46

湯元篤

47-3

洲賀崎信子

47-4

湯元國雄

亡山口キシ承継人

48-2=59-6

中本千壽子

48-3=59-7

前川輝子

48-4=59-8

尾上時子

48-5=59-9

山口淳

48-6=59-10

山口強

48-7=59-11

菊池広美

原告

49

一司スエ子

原告

52

鬼塚岩男

原告

53

面木学

原告(亡吉田信市相続人)

58-2

吉田ユキ子

原告(亡吉田信市相続人)

58-3

藤本清美

原告(亡吉田信市相続人)

58-4

吉田伸二

亡若林カズエ承継人

59-2

若林松雄

59-3

坂井キシ

59-5

瀧本ハル子

59-6=48-2

中本千壽子

59-7=48-3

前川輝子

59-8=48-4

尾上時子

59-9=48-5

山口淳

59-10=48-6

山口強

59-11=48-7

菊池広美

亡若林カズエ承継人

亡前嶋サヲ承継人

59-12-2

前嶋ハツ子

59-12-3

前嶋一則

亡若林カズエ承継人

59-13

江口キミ子

59-14

鹿島三雄

59-15

西川ミユキ

59-16

浜園タミ子

59-17

藤本エミ子

59-18

鬼塚政雄

59-19

鬼塚一則

59-20

杉元ミエ子

59-21

鬼塚正人

59-22

山下知惠子

59-23

鬼塚靖晴

59-24

山口あきみ

59-25

元村義治

59-26

花元光子

59-27

元村久義

59-28

元村一高

59-29

横田昌子

(59-4は欠番)

別紙

第三原告目録(請求の趣旨の目録)

原告と他の原告の訴訟承継人(以下、訴訟承継人を単に「承継人」という。)を兼ねる場合及び複数の原告の承継人を兼ねる場合(原告番号に=が使われている場合)には、各別にそれぞれの資格で表示する。

原告番号

原告氏名

請求額(円)

起算日

原告

1

荒木ヤス子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

2=3-2

岩本夏義

33,000,000

昭和57年12月10日

亡岩本愛子承継人

3-2=2

岩本夏義

16,500,000

昭和57年12月10日

3-3

岩本優

2,750,000

昭和57年12月10日

3-4

岩本誠

2,750,000

昭和57年12月10日

3-5

小笹惠

2,750,000

昭和57年12月10日

3-6

岩本司

2,750,000

昭和57年12月10日

3-7

大倉朱美

2,750,000

昭和57年12月10日

3-8

岩本力

2,750,000

昭和57年12月10日

原告

4

岩本章

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

5

岩本祐好

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

6

岩本俊雄

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

7

池田一夫

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

8

池田フミ子

33,000,000

昭和57年12月10日

亡池田光喜承継人

9-3=10-2

池田政利

8,250,000

昭和57年12月10日

9-4=10-3

池田敏久

8,250,000

昭和57年12月10日

9-5=10-4

池田利春

8,250,000

昭和57年12月10日

9-6=10-5

寺島文子

8,250,000

昭和57年12月10日

亡池田ツヨ子承継人

10-2=9-3

池田政利

8,250,000

昭和57年12月10日

10-3=9-4

池田敏久

8,250,000

昭和57年12月10日

10-4=9-5

池田利春

8,250,000

昭和57年12月10日

10-5=9-6

寺島文子

8,250,000

昭和57年12月10日

原告

11

江口セツ子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

12

川元幸子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告(亡川元正人相続人)

13-2=14

川元フミ子

27,500,000

昭和57年12月10日

原告(亡川元正人相続人)

13-3

川元正昭

27,500,000

昭和57年12月10日

原告

14=13-2

川元フミ子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-2

木下キクノ

22,000,000

昭和57年12月10日

亡木下慶嗣(亡木下嘉吉相続人)承継人

15-3

木下美恵子

4,125,000

昭和57年12月10日

15-4

木下英樹

2,062,500

昭和57年12月10日

15-5

木下博樹

2,062,500

昭和57年12月10日

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-6

木下慶憲

8,250,000

昭和57年12月10日

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-7

細川千津子

8,250,000

昭和57年12月10日

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-8

木村恵美子

8,250,000

昭和57年12月10日

原告

16

坂本伸一

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

17

坂本美代子

33,000,000

昭和57年12月10日

亡篠原蔀承継人

18-2

篠原重子

16,500,000

昭和57年12月10日

18-3=30

松崎キヨエ

2,750,000

昭和57年12月10日

18-4

篠原一堯

2,750,000

昭和57年12月10日

18-5

篠原智敏

2,750,000

昭和57年12月10日

18-6

篠原善喜

2,750,000

昭和57年12月10日

18-7

木村ミツモ

2,750,000

昭和57年12月10日

18-8

佐分邦子

2,750,000

昭和57年12月10日

亡下田幸雄承継人

19-2

下田エミ

16,500,000

昭和57年12月10日

19-3

白江啓子

16,500,000

昭和57年12月10日

原告

20

下村久恵

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

21

洲崎義輝

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

22

洲崎百合子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

23

岩本キヨミ

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

24=31-4

田中ヤス子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

25

田端もり子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

26

徳冨美代子

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

27

西川末松

33,000,000

昭和57年12月10日

亡浜本勝喜承継人

28-2

浜本マサコ

27,500,000

昭和57年12月10日

28-3

浜本政喜

9,166,666

昭和57年12月10日

28-4

岩崎榮子

9,166,666

昭和57年12月10日

28-5

浜本健一

9,166,666

昭和57年12月10日

原告

29

松崎幸男

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

30=18-3

松崎キヨエ

33,000,000

昭和57年12月10日

亡蓑田ソモ承継人

31-2

松葉ツヤ子

5,500,000

昭和57年12月10日

31-3

蓑田實

5,500,000

昭和57年12月10日

31-4=24

田中ヤス子

5,500,000

昭和57年12月10日

31-5=32

蓑田太丸

5,500,000

昭和57年12月10日

31-6=33

芝シヅエ

5,500,000

昭和57年12月10日

亡蓑田ソモ承継人

亡蓑田一男承継人

31-7-2

蓑田ヨシコ

5,500,000

昭和57年12月10日

原告

32=31-5

蓑田太丸

33,000,000

昭和57年12月10日

原告

33=31-6

芝シヅエ

33,000,000

昭和57年12月10日

亡蓑田信義承継人

34-2

蓑田玉惠

16,500,000

昭和57年12月10日

34-3

木村友美

5,500,000

昭和57年12月10日

34-4

蓑田佳永

5,500,000

昭和57年12月10日

34-5

南野容子

5,500,000

昭和57年12月10日

原告

35

森ミスカ

33,000,000

昭和57年12月10日

亡山下一弥承継人

36-2

山下タユ子

16,500,000

昭和57年12月10日

36-3

長濱里美

4,125,000

昭和57年12月10日

36-4

山下正藏

4,125,000

昭和57年12月10日

36-5

山下繁蔵

4,125,000

昭和57年12月10日

36-6

山下正繁

4,125,000

昭和57年12月10日

原告

37

川上敏行

33,000,000

昭和59年8月29日

原告

38

川上カズエ

33,000,000

昭和59年8月29日

原告

39

坂口邦男

33,000,000

昭和59年8月29日

原告

40

鬼塚光男

33,000,000

昭和59年8月29日

原告

41

井上光男

33,000,000

昭和60年10月24日

原告

42

浜本喜造

33,000,000

昭和60年10月24日

原告

43

浜本スソノ

33,000,000

昭和60年10月24日

原告

44

湯元スエ子

33,000,000

昭和60年10月24日

原告

45

天川旬平

33,000,000

昭和61年1月8日

原告

46=47-2

湯元篤

33,000,000

昭和61年1月8日

亡湯元禮子承継人

47-2=46

湯元篤

16,500,000

昭和61年1月8日

47-3

洲賀崎信子

8,250,000

昭和61年1月8日

47-4

湯元國雄

8,250,000

昭和61年1月8日

亡山口キシ承継人

48-2=59-6

中本千壽子

5,500,000

昭和61年11月23日

48-3=59-7

前川輝子

5,500,000

昭和61年11月23日

48-4=59-8

尾上時子

5,500,000

昭和61年11月23日

48-5=59-9

山口淳

5,500,000

昭和61年11月23日

48-6=59-10

山口強

5,500,000

昭和61年11月23日

48-7=59-11

菊池広美

5,500,000

昭和61年11月23日

原告

49

一司スエ子

33,000,000

昭和61年11月23日

原告

50

山下ツタエ

33,000,000

昭和61年11月23日

原告

51

荒木多賀雄

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

52

鬼塚岩男

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

53

面木学

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

54

神園茂子

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

55

杉山多美子

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

56

坂ロチサ子

33,000,000

昭和63年4月14日

原告

57

渕上キミ

33,000,000

昭和63年4月14日

原告(亡吉田信市相続人)

58-2

吉田ユキ子

27,500,000

昭和63年4月14日

原告(亡吉田信市相続人)

58-3

藤本清美

13,750,000

昭和63年4月14日

原告(亡吉田信市相続人)

58-4

吉田伸二

13,750,000

昭和63年4月14日

亡若林カズエ承継人

59-2

若林松雄

24,750,000

昭和63年4月14日

59-3

坂井キシ

1,178,572

昭和63年4月14日

59-5

瀧本ハル子

1,178,572

昭和63年4月14日

59-6=48-2

中本千壽子

196,428

昭和63年4月14日

59-7=48-3

前川輝子

196,428

昭和63年4月14日

59-8=48-4

尾上時子

196,428

昭和63年4月14日

59-9=48-5

山口淳

196,428

昭和63年4月14日

59-10=48-6

山口強

196,428

昭和63年4月14日

59-11=48-7

菊池広美

196,428

昭和63年4月14日

亡若林カズエ承継人

亡前嶋サヲ承継人

59-12-2

前嶋ハツ子

589,286

昭和63年4月14日

59-12-3

前嶋一則

589,286

昭和63年4月14日

亡若林カズエ承継人

59-13

江ロキミ子

261,905

昭和63年4月14日

59-14

鹿島三雄

261,905

昭和63年4月14日

59-15

西川ミユキ

261,905

昭和63年4月14日

59-16

浜園タミ子

261,905

昭和63年4月14日

59-17

藤本エミ子

130,952

昭和63年4月14日

59-18

鬼塚政雄

168,367

昭和63年4月14日

59-19

鬼塚一則

168,367

昭和63年4月14日

59-20

杉元ミエ子

168,367

昭和63年4月14日

59-21

鬼塚正人

168,367

昭和63年4月14日

59-22

山下知惠子

168,367

昭和63年4月14日

59-23

鬼塚靖晴

168,367

昭和63年4月14日

59-24

山口あきみ

168,367

昭和63年4月14日

59-25

元村義治

235,715

昭和63年4月14日

59-26

花元光子

235,715

昭和63年4月14日

59-27

元村久義

235,715

昭和63年4月14日

59-28

元村一高

235,715

昭和63年4月14日

59-29

横田昌子

235,715

昭和63年4月14日

(59-4は欠番)

別紙

第四原告目録(除斥期間経過の原告目録)

原告と他の原告の訴訟承継人(以下、訴訟承継人を単に「承継人」という。)を兼ねる場合及び複数の原告の承継人を兼ねる場合(原告番号に=が使われている場合)には、各別にそれぞれの資格で表示する。

原告番号

原告氏名

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-2

木下キクノ

亡木下慶嗣(亡木下嘉吉相続人)承継人

15-3

木下美恵子

15-4

木下英樹

15-5

木下博樹

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-6

木下慶憲

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-7

細川千津子

原告(亡木下嘉吉相続人)

15-8

木村恵美子

原告

16

坂本伸一

原告

41

井上光男

原告

44

湯元スエ子

原告

45

天川旬平

原告

46=47-2

湯元篤

亡湯元禮子承継人

47-2=46

湯元篤

47-3

洲賀崎信子

47-4

湯元國雄

亡山口キシ承継人

48-2=59-6

中本千壽子

48-3=59-7

前川輝子

48-4=59-8

尾上時子

48-5=59-9

山口淳

48-6=59-10

山口強

48-7=59-11

菊池広美

原告

49

一司スエ子

原告

52

鬼塚岩男

原告

53

面木学

亡若林カズエ承継人

59-2

若林松雄

59-3

坂井キシ

59-5

瀧本ハル子

59-6=48-2

中本千壽子

59-7=48-3

前川輝子

59-8=48-4

尾上時子

59-9=48-5

山口淳

59-10=48-6

山口強

59-11=48-7

菊池広美

亡若林カズエ承継人

亡前嶋サヲ承継人

59-12-2

前嶋ハツ子

59-12-3

前嶋一則

亡若林カズエ承継人

59-13

江口キミ子

59-14

鹿島三雄

59-15

西川ミユキ

59-16

浜園タミ子

59-17

藤本エミ子

59-18

鬼塚政雄

59-19

鬼塚一則

59-20

杉元ミエ子

59-21

鬼塚正人

59-22

山下知惠子

59-23

鬼塚靖晴

59-24

山口あきみ

59-25

元村義治

59-26

花元光子

59-27

元村久義

59-28

元村一高

59-29

横田昌子

(59-4は欠番)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例